新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
午後に雨が降った時には身体がだるくて横になりましたが、雨の上がった夕方以降は復活してます……こちら、微熱がありますが^_^;。
千葉
大原幽学:直筆55点発見 生前の活動示す重要史料、旭の旧住居から新たに /千葉
東京
女子高校生も参列! 第35回沖田総司忌
沖田総司の墓公開 女性ファンら250人
福井
初期の新聞広告を紹介 県文書館が収蔵資料展
京都
江戸期創業の漬物店再起
京町家に店舗 企業家らが支援
江戸期創業の漬物店再起 京町家に店舗 企業家らが支援
和歌山
小山肆成顕彰会:功績を後世に 記念事業への寄付、7000万円募る /和歌山
佐賀
タウンTOWN:海軍所跡の追加調査開始--佐賀 /佐賀
タウンTOWN:海軍所跡の追加調査開始--佐賀 /佐賀
千葉
大原幽学:直筆55点発見 生前の活動示す重要史料、旭の旧住居から新たに /千葉
◇門人らへの手紙下書きや著作草稿
江戸幕末の農村指導者、大原幽学(1797~1858年)の直筆と見られる文書が、旭市長部(ながべ)の旧住居から新たに大量に見つかった。門人らにあてた手紙の下書きや著作の草稿など計55点。幽学の直筆が見つかるのは非常に珍しく、同市立大原幽学記念館(長谷川國雄館長)は「生前の活動や門人との交流を示すきわめて重要な史料だ」として、解読を進めている。【新沼章】
大原幽学は世界で初めて「農業協同組合」を作った人物として知られている。1835年に信州から長部を訪れ、3年後に「組合」を結成。1843年に住居を設け、長部に定住する。旧住居は、今は国指定の史跡「大原幽学遺跡史跡公園」の中にある。
昨年12月に始まった旧住居(木造平屋建て92平方メートル)の改修工事で、南側8畳間の施錠された祭壇部分で小さなたんす(高さ23・6センチ、横幅43・3センチ、奥行き22・4センチ)が見つかり、7個の引き出しの中から自筆とみられる文書が出てきた。
同記念館の猪野映里子学芸員によると、文書の中には「大先生御筆」「大先生御手紙」と記された紙に包まれているものもあり、完成稿ではない著作類4点も見つかった。猪野学芸員は「幽学の指導初期から晩年まで、門人への教導の様子を知る上で貴重だ」と話している。
また、古文書だけでなく、「先生落歯」と添え書きされ、紙に包まれた2本の歯も見つかった。幽学本人の歯の可能性もある。このほか、心を静めるために用いた手製の小道具もあった。
猪野学芸員は「今回見つかった古文書は、すでにある史料に照らしても幽学自筆であるのは確実だ」としている。幽学の史料は約4000点のうち407点が国の重要文化財に指定されており、追加指定も視野に入れながら解読調査を進めるという。
東京
女子高校生も参列! 第35回沖田総司忌
ドラマや小説で人気のある、新選組の一番隊隊長、沖田総司を弔う第35回総司忌(新人物往来社の大出俊幸社長が主催)が27日、専称寺(港区元麻布)で開かれた。
沖田の墓が一般に公開されるのは総司忌が行われるこの日だけとあって、約250人の新選組研究者や新撰組ファンの女性らが集まった。
昭和48年から年に一度の公開に制限されたが、その背景には、過激な沖田ファンらが墓石を削ったり、墓前で大音量のギターライブを行い寺側が迷惑したためという。
埼玉県川口市から来た高校3年生(17)の女子は「ネットで調べてきた。大河ドラマをみてから沖田のファン。マナーを守ってお参りしたい」と話していた。
沖田総司の墓公開 女性ファンら250人
ドラマや小説で人気のある、新選組の一番隊隊長、沖田総司を弔う第35回総司忌(新人物往来社の大出俊幸社長が主催)が27日、専称寺(港区元麻布)で開かれた。
沖田の墓が一般に公開されるのは総司忌が行われるこの日だけとあって、約250人の新選組研究者や新撰組ファンの女性らが集まった。
昭和48年から年に一度の公開に制限されたが、その背景には、過激な沖田ファンらが墓石を削ったり、墓前で大音量のギターライブを行い寺側が迷惑したためという。
埼玉県川口市から来た高校3年生(17)の女子は「ネットで調べてきた。大河ドラマをみてから沖田のファン。マナーを守ってお参りしたい」と話していた。
福井
初期の新聞広告を紹介 県文書館が収蔵資料展
福井市の県文書館で26日、収蔵資料展「くらしがわかる新聞広告-幕末から明治」が始まった。新聞への広告掲載が始まった初期の貴重な資料が並び、当時の人々の暮らしや社会の様子がうかがえる。7月22日まで。
新聞広告が始まった江戸時代末期から明治時代にかけての新聞の原本やパネル計43点を展示。小、中学生に夏休みの自由研究のヒントにしてもらおうと、同館が企画した。
日本人による新聞広告の第1号も紹介。横浜の商人が1867(慶応3)年、イギリス人発行の「万国新聞紙」に掲載されたもので、食品に関する文字だけの広告。その後は絵が入るようになったほか、一面全体を使ったものや「禁酒」を宣言する個人的なものも見られるようになった。
県内で明治時代に発行されたものでは、薬や衣類、たばこの広告などがある。今では禁止されている大げさな表現がある広告も目立つ。
(梅沢あゆみ)
京都
江戸期創業の漬物店再起
京町家に店舗 企業家らが支援
江戸期創業の漬物店再起 京町家に店舗 企業家らが支援
昨年5月に廃業した江戸時代創業の漬物店「近清(きんせ)」が29日、京都市中京区西洞院通蛸薬師下ルで再出発する。市内の経営者が再生を支援し、老舗の復活が実現した。
近清は1764年に下京区で創業し、幕末には新選組にたくあんを贈ったこともあるという。
9代目店主近藤賢士さん(49)が連帯保証債務の返済のため閉店したが、企業再生を手がける桜井総合事務所(中京区)の桜井慎也代表(45)と市内などで釣具店や飲食店を経営する柳田更さん(46)が新会社のスポンサーになった。
新店舗は近藤さんが引き続き店主を務める。京町家の1階を売り場に改装し、漬物は従来の1・5倍の約60種類に増やす。伝統のたくあんのほか、甘みを利かせたアカカブや刻んだナスの浅漬けなどの新商品も並べる。
桜井さんらは「京都の伝統ある店を守りたかった。ビジネスとしても成り立つはず」と述べ、近藤さんは「もう一度店をできるとは思っていなかった。だれでも気軽に入れる店にしたい」と話している。
和歌山
小山肆成顕彰会:功績を後世に 記念事業への寄付、7000万円募る /和歌山
◇天然痘撲滅に尽力
160年前の幕末期、国内で初めて牛痘苗の育成に成功し、不治の病と恐れられた天然痘の撲滅に尽くした白浜町久木出身の医師、小山肆成(しせい)(1807-62)の功績を後世に伝えようと、小山肆成顕彰会(会長、立谷誠一町長)が、記念公園整備事業費など計7000万円の寄付を募る。
事務局の町教委によると、町が取得済みの肆成の生家跡を公園として整地し、長屋門と生誕碑、休憩所を建設する。さらに、小中学生向けに肆成の偉業を紹介する副読本を作成、資料を収集するほか、パンフレットやホームページで広く周知を図る。
寄付を募る対象は、肆成の出身地である旧日置川町の住民。1口1000円で協力を呼びかける。整備事業は10年度から2年の予定。
肆成は京都で儒学、医学を学んだ。1838~42(天保9~13)年に県南部で天然痘が流行した。これをきっかけに牛痘苗の研究に打ち込んだ。実験用の牛を買い集めるため家財を処分するなど苦難のすえ、1849(嘉永2)年、強い免疫性をもつ牛痘苗の育成に成功した。【吉野茂毅】
佐賀
タウンTOWN:海軍所跡の追加調査開始--佐賀 /佐賀
佐賀市教育委員会が25日、世界遺産の暫定リスト入りを目指す幕末遺産の三重津海軍所跡(同市川副町、諸富町)の追加発掘調査を始めた=写真。
蒸気機関を製作したボイラー工場があったと想定される場所を7月31日までの予定で調査する。当時の建物遺構などの発見が期待される。
同工場跡に続き、船大工小屋やドックが存在したとみられる場所も順次、発掘調査を実施する予定。【姜弘修】
6月28日朝刊
タウンTOWN:海軍所跡の追加調査開始--佐賀 /佐賀
佐賀市教育委員会が25日、世界遺産の暫定リスト入りを目指す幕末遺産の三重津海軍所跡(同市川副町、諸富町)の追加発掘調査を始めた=写真。
蒸気機関を製作したボイラー工場があったと想定される場所を7月31日までの予定で調査する。当時の建物遺構などの発見が期待される。
同工場跡に続き、船大工小屋やドックが存在したとみられる場所も順次、発掘調査を実施する予定。【姜弘修】
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昨日は福島で35度を超えたそうですが、今日も一日暑くなりそうですね。
東京
界隈ルポ 飯倉(いいくら)(港区)
富山
日本元気劇場が完成 加賀にテーマパーク
京都
朗読劇:幕末の熱き男、土方歳三 「燃えよ剣」要潤さん熱演--来月18日 /京都
早くも「龍馬ブーム」ぜよ
来年の大河ドラマ主人公
兵庫
第540回「よその旅館ホテル」
家老屋敷の風情を残す
片しぼ竹の宿 梅玉(兵庫県・たつの市)
山本ゆりさん
高知
友情ウオーク:高知→長崎500キロ 龍馬「脱藩の道」もたどり /高知
佐賀
七賢人・島義勇の写真差し替えへ 「陰気」と不評
「佐賀の乱、政府謀略だった」佐賀の研究会が冊子を中学校に配布
東京
界隈ルポ 飯倉(いいくら)(港区)
麻布郵便局、ロシア大使館と、重厚な建物が並ぶ外苑東通り。なかでも目を引くのは、白い堂々とした外観の外交史料館だ。幕末からの外交史料を約6万冊保管し、展示コーナーには、顔写真の代わりに「鼻、高き方」などと書かれた幕末のパスポートなど、興味深い外交史料が陳列されている。展示品は高度な技術で実物と寸分違わず作られた複製だが、閲覧室で実物を見ることもできる(閲覧室利用は18歳以上)。
富山
日本元気劇場が完成 加賀にテーマパーク
7月18日に加賀市黒崎町でオープンするテーマパーク「日本元気劇場」の竣工(しゅんこう)式が26日、現地で行われた。同劇場駐車場でほぼ原寸大に再現された戦艦「三笠」も完成し、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケ地決定が正式に発表された。
元気劇場は、八つの劇場施設を中心としたテーマパークで、新撰組や忍者などのショーや大衆演劇を上演。約30種のアトラクションを用意する。地元から約200人を雇用する。もう一つの目玉、戦艦三笠は、水平線上の船体を再現したオープンセットで、9月と来年5月に「坂の上の雲」の日本海海戦シーンの撮影が行われる。
式では、橋本浩会長、谷本正憲知事、大幸甚加賀市長が三笠前でテープカットし、「進水」を祝った。橋本会長は、8月末までに20万人の入場を見込むとし「元気を呼び込む。年間最低100万人の来場が目標だ」と語った。27日から7月15日まで、三笠と一部園内施設がプレオープンする。
京都
朗読劇:幕末の熱き男、土方歳三 「燃えよ剣」要潤さん熱演--来月18日 /京都
◇壬生寺で
新選組副長の土方歳三の生きざまを描いた司馬遼太郎さんの時代小説「燃えよ剣」の朗読劇に俳優の要潤さんが挑む。7月18日の京都公演は、新選組ゆかりの壬生寺(中京区)に舞台を設置。幕末の動乱を駆け抜けたヒーローを芝居を織り交ぜながら演じる。
「朗読活劇レチタ・カルダ(イタリア語で熱い朗読の意味)」と題した舞台。原作の朗読だけではなく、フラメンコギターに乗せて、殺陣なども交えながら演じていく。
「司馬さんの小説は読めば読むほど深みがあって、読むほどに再発見がある」と要さん。かつて「仮面ライダーアギト」でヒーローを演じたが、土方について「色っぽいところに男らしさがある。なにより自分を信じて生きている。そこまでぶれない人はいないんだろうなと思います」と幕末のヒーローの魅力を語る。
独特の視点で人間や生き様を描いてきた司馬作品の中でも、特に人気が高い作品の一つ。「本の印象をそのまま崩さず、言葉の持つ意味を認識してもらえるように演じたい」と意気込む。午後6時開演。6500円。キョードーチケットセンター(06・7732・8888)。【濱田元子】
早くも「龍馬ブーム」ぜよ
来年の大河ドラマ主人公
来年1月から始まるNHK大河ドラマは坂本龍馬が主人公の「龍馬伝」。幕末の志士の中では屈指の人気を誇る龍馬の影響か、ドラマの重要な舞台となる京では、早くも「龍馬ブーム」の様相を呈している。
京都市上京区に事務局を置く「匠(たくみ)と商人(あきんど)の会」は今月13日から、龍馬ゆかりの地を紹介したガイドの販売を始めた。山内浩一代表らが自転車で市内をめぐり、商店街紹介なども加えた労作だ。山内代表は「旅行会社とも提携し、観光客を呼び込み京都を活性化したい」と意気込む。
今年1月に設立された「龍馬カンパニー」(中京区)は、ファンらでつくるNPO法人「京都龍馬会」の赤尾博章理事長が代表を務める。大河ドラマによる機運の盛り上げに向け、講演やイベントを催すため立ち上げた。3月には寺田屋騒動の際の龍馬の逃走ルートを深夜に再現するといった催しも開いた。今後も多彩な活動を展開する予定だ。
また、京都文化博物館(同)で6月14日まで開かれていた龍馬の書状などを紹介した展示も、人気は上々だった。担当した横山和弘さんは「小さな展示スペースにもかかわらず、鼻が展示ガラスに付くぐらい熱心に見入っている人もいた」と話す。
京都市も観光客誘致に向けたPRに力を入れる方針。関連イベントなどはNHKとの調整があるため、いまだ未定という。旅行会社などに無料配布する龍馬ゆかりの地を紹介する写真データベースは作成中で、市観光振興課は「2004年の『新選組!』の際には、試算で203億円の経済波及効果があった。大河ドラマでの放送をきっかけに、新たな魅力を創出し、ドラマの終了後も持続させていきたい」と、期待を寄せている。
兵庫
第540回「よその旅館ホテル」
家老屋敷の風情を残す
片しぼ竹の宿 梅玉(兵庫県・たつの市)
山本ゆりさん
──城下町として有名ですね。
「兵庫県南西部に位置し、市街に武家屋敷や白壁の土蔵などが現存し、城下町の面影を残しています。当館は龍野の中心部にあり、JR姫新線本竜野駅から徒歩15分、山陽道龍野インターから車で8分ぐらいです」
──施設の特徴は。
「当館は、脇坂藩筆頭家老屋敷跡で、創業約百余年、和の伝統のおもてなしと洋の快適さを備えています。街中にありながら裏に里山、敷地内に小川が流れ、元家老屋敷の庭園の風情を今に残しています。また、庭園内には片しぼ竹林があり、散策も楽しんでいただけます。客室には眺めのよいゆったりとした桧風呂を備えています」
──片しぼ竹とは。
「片しぼ竹は、マダケが変化したもので、幕末に藩主脇坂公がこの竹を愛して庭前に植え、門外不出を厳命して秘蔵したもの。全国にここだけにしか生息せず、昭和33年に天然記念物に指定されました」
──料理の特徴は。
「手延素麺『揖保乃糸』の産地なのでオリジナル素麺料理が人気です。揖保乃糸は兵庫県手延素麺協同組合規格の伝統製法を守り、約500年の歴史があります。夏は天然鮎料理や冬は牡蠣料理など。特産のこだわり醤油による味はお客さまに好評です。泊食分離にも対応できます」
──龍野観光のおすすめは。
「レトロな龍野の街は、季節を通してそぞろ歩きが最適です。桜や紅葉の季節が特におすすめ。4月の『龍野さくら祭りと武者行列』や11月の『オータムフェスティバル』では、美しい景色が楽しめます」
──料金は。
「1泊2食で1万4437円から2万3100円(2人1室)です」
高知
友情ウオーク:高知→長崎500キロ 龍馬「脱藩の道」もたどり /高知
◇来年の大河ドラマ「龍馬伝」を記念--数百人参加、10月14日スタート
幕末の志士、坂本龍馬の足跡を体感しようと、龍馬に縁が深い長崎、高知両県の市民有志が10月14日~11月3日、高知-長崎間を歩く「友情ウオーク」を実施する。四国に伝わる龍馬の「脱藩の道」と、龍馬が神戸から初めて長崎に来た時に通った街道を組み合わせたもので、途中の海路を合わせて約500キロの道のりだ。
龍馬を主人公にしたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が来年放送されるのを記念し、長崎市の元会社員、黒田雄彦さん(63)を中心に企画された。
黒田さんは、長崎市が06年から展開するまち歩き観光「長崎さるく」(「さるく」は「ぶらぶら歩く」の意味の長崎弁)の市民ボランティアガイド。08年に、東京・日本橋-長崎間の約1000キロを41日間で踏破した経験を持つ。「ドラマを機に一緒に歩いて友情を深めたい」と呼び掛け、長崎、高知市や地銀の後援を取り付けた。
まず高知側が、三菱財閥の創業者で大河ドラマの副主人公、岩崎弥太郎の生家(安芸市)をスタート。龍馬が1862年に土佐藩を脱藩した際に抜けたとされる「脱藩の道」をたどって愛媛県大洲市へ。海路で佐賀関港(大分市)に渡り、長崎側にバトンタッチする。
長崎側は、龍馬が1864年、勝海舟と共に神戸から長崎に来た際に通ったという旧豊後街道を大分市から熊本市までたどり、フェリーに乗り換えて島原半島(長崎県)へ。その後、長崎市を目指す。双方計数百人の参加が見込まれるという。
龍馬は1862年には大洲から山口県防府市へ船で渡り、その後江戸を目指した。また、1864年には神戸-大分間は船を利用した。
黒田さんは「実際にたどることで、彼らの志を実感できる。大分や島原など沿道も、龍馬との縁を知ってほしい」と意気込む。【錦織祐一】
佐賀
七賢人・島義勇の写真差し替えへ 「陰気」と不評
佐賀市は観光パンフレットや案内板に使われている佐賀七賢人の一人・島義勇の写真を差し替える。今使っている写真が「陰気な印象」と不評だったためで、北海道大学図書館が持つ写真の提供を受ける。
島の写真は、佐賀市金立町の島の墓や、与賀町の屋敷跡にある案内板、佐賀市の観光パンフなどに使われている。「表情が暗い」など、市に複数の声が届いていたため、別の写真を探していた。
北海道大学にあった写真は衣冠束帯姿で、県立佐賀城本丸歴史館の展示にも使われている。別の写真も探したがなく、この写真を使うことにした。観光パンフは増刷時に差し替え、案内板は時期や手法などを検討する。
市教委文化振興課は「世界遺産関連で幕末佐賀藩が脚光を浴びている。写真を整え、島の事績も広く知られるようにしたい」と話す。
「佐賀の乱、政府謀略だった」佐賀の研究会が冊子を中学校に配布
明治政府で初代司法卿を務めた江藤新平(1834~74年)が首謀したとされる「佐賀の乱」は、政府側の謀略だったとする説を支持している明治維新史研究会(佐賀市、太田善郎会長)のメンバーが25日、この説を載せた2種類のオリジナル冊子各60冊を佐賀市教委に贈った。市内の中学校18校に配られる。
佐賀の乱は1874年、県内の士族の一部が起こしたというのが通説。政府軍が鎮圧した後、江藤は首謀者として処刑された。これに対し、毛利敏彦・大阪市立大名誉教授が近年、薩摩(鹿児島県)出身の大久保利通が江藤を抹殺するために仕掛けた謀略だったとの説を展開している。
毛利名誉教授は、佐賀市民会館などで定期的に開かれている明治維新史研究会の勉強会でも講師を務めている。研究会が市教委に贈ったのは、勉強会での毛利名誉教授の話をまとめた「佐賀戦争、百三十年目の真実」(B6判、42ページ)と「鍋島閑叟と江藤新平」(同、33ページ)。
この日は、太田会長ら3人が田部井洋文教育長に冊子を手渡した。太田会長は「歴史をねじ曲げて江藤を奉るつもりはなく、子どもたちに史実をきちんと伝えたい。『佐賀の乱』ではなく『佐賀戦争』と表現すべき」と話し、田部井教育長は「中学校で新しい説を紹介する資料となる」と感謝した。
佐賀市議会6月定例会の一般質問でも、教科書での「佐賀の乱」の呼称変更を求める気があるかと議員が質問。田部井教育長は「検討したい。諸説があるので、より深い研究がされることを期待したい」と答弁した。
(2009年6月27日 読売新聞)
午後、幕末関係ニュースがさらに入ってきたので追加してご紹介します。
千葉
大原幽学 活動の解明進展に期待 書簡、著作など107点発見
静岡
広重と英泉、2大絵師の『木曽海道』 静岡で浮世絵版画展
佐賀
造船施設遺構確認へ新たな発掘調査 海軍所跡
造船所の遺構発見へ、三重津海軍所跡で追加調査
三重津海軍所跡で追加発掘調査開始
長崎
文明堂「海援隊カステラ」発売 「日誌」中の作り方そのまま再現
千葉
大原幽学 活動の解明進展に期待 書簡、著作など107点発見
幕末期に県北東部などで活躍した農村指導者の大原幽学(ゆうがく)(一七九七~一八五八年)の旭市長部の旧宅から、直筆とみられる古文書など百七点が新たに発見された。幽学に関する資料は、ほとんどが門人らによって伝えられているとされ、手付かずの直筆文書が見つかるのは極めて異例。 (竹内章)
国の重要文化財に指定される可能性もあり、旭市の市立大原幽学記念館は「本格的な解読調査を進めたい」としている。
発見されたのは、書簡類五十一点、著作類四点、遺品三点など。昨年十二月に幽学の旧宅を解体・修理していた際、神棚から小たんす(高さ約二十四センチ、横幅約四十三センチ)が見つかり、その中に保管されていた。神棚は古い錠前で施錠され、鍵はなく長年にわたって保存されていた。
これまで、直筆の文書類は門人らにより掛け軸や巻物として保存されているケースが多く、手付かずのままの状態で見つかるのは非常に珍しい。
新たに見つかった書簡類は、幽学の生前の活動や門人らとの交流を示す貴重な資料とみられ、明治大学の研究グループが今後、解読を進める。遺品には、幽学の歯や小皿に入れられた血液、心を落ち着かせるために使ったとされる道具など、貴重なものもあった。
記念館の猪野映里子学芸員は「幽学に関する資料は、新たに見つかる余地がないと考えられていた。保存状態も良く、本当に驚いている。時を超えてきたようでびっくりした」と話している。
大原幽学(おおはら・ゆうがく) 世界で初めて「農業協同組合」をつくったとされる江戸時代の農村指導者。旧長部村(旭市)を中心に、道徳と経済の調和を基本とした「性学」を説き、農村の教化と改革運動に尽力した。後年、性学運動の急激な発展により幕府の締め付けを受け、失意のうちに自害した。これまでに407点の書簡類などが国の重要文化財に指定されている。
静岡
広重と英泉、2大絵師の『木曽海道』 静岡で浮世絵版画展
宿場の風景や旅人の姿など、江戸時代後期の2大絵師によって描かれた浮世絵版画「木曽海道六拾九次」の展示会が、静岡市清水区由比の東海道広重美術館で開かれている。7月26日まで。(西山輝一)
作者は歌川広重と渓斎(けいさい)英泉(えいせん)。木曽街道は中山道の別名で、日本橋から滋賀県の大津までの六十九宿があった。広重の作品では、街道の字が「海道」と記されている。
英泉は美人画の絵師として幕末に活躍。風景画も多く描いており、親交のあった葛飾北斎の画法を取り入れた作品もある。
広重の「望月」は、松の並木道を旅人が歩き、松の葉に隠れた満月が夜空を薄明るく照らす。
英泉の「倉賀野宿 烏川之図」は、船着き場にある茶屋の裏方を描き、釜を洗う女性や水遊びする子どもの生き生きした表情が印象的だ。
青木秀文館長は「叙情的に風景を描く広重に比べ、英泉は人物を中心に描いている」と解説する。
入場料は一般500円、大高生300円。
佐賀
造船施設遺構確認へ新たな発掘調査 海軍所跡
幕末佐賀藩の近代化史跡の世界遺産登録を目指す佐賀市は25日、三重津海軍所跡(川副町、諸富町)で、新たな発掘調査に入った。国産初の本格的蒸気船「凌風丸」を建造した造船施設遺構の確認を目指す。
調査場所は、現在佐野記念公園となっている早津江川河川敷の一角約600平方メートル。1920年の絵図では「製罐所(せいかんじょ)」(ボイラー工場)跡とされている。
この日は、柱の跡や加工された石、02年の公園整備の際発見されている鍛冶(かじ)場の炉の土台などを確認した。23日までの事前作業では、海軍所用に焼かれたと推測される「船」と書いた磁器片も見つかっている。
調査は7月末まで。その後は、大工小屋やドック跡の調査に入る予定。
文化庁は佐賀藩の近代化史跡を「自力で西洋技術の導入を進めたことを示すため必要不可欠」としており、佐賀藩史跡を含めて世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」としても注目される調査になる。
造船所の遺構発見へ、三重津海軍所跡で追加調査
三重津海軍所跡で追加発掘調査開始
佐賀市教委と県教委は、幕末佐賀藩の遺跡「三重津海軍所跡」(佐賀市川副町、諸富町)で25日、追加の発掘調査を始めた。4~5月の調査で幕末の建物跡が発見されたが、世界遺産の国内候補地の一つ「九州・山口の近代化産業遺産群」への追加登録のために必要な工場跡などの「産業的な痕跡」が見つかっていないため。市教委は「造船関連の遺構を確認し、海軍所があったことの真実性を証明したい」と意気込んでいる。調査は8月末まで。
調査するのは、北東から南西方向に伸びる少なくとも約600メートルの区間のうち、南部に位置する約1200平方メートル。現在は佐野記念公園の一角になっている。
1920年頃に作製されたとみられる絵図には、エンジンの一部を作った「製罐(せいかん)所」や、ドックにあたる「船渠(せんきょ)」などがこの場所にあったと記されている。旧川副町が2001~03年度、同公園の整備工事などに伴って調査した際には、幕末に鉄や銅の加工などを行っていたとみられる炉の跡が見つかった。
初日の調査では、旧川副町の調査で確認された炉の跡が姿を現した。一枚岩3枚をコの字形に組んでおり、さらに発掘を進める。
「九州・山口の近代化産業遺産群」の世界遺産登録を目指す推進協議会が、外国人専門家らに委託して各史跡の課題を探ってもらった結果、三重津海軍所跡については、造船機能を備えていたことなどの証明が同遺産群への追加登録に必要と指摘された。佐賀大も電磁波などを使った地中探査をしており、市教委は調査の参考にする。
(2009年6月26日 読売新聞)
長崎
文明堂「海援隊カステラ」発売 「日誌」中の作り方そのまま再現
カステラ製造の老舗、文明堂総本店(長崎市)は25日、坂本龍馬が幕末の長崎で結成した「海援隊」にちなみ、その日誌に書かれたカステラの作り方を再現した「海援隊カステラ」を発売した。
海援隊は、日本初の株式会社といわれる海運業「亀山社中」が前身で、1867年に長崎で発足。京都国立博物館(京都市)に収蔵されている日誌「雄魂姓名録(ゆうこんせいめいろく、海援隊雑記帳)」によると、「カステイラ仕様」として「玉子(卵)百目(もんめ)」「うどん(小麦粉)七十目」「さとふ(砂糖)百目」と列挙し、これらを配合して焼く。一目は3・75グラム。
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送を前に、市民有志が5月に開いた「龍馬が愛した」とされる西洋料理の発表会で披露。好評だったため商品化した。
卵10・小麦粉7・砂糖10の配合はそのまま。現代のカステラと比べ、水あめを配合しない分、しっとり感は少ないが、卵の香りと砂糖の甘みが素朴な味わいを引き出した。サイズは縦14センチ、横16センチ。税込み1260円。
中川安英社長と吉井敬一朗部長は同日、PRのため市役所を訪問。試食した田上市長は「龍馬も食べたと思うと、夢があり、おいしい」と感想。中川社長は「カステラのルーツを勉強し、楽しかった。たくさんの人に食べてほしい」と話した。
今日は2週間ぶりの『陽炎の辻3』です。楽しみにしていたのですが、うっかり『NHKウィークリー ステラ』で今日明日放送のストーリー概要を読んでしまって後悔……うーん、作品は大好きなのに、女性のセリフや行動が時に受け容れられないんだよなぁ(汗)。今週も頭が痛くなりそうな予感……(涙)。
秋田・山形
「有屋峠」真のルート?浮上 湯沢-金山結ぶ古道
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山口
映画:「獄に咲く花」萩・下関でクランクイン 松陰と女囚の恋描く /山口
福岡
万次郎の子孫が講演
佐賀
造船施設確認へ 三重津海軍所跡で発掘調査
秋田・山形
「有屋峠」真のルート?浮上 湯沢-金山結ぶ古道
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大和朝廷側が切り開き、「続日本紀」にも登場する古道「有屋峠」(秋田県湯沢市秋ノ宮―山形県金山町)をめぐり、通説とは異なるルートの存在が浮上している。街道探訪を愛好する秋田、山形両県の約40人が19日の現地調査で、従来ルートより北側の尾根にいにしえの道跡を確認した。参加者らは「今回の道跡が有屋峠だと確信した。1200年以上前の古道を広く世に知ってほしい」と話し、活用策などを検討する考えだ。
有屋峠は、奈良時代に朝廷が今の秋田県南に設けた雄勝城へ通じる官道。安土桃山時代には秋田側の小野寺氏、山形側の最上氏の合戦場として、戊辰戦争では政府軍や奥羽越列藩同盟軍の進路として歴史の舞台にたびたび登場してきた。
周辺の道路整備が進むに連れて有屋峠は廃れ、いつしか、県境に位置する「黒森と水晶森の間にある尾根を抜けるルート」が通説として今日に伝わっていた。
ただ、通説ルートは文献や地元住民の話と相違点が多い。これに疑問を持ったのが、天童市の無職矢野光夫さん(67)ら。昨年4月に有志で「有屋峠街道探索会」を結成し、「真」ルートの解明に取り組んできた。
探索会は現地の地形などから、金山町側から入有屋―鉤掛(かぎかけ)森―檜木(ひのき)森―黒森―薄久内(湯沢市)と、尾根筋を結ぶ約10キロが真の有屋峠に間違いないと考えた。
矢野さんは(1)通説のルートはこう配がきつく、馬が通るのは難しい(2)新ルートには史書「奥羽永慶軍記」の記述と地形が符号する場所がある(3)新ルートに幅3メートル前後の道跡が連続して現存している―ことを根拠に挙げる。
19日の現地調査では、新ルートを約10時間かけて初めて踏破した。参加した市民団体「羽州街道交流会」の鐙(あぶみ)啓記代表幹事(55)=秋田市=は「歩いてみて古道と納得できた。戊辰戦争の遺構などもあり、歴史の道に間違いないと思う」と指摘した。
矢野さんは「古道を秋田と山形の交流や地域振興につなげたい。いずれは道を整備して、トレッキングなどもできれば」と話している。
山口
映画:「獄に咲く花」萩・下関でクランクイン 松陰と女囚の恋描く /山口
◇古川薫さん原作「野山獄相聞抄」
幕末の思想家、吉田松陰(1830~59)を題材にした映画「獄(ひとや)に咲く花」の撮影が23日、萩市椿東の東光寺で始まった。今年は松陰没後150年にあたり、関係者は近くの松陰神社で「ヒット祈願」をした。【川上敏文、尾垣和幸】
黒船によるアメリカ密航に失敗し、萩の野山獄に投獄された松陰。女囚、高須久子と出会い、互いに淡い恋心を抱く--という物語。原作は下関市在住の直木賞作家、古川薫さんの「野山獄相聞抄」(文藝春秋刊)。古川さんは自作の映画化は初めてで、「本で出し切れなかったところが映画でどうなるのか楽しみです」と話した。
監督は、「必殺仕事人」などの代表作がある石原興(しげる)さん。俳優は、吉田松陰(寅次郎)役が前田倫良(みちよし)さん。高須久子役(映画では高須久)が近衛はなさん。
23日は松陰神社でスタッフら計60人が参拝。会見した石原監督は「高須久子が寅次郎に会い、双方の恋心がポイントの映画。回想シーンだが、萩からの撮影がベストでしょう」。前田さんは「人間・寅次郎の姿を見せたい」、近衛さんは「野山獄で松陰先生の傍らにいて変わっていく女性の姿を演じられたら」と、それぞれ抱負を語った。
◇功山寺で回想シーン 久子役・近衛さん演じる
また、24日は古川さんの地元、下関市長府川端にある功山寺で、久子の回想シーンを撮影した。
久子が、つじ芸人の演奏する三味線の音色に引かれ、地域の祭りに赴く場面。役に決まった2カ月前から、撮影以外でも、常に久子のイメージを頭に描きながら生活してきた近衛さん。この日は藍(あい)色の着物で登場。石原監督から和傘の持ち方など細かな指導を受けながら、優雅な立ち居振る舞いで数分のシーンを演じきった。
映画を製作する「グローカル・ピクチャーズ」(下関市)の前田登社長は「功山寺は松陰の愛弟子、高杉晋作が決起した場所。ここでぜひロケをしたかった。いよいよ『船出』という感じです」と話していた。
県内での撮影は萩、下関両市で終え、今後は主に京都で撮影するという。映画は松陰の命日に当たる10月27日に萩市内で先行上映。来春にも全国ロードショーの予定。
〔下関版〕
福岡
万次郎の子孫が講演
江戸末期に米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎、1827―98)のやしゃごで、福岡大名誉教授の今永一成さん(72)=福岡市中央区=が、27日午後1時から同市東区の九州産業大で「ジョン万次郎の功績を振り返って」の題で講演する。今永さんは「日米交流の懸け橋となった万次郎をよく知ってほしい」と来場を呼び掛けている。
土佐(高知県)生まれの万次郎は14歳の時に漁に出て遭難。米国の捕鯨船に救助されてそのまま海を渡り、24歳で帰国。幕末の日本で通訳や英語教師として活躍し、東京で生涯を閉じた。
講演を控えて先週末、東京・雑司ヶ谷霊園にある万次郎の墓に参ったという今永さんは「万次郎は何も知らない異国に着いて、めげずに英語や航海術などをどんどん吸収した。学生や若い人に、活動的で立派な生き方を学んでほしい」と話す。
講演は日本英学史九州支部主催で入場無料、一般参加も可。同支部の福岡経済大の田中正志教授(英文学)は「日本語の読み書きができなかった14歳の漁師が、どうやって英語を学んだかは注目に値する」と、語学修得の観点から万次郎の体験を知る重要性を指摘している。
福岡経済大・田中研究室=092(922)5131(代表)。
佐賀
造船施設確認へ 三重津海軍所跡で発掘調査
幕末佐賀藩の近代化史跡の世界遺産登録を目指す佐賀市は25日、三重津海軍所跡(川副町、諸富町)で、新たな発掘調査に入った。国産初の本格的蒸気船「凌風丸」を建造した造船施設遺構の確認を目指す。
調査場所は、現在佐野記念公園となっている早津江川河川敷の一角約600平方メートル。1920年の絵図では「製罐所(せいかんじょ)」(ボイラー工場)跡とされている。
この日は、柱の跡や加工された石、02年の公園整備の際発見されている鍛冶(かじ)場の炉の土台などを確認した。23日までの事前作業では、海軍所用に焼かれたと推測される「船」と書いた磁器片も見つかっている。
調査は7月末まで。その後は、大工小屋やドック跡の調査に入る予定。
文化庁は佐賀藩の近代化史跡を「自力で西洋技術の導入を進めたことを示すため必要不可欠」としており、佐賀藩史跡を含めて世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」としても注目される調査になる。
『モーニング』今週号を読んでいたら、見るつもりだったNHKハイビジョンスペシャル『城 王たちの物語』「女王イサベル 終(つい)の楽園~アルハンブラ宮殿~」の前半を見逃してしまいました……一番見たかった回なのに、そういう時に限って予約録画していない自分orz。
再放送をチェックしなければ(^^ゞ。
滋賀
舟橋聖一顕彰:「青年文学賞」「文学奨励賞」の作品募集--9月8日締め切り /滋賀
奈良
「大仏もっこり」に待った 奈良・東大寺がカンカン
もともとがきわどいキャラですからねぇ(苦笑)……やっぱ、仏様はまずいっしょ。
高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
山口
着物:萩の街歩いて 元銀行員の関さん起業、レンタル始める /山口
吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
佐賀
日本CATV大賞:番組コン 武雄のケーブルワンに奨励賞--3年連続入賞 /佐賀
長崎
島じま:街づくり /長崎
島じま:街づくり /長崎
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(16)東大教授・山内昌之 前島密
今は1円切手を使う機会が限られているからなぁ……子供の頃は郵便料金が安かったから1円切手を目にする機会もあったけど。使う機会が限られても1円切手のデザインはずっと「郵便の父」であって欲しいですね、イギリスの女王陛下の肖像が描かれた切手と同じようにクラシックで落ち着いたデザインがいいと思いますし。
再放送をチェックしなければ(^^ゞ。
滋賀
舟橋聖一顕彰:「青年文学賞」「文学奨励賞」の作品募集--9月8日締め切り /滋賀
◇青年文学賞--全国の18~30歳、小説など対象
◇文学奨励賞--近畿などの小・中・高校生対象
彦根市は、30歳以下対象の「第21回舟橋聖一顕彰青年文学賞」と高校生以下対象の「第24回舟橋聖一顕彰文学奨励賞」の作品を募集している。近年はレベルの高い作品も多く寄せられ、市は舟橋氏の姿をあしらったポスターを配布して応募を呼び掛けている。
舟橋氏は、彦根藩主で幕末の大老・井伊直弼を描いた「花の生涯」の作家で、彦根市の名誉市民第1号。同賞は、遺族や一般からの寄金で創設された基金で運営されている。
青年文学賞は、全国の18~30歳が対象。小説、随筆、戯曲、評論で400字詰め原稿用紙50枚以内(随筆は10枚以内で可。ワープロは1行40字で印刷)。優秀作1点に正賞(賞状と舟橋聖一色紙)と副賞50万円。佳作1点は副賞10万円。選考委員は、98年に芥川賞を受賞した藤沢周さん、95年に野間文芸新人賞を受賞した佐藤洋二郎さんら4人。
奨励賞は、近畿6府県と福井、岐阜、三重県に居住・通学する小学生から高校生が対象。小学生は作文▽中学生は紀行文と作文▽高校生は創作、随想、紀行文。400字詰め原稿用紙30枚以内(作文は小学生3~5枚、中学生は5枚程度でも可)。各部の優秀作品に5000円~5万円分の図書券。選考委員は舟橋聖一氏のひ孫の舟橋結子さんら4人。
両賞とも作品は縦書き。作品に部門、題名、住所、氏名(ふりがな)、性別、年齢、電話番号を明記した別紙を付ける。応募締め切りは9月8日(当日消印有効)。応募は〒522-0001 彦根市尾末町8の1、彦根市立図書館内「舟橋聖一記念文庫」事務局(0749・22・0649)。【松井圀夫】
奈良
「大仏もっこり」に待った 奈良・東大寺がカンカン
下半身が膨張した人気キャラクター「まりもっこり」の関連商品「大仏もっこり」について、東大寺(奈良市)は24日までに「信仰対象の尊厳を踏みにじっている。販売を中止してほしい」と、発売元に抗議文書を送付した。
「大仏もっこり」は東大寺の近くや鎌倉でも販売。東大寺の庶務担当者は「タグに東大寺大仏殿の絵が出ており、(無関係と)言い逃れはできないはず。徹底的に争う」としている。
発売元のキョーワ(札幌市)は「ジョークのつもりだったが、もっこりの場所が場所なので致し方ない。手だてを考えないと」と困惑顔だ。
元祖まりもっこりは、キョーワが2005年2月に発売。北海道・阿寒湖に生息する国の特別天然記念物マリモがモチーフの人形で、下半身の盛り上がりが特徴。フィギュアスケートの安藤美姫選手が携帯ストラップを愛用していたことで人気に火が付いた。
08年からは全国に広まり、鹿児島の西郷隆盛や京都の新撰組、秋田のなまはげなど、昨年までに各地で800種類以上の関連商品が登場。累計2千万個以上が売れた。
もともとがきわどいキャラですからねぇ(苦笑)……やっぱ、仏様はまずいっしょ。
高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
◇「高知の魅力を照らす」「テラス」に
来年放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」関連の観光イベント「土佐・龍馬であい博」で、JR高知駅南側のメーン会場に設置する観光情報発信館の愛称が「とさてらす」に決まった。イベントを主催する推進協議会が公募していた。
5月19日から約1カ月間に全国から958件の応募があり、同協議会で審査した。「とさてらす」は、東京都の保岡直樹さんが考案。南国の太陽のように高知の魅力を照らす▽観光客がゆっくりと過ごせる「テラス」がイメージできる--との理由で選ばれた。
イベントでは、ドラマのストーリーや出演者などを紹介する「テーマ館」も設置。メーン会場とサテライト会場(安芸、土佐清水両市、梼原町)の名称もそれぞれ同協議会が決定し、高知・龍馬ろまん社中▽安芸・岩崎弥太郎こころざし社中▽土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中▽ゆすはら・維新の道社中--となった。
坂本龍馬は、長崎で貿易商社「亀山社中」を結成。協議会によると、社中とは当時「仲間」を意味したとされ、協議会は「であい博の会場を仲間との出会いを見つけてもらう場にしたい、との意味を込めた」と話している。【服部陽】
山口
着物:萩の街歩いて 元銀行員の関さん起業、レンタル始める /山口
旧城下町の旧宅が多く残る萩市の江戸屋横丁の一角に、着物をレンタルする「キモノスタイルカフェ」がオープンした。元銀行マンで市出身の関伸久さん(35)が起業。インターネットでの貸し出しも検討しており、「日本の民族衣装でもある着物を、世界の人に広く紹介したい」と夢を広げている。【川上敏文】
関さんは、萩高校から立命館大に進んだ。大学生の時から事業を興すことに魅力を感じていたが、ひとまずあさひ銀行(現りそな銀行)に入行。「13年間考えた」末、着物に着目。「高額で経済的負担も大きい一方、着る機会は成人式などに限られる。このままでは着物文化が廃れる」。これまでも貸衣装屋はあったが、利用は結婚式など「晴れ」の場に限定されてきた。「もっと気軽に利用できるおしゃれな店を」と、ついに今年2月に退職、古里で会社を設立した。
店は城下町の中心地・呉服町にあり、旧宅や土塀が連なり歴史を感じる場所だ。幕末に活躍した武士・政治家の木戸孝允旧宅の向かいにのれんを構え、日本の民族衣装として外国人観光客の目を引き、年配の家族や若い女性たちが浴衣をレンタルして街を歩くなど、評判は上々だという。
店にはカフェを併設し萩焼の商品も展示。今後はインターネットでのレンタル開始も検討している。関さんは「色合いが多彩な着物は、他国の人からみれば、着物としてだけでなく、オブジェ(飾り)にもなりうる。アジアなど輸出できないか。日本文化の底上げにもなると思う」と意気込んでいる。問い合わせは、キモノスタイルカフェ(0838・21・7000)。
吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
県内の公立小中学校教頭会の春季研修大会が23日、萩市の市民館で開かれ、約500人が参加した。県教委の中村哲夫・審議監が「今年は吉田松陰の没後150年になる。それぞれの学校で、子どもたちが松陰先生の生き方を学ぶ取り組みを厚めにしてほしい」と呼び掛けた。県教委は今年度、郷土の先人を学ぶ教育の一環として全県下で幕末の思想家・吉田松陰を授業などに取り上げることを奨励している。
大会は教頭会の主催。中村審議監らが来賓出席した。県教委が教育基本法改正で盛り込まれた「伝統文化の尊重」の教育目標や、学力向上対策などについて説明した。
また、元教員で「史都萩を愛する会」の松田輝夫会長(83)が萩出身の松陰の生涯について講演。25歳の時に「海外に渡ろう」と伊豆半島沖に停泊中の米軍艦に乗り込もうとして失敗した下田事件に触れ「(鎖国中の)幕末にあって松陰先生は国際人の感覚を持っていた。その上、礼儀正しく、誇り高い日本人だった」と解説した。【中尾祐児】
〔山口版〕
佐賀
日本CATV大賞:番組コン 武雄のケーブルワンに奨励賞--3年連続入賞 /佐賀
◇「葉隠墓苑-先人たちに想いを馳せて-」
武雄市のケーブルテレビ「ケーブルワン」(原隆司社長)が第35回日本ケーブルテレビ大賞番組コンクールで奨励賞を受賞した。3年連続の入賞となる。【原田哲郎】
受賞番組は、同社クリエイティブ事業部アナウンス室長の小杉裕子さん(34)が担当した企画番組部門「葉隠墓苑(はがくれぼえん)-先人たちに想(おも)いを馳(は)せて-」。
番組は戊辰戦争で武雄から約1000人が秋田に援軍として赴いた史実を取り上げ、先人に思いをはせる内容。企画やシナリオから撮影、編集、ナレーションまでを一人で担当した。制作は昨年8~10月。今年の正月番組で放送された。
小杉さんは秋田県出身だが、武雄市は第2の故郷という。自身のこうした背景もあり、「視聴者に地域の歴史を再認識してほしい」と考えたという。
審査では「ケーブルテレビとして地域メディアの役割を果たしている」と評価された。
今回は全国から81作品の応募があり、9作品が入賞。ケーブルワンは過去にグランプリと準グランプリをそれぞれ3回など14回の受賞歴を誇る。
原社長は受賞に「よく頑張ってくれた」と満面の笑顔だった。
受賞記念の再放送は7月9、10日。
長崎
島じま:街づくり /長崎
島じま:街づくり /長崎
かつて「日本三大花街」の一つとして栄えた長崎市の丸山地区。ここに幕末の志士、坂本龍馬の銅像を建てようと地域住民らが立ち上がった。「今度こそは」と有志は願う。
89年、やはり市民有志が風頭公園に龍馬像を建立したが、当初は丸山公園に決定。だが当の丸山地区の住民が反対して頓挫した。龍馬が起こした海援隊が商社だったため、長崎の商人から「商売敵」と思われていた影響があったという。
その後、丸山地区は花街の歴史や、長崎検番など豊かな文化に注目した街づくりを続け、06年の「長崎さるく博」で一気に脚光を浴びた。龍馬への認識も「丸山を舞台に日本を変えたのでは」と変わっていったという。
丸山の歴史を掘り起こす料亭「青柳」の山口広助さん(39)は「住民が街を知ることで、地域として成長した」と言う。龍馬像がその象徴となることを願う。【錦織祐一】
〔長崎版〕
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(16)東大教授・山内昌之 前島密
■国民の利便第一の原点
「かんぽの宿」の一括譲渡に端を発した鳩山邦夫前総務相と日本郵政の西川善文社長との確執は、大臣の辞任に終わったが、余燼(よじん)がまだくすぶっている。監督責任のある大臣のほうが更迭されたのは、その現象だけを見るなら、日本の憲政史上未曾有の事態である。あたかも大臣の地位が軽いかのような決着の仕方は国家機構の根本を揺るがす問題であるのに、政治家たちには危機感が薄いのではないか。
◆「郵便の父」への運命
いずれにせよ、「郵政」という歴史的な名前が汚辱にまみれるのは先覚者たちにも辛(つら)いことだろう。国民生活と密接に結びつく「郵便」「葉書」「切手」などの名称を定めた人物は、「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)である。今も1円切手にその肖像が描かれる幕末明治人にほかならない。
前島は、今では上越市となった越後国(新潟県)頸城(くびき)郡の豪農の家に生まれた。遊学と努力に明け暮れた青年時代である。江戸に出て医学や英語を学んだ後は、航海術を学びに箱館(函館)の諸術調所で武田斐三郎(あやさぶろう)に学んだ。五稜郭を設計した大洲藩の洋学者である。
前島は薩摩の洋学校でも英語を教えたが、すぐ幕臣の前島家に養子へ入った。前島来輔(らいすけ)がその名乗りである。明治3(1870)年に新政府へ出仕したのは、鹿児島で大久保利通らの知己を得ていたからでもあろうか。
前島が駅逓権正(えきていごんのかみ)になったのは運命というほかない。郵便や切手の本場イギリスの事情をつぶさに視察した前島は、他国と違って切手に国名を明記しない本場の自負に接して学ぶ点も多かったであろう。明治4年に帰国後、駅逓頭(えきていのかみ)としての郵便事業は、江戸以来の飛脚制度の廃止から始まった。
今とは逆に、郵政事業は民営の飛脚業者による自由競争から全国一律に国営化されたわけだ。時代状況によっては、民営であればよいというものでもないのだ。
◆同一料金の大原則
前島は、政府役人の旅行や、公用の手紙や品物の逓送だけでなく、日本国内どこでも一般人の手紙を相手に届ける制度をつくろうとした。時間のかかる信書のやりとりをどう工夫するのか、急用時にはどうするのか、手紙が届いたか否かをどう確認するのか。前島の偉いのは、官尊民卑の時代に、政府も民間も区別なく同一料金で利用できる大原則を立てた点である。彼を悩ました問題も、やがて「速達」や「書留」といった制度で解決されることになった。
やや古めかしい名称が民営化後の今でも使われていることは、実にうれしいことではないか。
◆鉄道や海運にも貢献
郵政事業を東京と大阪だけでなく次第に全国に広げ、新聞雑誌の郵税を低減したのも前島の功績である。オスマン帝国でも治外法権の代名詞だった開港場の外国郵便局を撤退させたのは、不平等条約撤廃に取り組んだ明治の政治家らしい気骨である。明治8(1875)年には郵便為替や郵便貯金を創業している。この年は、アメリカとの取り決めで外国へ手紙を出せるようにもなった。開業式で前島が述べた挨拶(あいさつ)が素晴らしい。
「わが菊花、今日よりその秀麗なる光輝を世界の人民に映射せん」と。こうして世界の人びとの目を喜ばせる日本の美麗な切手の伝統が始まったのである。
幕末を生き抜いた日本人はたくましい。大隈重信とともに一度は野に下り、東京専門学校(早稲田大学)の校長にもなったが、やはり天職への使命感もだしがたく、逓信次官として復職し、電話の開設にもあたった。鉄道や海運の事業にも貢献し、国民の利便と社会の能率を第一に考えた前島の志こそ、郵政民営化の賛否両派ともに今一度たち返るべき原点であることは間違いない。(やまうち まさゆき)
【プロフィル】前島密
まえじま・ひそか 天保6(1835)年1月、越後の豪農、上野家の次男として生まれる。幼名は房五郎(ふさごろう)。13歳で江戸に遊学、慶応2(1866)年、幕臣前島家の家督を継ぎ、維新後は静岡藩に仕えた。明治3(1870)年、新政府に出仕し、近代郵便の制度を立案、駅逓局長、駅逓総官を歴任し、通信や運輸行政の基礎を確立した。また、三菱会社を助成して外国航路を開設するなど海運の振興につとめた。同14(1881)年、憲法制定に関する意見の対立から伊藤博文が大隈重信を政府から追放、前島も大隈とともに下野し、同20(1887)年には東京専門学校(現・早大)の校長に就任。同21(1888)年、内閣制度の発足に伴い逓信次官として復職し、退官までの3年間に電話の開設事業などを手掛けた。同35(1902)年、男爵に叙せられ、貴族院議員となり、大正8(1919)年4月、85歳で死去した。「郵便の父」は海運、鉄道、教育と多方面に業績を残した。
今は1円切手を使う機会が限られているからなぁ……子供の頃は郵便料金が安かったから1円切手を目にする機会もあったけど。使う機会が限られても1円切手のデザインはずっと「郵便の父」であって欲しいですね、イギリスの女王陛下の肖像が描かれた切手と同じようにクラシックで落ち着いたデザインがいいと思いますし。
朝はかなり強い雨が降ってましたが、上がりました。気温があまり上がらなかったのはありがたいです。
明日からは30度近い暑い日が続きそうですね(汗)。
徳島
幕末の遠眼鏡(美波町)
海防の一端担った遺物
山口
【ふるさと便り】松陰を描く「獄に咲く花」クランクイン、山口・萩
佐賀
唐津城で名護屋城と同じ瓦 通説裏付ける史料に
明日からは30度近い暑い日が続きそうですね(汗)。
徳島
幕末の遠眼鏡(美波町)
海防の一端担った遺物
幕末の1829(文政12)年、海部郡沖に外国船が現れた。海部郡代は牟岐港を拠点に厳重に警備を堅め、半鐘やほら貝を鳴らして警告するも立ち去らず、出現から3日目にして大筒、小筒を一斉に発射。距離が遠く命中しなかったが、船は帆を上げ沖合に去ったという。
「日和佐町史」によると、ペリーの来航から約20年前のこのころから、阿波沖にも頻繁に外国船が出没していたらしい。美波町の日和佐図書・資料館で保存している遠眼鏡は、幕末の混乱期に県南の海防の一端を担った貴重な歴史遺物だ。
遠眼鏡は全長90センチ。紙製の3本の筒で構成され、筒の縁は真ちゅうを巻いて補強している。先端のレンズが欠落し、筒同士が外れるなど傷みは激しいが、1847(弘化4)年の日付が記された箱が現存し、箱書きから来歴が分かる。
それによると、遠眼鏡は07年、徳島藩から海部郡代に移管。沿岸警備の第一線である牟岐浦の大島番所や、宍喰浦の竹ケ島遠見番所で使用されたとみられる。レンズの曇りを修繕した43年以降は、現在の美波町役場の位置にあった郡役所・日和佐御陣屋で保管、使用されたようだ。
当時は「異国船打ち払い令」のもと、同町にも多くの砲台が設置されたとされるが資料はほとんどない。遠眼鏡だけが、鎖国から目覚めようとする幕末の地方実情をわずかにしのばせている。
山口
【ふるさと便り】松陰を描く「獄に咲く花」クランクイン、山口・萩
近代日本の礎を築いた幕末の思想家、吉田松陰の没後150年にちなんで制作される映画「獄(ひとや)に咲く花」が23日、松陰ゆかりの山口県萩市でクランクイン。キャストやスタッフらが松蔭神社に参拝したあと、市内で撮影が始まった。
映画は、同県下関市在住の直木賞作家、古川薫さんの小説「野山獄相聞抄」が原作。密航計画が発覚して投獄された松陰が、獄中で出会った女囚に恋心を抱くストーリー。今年が松陰の没後150年に当たることから、地元の映画制作会社などが企画した。
この日は、石原興監督をはじめ、古川さん、松陰役の前田倫良さんや女囚・高須久役の近衛はなさんらが松陰神社を参拝。玉ぐしをささげたり、手を合わせたりして映画のヒットと撮影中の安全などを祈願した。このあと、東光寺や松下村塾などでロケに臨んだ。
「萩のすばらしさも、映画で表現できればうれしい」と石原監督。前田さんは「松陰の偉大な思想家、教育者とはまた違った側面を演じたい」と話していた。
24日は下関市内でもロケを行う。7月下旬まで撮影し、松陰の生誕180年に当たる来年春に公開する予定。
佐賀
唐津城で名護屋城と同じ瓦 通説裏付ける史料に
佐賀県唐津市東城内の唐津城本丸跡から、名護屋城跡(同市鎮西町)で出土した瓦片と同一の文様が入った瓦片が出土した。「唐津城は名護屋城の解体資材を使って建てられた」とされる通説を裏付ける史料になる。豊臣秀吉が建物に使ったとされる金箔(きんぱく)瓦も見つかり、唐津城築城の歴史を解明する手がかりになる。
瓦片は、唐津城天守閣がある公園の東側の石垣(幅12~28メートル、高さ12メートル)の裏側の全域から約1000点が出土した。大きさは15~39センチほどで、豊臣家の桐文様や唐草文様などの意匠が入った軒瓦が数十点あった。名護屋城のものとみられる瓦片は1995年に3個が見つかっていたが、大量に確認されたことで、解体資材使用を強く裏付ける材料になる。
市教委は、これらの文様が名護屋城跡から出土した瓦の文様と合致し、大量に見つかったため「名護屋城の解体資材が現在の唐津城のある場所に運ばれ、相当数の建物が建てられていたと考えられる」とみる。
唐津城築城については幕末に書かれた複数の庄屋文書の記述から「寺沢広高が名護屋城の廃材を使い1602年から1608年にかけて築城した」と伝えられてきた。
また、金箔が張られた瓦片1個も見つかった。大きさは10・5センチ×8・5センチで、表面に彫られた無数の溝などに金箔が残っていた。市教委は、飾り瓦の「しゃちほこ」のひれの一部とみている。
金箔瓦は、豊臣秀吉の権力を示すもので、全国約40カ所の城郭で確認されている。県内では秀吉が滞在した名護屋城に続き2例目。
ただ同型の金箔瓦は名護屋城の出土物にはなく、市教委は「寺沢の時代に名護屋城から運んだものかはわからない。それ以前に、豊臣政権が名護屋へ至る拠点として金箔瓦を載せた建物を作ったとも考えられ、唐津城以前に別の城があった可能性もある」とみている。
瓦片は、唐津城の石垣再築整備事業に伴う文化財調査で発見した。事業は2016年度まで15億円をかけて行う。
市は28日午前9時半と午前11時から現地説明会を開く。
今日の東京は、ぎりぎりで最高気温が30度に達しなかったそうですが、いや蒸し暑い一日でした。
北海道
武四郎の探検再現 支笏湖いかだ渡りレース
長野
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
高知
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
北海道
武四郎の探検再現 支笏湖いかだ渡りレース
いかだで支笏湖を縦断する支笏湖温泉地区活性化協議会の「支笏湖いかだ渡り大会」が20日、湖西岸の幌美内から支笏湖温泉までの約7キロで行われ、出場20チームが熱戦を繰り広げた。
いかだ渡りは、幕末の探検家、松浦武四郎が湖をいかだで渡った故事を再現しようと、1977年に地元の青年たちが挑戦。昨年は、協議会がJ8サミット千歳支笏湖を盛り上げようと、こぎ手を公募した。今回は優勝賞金10万円を用意し、レース形式に。
出場チームは、千歳と恵庭の自衛官や専門学校のアウトドア部、高校生も。午前7時17分にスタートした。
雨こそ降らなかったものの、スタート時の気温11度、水温も11度前後。寒さ波、風にも悩まされながらのレースとなった。
制したのは、陸自第7師団第11普通科連隊第2中隊の「ミカドン2号」。3時間8分でゴールの山線鉄橋に到着した。リーダーの江部良彦さん(27)は「初めて使ったろの要領が分かるまで苦労した。分かった後は順調で、途中、2そうを抜きました」と笑顔で話していた。2位は同師団第7施設大隊の「強引なメリーgoo」だった。
長野
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本市の松本城管理事務所は、国宝松本城の太鼓門の復元10周年を記念し、「太鼓楼」を模した建物を期間限定で設置する。来月18日の10周年記念式典で披露するほか、市民に太鼓を打ち鳴らしてもらう体験会も開く。
太鼓楼は、太鼓門の石垣上にあり、天守閣築造後の1595(文禄4)年ごろ、太鼓門とともに築かれた。火事の発生や武士の登城時間を知らせる際などに鳴らされたとされる。
明治維新の旧物破壊運動の中、いずれも1871(明治4)年に取り壊されたが、太鼓門は1999年、約6億8000万円をかけて復元された。
一方、太鼓楼は位置や高さなどを正確に示す写真がなく、復元は見送られたまま。このため、太鼓門復元10周年を機に「太鼓楼にも関心を持ってもらい、松本城の歴史的価値や文化財の大切さを再認識してほしい」と、同事務所が企画した。
設置する建物は、縦横約4メートル、高さ約5メートル。軽量鉄骨材を組み上げ、木材で囲うなどして仕上げる。記念式典前の2日間で設置する。
式典では、松本古城会のメンバーが建物に上がり、登城の合図の太鼓打ちを実演するほか、音がどこまで聞こえるか確認する調査も実施。松本城から北に約500メートル離れた市重要文化財高橋家住宅付近と、南に約400メートルの千歳橋付近に待機した小学生が、実際に聞き取れたかを携帯電話で式典会場に報告する。
一般の太鼓打ち体験会は、8月1日-同23日の毎週土日曜。時間は午前9時-同11時。体験会が終わると建物は解体される。
問い合わせは、松本城管理事務所=電0263(32)2902=へ。
(宿谷紀子)
高知
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
◆別子銅山記念館(2)愛媛県新居浜市
◇17世紀末、世界最大の生産量--湧水、御用銅廃止 危機乗り越え近代化
別子銅山は海抜1200メートルの銅山峰上部から海面下1000メートル、東西は1500メートルに達する世界有数規模の銅山だった。1698年に当時世界最高とみられる1590トン超を採掘するなど生産量は多かった。しかし、経営難に直面していた。当時の江戸幕府が18世紀後半から長崎での貿易に使用する銅の割り当てを全国主要銅山から別子など3銅山のみにして別子に全体の4割を担当させたうえ、幕府が銅の統制のために設置した銅座に低価格で買い上げられていたためだ。
さらに、採掘につきものの、湧水(ゆうすい)による水害が何度となく施設に大打撃を与えた。燃料も電気もない当時は作業員の力のみが頼りのポンプによってくみ出された。採掘ものみとげんのうを使用した手作業で、採掘の機械化は明治時代を待つことになる。
採掘された鉱石は、山中の炭などで製錬し、純度80%程度の荒銅にした後、仲持ちと呼ばれる人々によって山道を運ばれた。当時、仲持ちは約200人おり、男性が約45キロ、女性は約30キロの荒銅を背負い、浦山(愛媛県・旧土居町)までの23キロを運んだ後、港のある天満浦(同)までの約12キロを馬によって輸送された。このルートは別子銅山から恩恵を受ける人々から、住友家の屋号にちなみ「泉屋道」と呼ばれた。
現在の新居浜市内を通過することができれば海まで18キロの道のりだったが、当時は西条藩の領地で通過することが許されなかった。しかし、1701(元禄14)年に西条藩に年間200両を上納することを条件に最短ルートの通行を認められ、翌年には幕府から永久に通行を許されることになった。銅は新居浜の港から精錬所のある大阪へと運ばれ、このルートは明治時代まで使用されることになる。
別子銅山の経営危機は幕末に顕著になる。湧水による鉱脈の水没に加え、長崎御用銅の廃止が追い打ちをかけた。1868(明治元)年には、財政危機に陥った住友家を救済するために売却する案が浮上。別子銅山が江戸幕府と密接な関係にあったため、明治政府が没収することも検討したが、いずれも当時の別子銅山総支配人、広瀬宰平(1828~1914)が阻止した。以降、別子銅山は広瀬によって近代化が進められ、最盛期を迎えることになる。【高谷均】=つづく
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◇ミュージアムガイド
【住所】愛媛県新居浜市角野新田町3の13
【電話番号】0897・41・2200
【観覧料】無料
【開館時間】午前9時~午後4時
【休館日】月曜日、国民の祝日、10月17日、12月29日~1月3日
【行き方】JR新居浜駅からせとうちバスで山根グランド下車、徒歩3分
11時からのNHK首都圏番組にて、日野市の日野宿発見隊による街の歴史・文化・自然の再発見を紹介しているところです。井上源三郎資料館や日野宿本陣の建物がちらっと映った他、湧水路となった日野用水沿いに昭和の写真が展示されている様子が紹介されました。
今朝はNHK7~8時台のニュースで小野路らしき町田の旧道散策コース(近藤さん・土方さん・沖田さんが出稽古で通った道と紹介されました……共同日記参照)が紹介されてましたし、何となく新選組デーです。
……そうそう、7時前のニュースでは『組!』ファンには「ウルフ」の愛称がおなじみの吾妻アナウンサーも出演されてました(^^)。『組!』デーぽかったりもします。
北海道
「安心しておこしやす」 札幌で京都観光PR
福島
磐城平城の保存考える
静岡
松陰しのび萩市花植樹 姉妹都市と友好願う 下田
リンク先は静岡新聞サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
5紙読み比べ意見発表 広島で教員ら模擬授業体験
「ポニョ」の次は「龍馬」 NHK大河ロケ誘致
長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
今朝はNHK7~8時台のニュースで小野路らしき町田の旧道散策コース(近藤さん・土方さん・沖田さんが出稽古で通った道と紹介されました……共同日記参照)が紹介されてましたし、何となく新選組デーです。
……そうそう、7時前のニュースでは『組!』ファンには「ウルフ」の愛称がおなじみの吾妻アナウンサーも出演されてました(^^)。『組!』デーぽかったりもします。
北海道
「安心しておこしやす」 札幌で京都観光PR
札幌市民に京都観光をPRする「おこしやす京都キャンペーンin札幌」(京都府、京都府観光連盟主催)が21日、札幌市中央区のサッポロファクトリーで開かれた。
新型インフルエンザの影響で観光客が激減した京都。府が安心宣言を出し、観光客呼び戻しをはかっている。この日は、山田啓二府知事も壇上で「おこしやす」と訴えた。
一番人気は、京都の東映太秦(うずまさ)映画村の俳優による「殺陣ショー」。新撰組の土方歳三が浪人をバッサリと切ってみせた。新型インフルの影響も断ち切れそう-。
福島
磐城平城の保存考える
いわきのシンボルに27日にシンポ
戊辰戦争(1868~69年)で落城し、跡地の大部分が宅地化されて姿を消した磐城平城(いわき市平)。風化しつつあるこの歴史遺産に再び光をあて、市のシンボルにしようと、開発を免れた本丸跡などの保存に向けた活動がスタートした。いわき商工会議所まちづくり委員会が中心となって始めたもので、第1弾として27日、「『お城山の保存と活用』について考えるシンポジウム」を同市平の駅前再開発ビル「ラトブ」で開く。
磐城平城は、関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成率いる西軍を伏見城で足止めし討ち死にした鳥居元忠の功績により、徳川家康から磐城平藩10万石を拝領した息子の鳥居忠政が築城。北方の伊達氏をけん制する軍事拠点として、03年から12年の歳月をかけて現在のJRいわき駅裏にある高台(通称・お城山)に完成させたという。本丸には天守閣がなく、三階櫓(やぐら)が築かれた。
その後は内藤、井上、安藤家と藩主が替わり、戊辰戦争で新政府軍の攻撃を受けて落城。明治政府によって土地建物のほとんどが民間に払い下げられ、その多くが住宅地となった。往時の面影を残すのは、堀や城垣の一部のみとなっている。
本丸跡の土地はかろうじて開発を逃れていたものの、昨年5月に先代の所有者が死去した後、様々な開発のうわさが持ち上がった。こうした動きに、駅周辺の整備計画を進めるいわき商議所のまちづくり委員会は「いわきを代表する貴重な歴史遺産が失われてしまう」と危機感を抱き、活性化策の一環として本丸跡地の保存に向けた活動の検討を開始。土地の現在の所有者からは「公的な形で保存され、後世に残るのが一番いい」と、活動の了解を得た。
同委員会は、磐城平城を史跡として残す意義を示すため、いわき地域学会に協力を依頼。同会の代表幹事を務める大国魂神社の山名隆弘宮司は「戊辰戦争以降、面影は年々失われつつあり、知恵を出し合って残さなければならない」と賛同し、「まずは、城の存在を広く知らせることが大事」と、シンポジウムを企画した。
シンポジウムでは、山名宮司が、城跡の現状や、調査など保存の流れについて説明。続いて県考古学会顧問の鈴木啓氏が近世築城史における磐城平城の位置づけや特色について解説する。同委員会の松崎俊昌委員長は「歴史公園のような形で整備されて保存される例も多い。保存に向けた機運を盛り上げ、市民の心の支えになるような遺産として後世に伝えていきたい」としている。
シンポジウムは入場無料。先着300人。問い合わせは同委員会(0246・25・9152)へ。
静岡
松陰しのび萩市花植樹 姉妹都市と友好願う 下田
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幕末の思想家として活躍した吉田松陰(1830~59年)の没後150年をしのび、松陰の出身地として知られる山口県萩市の訪問団が21日、姉妹都市提携を結ぶ下田市で市代表らとともに記念植樹を行った。出席者たちは同市柿崎の松陰像前に萩市の市花・ヤブツバキを植えて先人の功績をたたえ、両市の友好関係の発展を願った。
萩市の市民団は下田市で同日開かれた「フラワー都市交流連絡協議会」への参加のため訪問。植樹式には関係者約80人が出席してヤブツバキ3本を植えたほか、市立下田東中生徒が松陰を調べた学習成果を発表した。石井直樹下田市長は下田港から松陰が渡米を試みた歴史を紹介しながら「この地に萩市の木が植えられてうれしい。両市の交流が永遠に続くことを期待する」とあいさつした。
松陰は世界情勢を学ぶ目的で鎖国下の安政元年(1854年)、同港に停泊するペリー提督率いる黒船艦隊と接触して密航を企てたが、失敗。その後は萩市の「松下村塾」で日本近代化を支える多くの人材を輩出したが、安政の大獄により30歳で生涯を閉じた。
広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
NIE:工夫を凝らし教員ら模擬授業 中区で学習会 /広島
新聞を教材とした学習(NIE)を進めようと、県NIE推進協議会は20日、中区の中国新聞ビルで、NIE学習会を開いた。県内の教員ら約20人が参加。小原友行・広島大大学院教授による、NIEを取り入れた模擬授業などをした。
小原教授は「もし坂本龍馬が、現代の新聞を読んだら」などと、工夫を凝らした授業を行った。参加者からは「幕末に海外を見ていた龍馬なら、宇宙の記事が気になるはず」という意見もでた。
呉市立吉浦小で4年生を受け持つ蒲田奈甫美さん(22)は「社会の授業のヒントにと思って参加した。新聞によって書き方が違うことなどを踏まえ、授業で生かしたい」と話した。【寺岡俊】
5紙読み比べ意見発表 広島で教員ら模擬授業体験
NIE(教育に新聞を)について知識を深める学習会(県NIE推進協議会主催)が20日、広島市で開かれ、県内のNIE実践校の中高校教員ら約20人が、NIEを取り入れた模擬授業などを体験した。
講師を務めた同協議会長の小原友行広島大大学院教授が「新聞は自分の視点だけで読むのではなく、第三者の視点を持つことで記事への理解が深まる」と説明。テストケースとして、明治維新の英雄・坂本竜馬になったつもりで興味ある記事を探すワークショップを行った。
参加者は山陽新聞など5紙の朝刊を読み比べ、「(竜馬は)生死の意味を変えた臓器移植法について驚くだろう」「月探査機打ち上げの記事を読むと行きたくなるのでは」などと意見を発表。小原教授は「NIE授業では生徒間で意見交流を促し、見識を深めていくことが重要」と総括した。
「ポニョ」の次は「龍馬」 NHK大河ロケ誘致
主役福山さん 福山に来て 市民団体が署名活動開始
幕末の志士・坂本龍馬の生涯を描く来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に向けて、龍馬ゆかりの福山市にロケを誘致し、地域の活性化につなげようと、市民グループが署名活動を始めた。龍馬を演じる歌手で俳優の福山雅治さんに注目し、「福山に福山さんを呼ぼう!」と<フクヤマ>つながりで呼び掛けている。昨年、景勝地の同市鞆町が映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台として脚光を浴びた同市も、龍馬にちなんだ観光キャンペーンを展開中で、「ポニョの次は龍馬で」と官民の期待は高まっている。(向井友理)
同市鞆町は、1867年に龍馬ら海援隊の船と紀州藩の軍艦が衝突した「いろは丸事件」の舞台で、龍馬が泊まったとされる廻船(かいせん)問屋などが今も残されている。
ロケ誘致の署名は、主婦や会社員らでつくるグループ「I LOVE FUKUYAMA プロジェクト」(細羽雅之代表、35人)が、「鞆町の架橋事業を巡る景観論争のニュースばかりが目立つ中で、福山の良さをアピールし、観光客を呼ぼう」と、いろは丸事件の起きた4月23日に始めた。
オバマ大統領を名前つながりで応援し、知名度を上げた福井県小浜市の例も参考に、「福山に福山さんを呼ぼう」を合言葉に街頭やネット上で10万人を目標に呼び掛けている。21日にも福山市入船町で街頭署名が行われ、家族4人で協力した同市赤坂町、会社員平山展久さん(32)は「福山で撮影したら盛り上がるはず。是非、福山さんに来てもらい、街の魅力を目に焼き付けてほしい」とラブコールを送っていた。
署名は秋までにNHKと福山さんに渡す予定で、20日現在、約1万1000人分が寄せられているという。
一方、福山市は、5月末に鞆町であった花火大会で弁天島に「RYOMA」の文字を花火で浮かび上がらせ、市営競馬で「龍馬」の冠レースを催すなどのキャンペーンを展開。鞆の浦の市営渡船を、いろは丸に似せて新造する計画もある。
昨年12月には、NHKの大河ドラマスタッフを、市内のレジャー施設「みろくの里」や市の迎賓館だった「福寿会館」など9か所のロケ候補地に案内したといい、市は「我々の思いはきっと届くはず」と期待している。
NHK広報局(東京)は読売新聞の取材に対し、「大河ドラマのゆかりの地が盛り上がるのはうれしい。ロケ地については、今後の状況次第なので何とも言えないが、可能性はゼロではないと思う」としている。
◆ ◆
■いろは丸事件■ 1867年(慶応3年)4月23日深夜、福山市鞆町沖の瀬戸内海で、坂本龍馬を乗せて長崎から初航海中の汽帆船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突、いろは丸は鞆港にえい航中、沈没した。龍馬は鞆町で賠償金交渉を開始。当初は見舞金千両で済まそうとした紀州側から、七万両の賠償金を勝ち取った。龍馬が海洋上の国際ルール「万国公法」を持ち出した交渉は、「日本初の海難審判」と注目されている。
長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
龍馬に会いたい:/6 近藤長次郎の墓 /長崎
◇晋作の直筆?刻む
4月に始まった長崎市のまち歩き観光「長崎さるく幕末編」。新コースの一つ「日本近代化の鼓動は長崎から」は、海軍伝習所跡(現・県庁)や、海援隊の拠点となった小曽根家宅跡(現・長崎地方法務局)などを回る。
ゴールは晧台(こうたい)寺(長崎市寺町)の裏山、長崎港を見下ろす中腹にひっそり建つ近藤長次郎(1838~66年)の墓。幕末の志士、坂本龍馬の右腕だったといわれる。
墓標に刻まれた「梅花書屋氏墓」は、龍馬とも、親交があった高杉晋作の直筆ともいわれる。長次郎が滞在し、また最期の地ともなった小曽根家宅別邸「梅花書屋」にちなむ。饅頭(まんじゅう)商人の家に生まれ「饅頭屋」とさげすまれながらも頭角を現した長次郎の、風雅な人柄をしのばせる。
長次郎は英国に渡航する直前、切腹。その死には謎が多い。幕末に詳しいシーボルト記念館の織田毅さん(47)は「薩長同盟の橋渡しを務め、特に長州藩からは高く評価されていた。身分社会の当時、町人出身ながら活躍した長次郎へのねたみはあっただろう」。
誰が供えたのか、墓前には小さな饅頭が三つ、置いてあった。【錦織祐一】
昨日iPhoneの第3世代キャンペーンをやってました。iPhoneが欲しくなってきた今日この頃です。
広島
茶道表千家 深い味わい堪能
長崎
「龍馬館」で長崎の魅力発信 大河ドラマ資料は歴文博に一本化
コラム
河北新報/河北抄6月20日
河北新報社サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。土方さんと仙台の関わりが紹介されていたので紹介したくて。
石巻の民家、訪問してませんが柱は保管されているんですね……いつか訪問したいところです。
【次代への名言】6月21日・林子平『海国兵談』
『風雲児たち』を読み返したくなります……読み返し始めると全20巻・幕末編14巻の『風雲児たち』ワールドから抜け出すタイミングを失してしまったりして、なかなか大変なことになります(汗)。
広島
茶道表千家 深い味わい堪能
穏やかな心持ちに
尾道市中心部の商店街で、趣のある茶器を店頭に並べている老舗茶道具店「藤原茶舗」(尾道市土堂)を見つけ、のれんをくぐった。1913年創業という店の3代目店主、藤原唯恭(ただやす)さん(56)に茶器の由緒などを聞いていると、「茶道を体験してみてはいかが」と誘われた。戦国武将と茶道のかかわりを描いた山田芳裕さんの人気漫画「へうげもの」を読み、面白そうな世界だと感じていたこともあり、藤原さんが世話役を務める茶道・表千家流の研究グループ「松孤(しょうこ)会」の勉強会を訪ねた。(尾道通信部 石原敦之)
勉強会が開かれたのは、福山市沼隈町常石の市ぬまくま文化館「枝広邸」。10畳の茶室では、紺色の毛せんが敷かれ、メンバー6人がてきぱきと茶会の準備を進めていた。風炉(ふろ)釜からは湯が沸く音がかすかに聞こえている。
「まずは一服、味わってみましょうか」。着物姿の表千家教授、木曽絹子さん(83)=尾道市向島町=に従い、毛せんの上に正座して並んだ。勧められたアジサイをかたどった干菓子を食べて、早速、お茶を頂く作法を教わった。
茶わんを右手で取り、左の手のひらに置いた後、飲み口は正面を避けるため右手で2回に分けて、45度ほど右に回す。両手で包むように茶わんを持ち、三口半ほどで飲み、最後の一口は「ズズッ」と勢いよく吸い込む。口の中では抹茶の苦みが、先に食べた干菓子の甘みと溶け合って、ほんのりと優しい香りとなって広がり、幸せな気分になった。
飲み終わった後に、茶わんなどの道具を鑑賞するのも茶会の楽しみ方の一つ。茶会では、その日のテーマを掛け軸で表し、旬の花を生け、茶器や菓子にも季節感を取り入れるといい、木曽さんは、「茶会の場をどう演出しようかと考えるのも心が弾む」と教えてくれた。
茶道では、茶をたてた人への感謝や、次に待っている客への配慮などの礼儀が欠かせないが、ついつい忘れてしまい、隣に座った同教授、舛岡道子さん(66)=福山市山手町=に何度か指摘された。不格好に繰り返すうち、ようやく「最低限の礼儀と作法を知っていれば、どこの茶会に行っても楽しめますよ」と太鼓判を押してくれた。
◇
最後にお点前に挑戦。茶わんに湯を注ぎ、抹茶を溶かすため茶せんを素早くかき回すと、「シャカシャカシャカッ」と心地良い音が静かな茶室に響いた。
作法を復習しながら、自らたてた茶を飲んだ。茶会の雰囲気に少し慣れたためか、自分でたてた茶のためか、より味わい深く感じられ、豊かな香りを堪能。ふと気付くと、日々の慌ただしさから離れて、穏やかな心持ちになっていた。
<メモ>茶道・表千家 茶人、千利休(1522~91)が大成させた茶の湯を受け継ぐ三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の一つ。無駄を省き、閑寂、枯淡な趣の中に、「わび」「さび」と呼ばれる美意識を発展させた。江戸中期に町人などに広く支持され、家伝を継承する家元制度が確立された。茶道は明治維新(1868年)後は一時衰退したが、伝統文化や教養の一環として見直されている。
長崎
「龍馬館」で長崎の魅力発信 大河ドラマ資料は歴文博に一本化
長崎市は、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ整備計画を進めている「長崎幕末・龍馬館」(仮称)について、当初予定していたドラマに関する資料の展示を長崎歴史文化博物館に一本化し、ドラマの背景にある坂本龍馬や長崎の魅力を発信する拠点とする方針を示した。
開会中の市議会文教経済委員会で市さるく観光課が明らかにした。
ドラマに関する資料を一本化することで、県外の観光客の混乱を防ぐほか、坂本龍馬の人物像や時代背景の情報だけにとどまらず、現在の長崎の持つ魅力を発信することで、今後の観光活性化につなげる狙い。ドラマの資料展示については、同博物館や関係者と協議を続けていた。
「長崎幕末・龍馬館」は、同市浜町のテナントを借り上げ整備する予定で、ドラマの放映開始前の開館を目指し、閉館は11年3月の予定。市は本年度一般会計当初予算に整備費として4千万円を計上している。
コラム
河北新報/河北抄6月20日
河北新報社サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。土方さんと仙台の関わりが紹介されていたので紹介したくて。
幕末から明治にかけては、東北に住む者にとって苦い思いとともに振り返らなければならない時代だが、有為の人材や魅力的な人物を輩出した。
世が倒幕へとなびく中、義を貫き、滅びゆく幕府に殉じた新選組副長土方歳三の放った一瞬の光ぼうも、今なお人々を引き付ける。土方が一時期仙台にも滞在していたと知ると、さらに親しみがわく。
土方の故郷、東京・日野には、愛用の刀の下げ緒が現存する。この下げ緒は明治元(1868)年秋、土方が仙台城で藩主伊達慶邦に会い、官軍への徹底抗戦を説いたとき、慶邦が刀から外し、自ら土方に与えた。
最晩年を見守った下げ緒は、新選組隊士によって函館からもたらされた。愛刀の一つ、会津藩主松平容保からもらったという越前康継に巻かれている。
石巻には土方が刀傷を付けた柱が残る。旧幕軍幹部が石巻で開いた会議の際、激高した土方が切りつけたという。家は昨年解体されてしまったが、柱は所有者が保管している。
函館戦争でも奮戦した土方は69年5月11日に戦死した。新暦では6月20日、140年前のきょうである。
石巻の民家、訪問してませんが柱は保管されているんですね……いつか訪問したいところです。
【次代への名言】6月21日・林子平『海国兵談』
■天下国家に主(あるじ)たる人は、経済の術を知(しる)べし(林子平『海国兵談』)
時代に先んじたがゆえの悲劇。18世紀後半の経世思想家、林子平の生涯を振り返るとき、そんな思いにかられる。
独学の人。「天下をあまねく歩いてこそ、学問のかいもある」と後進を激励し、自らも全国を見聞した。そして長崎では蘭学を、北海道や東北ではロシア船が出没する沿海の実態を知った。
「日本は海国なり。四方みな海に囲まれた国なり。海防策講ぜざるべからず」-。その憂国の念が『海国兵談』となった。冒頭の一文に続いて「経済とは『経邦済世』の略。国に筋道を付け(経邦)、世の人が住みやすくするよう世話すること(済世)なり」と解説している。
幕末の志士も感激したこの先見の書はしかし、その大部をなす兵法論が幕府の「兵書出版の禁」にふれた。また、「武士に高給取りはいらぬ。全員三十石で十分」とした記述が幕政批判とみなされたようだ。子平は禁固刑を受け、旧暦で1793年のきょう、失意のまま没する。
享年55。弾圧のさいに詠んだ≪親もなし妻なし子なし版木なし金もなけれど死にたくもなし≫は反骨心ゆえの作。でも彼の真骨頂は次の歌にあると思う。
≪こころをばいかせ殺すなかたよるな高くちいさくのびやかにもて≫
『風雲児たち』を読み返したくなります……読み返し始めると全20巻・幕末編14巻の『風雲児たち』ワールドから抜け出すタイミングを失してしまったりして、なかなか大変なことになります(汗)。
蒸し暑かった昨日とは違って、涼しく爽やかな風が心地よい天気になりましたね。
北海道
京都は安心、おこしやす インフルで旅行者減 府が21日札幌でPR
札幌で、土方歳三が京都観光をプロモーション……目新しい気がします(笑)。
野外劇に向け衣装を虫干し
岐阜
ハリヨの池や史跡散策 ハナショウブ見ごろ
奈良
曾祖父の日記を現代語訳 - 維新前後の五條の事件や風習記録
佐賀
新北神社で発見の砲弾 幕末佐賀藩製造と専門家
長崎
「龍馬館」で長崎の魅力発信 大河ドラマ資料は歴文博に一本化
北海道
京都は安心、おこしやす インフルで旅行者減 府が21日札幌でPR
新型インフルエンザの影響で修学旅行のキャンセルが相次いでいる京都府が21日、札幌市内で観光キャンペーンを実施する。映画撮影所の俳優が北海道にゆかりの深い土方歳三の装束で殺陣も披露し、「安心して京都におこしやす」とPRする。
京都府などの調べでは、関西で新型インフルエンザの患者が増え始めた5月初めから京都を訪れる団体旅行の解約が続出。修学旅行は道内の学校からの解約はなかったが、関東や中部から千校以上、約22万人分のキャンセルがあり、20億円ほどの損害が出た。
京都府は6月5日に「安心しておこしやす宣言」を出し、観光客の呼び戻しに力を入れている。その一環で今回のキャンペーンを企画。札幌を皮切りに東京や名古屋でも行う。
札幌には山田啓二知事も同行。21日午前10時から中央区のサッポロファクトリー内で、名産品の販売や京都に関するクイズも行う。会場では京都の東映太秦映画村の俳優が新撰組の土方歳三の衣装で本格的な殺陣も披露。夏から秋にかけての京都観光をPRする。
京都府広報課の雨宮章課長は「ありがたいことに北海道から修学旅行の解約はなかったが、旅行を控えている方もいると思うので、積極的にPR活動をしてマイナスをプラスに転じさせたい」と話している。
札幌で、土方歳三が京都観光をプロモーション……目新しい気がします(笑)。
野外劇に向け衣装を虫干し
7月3日に開幕する市民創作「函館野外劇」第22回記念公演に向け、会場の五稜郭公園内のキャスト村では衣装部の女性たちが服や靴などを虫干ししたり、リフォームを進めている。
衣装は函館本通小学校などに保管していたものを、今月に入りキャスト村に移動させた。18日は久しぶりに晴れ間が広がり、開港シーンなどに登場する貴婦人のドレスや高田屋嘉兵衛一行のかつらなどを外に並べた。
また、ソーラン踊りで使う鉢巻きに金色の生地を縫い付けたり、日焼けした部分のリフォームなどを行った。今年はこのほか、コロポックルの服にレースを付け、バレエ衣装のように仕立てたという。
同部リーダーの綱森明子さん(60)は「自分たちの手づくりのアクセサリーを使うなど工夫している。細かい部分でも華やかにし、演出を盛り上げたい」と話していた。
岐阜
ハリヨの池や史跡散策 ハナショウブ見ごろ
大垣市の北部、安八郡神戸町境にある曽根城公園(同市曽根町)。現在、公園一帯に植えられた約80品種、1万7千株のハナショウブが見ごろを迎え、行楽客でにぎわっている。花は今月いっぱい楽しめそう。
(中略)
同寺の境内には、曽根町出身の幕末の漢詩人・梁川星巌の記念館がある。芝生広場には星巌と妻の紅蘭の銅像、付近には星巌の邸宅跡があり、散策がてら歴史の薫りを楽しむのもいい。
奈良
曾祖父の日記を現代語訳 - 維新前後の五條の事件や風習記録
約90年前の曽祖父の日記を現代に―。神戸市北区の会社員、上田尚男さん(61)がこのほど、幕末に宇智郡須恵村(現五條市内)で生まれた企業家で、曽祖父の高橋直吉(1857~1919年)の日記「天壽録」を現代語訳し、「五條国 高橋直吉 天壽録」(聚珍社)として100部限定で自費出版した。
高橋は生誕から死亡1カ月前までの間、世間の出来事「公事」と「私事」に分けて記録。天誅組の五條代官所襲撃事件など現五條市近辺で起こった事柄、葬式などの当時の風習、登場する2000人近い人間模様を事細かに記録している。
記録が貴重な資料だと感じた上田さんは平成19年春から、仕事の傍ら、漢和辞典を片手に2年がかりで現代語訳を完成させた。
上田さんは「よくここまで残したと尊敬する。せっかくの記録なので、子どもや孫が読んで分かる形にしたかった」と話す。
「天壽録」について、ホームページhttp://www014.upp.so-net.ne.jp/tenjuroku/で簡単な紹介もしている。
佐賀
新北神社で発見の砲弾 幕末佐賀藩製造と専門家
佐賀市諸富町三重の新北神社(川浪英明宮司)から先ごろ見つかった古い砲弾について、国立科学博物館理工学研究部の鈴木一義科学技術史グループ長が「国産された前込め式の施条砲弾で、実際に試し撃ちされたもの」と断定した。19世紀にヨーロッパで開発された最新鋭のアームストロング砲をもとに、幕末期に佐賀藩が製造した可能性があるとみている。
砲弾は直径9センチ、長さ18センチの椎(しい)の実形。全体は鉄製で、胴体に計12個の銅製の突起がある。新北神社の拝殿の床下に半分埋まった状態で発見された。同様の砲弾は他にも残っているが、新北神社は佐賀藩の三重津海軍所に近く、佐賀藩が初めての蒸気船「凌風丸」を建造した際には航海安全祈願を行うなど関係が深いことから注目を集めている。
来佐して砲弾を見た鈴木氏は形状などから前込め式の施条砲弾であり、「突起部分がすれて平らになっていることから、間違いなく実際に大砲で撃った後のもの」と判断した。その上で、「本来はさく裂弾だが、原型をとどめているのは試射のために火薬を入れなかったのでは」とみる。
幕末の佐賀藩は反射炉を築いて鉄製大砲を生産したが、すでに欧米では砲腔(ほうこう)内に螺旋(らせん)状の溝を刻み、椎の実形の砲弾に回転を与えて撃ち出す「施条砲」が主流。特に、イギリスのアームストロング社が開発競争をリードし、射程距離や命中精度を飛躍させていた。佐賀藩は同社の大砲にいち早く注目し、長崎を通じて輸入したほか、最新式施条砲の自前生産に取り組んだとされる。
今回見つかった砲弾について鈴木氏は「国産のものであり、砲弾だけを造ったとは考えられず、大砲と一緒に造ったとみるのが自然」と推定し、最新砲生産を目指して試行錯誤を続けた佐賀藩の製品である可能性を指摘。今後は砲弾の詳細な分析とともに、アームストロング砲をモデルにした大砲、砲弾製造の実際についての研究進展が期待される。
長崎
「龍馬館」で長崎の魅力発信 大河ドラマ資料は歴文博に一本化
長崎市は、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ整備計画を進めている「長崎幕末・龍馬館」(仮称)について、当初予定していたドラマに関する資料の展示を長崎歴史文化博物館に一本化し、ドラマの背景にある坂本龍馬や長崎の魅力を発信する拠点とする方針を示した。
開会中の市議会文教経済委員会で市さるく観光課が明らかにした。
ドラマに関する資料を一本化することで、県外の観光客の混乱を防ぐほか、坂本龍馬の人物像や時代背景の情報だけにとどまらず、現在の長崎の持つ魅力を発信することで、今後の観光活性化につなげる狙い。ドラマの資料展示については、同博物館や関係者と協議を続けていた。
「長崎幕末・龍馬館」は、同市浜町のテナントを借り上げ整備する予定で、ドラマの放映開始前の開館を目指し、閉館は11年3月の予定。市は本年度一般会計当初予算に整備費として4千万円を計上している。
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