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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
大河ドラマ『真田丸』がいよいよ佳境に入ってきましたが、かつて12年前に『組!』『組!!』を応援してきた仲間(通称『組!』残党)がツイッターにコンタクトしてくれました。干支が一回りしても「忘れられぬ熱き思い」抱えている残党たちが愛しいです。「倒木タン」の一言でわかっちゃう残党にも出会いました……泣き笑い(^^)。
 また、待ちに待った2.5次元ミュージカル『幕末rock 黒船来航』が予想以上に激しい「幕ロ」ロスを起こしてまして……その9割以上は輝馬さん演じる誠仮面様が予想以上に役にはまっていたことです。なのに、公式グッズが会場に併設されたコラボカフェのくじ引き型コースターだけだなんて、あまりにもな扱い。まぁ、確かに、「派生商品」であることは間違いないのだけど(^_^;)。舞台を見に行った煌がどれだけ誠仮面に心を奪われ、熱狂したかはツイッターをちょっと検索してみればわかりますよ、公式様。
 
福島
斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった。
 斎藤は1844年に江戸で生まれ、新選組の三番隊組長として池田屋事件などに参加。沖田総司らと並び最強の剣士の一人とも伝えられる。会津藩が新政府軍との戦いで敗色濃厚となる中、「(会津を去るのは)誠義にあらず」と戦い続けた。その後、会津藩士の娘と結婚。警視庁に勤務し、1915年に没した。
 5点は、昨秋に見つけた子孫が今年7月に寄託。本人の肖像のほか、妻や息子と写った写真もある。15日、同館を訪れた佐藤みち枝さん(62)は「最後まで会津を愛してくれていたのかなと思う」と話していた。 【時事通信社】

斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった。
 斎藤は1844年に江戸で生まれ、新選組の三番隊組長として池田屋事件などに参加。沖田総司らと並び最強の剣士の一人とも伝えられる。会津藩が新政府軍との戦いで敗色濃厚となる中、「(会津を去るのは)誠義にあらず」と戦い続けた。その後、会津藩士の娘と結婚。警視庁に勤務し、1915年に没した。
 5点は、昨秋に見つけた子孫が今年7月に寄託。本人の肖像のほか、妻や息子と写った写真もある。15日、同館を訪れた佐藤みち枝さん(62)は「最後まで会津を愛してくれていたのかなと思う」と話していた。 

斎藤一の写真初公開
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった(福島県立博物館提供)

 会津に「帰還」した藤田五郎こと斎藤一の写真にまつわる裏話が、歴史研究家のあさくらゆうさんに語られています。
ようやく話せる新選組・斎藤一写真のアレコレ~あの写真が県博に入るまでの顛末を関係者が語る2016.09.13
ようやく公開された福島県立博物館での寄託

 9月12日(月)県政記者クラブ宛に福島県庁より、斎藤一(藤田五郎)の写真7点が同月14日(水)より30日(金)まで展示されると発表されました。これらの写真は藤田家子孫の寄託によるものです。こうして写真を寄託していただいたことにより、一般の眼に触れる機会が出来ました。

福島県立博物館 初公開 斎藤一の肖像写真
きっかけは子孫から筆者への連絡でした
ある方の紹介で、写真所蔵者(藤田家子孫)から筆者あてに電話があったのは6月下旬のことでした。翌週、筆者の地元まで足を運んでいただいたご子孫2名と会い、写真を拝見いたしました。


写真を見たときは、なんか納得した、という感じで、感動というよりは安堵した、という気持ちになりました。4人で写っている写真は鶏卵紙なのですが、経年劣化で台紙からはずれており、慎重に確認しました。台紙の裏には明治30年(1897)に長男の勉さんが陸軍士官学校を卒業した記念に撮影し、次男の剛さんの所持が確認できる裏書がありました。

勉さんの履歴書を見ると、確かに明治30年に卒業していたことが確認できます。

藤田勉の履歴書

寄託までのやり取り
お話によると、当初はある公的機関と交渉していたそうです。しかし、相手方はあまり興味も示さず、「くれるなら貰ってもよい」というような対応に感じてしまい、交渉が決裂したそうです。

それでも子孫の意向として、藤田五郎が恩恵を受けた会津に預けたい、とのことでしたので、会津若松市の施設に預けたい、となりました。

ポイントとしては、寄贈ではなく寄託という方法を教示して、後日、一番ふさわしい場所を紹介したいとして、また、写真ですので劣化することもあり、保存が確実に出来るところ、ということも含め、お話を預かりました。

それと、藤田家が懸念することとして、過去に藤田剛の結婚写真について、子孫の意向とは関係ない虚説を流布されたことです。藤田家としては無視したのですが、それが逆にネット上では虚説が広まってしまいました。そうしたことも含めて公正公平な取扱いをしてくださる施設でなければいけない、ということもありました。

そして、最大の懸案として、藤田家が認めていない、まったく根拠もなく藤田五郎とされている西南戦争の凱旋写真を駆逐し、藤田實(まこと)氏をモデルとした想像画(藤田勉さんはモデルではない)ではない、確かな写真の認知していただきたいことも大きな要因としてありました。この経緯から、寄託中にあって写真を公開した訳です。
速攻で県博からOKが出る
6月28日(火)、寄託をお願いするにあたって、写真について、鑑定していただく必要を感じました。そこで、日本カメラ博物館で鑑定していただきました。

まず4人の写真は間違いなく明治30年撮影のもので間違いなく、ところが単身写真は大正初年以降の写真と判明しました。おそらく撮影自体は東京女子高等師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)を退職した明治43年(1910)以前と考えられ、原本から焼き増したのではないかと思われました。おそらくオリジナルは本家にあり、戦災で焼失したのでしょう。筆者は「おそらく遺影ではないか」と子孫には伝えました。

このようにして、寄託先を探しました。やはりツテを頼るのが一番と、まず懇意にしている足立区立郷土博物館に連絡しました。長年のお付き合いのある方の部下だった方が福島県立博物館に転職していたのを知っていたからで、もちろん本人とも顔見知りだったこともあることから、まずは仁義を通してから、福島県立博物館に連絡しました。そしてその方を通じて歴史担当者を紹介されました。

その方に趣旨を説明したところ、寄託であってもよいと、そして企画展も考慮してくださるという、好意的なお返事をいただいたので、他候補もあるなか、こちらにお願いすることになりました。
写真発見記事の後に起きたアレコレ
こうして県博への寄託は進み、ご子孫もわざわざ会津若松まで出向いて写真を預け、手続きに入りました。これと併行して写真発見の記事を先行させました。先述の理由のほか、社会的反響がどうなのか、という実験もありました。記事が出たときはご存じの通り、各メディアがこぞって伝え、筆者もいくつかインタビューを受けました。

特にハフィントン・ポストの記事は遥かウクライナ版まで作られるという、まさに斎藤一が世界を飛び回った、大騒ぎでした。

斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】http://www.huffingtonpost.jp

幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。
こうしたなかで、浮かれてばかりはいられずに、虚説を報じる勢力の反発もあり、ご子孫のひとりが迷惑を蒙るという事態が発生いたしました。そのため、当初は広く公開する予定が、約1名の行為により、公開範囲に制限が発生してしまいました。このままでは結婚式の写真の二の舞になるからです。

それと、個人情報を伏せている関係で、県博が受け入れ手続き中は筆者が対応しなければいけない状況となりました。この間、出版社やマスコミから掲載許可申請や、所蔵者の詳細を教えろ等、連絡が来ましたが、そう遠くないうちに県博の受け入れが叶うと信じ、ご子孫の意向と重ね、取り急ぎマスコミ対応のみすることにいたしました。
ようやく念願が叶う
このように、寄託、および発表されるまでは、その情報は限られた方々のみ知る内容とし、問い合わせがあってもお答えしませんでした。そして先週ようやく準備が整ったということで、連絡がありました。
今回は四人の写真以外はほぼ原本で展示する予定で、長男勉と次男剛の写真、藤田勉の結婚式のペアの写真、孫の素子等、初出しの展示がされることになっております。入場者の如何によって次の企画も決まるでしょうから、是非とも福島県立博物館に足を運んでいただけたらと思います。

これをもって筆者の役目も終了しましたので、イチ研究者として、利用する際は掲載許可を得て使用することとなります。出版社各位におかれましても、県立博物館での手続きで、利用されますよう、お願い申し上げます。

*一部指摘を受け、展示予定の写真に誤りがあったので修正いたしました。
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幕末維新期の人物史を専攻する在野の歴史研究家です。
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社会問題 カルチャー コラム ニュース
 「虚説を報じる勢力の反発」というのが気になります……おそらくは西南戦争に出征する兵士の写真から伝・藤田五郎としてきた方々だと思うのですが。
 思った以上にいいお顔をされているのがファンには嬉しいですね。

<戊辰戦争>150周年前に会津でシンポ 検定も
 2018年に150周年を迎える戊辰戦争(1868~69年)の真実を伝えようと活動する会津若松市の市民グループ「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」は9日、市内の会津稽古堂で、シンポジウム「戊辰と明治」を開く。
 テーマは「会津にとって戊辰戦争とは何であったのか、そして明治へ」。明治維新史学会事務局長で明大文学部教授の落合弘樹氏、実行委副会長の井上昌威氏、「幕末史を見直す会」代表の鈴木ひろみ氏が、簗田直幸実行委事務局長の司会で意見を交わす。
 11月13日には「会津戊辰復興検定」を市内で実施する予定。初級、中級、上級の3クラスで、戊辰戦争を中心に、ペリー来航から第1次世界大戦以前までの会津に関する100問を四者択一形式で出題する。
 初級は60問正解、中級は80問正解、上級は90問正解が合格ラインとなる。
 実行委は「シンポジウムや検定をきっかけに、戊辰戦争について深く知ってほしい」と話す。
 シンポジウムは9日午後1時~3時半で入場無料。検定は10月28日までに、受験料(初級と中級各2000円、上級4000円)を郵便為替で振り込んで申し込む。
 連絡先は実行委090(4555)7347。

茨城
“芹沢鴨の地”ファン集結 行方、18日「新選組まつり」隊士行列や演武
新選組初代筆頭局長の芹沢鴨と、副長助勤の平間重助の出身地とされる行方市で18日、「第12回なめがた新選組まつり」が開かれる。幕末の新選組隊士に扮(ふん)した参加者の行列や演武、音楽ライブなどの催し多彩。主催する同実行委員会の委員長で、長年、芹沢の顕彰活動に携わってきた須田剛さん(49)は「“芹沢鴨の地”行方をもっとアピールしたい。多くの人にまつりに来て楽しんでほしい」と呼び掛けている。


同まつりが始まったのは2005年。全国各地の新選組ゆかりの地の関係者が集う「全国新選組サミット」が同市で開かれたことがきっかけ。商工会青年部員としてサミット開催に関わった須田さんは「最初は芹沢鴨のことはよく知らなかった」と当時を振り返る。しかし、それでも新選組の地をPRする「新選組!茨城玉造隊」を仲間たちと結成し、サミットに合わせて公民館で演劇公演を開き、それが同まつりの第1回だった。

芹沢の忌月の9月に合わせて毎年開いてきたまつりは、次第に規模が拡大。他の新選組ゆかりの地の仲間も駆け付けて盛り上げに協力してくれるようになり、全国から新選組ファンが集結するほどに成長した。同時に、幕末の志士に扮し、高齢者施設や児童施設への慰問公演も続けてきた。

須田さんのまつりへの思い、新選組への興味は年々深まる一方。「芹沢鴨の出自に関しては、いろいろな研究がある。行方出身とされる鴨がどんな人物だったのか。荒くれ者のイメージもあるが本当はどうだったのかなど興味は尽きない。この田舎から『今の日本では駄目だ』と立ち上がった鴨に憧れる」と思いを語る。

まつりでは、午前9時半から、法眼寺(行方市芹沢)で追善供養、市内の新選組ゆかりの地めぐりを開催。同11時45分からは同市玉造甲の霞ケ浦ふれあいランドを会場に、隊士パレードや、北総新選組や新選組滝野川隊などゆかりの地の演者による演武、かすみがうら市出身の歌手のオニツカサリーさん、和装侍系音楽集団ミストによる音楽ライブ、「第5回芹沢鴨杯ちびっこチャンバラ大会」など実施する。

問い合わせは市観光協会(電)0299(55)1221。


関連催事として、石岡市府中の香丸資料館で15〜19日、「写真と資料で語る『常陸国と新選組』」展が開かれる。入場無料。

(三次豪)

東京
幕末師弟、晴れやか 赤坂で勝海舟と坂本龍馬像、除幕
 幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った勝海舟(一八二三~九九年)の銅像が、東京・赤坂の旧居宅跡に建立され、十日に除幕式があった。勝の像の傍らには弟子の坂本龍馬(一八三六~六七年)も設置。銅像建設に尽力した地元の人ら百五十人以上が集まり、勝の「地元への帰還」を祝った。
 像が立つ場所は、小学校を経て現在、特別養護老人ホームになっている。除幕式で地元出身の飲料メーカー会長、石渡光一さん(80)が「赤坂は海舟が五十年間住んだ街。銅像を末永く愛してほしい」とあいさつ。関係者が像にかかった幕を取ると拍手がわいた。
 式典後には、勝の玄孫でフリーライターの高山(こうやま)みな子さん(54)が、勝と彼を取り巻く人々との交流について講演した。
 勝の像は座像で台込みの高さは一・六メートル、龍馬は立像で一・九メートル。尊王攘夷に燃える若い龍馬は、開国派の勝を刺殺しようと赤坂を訪れたが、逆に世界情勢を説かれて翻意し、門下生にしてほしいと申し出たとされる。

高知
高知県の香美史談会が戊辰戦争従軍の宮地団四郎など調査
展覧会企画への資料提供を
 高知県香美市の歴史や文化を研究している香美史談会(今久保約雄会長)が、幕末に現在の香美市土佐山田町植から戊辰戦争に従軍した郷士、宮地団四郎(1838~1917年)を軸に、明治新政府のために戦った先人たちの調査を進めている。2018年の明治維新150年を前に展覧会を企画しており、香美市から従軍した人物の子孫らから資料を募っている。

 団四郎は、土佐藩の前哨隊や迅衝隊に所属し、戊辰戦争に従軍した。慶応3(1867)年11月に土佐を出発し、京都や大阪、江戸を経て会津若松まで転戦した。

 土佐をたってから明治元(1868)年11月に凱旋(がいせん)するまで、団四郎は一日も欠かさず詳細な日記を書いており、当時の様子や土佐藩の軍の仕組みを知る上で重要な資料となっている。2014年には幕末史研究家の小美濃清明氏が、日記の現代語訳と解説をまとめた「宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争―」(右文書院)を出版している。

宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
 香美史談会は日記を参考に、団四郎や、共に土佐山田町から従軍したと記述がある「高芝新二郎」「森尾林之助」の子孫宅を8月に訪問。宮地家では団四郎の写真や日記の原本を確認し、森尾家では林之助とみられるガラス湿板式の写真2枚とその原版を発見した。

 史談会は、団四郎らを紹介するパネル展を2017年10月ごろに開くことを目指している。香美市から戊辰戦争に従軍した人物の資料提供を市内外に呼び掛けており、今久保会長は「調査によって、香美市の歴史研究が大いに発展する。心当たりがある人は連絡を」と話している。

 問い合わせは今久保会長(090・3189・9560)へ。


エンターテインメント
「PEACE MAKER 鐵」アニメ制作はWHITE FOXが担当 新撰組を題材にした人気マンガ
先日アニメ化が発表された、黒乃奈々絵によるマンガ『PEACE MAKER 鐵』。最新第11巻が9月14日に発売されて間もない本作だが、そのアニメーション制作を『Steins;Gate』や『Re:ゼロから始める異世界生活』などを手掛けるWHITE FOXが担当することが判明した。

『PEACE MAKER 鐵』は『新撰組異聞PEACE MAKER』の続編にあたる作品。安政から明治にかけて実在した新選組隊士・市村鉄之助を主人公に、『新撰組異聞PEACE MAKER』では彼の新撰組入隊から池田屋事件まで、『PEACE MAKER 鐵』は池田屋事件の3ヶ月後からを、細部にアレンジを加えつつも史実に沿うストーリーで描き出している。既に一度アニメ化を果たしているほか、俳優の須賀健太主演で2010年にドラマ化。2007年以降から幾度となく舞台化も行われている。シリーズ連載開始から15年以上を経た今もなお、根強く支持され続けている作品だ。

今回再アニメ化を担当するWHITE FOXは、2007年4月設立のアニメ制作会社。『ポケットモンスター』や『妖怪ウォッチ』で知られる制作会社のオー・エル・エムにて、チーム「OLM TEAM IWASA」のプロデューサーを務めていた岩佐岳が独立し、2006年の『うたわれるもの』メインスタッフらとともに立ち上げた。難解かつ複雑な内容の原作を見事にまとめ、劇場アニメ化も果たした人気作『Steins;Gate』のほか、魔王・勇者ジャンルにお仕事コメディを組み合わせた異色のファンタジー『はたらく魔王さま!』、喫茶店を舞台とした美少女系の日常コメディ『ご注文はうさぎですか?』といったヒット作を多数手掛けている。10月には同社初の完全オリジナルアニメとなる『装神少女まとい』が放送予定。勢いに乗る制作会社だけに、『PEACE MAKER 鐵』がどのようなアニメーションとして描かれるのか、いっそうの注目を集めそうだ。

最新第11巻では、市村鉄之助が幕臣・勝海舟と会話するという気になる展開を見せた本作。アニメ情報は今後さらなる詳細が公開されていくだけに、ますますの盛り上がりとなりそうだ。

『PEACE MAKER 鐵』
(C)黒乃奈々絵/マッグガーデン

ブックレビュー
"銭形平次の賞”を、新撰組が受賞決定!
[株式会社NHK出版]
吉川永青氏の『闘鬼 斎藤一』(NHK出版刊)が、「第4回野村胡堂文学賞」受賞!10/2神田明神での授賞式に取材者をご招待します。

「銭形平次」の生みの親で国民作家と呼ばれた野村胡堂を顕彰する「野村胡堂文学賞」(日本作家クラブ主宰)の第4回受賞作品が、『闘鬼 斎藤一』(吉川永井青著・NHK出版刊)に決定しました。いま脂がのっている気鋭の歴史小説家・吉川永青氏(48歳)が、新撰組幹部にして無敵の剣士、斎藤一の生き様を描き切った意欲作です。映画や漫画、ゲームでも人気の斎藤一。無口なイメージが定着している剣士が、仲間と触れ合う一面や、闘いの有り様が変化する時代のうねりの中で揺れ動く心情を描き、国民的人気の新撰組群像劇に新たな視点と境地を切り開きました。今年は、江戸の岡っ引き・平次ゆかりの賞を、新撰組剣士で明治の世では警察官となった斎藤が受賞という面白い巡りあわせに。授賞式は、野村胡堂の誕生日10月15日にちなみ10月2日に、平次ゆかりの神田明神の明神会館で行われます。  
『闘鬼 斎藤一』 
(とうき さいとうはじめ)  
吉川永青(よしかわ・ながはる)
発行:NHK出版 2014年4月25日 
定価:本体2000円+税
体裁:四六判 400ページ 

■「野村胡堂文学賞」とは
『銭形平次捕物控』等の作品で国民作家と賞賛された野村胡堂を顕彰する目的で「一般社団法人日本作家クラブ」が2012年に創設。商業出版された時代小説と歴史小説を対象に、同クラブ会員による投票を経て上位3作品を選考し、審査委員会で受賞作を決定。
(社)日本作家クラブ公式ウェブサイトhttp://nihonsakkaclub.org/


コラム
「近代戦の目覚め」戊辰戦争 あなたはどちらに味方する?
「天下分け目の戦い」と聞いたら、大抵の人は関ヶ原の合戦を連想するだろう。

だが、1868年に勃発した戊辰戦争も忘れてはいけない。

この戦争は、数年前までアメリカで行われていた南北戦争の焼き直しのような出来事だった。南北戦争時に大量に生産された武器が余剰ストックとなり、それが日本に輸出されたのだ。だから使用火器もほとんど同じだし、戦法も非常に似通っている。

そして戊辰戦争が、列島を分断したというのも事実だ。西の新政府軍と東の幕府軍。まさに天下分け目の決戦だった。

■東北では案の定...
ここで、現代人に聞いてみよう。「戊辰戦争が始まったら、どちらの勢力に味方するか?」という内容である。

じつに60.5%の人が「新政府軍につく」と答えている。ちょうど6対4の割合だ。だがこの調査もまた、地域差がある。

次に、東北在住者に絞った調査結果を見てみよう。

やはり奥羽越列藩同盟のお膝元。54.4%の人が幕府軍支持という結果になった。

■兵器市場が戦場を左右する
戊辰戦争とアメリカ南北戦争の類似性は先述の通りだが、戊辰戦争は「兵器市場」の存在を明確にした出来事でもある。

江戸時代を通じて、日本は兵器の進化を放棄していた。火縄銃は的撃ちの競技銃と化し、「兵器」としては使い物にならない。だから幕末に入る頃、火縄銃の後継として管打式のゲベール銃を導入。これは火縄銃と同じく先込め式の滑腔銃だが、撃発機構が進化している。

ところが黒船がやって来たころ外国は、すでにライフル銃の時代だった。弾丸は球形ではなく椎の実型で、銃身内部で回転が加えられて飛距離が増す構造。南北戦争で主に使用されたエンフィールド銃は、戦後大量の在庫となってしまい、日本や中国へ売り飛ばされた。

すると日本国内の兵器市場に変化が出る。ゲベール銃の値段が暴落し始めたのだ。さらに元込め単発式のスナイドル銃、そしてNHK大河ドラマ『八重の桜』で有名になった連発式スペンサー銃が導入されると、ゲベール銃は非常にチープな武器と化した。

■八重とスペンサー銃
要するに、日本人はこの時初めて「武器の性能差」を知ったのだ。

そしてそれが、戊辰戦争の勝敗に直結することになる。

ここで、なぜ女性である新島八重が最新鋭のスペンサー銃を持ったか考えてみよう。「あの銃は兄の山本覚馬から送られたもの」という事実は、答えになっていない。彼女だけが最新の装備で身を固めることを、他の会津藩士(とくに上級武士)は苦々しく思わなかったのか疑問が浮かぶだろう。

意外だが、位の高い武士ほど「銃は卑しい武器」と考えており、八重のことなど気にかけなかったという。銃は足軽が持つものであり、武士は槍と刀を持って勇ましく敵陣に突撃する。だから会津藩の郷土防衛組織である婦女隊も、銃ではなく薙刀を選ぶ。

誇り高い武士は「武器の性能差」など考えてはいけなかったのだ。だが、結局は「銃を持った足軽」が「剛槍の武士」を駆逐した。こうして日本は、過酷な近代戦争の基本を学んだのである。

・合わせて読みたい→関ヶ原の合戦ではどちらに加勢? 大阪の半数以上が「西軍」

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo」
調査期間:2016年8月26日~2016年8月29日
対象:全国20代~60代の男女1,368名(有効回答数)

 そしてまたひとつ、心乱れるニュースが。
NHK18年大河は「西郷どん」 原作・林真理子の描く西郷隆盛は「愚直でうかつ」 あらすじは?
18年大河は西郷隆盛 原作・林真理子×脚本・中園ミホ「女の視点で切り込みます」

NHKは8日、2018年に放送する大河ドラマを『西郷(せご)どん』(第57作)と発表した。作家・林真理子氏が『本の旅人』(KADOKAWA)で連載中の『西郷どん!』を原作に、連続テレビ小説『花子とアン』(同局)、『Doctor X外科医~大門未知子~』(テレビ朝日)などを手がけた中園ミホ氏が脚本を執筆。「勇気と実行力」で時代を切り開く“愛に溢れたリーダー”として、明治維新のヒーロー・西郷隆盛の生涯を描く。17年夏、クランクイン予定。18年1月から全50回放送。

隆盛は、2度の島流し、3度の結婚を経て、類まれな「勇気と実行力」で徳川幕府を転覆し、維新を成し遂げるが、最期は明治新政府と戦いに散った。東京・上野公園の銅像はよく知られているが、肖像写真は1枚も残っておらず、その生涯については謎も多い。

そんな隆盛に魅せれられた人の一人が、林氏。「以前、最後の将軍徳川慶喜とその妻美賀子を書いたときに、幕末の複雑さにつくづく苦労しました。しかしそれゆえに歴史の主役たちにすっかり魅了されてしまったのです。その中でも一番難解で面白いのが、西郷さんです。彼をめぐる女性たち、流された島々を深く描くことによって、いままで誰も書かなかった西郷どんを作り上げているという自負があります」と語っている。

林氏が描く隆盛の素顔は、脇は甘く、愚直でうかつ。けれど、彼に出会ったものは皆、隆盛が好きになり、愛嬌あふれる男の周りには、いつも“笑いと愛と波乱”が満ちている。極貧の家に育ったがゆえ、「すべての民が幸せに暮らしてこそ日本国は強くなる」と信じ、人を愛し、故郷を愛し、国を愛し、民を愛し、“見返りを求めない愛”を与え続けた。そんな彼のことを、人は親しみを込めて「西郷どん(セゴドン)」と呼んだ。

大河ドラマとして映像化されることが決まり、林氏は「中園ミホさんが、生命を与えてくれるのです。会った誰もが愛さずにはいられなかった西郷どん。彼はもう、私たちの前で呼吸をし始めているのです」と期待を寄せている。

中園氏も「西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。太った愚鈍な男でもない。戦の天才で革命家。一つ確かなのは、男にも女にも大層モテたということ。子どもも学者も侍も殿様も彼と触れ合い、語り合った者は皆、西郷に惚れた。一体どんな魅力だったのか!?」とコメントを寄せ、「セゴドンという男の魅力に、女の視点で切り込みます」と意気込んだ。

■あらすじ

西郷隆盛(小吉、吉之助)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働くが、困った人を見ると放っておけず、自分の給金も弁当も全部与えてしまう始末。西郷家はますます貧乏になり、家族は呆れかえるが、西郷は空腹を笑い飛ばす。

そんな愚直な西郷に、カリスマ薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)が目を留めた。「民の幸せこそが国を富ませ強くする」と強く主張する斉彬に、西郷も心酔する。西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走。薩摩のキーパーソンとなっていく。

生涯の師・斉彬との出会いと別れ。篤姫との淡い恋。仲間との友情と反目。多感な青年期を経て、3度の結婚、2度の島流し。極貧の下級武士に過ぎなかった素朴な男は、南国奄美で愛に目覚め、勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げて行く。

 原作と脚本の方々が……。えーと、「女性目線」強調して良作になったのは最近では『篤姫』と『八重の桜』ぐらいでは。去年の惨敗は「女性目線」じゃなかったっけー。
 そして「男にも女にも大層モテた」西郷どん……って、大河ドラマでBLですか〜(汗)。私それ一番嫌なんだよ〜(´д`)。

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最近、twitter上で「組!」残党の方と久しぶりに再会しました。「倒木タン」で通じるということはともに2chで感想を書き込んでいた方ですね。そのキーワードが12年以上もの歳月の流れを吹き飛ばす、魔法の言葉でした。

福島
新選組・斎藤一の写真、会津へひ孫が県立博物館に寄託
 江戸時代末期に新選組の幹部として活動した斎藤一を明治時代に撮影した鮮明な写真などが、ひ孫に当たる子孫の男性(69)から、ゆかりのある福島県会津若松市の県立博物館へ寄託された。博物館が12日に発表した。14日から始まる展示会で一部を一般公開する。

 寄託は7点で、うち1枚は明治30年の1897年11月14日に、自宅があった東京・本郷の写真館で撮影されたと記載が残る家族写真。当時53歳の斎藤が羽織はかま姿で妻トキヲといすに座り、後ろに長男の勉と次男の剛が並ぶ。勉の陸軍士官学校卒業を記念したとみられる。

 家族写真は、昨年秋に関係者宅の蔵を整理した際に見つかった。新選組・斎藤一の写真、会津へ ひ孫が県立博物館に寄託江戸時代末期に新選組の幹部として活動した斎藤一を明治時代に撮影した鮮明な写真などが、ひ孫に当たる子孫の男性(69)から、ゆかりのある福島県会津若松市の県立博物館へ寄託された。博物館が12日に発表した。14日から始まる展示会で一部を一般公開する。

 寄託は7点で、うち1枚は明治30年の1897年11月14日に、自宅があった東京・本郷の写真館で撮影されたと記載が残る家族写真。当時53歳の斎藤が羽織はかま姿で妻トキヲといすに座り、後ろに長男の勉と次男の剛が並ぶ。勉の陸軍士官学校卒業を記念したとみられる。

 家族写真は、昨年秋に関係者宅の蔵を整理した際に見つかった。
 最近話題になった斎藤一の写真ですね、会津に戻るのはきっと本望でしょう。

京都
英公使襲撃の刀公開
戊辰戦争さなかの1868年、京都で駐日英国公使ハリー・パークスが襲われた事件で襲撃犯が使った日本刀が京都市内の神社で見つかり、京都国立博物館が5日、報道陣に公開した。
大山崎町の活性化 天王山PR「勝負の分かれ目」
 京都府大山崎町にそびえる天王山。豊かな歴史と自然、人気のハイキングコースを備え、地元住民の憩いの場でもある。町はこれまでその魅力をうまく発信できていなかったが、最近は観光施策の中心に位置付け、古戦場を縁に岐阜県関ケ原町と歴史観光事業で連携するなど天王山PRに力を入れている。大山崎町の観光消費額は低迷しており、地域が活性化できるか「勝負の分かれ目」を迎えている。
 天王山は標高約270メートル。1582(天正10)年の「山崎の合戦」で羽柴秀吉が明智光秀と対決した地であり、「天下分け目の天王山」で知られるように勝負の代名詞となっている。山中には、幕末の禁門の変で敗走し、新撰組に追われて自害した志士をまつった十七烈士の墓や、山崎城跡など各時代の名残がある。近年の登山ブームの中、比較的登りやすい山として老若男女の人気を集めている。
 大山崎町は今、その天王山を切り札にする。関ケ原町役場で6月、共同会見した両町長は甲冑(かっちゅう)姿で登場。「どちらが真の天下分け目の地か」と互いの町自慢を繰り広げ、切磋琢磨(せっさたくま)して観光を盛り上げる宣言をした。その後のイベントも盛況だった。天王山夢ほたる公園(大山崎町)で初開催された「大山崎天下取り決戦祭り」には光秀ゆかりの地・亀岡市から火縄銃の演武隊が招かれ、歴史好きの吉本芸人も話芸を披露。多彩な催しがあり、2日間で計約6千人(主催者発表)が訪れた。
 普段は静かな町役場にも報道各社の取材が相次いだ。情報発信には「分かりやすさ」と「ユニークさ」の掛け合いが肝なのだと感じた。
 町民サイドも少しずつだが、天王山をPRする動きが見られる。今年から祝日に制定された「山の日」の11日には、住民団体「天王山をまもる会」が初企画した歴史登山クイズラリーがあった。参加した親子連れらが道中に設置されたポイントを巡り、かつてこの地で繰り広げられた合戦や歴史に思いをはせた。
 町は関ケ原町以外にも、他府県の自治体とのコラボを仕掛け、観光相乗効果を狙う。茶人・千利休ゆかりの茶室「待庵」(国宝)があることなどから堺市との連携に着手。首長同士が協力を確認しあい、今後、町歴史資料館で両市町の共通点をテーマにした企画展を開催する予定だ。
 府の調査では、2015年度の町の観光消費額は1億2800万円と府内6番目に低い。だが、町内には天王山の他、大正―昭和期の実業家加賀正太郎の別荘を改築した「アサヒビール大山崎山荘美術館」、昭和期のエコ住宅「聴竹居(ちょうちくきょ)」など魅力ある資源は多い。インバウンドツアーの需要が高まり、全国的に増えている外国人観光客の取り込みも含め、まちの地域資源を最大限生かすことで、さらなるにぎわいが生まれることを期待したい。
[京都新聞 2016年8月31日掲載]
東京
幕末師弟、晴れやか 赤坂で勝海舟と坂本龍馬像、除幕
 幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った勝海舟(一八二三~九九年)の銅像が、東京・赤坂の旧居宅跡に建立され、十日に除幕式があった。勝の像の傍らには弟子の坂本龍馬(一八三六~六七年)も設置。銅像建設に尽力した地元の人ら百五十人以上が集まり、勝の「地元への帰還」を祝った。
 像が立つ場所は、小学校を経て現在、特別養護老人ホームになっている。除幕式で地元出身の飲料メーカー会長、石渡光一さん(80)が「赤坂は海舟が五十年間住んだ街。銅像を末永く愛してほしい」とあいさつ。関係者が像にかかった幕を取ると拍手がわいた。
 式典後には、勝の玄孫でフリーライターの高山(こうやま)みな子さん(54)が、勝と彼を取り巻く人々との交流について講演した。
 勝の像は座像で台込みの高さは一・六メートル、龍馬は立像で一・九メートル。尊王攘夷に燃える若い龍馬は、開国派の勝を刺殺しようと赤坂を訪れたが、逆に世界情勢を説かれて翻意し、門下生にしてほしいと申し出たとされる。
漱石から子規へのハガキ、幕末志士の署名 著名人120人の「直筆」を国会図書館がデジタル資料で公開特集サイト「あの人の直筆」。あの歴史上の偉人は、文字もイメージ通り?
 夏目漱石が学友の正岡子規に追試を受けるようハガキを送ったとき、どんな字を書いたか。日本の近世から昭和にかけて活躍した有名人約120人の直筆資料をまとめた特集サイト「あの人の直筆」を、8月30日に国立国会図書館がオープンしました。書簡やハガキなどあらゆる直筆資料のデジタル版が無料で閲覧できます。

 2014年秋の企画展「あの人の直筆」をもとに作成。公開されている直筆資料は、幕末の志士・西郷隆盛や大久保利、木戸孝允の書簡や、日本国憲法を公布する官報号外に吉田茂らが寄せた署名などさまざま。どんな背景で書かれたのか想像しやすいようにと、それぞれに人物の肖像や履歴、解説文も掲載されています。

 また、手紙の体裁や筆記具に関する「豆知識」といったコラムも充実。蘭学者の高野長英が勝海舟に手渡した自筆写本をもとに、実は江戸時代にも現代の修正液(ホワイト)のようなものが存在していた……など、興味深いトリビアが並んでいます。

(黒木貴啓)
中野で幕末・明治の浮世絵師・豊原国周展 歌舞伎役者作品中心に50点
展示作品の説明文には英語表記も
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 中野区立歴史民俗資料館(通称=れきみん、中野区江古田4、TEL 03-3319-9221)で9月9日、浮世絵師・豊原国周(とよはらくにちか)「THE役者絵」展が始まる。

(関連フォト)大学生に説明をする学芸員の石村篤史さん

 1835(天保6)年江戸京橋生まれで、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・豊原国周の「役者絵」の展示を中心とした同展。「俳優白浪当達者 岩井紫若の女乾助」(1864年)、「沢村田之助のけいせい敷嶋」(1869年)、「白波五人男 中村翫雀(かんじゃく)の赤星重三」(1884年)、「歌舞伎十八番之内勧進帳 市川団十郎」(1893年)などの作品50点を展示する。

 同2日には帝京平成大学の学生ら10人に対して「特別内覧会」も実施。学芸員である三嶋和美さんや石村篤史さんによる当時の物価、作品の特徴や価値、作り方、豊原国周の生活などが説明された。石村さんは「外国人にもすぐに分かる絵や音楽は観光資源となる。これから東京オリンピックを控え、このような文化財が重要」と話した。

 開館時間は9時~17時。月曜・第3日曜休館。入館無料。10月9日まで。
ふるさと納税「日野ゆかり」続々 返礼品にPC、時計 /東京
 日野市は「ふるさと納税」推進のため、9月から新たに返礼品の品目をパソコンや時計など市内産業に関連する製品を加えると発表した。市内ゆかりの土方歳三所属の新選組関係のグッズを返礼品としたところ、効果があがったため。大坪冬彦市長は「返礼品はいずれも地元関係。これをきっかけに日野への関心を持ってほしい」と期待している。

 同市は6月から、同市出身の土方歳三が副長をつとめた新選組のファイルなどの「土方歳三セット」や多摩地域最古のビールとして復刻された「TOYODA BEER(豊田ビール」などを返礼品としたところ、ふるさと納税額が昨年度の4件22万円から、今年度は25日までの約3カ月間で、80件81万円に増加したという。

 9月から新たに加わるのは、市内に工場があるエプソン生産の腕時計や流通センターのある日本ヒューレット・パッカード生産のパソコンなど。8万〜30万円の寄付額に応じて贈られるという。

 市はふるさと納税の目標額を300万円から1500万円に上方修正したが、他の自治体へのふるさと納税額はすでに1億円を超えており、大幅な“赤字状態”は変わらない。大坪市長は「少しでも納税につながればいい」と話している。【黒川将光】

〔都内版〕
福島
<戊辰戦争>150周年前に会津でシンポ 検定も
 2018年に150周年を迎える戊辰戦争(1868~69年)の真実を伝えようと活動する会津若松市の市民グループ「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」は9日、市内の会津稽古堂で、シンポジウム「戊辰と明治」を開く。
 テーマは「会津にとって戊辰戦争とは何であったのか、そして明治へ」。明治維新史学会事務局長で明大文学部教授の落合弘樹氏、実行委副会長の井上昌威氏、「幕末史を見直す会」代表の鈴木ひろみ氏が、簗田直幸実行委事務局長の司会で意見を交わす。
 11月13日には「会津戊辰復興検定」を市内で実施する予定。初級、中級、上級の3クラスで、戊辰戦争を中心に、ペリー来航から第1次世界大戦以前までの会津に関する100問を四者択一形式で出題する。
 初級は60問正解、中級は80問正解、上級は90問正解が合格ラインとなる。
 実行委は「シンポジウムや検定をきっかけに、戊辰戦争について深く知ってほしい」と話す。
 シンポジウムは9日午後1時~3時半で入場無料。検定は10月28日までに、受験料(初級と中級各2000円、上級4000円)を郵便為替で振り込んで申し込む。
 連絡先は実行委090(4555)7347。
会津藩士の冥福祈る 「戦死四十人墓」で初の慰霊祭、福島・会津美里
 福島県会津美里町本郷地域の関山地区のNPO法人あいづ関山倶楽部(五十嵐賢次代表)は4日、関山地区にある戊辰戦争での会津藩士の戦死者40人を弔う「戦死四十人墓」の前で初めて慰霊祭を行い、地元住民が祈りをささげた。

 戊辰戦争時の1868(慶応4)年9月3、4の両日にかけて、下野街道沿いにある同地区周辺で会津藩と新政府軍の戦闘があった。会津藩士40人が戦死し、関山集落も焼かれた。地元住民は周辺に点在していた遺体を集めて弔い、後に現在の墓石を建てた。

 慰霊祭は地元住民約10人が参加。全員で般若心経を読み上げて焼香し、戦死者の冥福を祈った。

 五十嵐代表(66)は「今後も慰霊祭を続けていきたい」、鈴木昭一理事(66)は「戦いの歴史を多くの人に知ってほしい」と話した。

 同NPOは昨年10月、関山での戊辰戦争を知ってもらおうと、「戦死四十人墓」の近くに約4メートルの墓標を設置している。
コラム
「近代戦の目覚め」戊辰戦争 あなたはどちらに味方する?
「天下分け目の戦い」と聞いたら、大抵の人は関ヶ原の合戦を連想するだろう。

だが、1868年に勃発した戊辰戦争も忘れてはいけない。

この戦争は、数年前までアメリカで行われていた南北戦争の焼き直しのような出来事だった。南北戦争時に大量に生産された武器が余剰ストックとなり、それが日本に輸出されたのだ。だから使用火器もほとんど同じだし、戦法も非常に似通っている。

そして戊辰戦争が、列島を分断したというのも事実だ。西の新政府軍と東の幕府軍。まさに天下分け目の決戦だった。

■東北では案の定...
ここで、現代人に聞いてみよう。「戊辰戦争が始まったら、どちらの勢力に味方するか?」という内容である。

じつに60.5%の人が「新政府軍につく」と答えている。ちょうど6対4の割合だ。だがこの調査もまた、地域差がある。

次に、東北在住者に絞った調査結果を見てみよう。

やはり奥羽越列藩同盟のお膝元。54.4%の人が幕府軍支持という結果になった。

■兵器市場が戦場を左右する
戊辰戦争とアメリカ南北戦争の類似性は先述の通りだが、戊辰戦争は「兵器市場」の存在を明確にした出来事でもある。

江戸時代を通じて、日本は兵器の進化を放棄していた。火縄銃は的撃ちの競技銃と化し、「兵器」としては使い物にならない。だから幕末に入る頃、火縄銃の後継として管打式のゲベール銃を導入。これは火縄銃と同じく先込め式の滑腔銃だが、撃発機構が進化している。

ところが黒船がやって来たころ外国は、すでにライフル銃の時代だった。弾丸は球形ではなく椎の実型で、銃身内部で回転が加えられて飛距離が増す構造。南北戦争で主に使用されたエンフィールド銃は、戦後大量の在庫となってしまい、日本や中国へ売り飛ばされた。

すると日本国内の兵器市場に変化が出る。ゲベール銃の値段が暴落し始めたのだ。さらに元込め単発式のスナイドル銃、そしてNHK大河ドラマ『八重の桜』で有名になった連発式スペンサー銃が導入されると、ゲベール銃は非常にチープな武器と化した。

■八重とスペンサー銃
要するに、日本人はこの時初めて「武器の性能差」を知ったのだ。

そしてそれが、戊辰戦争の勝敗に直結することになる。

ここで、なぜ女性である新島八重が最新鋭のスペンサー銃を持ったか考えてみよう。「あの銃は兄の山本覚馬から送られたもの」という事実は、答えになっていない。彼女だけが最新の装備で身を固めることを、他の会津藩士(とくに上級武士)は苦々しく思わなかったのか疑問が浮かぶだろう。

意外だが、位の高い武士ほど「銃は卑しい武器」と考えており、八重のことなど気にかけなかったという。銃は足軽が持つものであり、武士は槍と刀を持って勇ましく敵陣に突撃する。だから会津藩の郷土防衛組織である婦女隊も、銃ではなく薙刀を選ぶ。

誇り高い武士は「武器の性能差」など考えてはいけなかったのだ。だが、結局は「銃を持った足軽」が「剛槍の武士」を駆逐した。こうして日本は、過酷な近代戦争の基本を学んだのである。

・合わせて読みたい→関ヶ原の合戦ではどちらに加勢? 大阪の半数以上が「西軍」

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
ブックレビュー
今週の本棚・新刊『自由民権運動 <デモクラシー>の夢と挫折』=松沢裕作・著
(岩波新書・886円)

 近代日本の「デモクラシー」の時代は、戦争の後の時期に現れるといわれる。日露戦争後の「大正デモクラシー」、15年戦争後の「戦後デモクラシー」。明治の自由民権運動も戊辰(ぼしん)戦争という「二百数十年ぶりの全国的軍事動員」により、江戸時代の身分制秩序が揺るがされて起きた「戊辰戦後デモクラシー」だった。

 ただし自由民権運動は、今の「デモクラシー」イメージでは捉えにくい。出発点には、戊辰戦争の勝者として「しかるべき処遇を求め」、得られない不満から運動を起こした人々が存在した。中にはかつての武士もいれば都市下層民も博徒もいた。

 各地にさまざまな結社が生まれたが、撃剣会を売り物にし、国会が開設されれば苗字(みょうじ)帯刀を許されるといった勧誘の仕方で組織を拡大した結社もあった。著者は、参加することがただちに人々の苦しい現状からの解放に結び付くという「『参加=解放』型の幻想」が働いていたと論じる。同様の幻想は、農民が蜂起した秩父事件にも見られた。

 近世社会に代わる新しい秩序が生まれる前の移行期に、多様な人々の理想と不安が交錯した運動の実相を描き出している。(壱)

エンターテインメント
佐藤流司ら、ミュージカル『刀剣乱舞』~幕末天狼傳~大千秋楽ライブビューイング開催
大人気PCブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」をミュージカル化、今秋9月から11月にかけて上演されるファン待望の新作公演「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳(ばくまつてんろうでん)~」より、早くも大千秋楽のライブビューイング開催が決定! なんと全国100館の映画館にて、11月27日開催の大千秋楽公演が同時生中継されることが明らかになりました。
名だたる刀剣が戦士の姿になった、“刀剣男士”を育成するシミュレーションゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM GAMES/Nitroplus)を原案に、2015年秋に初上演されたミュージカル『刀剣乱舞』。2015年10月に上演されたトライアル公演では、1部は刀剣男士が激しく闘い、歌い、優雅に舞うミュージカル、2部ではオリジナルの衣裳を纏った刀剣男士が華麗なライブパフォーマンスを繰り広げるという斬新な二部構成で展開し、大きな話題を呼びました。

この出演キャストが“刀剣男士 team三条 with加州清光”としてCDデビューを果たすなど、大きな盛り上がりを見せる中でトライアル公演に続いて2016年5月末より上演された「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~阿津賀志山異聞~」は大盛況のうちに閉幕。そしていよいよ、ファン待望の新作公演が「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳(ばくまつてんろうでん)~」として、2016年9月24日より上演を迎えます。

サブタイトルにもある通り、幕末を舞台に描かれるこの最新作。初演から引き続き刀剣男士のうちの一振り・加州清光役を演じる佐藤流司さんのほか、新たな刀剣男士として大和守安定役の鳥越裕貴さん、和泉守兼定役の有澤樟太郎さん、堀川国広役の小越勇輝さん、蜂須賀虎徹役の高橋健介さん、長曽祢虎徹役の伊万里有さんが出演決定。また、幕末の動乱を生き、歴史に名を刻んだ新撰組隊士たちを演じるキャストとして、近藤勇役に郷本直也さん、土方歳三役に高木トモユキさん、沖田総司役に栩原楽人さんが登場。この新撰組隊士たちが、新たな物語を創り上げます。

そして今回、このステージを映画館で楽しめるライブビューイングが開催決定! 11月27日(日)18時より東京・AiiA 2.5 Theater TOKYOで上演される大千秋楽公演が、日本全国の映画館100館へ生中継されます。今回このライブビューイング限定特典として、本編上映前にスペシャル映像の上映予定も。この特典映像の詳細は後日発表とのこと、大千秋楽の公演チケットをゲットできなかった方も、遠方にお住まいの方も、全国で刀剣男士の活躍を楽しめるこのチャンスは見逃せません!

■ライブビューイング ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
【日時】2016年11月27日(日)18:00開演
※開演時間の前よりライブビューイング限定特典映像の上映予定。(詳細は後日発表)
※開場時間は劇場により異なります。
【会場】全国各地の映画館
※大阪府では16歳未満の方で保護者同伴ではない場合、終映が19:00を過ぎる回にはご入場いただけません。予めご了承ください。
【チケット料金】全席指定 3,600円(税込)
【チケット最速販売】公式ファンサイト プレミアム会員先行抽選
申込受付期間:9月3日(土)12:00~9月11日(日)23:59(PC・モバイル共通)

さらに、2016年11月にはユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている、広島県宮島の国宝・嚴島神社にて世界遺産登録20周年記念奉納行事としての特別公演も決定。続いて2016年12月には大阪・大阪城ホール、東京・両国国技館でのライブも控えているなど、ますますミュージカル『刀剣乱舞』の世界は広がりを見せています。

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~は、9月24日より東京・AiiA 2.5 Theater Tokyoを皮切りに、福岡・大阪を回り、東京凱旋公演までの上演。公演チケットは好評発売中です。また11月27日開催のライブビューイングのチケットは、公式ファンサイト プレミアム会員先行抽選が9月3日12時よりスタート。以降、順次公式HP先行抽選、ローソンチケット先行、一般発売、劇場窓口での販売となります。ほか詳しい情報はInformationから公式サイトをチェックしてください。

Ⓒミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会

■郷本直也 出演動画はアプリで好評配信中↓■

☆Information

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
【東京】2016年9月24日(土)~10月10日(月・祝) AiiA 2.5 Theater Tokyo
【福岡】2016年10月15日(土)~10月16日(日) キャナルシティ劇場
【大阪】2016年10月21日(金)~10月30日(日) サンケイホールブリーゼ
【東京凱旋】2016年11月17日(木)~11月27日(日) AiiA 2.5 Theater Tokyo
チケット料金:8,800円(前売 ・当日共/全席指定/税込) 好評発売中
・ライブビューイング ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
2016年11月27日(日)18:00開演 全国の映画館にて開催
≪公式サイト≫
http://musical-toukenranbu.jp/
「刀剣乱舞-花丸-」先行上映会のライブビューイングが決定 京まふでのブース出展も
10月の放送を目前に控えた『刀剣乱舞-花丸-』。9月24日(土)に「第一話先行上映会-出陣式-」の開催が決定している本作だが、チケットの応募多数から同イベントのライブビューイングが実施される運びとなった。また、9月17日(土) から18日(日)に開催の「京都国際マンガ・アニメフェア2016」(京まふ)でのブース出展も決まった。

『刀剣乱舞-花丸-』は、DMMとニトロプラスの共同制作によるブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」が原作。名立たる刀剣が姿を変えた戦士「刀剣男士(とうけんだんし)」を率いて、歴史改変を目論む敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションだ。2015年1月のサービス開始以降、のべ150万人以上が利用登録。女性を中心に支持を獲得し、「とうらぶ」の愛称で全国各地に刀剣ブームを巻き起こした。

「出陣式」のライブビューイングは、全国19の映画館で実施。本会場と同じく、入場者プレゼントのクリアファイル付きだ。イベントでは『刀剣乱舞-花丸-』第一話の先行上映ほか、大和守安定役の市来光弘、加州清光役の増田俊樹、へし切長谷部役の新垣樽助、燭台切光忠役の佐藤拓也ら主要声優陣によるトークショーが開催される。いずれも生中継なので、現地のライブ感そのままに楽しめそうだ。

そして「京都国際マンガ・アニメフェア2016」(京まふ)にも『刀剣乱舞-花丸-』が出陣。ブースの出展が決定した。最新PVの上映だけでなく、ビジュアルの展示や撮影コーナーの設置など盛りだくさんの内容となる。また、会場先行グッズとして「京まふ2016オリジナルTシャツ」の販売も明らかに。税込み2000円で枚数限定での取り扱いなので、要注目となりそうだ。このほか、新撰組ゆかりの「刀剣男士」が登場する本作ならではのコラボグッズや展示もあるという。

『刀剣乱舞-花丸-』の次には2017年の『刀剣乱舞(仮題)』も控える、アニメ版「とうらぶ」の世界。最寄りの映画館から、華々しい出陣を見届けたい。

「アニメ『刀剣乱舞-花丸-』第一話先行上映会-出陣式-」ライブビューイング概要
【開催日】
9月24日(土) 開演17:00~
【開催劇場】
札幌シネマフロンティア(北海道)
TOHOシネマズ仙台(宮城)
TOHOシネマズ日本橋(東京)
TOHOシネマズ六本木ヒルズ(東京)
TOHOシネマズ新宿(東京)
TOHOシネマズ川崎(神奈川)
TOHOシネマズ海老名(神奈川)
TOHOシネマズららぽーと船橋(千葉)
TOHOシネマズららぽーと富士見(埼玉)
TOHOシネマズ宇都宮(栃木)
TOHOシネマズ浜松(静岡)
TOHOシネマズ名古屋ベイシティ(愛知)
TOHOシネマズ梅田(大阪)
TOHOシネマズなんば(大阪)
TOHOシネマズ二条(京都)
TOHOシネマズ西宮OS(兵庫)
TOHOシネマズ岡南(岡山)
TOHOシネマズ緑井(広島)
TOHOシネマズ天神(福岡)
【チケット料金】(チケットぴあでの販売)
2,500円
【チケット発売スケジュール】
ぴあプレリザーブ 9月9日(金)11:00~9月11日(日)23:59
ぴあ一般販売 9月18日(日)10:00~9月22日(祝・木)23:59
※一般販売はなくなり次第終了

(C)2016 アニメ『刀剣乱舞-花丸-』製作委員会
【イベント】超歌劇『幕末Rock』黒船来航 熱いパッションが迸るウルトラミュージカルの東京公演がついに開幕
マーベラス<7844>は、9月3日に超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航の東京公演を、東京・六本木EX THEATER ROPPONGIにて開演した。

原作ゲーム『幕末Rock』は、2014年2月にリリースされるや大ヒットし、7月にはTVアニメが放送され、“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創る、斬新で魅力的なキャラクターにあふれた大人気コンテンツ。舞台版の『幕末Rock』は2014年12月に、[超歌劇=ウルトラミュージカル]として、吉谷光太郎氏の脚本・演出で舞台化され、本格Rockの楽曲の数々と圧巻の雷舞(ライブ)演出を若手実力派俳優たちがミュージカルで表現し、全公演満席。立見もでる注目作となった。原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評を得た。

そんな超歌劇『幕末Rock』が、超歌劇『幕末Rock』黒船来航と題して、8月20日に京都劇場にて新たに開幕。そして9月3日には東京公演が開始される。

本稿では、公演に先駆けて行われた囲み取材及びにゲネプロの様子をお伝えする。

STORY
太平洋──。他国へと繋がる大海の荒波を突き進む四隻の蒸気船があった。「イッツロケンロゥ!ゴキゲンな荒波だ」メリケンの使節の一人、ペリー・ジュニアが一人、船の舳先に立ち逆巻く荒波を楽しげに眺めている。黒船は浦賀の港へ突き進む。これが後の世に黒船来航と呼ばれる出来事の始まりだった。時は経ち、ロック修行の旅へと出ていた坂本龍馬が、久しぶりに江戸の地へと訪れるとそこでお登勢と再会を果たす。お登勢とともに、高杉晋作、桂小五郎の住む老中・勝海舟の邸宅に向かう龍馬。二人とも再会した龍馬のもとに、帰宅した勝海舟がこう告げる。「雷舞(ライブ)でペリー・ジュニアに勝ってほしい」と。龍馬たちは 超魂(ウルトラソウル)の誇りを胸に戦いを決意する。雷舞(ライブ)当日、新選組の土方歳三、沖田総司とも再会を果たした龍馬たちは、超魂團(ウルトラソウルズ)再集合を果たしジュニアに戦いを挑む。だが、超魂團はジュニアの本場のロックに全く太刀打ちできなかった。ジュニアの胸元にはなんと複数の 超魂が光り輝いていた…。

■この夏よりも熱く演じる! 意気込みを語った囲み取材

公演に先駆けて行われた囲み取材では、:坂本龍馬 役:良知真次さん、高杉晋作 役:糸川耀士郎さん、桂小五郎 役:三津谷亮さん、土方歳三 役:輝馬さん、沖田総司 役:佐々木喜英さん、マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎さんが登場した。

京都公演を終えた感想を聞かれた面々。良知さんは、京都で作った熱さをそのまま東京公演にぶつけていきたい、パッションを届けたいと語った。糸川さんは、板の上でたくさんのはじめましての景色を見たと語り、お客さんの温かい声援が嬉しかったとし、糸川さんと同様、今回の新キャストの三津さんは、新キャストとして舞台に立つことに不安もあったが、お客さんが温かく迎えてくれたことを嬉しく思うとした。佐々木さんは、今回ソロでのナンバーがあることから、会場中のペンライトの色が沖田色に染まるのを初めて体験したと話、その光景を東京でも見たいと話した。新キャラクターのペルーを演じる兼崎さんは、お客さんがエネルギッシュにこの舞台を観劇することに圧倒されたと話した。

続いて東京公演への意気込みを語り、三津さんは、舞台が火事になるほどの熱いパッションをもって挑みたいと話した。糸川さんは、高杉晋作というキャラクターを誰にも負けないくらい愛しているとし、誰にも負けないロックを歌いたい「俺色に染めてやる」と決めた。

最後に良知さんが、お客さんの声として再演よりも続編を望まれていたことを明かし、熱く応援してもらったことで続編ができたことに感謝を述べた。また、新キャスト、新ストーリーで演じることには不安があったが、前作のキャスト陣が今回の舞台を見たときに「出演したかった」と感想を持つような舞台にしたい、京都で熱くなった、この夏に負けないくらい熱い超歌劇『幕末Rock』黒船来航を演じると意気込みを語り、囲み会見を締めた。


■熱いパッションが迸る! ライブのように楽しめる超歌劇『幕末Rock』黒船来航!

物語は、幕末の江戸。修行の旅に出ていた坂本龍馬が江戸に久々に戻り、黒船でやってきたメリケンのロックミュージシャン、ペリー・ジュニアの噂を聞くところから始まる。圧倒的なパワーを持ち日本中の女性やオカマを虜にするペリー・ジュニア。彼はメリケンから日本と条約を結ぶためにやって来ていた。日本に不平等な条約を結ばそうとするペリー・ジュニア。そんな横暴さを見かねた勝海舟は、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎に、彼を「雷舞(ライブ)」で倒して欲しいと頼む。ライブでは、新選組の土方歳三、沖田総司とも再会、超魂團(ウルトラソウルズ)としてペリー・ジュニアに戦いを挑むが、複数の超魂(ウルトラソウル)を持つペリー・ジュニアには歯が立たず、高杉晋作、桂小五郎の超魂も奪われ、敗れてしまう。彼はなぜ複数の超魂(ウルトラソウル)を持つのか。そして、ペリー・ジュニアと前の大老・井伊直弼との関係、将軍徳川慶喜の決断とは。そして、超魂團(ウルトラソウルズ)はどうなるのか。そういった物語が展開される。

物語の中では、男らしくもセクシーなペリー・ジュニア、そんな彼に女性に間違われた沖田総司の妖艶さ、また、土方歳三扮する誠仮面や、お登勢のパワフルなお母さんぷりなどをコミカルに演出、そして、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎三人のペリー・ジュニアへ挑むパッションが熱る表現されている。
新しいのは物語だけでなく数々の新曲も登場。そのどれもがロックに満ち溢れており、会場全体で楽しめるものばかりとなっている。また、この超歌劇『幕末Rock』黒船来航では、ペンライトの使用も決まった場面で許可されており、さらに、手拍子や声をあげる場面も存在している。舞台の上、観客席の垣根なくライブのように熱く楽しめる。
そんな超歌劇『幕末Rock』黒船来航。当日券は毎公演用意されている。残暑の厳しく暑い日々を、さらに熱く、そしてパッションに満ち溢れたものにできるこの公演をぜひ体験して欲しい。



超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航

​​■公演日程
【京都】京都劇場 2016年 8月20日(土)~8月21日(日)
【東京】 EX THEATER ROPPONGI 2016年 9月3日(土)~9月9日(金)​

■キャスト
坂本龍馬 役:良知真次 高杉晋作 役:糸川耀士郎 桂小五郎 役:三津谷亮​ 土方歳三 役:輝馬 沖田総司 役:佐々木喜英/お登勢 役:山岸拓生 勝海舟 役:岩﨑大/井伊直弼 役:吉岡佑 徳川慶喜 役:Kimeru /マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎 ​他
 2.5次元の世界では『薄桜鬼』『刀剣乱舞』のミュージカルが新選組・幕末関係ではメジャー作品ですかね。私は『幕末Rock』一本でもう満足です……あの誠仮面を輝馬さんに演じてもらって、十分に目の保養になりましたから。

青木玄徳初主演舞台『瞑るおおかみ黒き鴨』が開幕!2000手超の圧巻の殺陣で魅せる!
 舞台 もののふシリーズ『瞑るおおかみ黒き鴨』が9月1日に、東京・天王洲銀河劇場にて開幕!!
初日公演前に公開ゲネプロが行われ、マスコミ向けの挨拶&フォトセッションには、前作『もののふ白き虎』でも新撰組・斎藤一を演じ、今回が舞台初主演となる青木玄徳さんをはじめ、鈴木勝吾さん、早乙女友貴さん、斉藤秀翼さん、佐伯大地さん、伊崎龍次郎さん、内海光司さん、林田航平さん、山谷花純さん、村田洋二郎さん、長友光弘さん(響)、松田凌さん、荒木宏文さん、大澄賢也さんが登壇。初日に向けて意気込みを語りました。

斎藤一 役/青木玄徳さん
「前作『もののふ白き虎』は青年たちの若い魂の話でしたが、今回は前回に比べて少し濃厚な大人のストーリーになっています。非常に殺陣の数も多く、話の方もなかなか一筋縄ではいかないような、少し難しいものになっていますが、たくさんの方に楽しんでいただける作品になっています」

西郷隆盛 役/長友光弘さん(響)
「今回、西郷隆盛役を演じます。顔も小学校の頃からずっと西郷隆盛に似ていると言われてきたので、適役じゃないかと思ってます(笑)。本番でもかわいい、そしてかっこいい西郷隆盛が出来ればいいなと思っております」

中村半次郎 役/松田凌さん
「前作からある”熱き男たちの物語”という芯の部分は変わらないですが、今作ではそれに加えて殺陣の一手や、それぞれの持っているセリフやシーンの裏に隠されたものを丁寧に作ってきたつもりなので、そういった部分を注目していただけたらうれしいです。一人一人の言葉にならない想いが描かれている作品だと思うので、そういった部分を感じていただけたらと思います」

土方歳三 役/荒木宏文さん
「前作『もののふ白き虎』で描かれた戊辰戦争の裏で、大人たちが抱いていた葛藤であったり苦悩だったりというのが、本作ではさらに深く描かれているので、前回観た方も全体を通して深く知ることも出来ると思います。幕末~明治にかけての混沌の時代が、タイムスリップというか時間系列が戻ったり様々な角度から描かれていて、その時に抱いたものと、それから数年後に抱いているものっていうのが変わったり変わらなかったり、大人だからこそ感じる心境の変化というものが、とても面白く表現出来ているんじゃないかなと思います」

山縣有朋 役/内海光司さん
「僕は普段、年上の方とお仕事する機会が多いのですが、今回はみんな若くて、パワフルで、エネルギッシュで、僕も刺激をもらいながら毎日楽しんでいます」

大久保利通 役/大澄賢也さん
「今の日本は幸せなことが当たり前ですが、その時代にこのような幕末から明治という混沌とした時代の中で、みんなが国を良くしようと思って熱く生きた男たちのドラマを繰り広げるのは、とても意味のあることだと思います。”景色のいい男たち”が描く熱いドラマを観て欲しいと思います」

その後行われた公開稽古では、2000手を超える激しい殺陣と共に、激動の時代を生きた男たちの熱い魂のぶつかり合いに最後まで目はステージにくぎ付け!
戊辰戦争の場面では、前作『もののふ白き虎』で白虎隊メンバーが悲劇的な最期と遂げたシーンが蘇るセリフもあり、会場のあちこちからすすり泣く声も聞かれました。
青木玄徳、舞台初主演で斎藤一役「濃厚な大人のストーリー」
 俳優、青木玄徳(28)の舞台初主演作「瞑るおおかみ黒き鴨」(作・演出/西田大輔)の公開舞台稽古が1日、初日公演前に東京・東品川の天王洲 銀河劇場で行われた。

 昨年上演の「もののふ白き虎」に続く“もののふシリーズ”の新作。明治初期、西南戦争を軸に新しい時代を生きる男たちの生き様を描く。

 新撰組の斎藤一役を演じる青木は、「濃厚な大人のストーリー。殺陣の数も多く、たくさんの皆さんに楽しんでいただける作品」とアピール。

 長州藩士、山縣有朋役で出演する元光GENJIの内海光司(48)は「僕は普段年上の方とお仕事をする機会が多いですが、今回はみんな若くてパワフルでエネルギッシュ。刺激をもらいながら毎日楽しんでいます」とニヤリ。「こういうコメントをすると好感度があがると最近(佐伯)大地くんが教えてくれました(笑)。楽しい現場です」と話した。年内解散するSMAPについては触れなかった。

 東京公演は11日まで同劇場で。大阪公演は森ノ宮ピロティホールで9月19、20日。9月22日に北九州芸術劇場で。
超歌劇 幕末Rock 黒船来航 公式サイト

 考えてみたら、2.5次元は幕末Rock以外には興味がない。声優さんたちの超雷舞は皆勤してるんだけど、超歌劇の方は一度もライブで見たことがなかった。
 初演→DVDで見る
 再演→ライブビューイングで見る、その後DVDで見る

 なのに、アウェー感はまったくなし。観客席のリスポンスはライブビューイングで一回経験していたせいか、開演前のお登勢さんと勝さんのペンライト講座から、すっかり馴染んでしまった。ペンライトのスイッチオンオフ、色替えは結構機種によって微妙なので手間取った(超雷舞のペンライトと超歌劇のペンライトは配色が違うみたいだし、黒船来航は新キャストに合わせて色が増えていた)。

 良知龍馬くんあっての再演だと思う。そして、超魂團で初演から一緒にやっているソウちん@佐々木喜英くんとヒジゾーさん@輝馬の3人が軸になって、新キャストとなった長州組のシンディ@糸川くんと桂センセー@三津谷くんを取り込んでいたというか、龍馬とソウちんとヒジゾーさんが核になってペリージュニア@兼崎さんと対峙するストーリー展開になってました。

 そして、初演再演も見てきたヒジゾーさん煌としては、輝馬の飛躍に目からウロコでした。

 で、何といっても誠仮面です……いったい何方何三さんだっけ(汗)。期待はしていましたが、まさか、こんなに大活躍するなんて。

 詳しくは、8日にもう一度見てきますので、その時に。
国民的アイドルグループSMAPが解散しましたね。私は全然興味ないのですが、香取さんは『新選組!』の主役であり、彼と山本耕史の友情が作品の軸となったといっても過言ではない(それもミタニンの計算)ので、香取君の行く末は気に掛けています。

福島
墨櫓の礎石発見 国史跡指定を目指す 棚倉城跡
 棚倉町にある棚倉城跡の土塁から墨櫓(すみやぐら)の礎石が見つかった。町教委が10日発表した。本丸を囲むように設置されていたとされる櫓の全容を裏付ける貴重な発掘とみている。平成27年度からの発掘調査をこれで一区切りとし報告書にまとめ、町は30年度内の国史跡指定を目指す。
 町教委によると、櫓は防御拠点としての働きを持つ。墨櫓は、本丸の全周に造られた多門櫓の四隅にあった。今年3月に発見された多門櫓の礎石の延長線上に位置する南西の門で、深さ20センチ地点から30~80センチ四方の5つの礎石が見つかった。現存する当時の絵図とも合致しているという。さらに多門櫓の継続調査で礎石間の距離から構造物の横幅が約4メートルと推察できるとした。
 有識者による同城跡調査指導委員会委員長の北野博司東北芸術工科大教授は「個性的な構造と景観、城跡遺構の保存状態の良さは国指定の価値を十分に有する」とコメントした。
 棚倉城跡は江戸初期の近世に築城された全国的にも珍しい城廓(じょうかく)で、国指定となれば県内初めての事例となる。戊辰戦争で本丸御殿とともに焼失したと伝わる。
 町教委は20日午前10時半から現地説明会を開く。参加無料。問い合わせは町教委生涯学習課 電話0247(33)0111へ。

「照姫」役に松山さん決定 会津藩公行列、「八重」役は真壁さん
 会津の秋の風物詩「会津まつり」のメイン行事として9月25日に行われる「会津藩公行列」の個人役柄を決める審査会が6日、会津若松市で開かれた。「照姫」は同市出身で都内在住の会社員松山梨沙さん(28)、「山本八重」は喜多方市の栄養士真壁杏奈さん(26)に決まった。

 照姫は幕末の会津藩主・松平容保の義姉で、戊辰戦争で鶴ケ城内の女性や子どもを指揮した。山本八重は会津藩士の娘で、戊辰戦争で奮戦。大河ドラマ「八重の桜」の主人公になった。

 松山さんは「会津代表の名に恥じぬよう頑張り、観客に感動を届けたい」、真壁さんは「八重になりきって会津の伝統をしっかりと伝える」と抱負を語った。

 審査会では、書類選考を通過した各3人の面接が行われた。

長野
幕末の人物、書などで紹介 上田で「墨蹟展覧会」
 幕末に活躍した人物を中心に、その書の掛け軸や書簡などを集めた「幕末維新墨蹟(ぼくせき)展覧会」が13日から、上田市天神の市交流・文化施設「サントミューゼ」で始まる。坂本龍馬や、旧上田藩士の洋学者・赤松小三郎によるとされる書物、複製など約100点が並ぶ。市民らでつくる実行委員会が主催。12日は内覧会があった。

 坂本龍馬が新しい国家の構想を記した「船中八策」など歴史上重要な書簡も多い。赤松小三郎関連は、二院制議会政治の導入などの提言をまとめた意見書「建白七策」(複製)など10点を集めた。

 内覧会で、展示品を所有する橋本秀孝さん(63)=茨城県=が説明。橋本さんは旧熊本藩細川家の重臣の末裔(まつえい)で、幕末に関する資料を収集している。「幕末に、若い人たちが(外国の)植民地化の危機にあった日本を変えた。そのことを誇りに思って、見てほしい」と話した。21日まで。16日は休館。入場料700円。

写真説明:内覧会で展示の説明をする橋本さん

コラム
萩市長と会津若松市長は握手したことがない!? 戊辰戦争の“終戦”はまだ先?
萩市長と会津若松市長は握手したことがない!? 戊辰戦争の“終戦”はまだ先?
2016年08月13日

飯盛山にある、白虎隊自刃の地。白虎隊は弱冠16歳前後の男子で組織された会津藩の部隊であった

いまだ対立が続く? 萩市と会津若松市

 まもなく終戦記念日を迎える。「このあいだの戦争」といえば、71年前の8月15日に終わった太平洋戦争を思い浮かべるが、そうではない地域が日本にはある。福島県では、今も148年前の1868年(明治元年)9月22日に降伏した“会津戦争”を指す。

会津戦争とは、幕末の会津藩(現在の福島県)が、薩摩藩(鹿児島県)・長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)を主力とした新政府軍と戦った戊辰戦争の局地戦だ。徳川家の一門だった会津藩主・松平容保は、新選組を配下に置く京都守護職を務め、討幕を目指す薩摩・長州と激しく争った。しかし、幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還(1867年)を受け、会津藩は新政府に恭順の意を示したにも関わらず、賊軍とされ、郷土を踏みにじられた。

「そんな昔のこと」と思うかもしれないが、その恨みは今もなお消えていない。会津戦争から120年を前にした1987年に、長州藩の藩府だった山口県萩市から、会津藩の城下町だった会津若松市へ友好都市提携の申し入れがあったが、市民の猛反発で頓挫(とんざ)。さらに、打診に前向きだった会津若松市長は翌年の選挙で落選の憂き目にあった。2007年には、参院福島補選で応援に入った安倍晋三首相(山口県出身)が「(会津戦争で)先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と謝罪したが、自民党候補が当選することはなかった。そこまで許せない理由は何なのか。
なぜ、山口県だけが恨まれるのか
ページ: 2
2016年08月13日
なぜ、山口県だけが恨まれるのか

 戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦い、北越戦争、五稜郭の戦いなど数々の激戦があったが、とりわけ会津戦争は凄惨を極めた。有名な“白虎隊の悲劇”だけでなく、婦女子も巻き込まれた攻城戦で、兵力の三分の一にあたる約3000人が死亡。さらに降伏後も、戦死した会津藩士の遺体の埋葬を1年間も許されず、藩士とその家族1万7000人余りが斗南(現在の青森県むつ市)に強制移住させられ、飢えと寒さで死者が続出する辛酸をなめた。

その福島県民の憎しみは、鹿児島県や高知県には向かず、なぜか山口県にだけ一身に注がれている。それは、1877年(明治10年)に薩摩の西郷隆盛が鹿児島県士族を率いて反乱した西南戦争で、元会津藩家老の佐川官兵衛を中心とする会津人部隊が活躍して鎮圧したことで“敵を取った”から。そして、会津戦争で新政府軍の指揮を執った土佐の板垣退助は、後に自由民権運動で薩長を中心とする藩閥政府に対抗したことで“同志”となったということらしい。
俳優・西田敏行もその確執について語る
ページ: 3
2016年08月13日
俳優・西田敏行もその確執について語る

 筆者は、幕末の会津藩を舞台にした2013年放送のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、会津藩家老・西郷頼母役を演じた俳優の西田敏行さんにインタビューをしたことがある。福島県郡山市出身の西田さんは、その時に「子供のころから地元のお年寄りに“薩長憎し”の話を聞いてきました。大人たちが『このあいだの戦争はよう』というと太平洋戦争ではなく、戊辰戦争の話なんですよね。僕も山口県の人と聞くと、ちらっと意識することがあった」と話していた。また、西田さんは、1977年放送の大河ドラマ「花神」で長州の山県有朋、1990年放送の大河ドラマ「翔ぶが如く」では薩摩の西郷隆盛を演じているが、「山県を演じた時は、地元の友人からいろいろと言われましたね。でも、なぜか西郷を演じた時は、みんな許してくれたんですよ」と苦笑いしていた。
こじれた関係は修復可能か
ページ: 4
2016年08月13日
こじれた関係は修復可能か

 こじれた因縁を断ち切ることはできないのか。実はいい先例がある。同じ幕末の1860年には、彦根藩(滋賀県彦根市)の大名でもある幕府の大老・井伊直弼が、水戸藩(茨城県水戸市)浪士に殺害された桜田門外の変が起きている。水戸市と彦根市は1968年に友好都市となり、約100年ぶりに和解している。また、「忠臣蔵」としてお馴染みの赤穂浪士の討ち入り(1703年)では、兵庫県赤穂市が毎年「忠臣蔵サミット」を行っているが、敵の吉良上野介の領地だった愛知県吉良町(2011年に西尾市と合併)も1993年から招待されている。
会津戦争集結150周年で今度こそ仲直り!?
ページ: 5
2016年08月13日
会津戦争集結150周年で今度こそ仲直り!?

 再来年は、会津戦争終結から150年の節目となる。1987年の友好都市提携の打診をきっかけに、萩市と会津若松市では市民レベルの交流が本格化し、それぞれの市長も両市を訪れるなど歩み寄りが始まっている。それでも「公の場では握手はできない」と、わだかまりは消えず、130年、140年の節目でも機は熟さなかった。しかし、東日本大震災では、萩市が会津若松市に支援の手を差し伸べるなど、両者は心を通わせてきた。そろそろ長州を許してあげてもいいと考える会津の人たちは少なくないだろう。

<文/中野龍 写真/Tomo.Yun >

【中野龍】
1980年東京生まれ。日本大学文理学部史学科(日本近現代史専攻)卒。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経て、フリーランス。

薩長への恨み、未だ消えず? 安倍政権が東北で「不人気」の謎
自民公明の与党圧勝で終わった参院選ですが、実は東北では野党統一候補のほとんどが勝利していたことをご存知でしょうか。なぜ、安倍政権は東北で大敗したのか? 評論家の佐高信さんの発行するメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、幕末期の「奥羽越列藩同盟が生きているからだ」と面白い考察で先の参院選を解説。薩長出身にルーツを持つ安倍政権への恨みは未だ根深く残っていると持論を展開しています。

怨みは消えない

ほぼ毎月一回行っている「金曜日文庫」の対談の後の質問で、ハッとするようなことを言われた。

「先の参院選で、東北で野党統一候補が勝ったのは、TPP問題だけでなく、“奧羽越列藩同盟”が生きているからではないか」

確かに、TPPポイントだとすると、秋田で敗北したのが説明できなくなる。

質問した人は福島の出身だったが、三重で統一候補が勝ったのも、民進党代表の岡田克也の地元というだけでなく、
徳川親藩の桑名藩ということではないかと主張するのではないかと主張するのである。

私は「ウーム」と唸ってしまった。

現首相の安倍晋三は長州の出身であり、元首相の小泉純一郎の父親は薩摩の出だから、いまだに薩長が日本の政治を
悪くしてるんだと、堂々強調している私が気がつかないのは不覚の限りだった。

沖縄の勝利も、薩摩による虐待と差別に対する抗議と読んだほうがいいだろう。

怨みを深く沈黙させているところは、そう簡単にだまされない。新潟も、もちろん、いわゆる薩長の官軍と対決した
奧羽越列藩同盟の一員だった。

私が『西郷隆盛伝説』(光文社知恵の森文庫)に書いたように、東北では戊辰戦争の際の秋田の裏切りを許していない。

それについて、秋田県出身老医師の述懐を引こう(吉田昭治『秋田の維新史』より)

「あれは明治三十四、五年の頃、仙台の第二高等学校に居た頃のことです。舎監をしていたのが旧仙台藩士でしてね。
なかなか厳格な反面、優しいところのある爺さんで、生徒達にも人気がありました。私なども入った当座は随分可愛がられ、世話になったもんです。ところが、私が秋田出身の出と判ると、その途端態度がガラリと変わってしまいました。
それからというものは、寮であろうが、学校の中であろうが、町の中であろうが、顔を合わせる度毎に、一日一回なら
一回、三回なら三回、十回なら十回、とにかく会う度毎に凄い目でにらみつけて、破れ鐘のような声で”秋田の変心!”と
頭ごなしに怒鳴りつけるんです。私は山奥の百姓のせがれで、仙台藩士の暗殺とは全く何の関係もないのに。いやあ、あれには参ったもんでした」
「暗殺」とは、揺れる秋田藩に送った仙台藩の使節、志茂又左衛門らを、薩摩出身の奥羽鎮撫総監督府参謀、大山格之助が斬殺してしまったことを指す。

仙台藩が大山と同職の世良修蔵を暗殺して列藩同盟のリーダーとなったのと逆に、秋田藩は志茂らを斬殺して、薩長の官軍側に組み入れられた。

TPPを推進しないと言って簡単にそれを引っくり返した安倍などを、奥羽越列藩同盟に属して抵抗した人たちは絶対に信じないということだろう。およそ150年経っても怨みは消えないのである。

image by: Shutterstock

『佐高信の筆刀両断』第109号より一部抜粋

西郷、幕府軍も靖国合祀を 亀井氏らが会を立ち上げ
 亀井静香元金融担当相が来月にも西南戦争で倒れた西郷隆盛や戊辰(ぼしん)戦争で敗れて「賊軍」とされた徳川、会津など幕府軍の兵士を靖国神社に合祀(ごうし)するよう求める会を立ち上げることが6日分かった。石原慎太郎元東京都知事も参加する。共同通信のインタビューで明らかにした。

 西郷や徳川、会津両軍らの扱いを巡っては靖国神社の徳川康久宮司が共同通信のインタビューで、合祀は「無理」としながらも「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」と述べている。会の立ち上げはこの発言を踏まえた動き。

 会には「官軍」の中心となった薩摩、長州の鹿児島、山口両県選出の国会議員も参加する予定。国民的な運動とするため、経済界や学会にも参加を呼び掛けていく方針だ。

 亀井氏は合祀を求める理由について「日本は戊辰戦争、西南戦争という内戦を経て近代国家に生まれ変わった。敗者がいるからこそ争いが鎮まった。敗者も貢献している」と説明。すでに徳川宮司に対して数年前から直接、合祀するよう要求、今年6月末には会を立ち上げることを説明したという。(共同)
 靖国神社の「賊軍」に対する態度がひどいので参拝しない私ですが、合祀されたら行くでしょうか……いや、千鳥ヶ淵の戦没者慰霊碑に行きますわ。
ほぼ一ヶ月ぶりの幕末ニュースです。すでに、斎藤一の肖像写真が発見されたことは別記事にしています。

会津藩ゆかりの地が連携(会津若松・函館・余市・むつ・米沢・日光・横須賀・静岡・浜松・岡崎)
会津若松商工会議所(福島県)と会津藩ゆかりの地域の9商工会議所(函館、余市(北海道)、むつ(青森県)、米沢(山形県)、日光(栃木県)、横須賀(神奈川県)、静岡、浜松(静岡県)、岡崎(愛知県))は平成30年の戊辰戦争150年を前に交流人口増大に向けて結束を誓うため7月11日、京都市において「ゆかりの地CCI観光ネットワーク」設立会議を開催。会議では、各地の名所・旧跡などを巡る歴史の周遊ルートづくりをはじめ観光を通した地域振興、経済発展に向け連携を強めることを誓った。京都商工会議所が側面から支援する。
 ネットワークは国の日本再興戦略、全国515商工会議所による「全国商工会議所ネットワーク(CCI観光NET)」の趣旨に沿って歴史が結ぶ縁(えにし)をテーマに新たな観光ネットワークを構築。それぞれの地域が持続可能な経済・文化の再活性化を目指すものだ。これまでに会津藩や徳川家、松平家などを介し、歴史的にゆかりのある商工会議所では、相互に交流を深めてきたが、全国商工会議所観光振興大会が京都で開催されることを機に相互の連携強化を図るためネットワークを構築することとなった。
 当日は、ネットワークに参加する各商工会議所の代表者らが出席した。発起人代表である会津若松商工会議所の宮森泰弘会頭が「同じ思いを持つ仲間がいることを確認し、ネットワークをさらに広げてきたい」とあいさつした。会津松平家第十四代当主の松平保久さん、日本商工会議所の須田寬観光専門委員長が祝辞を述べた。
 今後は各都市間の観光ルートの設定や共通パンフレットの作成、相互のイベント参加などを行う。静岡商工会議所の後藤康雄会頭は「一過性で終わらせず、各地の縁を基に活動を長く継続させていきたい」と意気込みを語った。

児童、勇壮な剣舞 二本松で二本松少年隊顕彰祭
 戊辰戦争で若くして命を落とした二本松少年隊の志を後世に伝える二本松少年隊顕彰祭は28日、二本松市の県立霞ケ城公園で開かれた。地元児童が箕輪門を背に勇ましい剣舞や優美な舞踊などを披露した。
 二本松少年隊顕彰会の主催。二本松南小の児童が舞踊、二本松北小児童が剣舞、岳下小児童が居合、二本松剣友会員が日本剣道形、福島岳風会二本松吟詠会員が献吟をそれぞれ発表した。
 顕彰会長の新野洋市長が「二本松少年隊の郷土を愛する気持ちは今でも市民の心に生き続けている」と語った。丹羽家第18代当主丹羽長聰(ながとし)さんがあいさつした。
 二本松城が落城した慶応4(1868)年7月29日にちなみ、毎年開催されている。
   ◇  ◇
 二本松少年隊墓前祭は、29日午前10時から同市の大隣寺で催される。

( 2016/07/29 09:50 カテゴリー:主要 )

<火縄銃初演武>片倉鉄砲隊 札幌で初披露
 白石城主・片倉家中に伝わる古式砲術を復元、継承している白石市の「片倉鉄砲隊」が、歴史的なつながりから市と友好都市関係を結んでいる札幌市白石区の夏祭りに招かれ、北海道で初めて火縄銃の本格的な演武を披露した。
 白石区役所駐車場で17日にあった「第41回白石区ふるさとまつり」で甲冑(かっちゅう)姿の隊員4人が、鉄砲隊が指南している区内の7人とともに登場。白石区の礎を築いた先人に敬意を表して「礼砲」から始め、あぐらや膝立ちの姿勢で「不易流」の砲術を実演した。
 鉄砲隊は東日本大震災後の2011年からふるさとまつりに参加している。これまでは銃声の代わりに爆竹を使ってきたが、今年は道公安委員会から黒色火薬の使用許可を得た。
 「放て」の号令に続けて腹に響くような銃声がとどろくと、会場はどよめいたという。鉄砲隊の目付、遠藤篤志さん(61)は「今回の演武で階段を一つ上がった感じがした。白石区のメンバーを独立まで育て、片倉武士のプライドを伝えたい」と話した。
 白石区は仙台藩が敗れた戊辰戦争後の1871(明治4)年、片倉家の家臣らが移住し、開拓した地。現在の人口は約21万。

御茶屋御殿報道陣に披露 若松の御薬園8月、9月限定公開
 初公開される会津若松市の国指定名勝・会津松平氏庭園「御薬園」にある御茶屋御殿の内覧会は7月20日、市内の同園で開かれ、2階に報道陣が入った。
 市文化課職員が2階の床の間がある10畳の座敷と、控えの間と考えられる10畳の部屋、庭園を見下ろせる広縁を紹介した。8月6日から10日までと9月24日から28日まで計10日間限定で公開される。
 御茶屋御殿は江戸時代の元禄9年に建設された。会津松平家第九代藩主・松平容保公が戊辰戦争後に住まいとして使うため明治15年に増築された。容保公は16年から20年まで過ごした。
 公開時間は午前9時から正午まで。毎日先着順で120人分の整理券を配る。御薬園の入園料が必要。問い合わせは市文化課 電話0242(39)1305へ。
(2016/07/21 11:25カテゴリー:歴史・伝統)

八十里越 宿泊便で堪能を三条市 8月からバスツアー拡充
 国道289号の新潟・福島県境部分(通称・八十里越)の自然や歴史をより深く感じてもらおうと、三条市は8月から、体感バスツアーに1泊2日の宿泊便を加える。時間をかけて国道の改築工事現場や観光地を巡り、地域への関心を高めるのが狙い。市は「これまでの半日便とは違った楽しみ方を提案した」としている。

 国道289号のうち、三条市下田地区と福島県只見町を結ぶ八十里越は、険しい山岳地帯にある。戊辰戦争で負傷した長岡藩の河井継之助が会津を目指した道筋としても知られている。現在、一般車両は通行できず、国と新潟、福島両県が、通行不能区間の解消を目標に共同で改築工事を進めているが、開通時期は未定だ。

 三条市は2013年、早期の全線開通を後押しするため、体感バスツアーを始めた。従来は半日便だけだったが、例年、申し込みが少ない8、9月に、ことし新しく宿泊便を設定。趣向を凝らして誘客増を図る。

 行程では、工事現場で説明を受けるほか、半日便にはない河井継之助記念館(只見町)の見学や大内宿(福島県下郷町)の散策も楽しめる。只見町の民宿に宿泊する。

 宿泊便は8月7、21、28日と、9月11、18日に出発する。料金は9千円(旅行保険料込み)。半日便は7、10、11月に設定されている。

 問い合わせは近畿日本ツーリスト燕三条支店、0256(61)3000。

平和の鐘の音...鶴ケ城に響く 会津若松・鐘撞堂で平和を考える
 会津ユネスコ協会は18日、会津若松市の鶴ケ城鐘撞堂でイベント「平和の鐘を鳴らそう」を開き、参加者が世界の平和を祈りながら鐘を突いた。

 日本ユネスコ協会が平和について考えようと毎年全国で実施している運動の一環。参加者約200人は鐘の歴史と平和のありがたさを肌で感じながら鐘を突いた。吉田幸代会長は「会津の観光とともに平和について考える機会になれば良い」と話した。

 鐘撞堂は1747(延享4)年に建てられた。戊辰戦争時は鐘楼守が新政府軍の標的になっても正確に時を伝え続け、新島八重らを勇気づけたといわれている。

南部、津軽藩が綱引き合戦 江戸期の領土争いちなむ
 江戸時代に青森県を東西に二分していた南部藩と津軽藩の境目にある県史跡「藩境塚」(野辺地町、平内町)で30日、かつての領土争いにちなんだ綱引き合戦があり、犬猿の仲だったとされる両藩の“藩士”となった住民ら約70人が交流を深めた。

 付近では、青森県東部と岩手県北部を治めていた南部藩と、青森県西部の津軽藩が境界争いで繰り返し衝突。戊辰戦争でも旧幕府軍と新政府軍に別れた両藩が交戦したことから「因縁の地」となっており、土地の争いを解決する青森県土地家屋調査士会が地域活性化のために企画した。
高知経済人列伝が8/6日発売 幕末、明治から現代に活躍330人
 高知新聞社は、鍋島高明編著『高知経済人列伝』を8月6日に発売する。

 幕末に多くの高知県出身者が政界で活躍したことは周知のことだが、明治から現代にかけて、経済界においても高知県ゆかりの人物がその歴史を彩っている。

 『高知経済人列伝』は、2012年7月から11月まで高知新聞に連載した「高知経済人列伝」掲載の80人に加筆、さらに250人を加えてまとめたもの。日本の近現代において、県内外で活躍した経済人330人の足跡を収めた価値ある一冊。ぜひご愛読ください。

【体裁】A5判、376ページ、上製本
【内容】
石川七財▼入交太蔵▼岩崎弥太郎▼宇田友四郎▼大江卓▼樫尾忠雄▼片岡直温▼金子直吉▼川崎幾三郎▼川田小一郎▼北村精男▼木村久寿弥太▼坂本嘉治馬▼関頼次▼仙石貢▼竹内明太郎▼永野毅▼鍋島態道▼西山利平▼野村茂久馬▼間猛馬▼松村厚久▼宮川竹馬▼宮脇修▼弥勒武吉▼渡辺五郎ほか

【定価】2千円+税
【取り扱い】県内書店、高知新聞社本社受付、支社、総・支局、高知新聞販売所ほか
【問い合わせ】高知新聞総合印刷出版担当(電話088・856・6573)
「志国高知 幕末維新博」ロゴデザイン決定 イベント計画も承認
 2017年3月に開幕する「志国高知 幕末維新博」の推進協議会が25日、高知市内のホテルで開かれ、「志国高知 幕末維新博」で展開する個別のイベントや歴史資源の磨き上げ方針などをまとめた実施計画書を承認した。「志国高知 幕末維新博」のPRに使われるロゴデザインも決定した。

 高知県は歴史を中心とした観光振興を目指し、大政奉還と明治維新からそれぞれ150年に当たる2017~2018年に、「志国高知 幕末維新博」の開催を企画。2017年開館の高知県立高知城歴史博物館や、高知県立坂本龍馬記念館をメイン会場とするほか、県内21会場でさまざまなイベントを展開する。

 今回は2回目の協議会で、高知県内首長や観光関係者ら約100人が出席。事務局の高知県が、春に大名行列を行うことや、県内外で坂本龍馬のオリジナル劇を上演することなど、イベントの計画を説明した。また、2018年には高知城歴史博物館の来場者を12万人、JR高知駅前の「とさてらす」は60万人とする数値目標も示し、承認された。

 「志国高知 幕末維新博」のロゴは、高知県内外から寄せられた245作品から高知市のデザイナー、岩本有弘さんの作品に決定。柔らかな筆文字の博覧会名に、黄色い夜明けの太陽をあしらったデザインが、ポスターなど「志国高知 幕末維新博」のPRに使われる。

 高知県観光振興課の三浦謙一課長は「計画の大枠が決まり、スタートラインにやっと立てた。さらに本腰を入れて取り組む」と話している。

新選組隊士の子孫・井上さん 熊本支援 ディナーショー
 新選組六番隊長、井上源三郎の五代目子孫で、日野市の「井上源三郎資料館」館長を務める井上雅雄さんが八月八日、熊本地震復興支援のチャリティー・ディナーショーを八王子市旭町の京王プラザホテル八王子で開く。
 「井上源太」の名で作詞家としても活躍する井上さんは、被災地で避難生活が続いている様子などをテレビで見て、支援のイベントを思いついたという。これまでに詩を提供した大樹ゆたかさん、堀優衣さん、岡島二朗さんに声をかけたところ、いずれも出演を快諾。ショーの構成を練るなどの準備を重ねている。
 チケットの売り上げと会場で集まった募金は日野市を通じて被災地に送る。井上さんは「ショーでは被災地支援とともに、新選組隊士の供養の思いも込めたい」と意気込んでいる。大樹さん、堀さんも「これをきっかけに少しでも熊本の皆さんの力になりたい」と話した。
 八月八日午後六時から食事、同六時半からショーが始まる。料金は食事代などを含め一人一万五千円。チケットの申し込みはオフィス誠=電042(581)3957=へ。 (水谷孝司)
 館長さん、作詞家でらっしゃったんですね。こういうイベントをされるとは、頭が下がります。

エンターテインメント
「超歌劇『幕末Rock』黒船来航」のキャラクタービジュアル第2弾が公開に
『幕末Rock』は、2014年2月にゲームリリースされるや大ヒットし、7月にはTVアニメが放送された大人気コンテンツです。舞台版の『幕末Rock』は2014年12月に、[超歌劇=ウルトラミュージカル]として、吉谷光太郎氏の脚本・演出で舞台化され、圧巻の雷舞(ライブ)演出を、若手実力派俳優たちがミュージカルで表現、原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評を頂きました。
そして早くも2015年8月、東京・大阪で再演を上演。全公演即SOLD OUT。千秋楽には全国でのライブビューイングも敢行しました。そんな超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航が2都市で本格ROCKを繰り広げます。引き続き第二弾キャラクタービジュアルを発表致します!新キャラ!新曲!新ストーリー!の「新(NEW)」づくしの2016年夏の超歌劇『幕末Rock』にぜひご期待ください。
■公演日程
【京都】8月20日(土)~21日(日)  京都劇場
【東京】9月3日(土)~9日(金)  EX THEATER ROPPONGI

■キャスト
坂本龍馬 役:良知真次 高杉晋作 役:糸川耀士郎 桂小五郎 役:三津谷亮 土方歳三 役:輝馬 沖田総司 役:佐々木喜英/誠仮面 役:輝馬/お登勢 役:山岸拓生 勝海舟 役:岩﨑大/井伊直弼 役:吉岡佑 徳川慶喜 役:Kimeru /マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎
アンサンブル:山沖勇輝 山田諒 佐藤優次 仲田祥司 池田謙信 吉田邑樹 新開理雄 狩野新之介 市川耕大 竹井弘樹

■チケット
一般 ¥7,200(税込) 好評発売中
幕末Rockチケットサポート:support_brticket@eventify.co.jp

◆原作:「幕末Rock」(マーベラス) 
◆脚本・演出:吉谷光太郎

◆音楽制作:テレビ朝日ミュージック
◆振付:MAMORU
◆協力:Gibson

主催/マーベラス テレビ朝日ミュージック NBCユニバーサル・エンターテイメント NAS
 シンディは太田基裕さんから糸川耀士郎になってぐっと童顔になりました。初登場の勝海舟役の岩﨑大さん、なかなか豪快な感じでいいですね。そして輝馬さん、なぜか誠仮面との二役。土方歳三役だけでも、新曲あるし大変だと思うのですが、大変ですね。土方歳三と誠仮面の演じ分けに期待しております。今回の黒船来航編でも超魂編と同様、誠仮面の正体は、誰もが知っているけど誰もが知らないんですよね(*^_^*)。

超歌劇「幕末Rock」三津谷亮の桂小五郎、吉岡佑の井伊直弼らキャラビジュ
京都・東京にて上演される「超歌劇『幕末Rock』黒船来航」の、キャラクタービジュアル第1弾が公開された。

お披露目されたのは、新キャストとなる三津谷亮演じる桂小五郎と吉岡佑演じる井伊直弼をはじめ、新キャラクターの兼崎健太郎演じるマシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア、そして良知真次演じる坂本龍馬、輝馬演じる土方歳三、佐々木喜英演じる沖田総司、山岸拓生演じるお登勢、Kimeru演じる徳川慶喜の8名。糸川耀士郎演じる高杉晋作と、岩崎大演じる勝海舟のビジュアルは続報を待とう。

本作は“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創るゲーム、アニメ「幕末Rock」が原作。8月20・21日に京都・京都劇場で上演されたのち、9月3日から9日まで東京・EX THEATER ROPPONGIにて公演が行われる。チケットは7月23日10:00に一般発売。
 センセーも、矢田ちゃんに比べるとさらに童顔度が増しましたねぇ。長州組が誠仮面に特訓される場面がどうなるか、とっても楽しみです。
 そして、井伊直弼(黒船版ではすでに故人だと思うのですが)、コニタンこと小谷さん(新垣さんとのご結婚おめでとうございます)に可憐度がプラスされた感じです。マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニアと「MASTER COMMUNICATION」をどう歌うかが楽しみです。
東京
江戸琳派の真打登場!幕末に独自の様式を確立した鈴木其一初の大回顧展「鈴木其一 江戸琳派の旗手」
本阿弥光悦と俵屋宗達を祖とする琳派は、狩野派とともに江戸時代に非常に強い勢力を持っていた日本絵画の流派でした。

琳派の絵師で江戸時代後期に活躍した絵師が、今回紹介する展覧会の主役・鈴木其一(すずききいつ)です。鈴木其一は江戸琳派を基盤にしながら、斬新で独創的な作品を描いた画家として近年大きな注目を集めている人物。

その其一の画業の全容を捉え魅力を伝えるのが、大回顧展「鈴木其一 江戸琳派の旗手」です。

其一は江戸琳派を確立したと言われる酒井抱一の一番弟子。酒井抱一は江戸の地で琳派の再興を図った人物で、より写実的で洗練された画風を描きました。抱一が没して以降其一は圧倒的な存在感を示し、江戸幕末期にはダイナミックな構成や明快な色彩を多用し独自の作風を築いていきました。

風神雷神図襖 
鈴木其一筆 八面 江戸時代 19世紀 東京富士美術館
©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

そんな「江戸琳派の旗手」、鈴木其一の作品が国内外からかつてない規模で作品が一堂に揃うのが本展。展示作品の中には新出作品も含まれます。

夏秋渓流図屏風 
鈴木其一筆 六曲一双 江戸時代 19世紀 根津美術館
朝顔図屏風
鈴木其一筆 六曲一双 江戸時代 19世紀 アメリカ・メトロポリタン美術館
©The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

今回の展示品の中で最も注目されている朝顔図屏風が日本で公開されるのは実に12年ぶり。アメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されているこの作品は同美術館でもとても人気の高い作品なんだそうです。

琳派というと琳派の歴史上で大きな役割を担った俵屋宗達や尾形光琳の名をよく耳にしますが、鈴木其一もまた琳派に大きな変革をもたらした人物。

鈴木其一の初の大回顧展「鈴木其一 江戸琳派の旗手」は2016年9月10日(土)~10月30日(日)の期間、東京・サントリー美術館で開催されます。

宮城
戊辰戦争で暗殺 仙台藩士弔う
 戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を離脱しようとした秋田藩の説得に訪れて秋田藩士に暗殺された仙台藩士12人の慰霊祭が、命日に当たる4日、秋田市寺内の西来院であった。
 秋田宮城県人会(三浦亮会長)が主催し、今年で149回目。会員や宮城県の藩士の子孫、仙台藩志会の会員ら約20人が参列し、読経と焼香の後、同院近くの仙台藩殉難碑に手を合わせた。
 石川スミエさん(69)=仙台市青葉区=は仙台藩士の子孫という夫の浩司さん(78)と参列。「先祖の犠牲があったからこそ、今がある。供養の大切さを伝えていきたい」と話した。
 参列者は暗殺された藩士の首がさらされた同市大町の5丁目橋も訪れ、川反観音像の前で冥福を祈った。

長崎
追悼式戊辰戦争から第二次大戦まで 戦没者2542人しのぶ 平和への誓い新た 平戸 /長崎
 平戸市戦没者追悼式が1日、平戸文化センターであり、遺族ら約450人が戊辰(ぼしん)戦争から第二次大戦までの市出身戦没者2542人をしのんで献花し、平和への誓いを新たにした。

 市戦没者慰霊奉賛会(会長・黒田成彦市長)の主催。遺族を代表して、南洋で父親が戦死した岡山紀一・市連合遺族会長(74)がオバマ米大統領の広島訪問に触れ「この出来事を1歩ずつ前に進め、日米両国の心の和解、日本とアジア各国との和解・友好が進むことを切望します」と述べた。

 参列した平戸小6年生71人は声を合わせて「戦争で多くの人が流した涙の訳を、命の大切さを伝えていきます」と誓いの言葉を述べた。代表して祭壇に献水した末永朱莉(あかり)さん(11)は「戦争のない平和な日本にしたい」と話した。【峰下喜之】

〔長崎版〕

福島
御茶屋御殿2階初公開 若松の御薬園
 会津若松市は市内の国指定名勝・会津松平氏庭園「御薬園」内にある御茶屋御殿の2階部分を8月6日から10日まで、9月24日から28日までの計10日間、期間限定で初公開する。京都守護職を務め戊辰戦争を戦った会津松平家第九代藩主・松平容保公が明治期に住んでいた場所で、注目を集めそうだ。
 御茶屋御殿は江戸時代の元禄9(1696)年に建てられた。戊辰戦争後に容保公が住まいとして使うため明治15(1882)年に増築され、同16年から同20年までの約4年間を過ごした。
 江戸期建物部分は庭園を望みながら茶席を楽しめるよう公開していたが、明治期増築部分は耐久性の問題で大人数が入れず今まで非公開だった。東日本大震災の影響と老朽化で平成26、27の両年に改修工事を行い、耐久性が向上したため特別に公開することになった。
 ただ、元々頑丈な造りでないことなどから、公開は期間限定とする。江戸期建物部分も29年度までに震災の被災部分などを修復するため、工事が終わるまで再公開は難しく、公開は非常に貴重なものとなるという。
 2階部分は来客に対応したと思われる10畳の座敷と、同行者らが控えたと考えられる10畳の部屋があるほか、庭園を見下ろせる広縁がある。
 公開時間はいずれも午前9時から正午まで。期間中は毎日先着順で120人分の整理券を配り、30分ごとに20人ずつ案内する。ただし御薬園の入園料が必要となる。特別公開の問い合わせは市文化課 電話0242(39)1305へ。

( 2016/07/08 10:13 カテゴリー:主要 )


富山
富山県水墨美術館で鬼才・河鍋暁斎の企画展 幕末と明治を生きた絵師
 富山県水墨美術館(富山市五福、TEL 076-431-3719)で6月25日から、企画展「鬼才-河鍋暁斎(かわなべきょうさい)展 幕末と明治を生きた絵師」が開催されている。

外観も美しい「富山県水墨美術館」

 幕末から明治にかけて活躍した狩野派の絵師・河鍋暁斎は、1831(天保2)年に現在の茨城県古河市で生誕。2歳の時に一家で江戸に渡った。3歳で初めてカエルを描き、わずか7歳で浮世絵師・歌川国芳(くによし)に入門。10歳で狩野派の絵師に師事し、19歳で洞郁陳之(とういくのりゆき)の画号を授かった。

 狩野派で絵画の基礎が築かれたのちに、「河鍋狂斎」「暁斎」の画号で流派を超えた表現方法を開拓。57歳で亡くなるまで、厳粛な仏画から浮世絵、ウイットに富んだ風刺画に至るあらゆるジャンルを描いた。

 計113点を展示する同展では、前後期に分けて作品替えを実施。前期は彩色画、水墨画、仏画、狂画、錦絵、絵本の挿絵などを展示する。

 多彩な作品が並ぶ中でも圧倒的な存在感を放つのが、縦4メートル、横17メートルにも及ぶ大作「新富座妖怪引幕(しんとみざようかいひきまく)」。料亭の大広間などで絵師が即興で作品を描く「書画会」に数多く招かれた暁斎は、当時の人気歌舞伎役者だった9代目市川団十郎、5代目尾上菊五郎を妖怪に見立てた同作を、大酒をあおりながら4時間で描き上げた。大胆に筆を走らせながらも均整の取れた構図が特徴で、躍動感と緊張感がみなぎる傑作となっている。

 1881(明治14)年に開かれた第2回内国勧業博覧会で「妙技二等賞」(日本画の最高賞)を受賞、暁斎の代表作となった水墨画「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」も展示。枯れ木にとまるカラスをモチーフにし、くちばしの鋭さと羽毛の柔らかさを墨一色で描写。カラスを孤高の存在として高め、凛(りん)とした美しさを表現した。

 7月9日には暁斎のひ孫で「河鍋暁斎記念美術館」館長・河鍋楠美さんによる講演会、同23日には河鍋さんと画家の山口晃さんによる対談も予定する。時間はいずれも14時から。

 開館時間は9時30分~17時。月曜(7月18日は開館)と7月19日休館。観覧料は、一般=1200円、大学生=900円。前期展は7月18日まで、後期展は7月20日~8月7日。

コラム
“酒乱”で近藤勇とモメて切腹? 新選組の新見錦、ナゾの人物像に光当たるか (1/4)
幕末に活躍し、新選組の結成時に最高幹部を務めたとされる新見錦(にいみにしき)について、本名とされる「新家粂太郎」の名前が記された新資料が京都と茨城で相次いで見つかった。
 幕末に活躍し、新選組の結成時(壬生浪士)に最高幹部を務めたとされる新見錦(にいみにしき、1836~63年)について、本名とされる「新家(にいのみ)粂太郎」の名前が記された新資料が京都と茨城で相次いで見つかった。近藤勇や土方歳三らと対立し、切腹に追い込まれたといわれる新見。京都で切腹したとする説が有力だったが、長州に移ってから切腹したとする説もあり、ナゾに包まれているのだ。新見の人物像については、これまで詳しい研究は進められておらず、専門家も新たな発見に注目している。

新見錦=新家粂太郎か

 新見錦は水戸藩出身。新選組の前身「壬生浪士」の最高幹部の1人で、当初は芹沢鴨、近藤勇とともに局長を務めたとされる。歴史家の間では、新見は変名で、本名は新家粂太郎だったとする説が有力だ。

 新選組を描いた最近のドラマといえば、放映中のNHK大河ドラマ「真田丸」と同じ三谷幸喜さん脚本で、香取慎吾さんが近藤勇役で主演を務めた大河ドラマ「新選組!」(平成16年)がある。このときは演技派俳優、相島一之さんが演じていた。

 新見は同じ水戸藩士として芹沢らと行動をともにし、近藤、土方らのグループと対立。そのあおりをうける形で、文久3(1863)年9月に京都で切腹させられた-とされている。酒癖の悪さを近藤や芹沢がいさめても聞き入れず、それを理由に切腹に追い込まれたという。「新選組!」では芹沢を排除しようとする土方らにわなにはめられ、切腹するシーンが描かれていた。

 新見について記された資料としては、新選組の永倉新八が記した『新選組顛末記』や『浪士文久報国記事』がある。新見は酒癖が悪く乱暴者だ-とする記述があり、これが京都で切腹させられたという説の出所だ。
新たに借用書発見

 今回見つかったのは、京都府立総合資料館(京都市左京区)所蔵で、文久3年5月に京都市中京区にあったはたご「万屋(よろずや)」での借用書。水戸藩浪士、吉成勇太郎と今泉与一太郎ら3人が金8両を借りた証明書で、3人の連署の中に「新家粂太郎」の名が記されていた。

 幕末史を専門に研究する大阪市の浦出卓郎さん(29)が、同館での文献調査中に発見。浦出さんによると、「万屋」は水戸藩とつながりがあったとされるはたごで、借用書には「12月中までには頭金をそろえて返すつもりです」という内容が書かれている。

 新選組のメンバーの一人、早川文太郎が記した『尽忠報国勇士姓名録』などによると、新見が活動した時期は文久3年2月からわずか3カ月程度だった。5月以降になると関連の名簿から名前は消え、この時期に離脱したとみられるという。

 文久3年5月の借用書に「新家粂太郎」の署名が見つかったことについて、浦出さんは「離脱して『新見錦』の名を使う必要がなくなったため、本名で署名したのではないか」と推測。「2つの名前をつなげる重要な手がかりで、離脱した後の動向がうかがえる重要な資料」と話した。

謎に包まれた2人

 一方、茨城県水戸市でも新見に関する資料が発見された。藩校・弘道館の助教を務めた幕末の学者、石河明善(1821~70年)が水戸藩の情勢や桜田門外の変などを詳細に記した「石河明善日記」(水戸市博物館所蔵)の中で、新見や芹沢の出自に触れた記述があった。

 発見した水戸の郷土史家、小林義忠さん(70)は「水戸では『新見』も『新家』も『にいのみ』と読む」とし、「『石河明善日記』は水戸市史にも引用されている信用性の高い資料。謎に包まれていた新見や芹沢の出自を明らかにできる」と意気込む。

 2人に関する記述が登場するのは、全30巻「石河明善日記」のうちの19巻。文久元(1861)年2月26日に「政府(水戸藩庁)より名指召捕り人別」と記され、10人の名前の中に2人に関する情報が含まれていた。

 「石河明善日記」では、出自について「乙太郎の伜 金町スルガヤ弟其後江戸へ五六年余り金健(金子健四郎)弟子に成候」と記載。新家粂太郎が弟子入りしたとされる金子健四郎は、神道無念流の剣客、岡田吉利の高弟だ。

 また、同郷の芹沢は本名が「下村嗣次」で、元々は武士の出身ではなく、父親が百姓の身分から神職に就いたことがうかがえる。

酒さえなければ

 新見と芹沢の2人は万延元(1860)年に水戸で形成した過激派集団「長岡勢」が二分してできた「玉造勢」に参加。玉造勢は、攘夷決行のための軍資金を半ば強引に富豪から調達したため、藩庁が玉造勢の一斉逮捕を命じ、新見らも文久元(1861)年に捕らえられた。

 文久2年、清川八郎の恩赦運動で2人は釈放され、当時幕府が募集していた浪士組に応募、京都に向かい、新選組創設に立ち会うことになる。

 小林さんによると、新見はこの時から、変名で「新見錦」の名前を使うようになったという。主に金策に奔走していたようだが、新見は度々問題を起こして謹慎処分を受けていた。

 水戸藩士で、面倒見がよかったという京都本圀寺詰の吉成勇太郎が記した「池田家文書」(岡山大学附属図書館蔵)の文久3年8月の記録には、新家粂太郎が6月に長州の外国船砲撃に関して、攘夷実行を促す勅使・正親町公董の親兵となって長州に向かい、不祥事を起こしたときのことが記されている。

 「酒さえなければ攘夷戦の際に大いに働く人物である」と、新家粂太郎が不始末で処分されそうになったところを、正親町公董の家臣・徳田隼人の一存で処分保留になったことが記されている。

「敗者の歴史に光を」

 小林さんの研究によると、吉成は近藤勇や芹沢と相談し、新家粂太郎の謹慎処分を解き、「新見錦」を離脱させた上で親兵にしたが、そこでも酒癖が祟ったようである。同年9月15日、酒癖が原因で、現在の山口県防府市三田尻で切腹して最期を迎えたという。

 酒癖が理由という点は同じでも、京都切腹説とは異なる。新見の生死をめぐる経緯や人物像はいまなお不明な点が多い。

 幕末維新史の研究者で霊山歴史資料館の木村幸比古副館長は、相次ぐ発見について「画期的な資料だ。幕末史の中で最も研究が進んでいるのが新選組だが、いわゆる敗者側の芹沢鴨や新見錦などの研究は進んでいなかった。この新発見をきっかけに、敗者の歴史に光が当たる機会が増えれば」と話している。

関ジャニ錦戸主演で話題を呼んだ「サムライせんせい」コミックス第3巻発売、著者:黒江S介のコメントも到着
関ジャニ∞・錦戸亮の主演でドラマ化もされた「サムライせんせい」のコミックス最新第3巻[7月9日(土)発売]より、著者・黒江S介からのコメントが到着。また、コミックス公式WEBサイトにてスペシャルコンテンツ「お言葉、頂戴!」が公開されたほか、7月9日(土)からは黒江S介の直筆色紙が当たるTwitterキャンペーンも実施される。
「サムライせんせい」は、現代にタイムスリップした幕末の志士が学習塾の先生になるという、侍タイムスリップコメディー。2巻までは現代にタイムスリップした土佐の藩士“武市半平太”が、先にタイムスリップしていた楢崎こと“坂本竜馬”に出会うところまでが描かれていたが、第3巻では過去編として、半平太や竜馬のタイムスリップ前の様子が描かれる。さらに、歴史の闇に名を刻んだあの有名な幕末志士の登場や、20Pの描き下ろしもあるとのこと。

第3巻の発売に際し、黒江S介は「3巻は武市先生や竜馬が生きていた幕末編を描かせて頂いています。私なりに解釈した歴史的なエピソードに、少しでも皆様の共感を得られれば、と思っております。これからもブレないように頑張って描かせて頂きます」とコメントしている。

なお、「サムライせんせい」コミックス公式WEBサイトでは、武市半平太や楢崎などのキャラクター達に悩みを相談すると、素敵なアドバイスが一言もらえるスペシャルコンテンツ「お言葉、頂戴!」が公開中。もらった言葉は画像としてTwitterやLINEにも投稿できる。また、7月7日(木)更新のpixivコミック内「クロフネZERO」では、コミックス第三巻発売を記念した描き下ろしマンガも掲載されている。
 おまけマンガも楽しいです。今日書店に行ってきます。

小野大輔さんがあの幕末の志士に!? 期間限定Webコンテンツ『龍馬 meets MetLife』で地元・土佐弁を披露
 2016年6月30日(木)16時より、メットライフ生命公式サイト内情報ページ「MetLife Online」にて、高知県出身で観光特使を務める声優・小野大輔さんが、坂本龍馬として土佐弁を披露する期間限定Webコンテンツ『龍馬 meets MetLife』が公開となりました。

 今回のこの試みは、今年で没後およそ150年を迎える幕末の偉人・坂本龍馬が日本の夜明けを目指し奔走していた同時期に、生命保険会社メットライフの前身となる会社が、アメリカ・ニューヨークで誕生したというお互いの共通点。そこから、もしも坂本龍馬とメットライフが出会ったらというところがコンセプトで、このふたつの要素が時間と場所を超えて出会うという全3篇のストーリーを観ることができます。
■Twitterでも同時公開。小野大輔の限定ボイス!
『龍馬 meets MetLife』の公開を記念して、メットライフ生命公式ツイッターでは、ここでしか聞けない坂本龍馬(CV:小野大輔)の限定ボイスをお楽しみいただけます。

【小野大輔】
1978年生まれ高知県出身/声優、アーティスト
代表作に「おそ松さん」(松野十四松役)、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ(空条承太郎役)、『黒執事』シリーズ(セバスチャン・ミカエリス役)など。2010年には高知県観光特使にも任命され、ふるさとの観光プロモーションにも取り組んでいる。
■メットライフ生命期間限定Webコンテンツ『龍馬 meets MetLife』
全3話【内容】※第1話公開後、順次公開予定。

・1話:歴史篇「龍馬、ニューヨークに行く。」
勝海舟が設立した神戸海軍操練所で昼寝中の龍馬。目を覚ますと、
馬車の走るニューヨークにタイムスリップしていて…。

・2話:リスク篇「龍馬、リスクを考える」
寺田屋で負傷し、おりょうを伴った湯治の旅先でまたしても昼寝をする龍馬。
今度は東京にタイムスリップした龍馬は、メットライフ生命のコンサルタントに出会う。

・3話:お客さまの声篇「龍馬、保険の未来を考える」
西郷隆盛に新政府に入るよう勧められ、日本の未来を考えるうちにいびきをかく龍馬。
ふたたび出会ったメットライフ生命のコンサルタントと、未来について考える。

>>MetLife Online
>>メットライフ生命公式ツイッター

今日は旧暦で土方歳三さんが亡くなった日、箱館で友人が法要をしてくれます。今日は一日、祈りの気持ちをもって過ごそうと思います。

福島
戊辰戦争の資料展示 会津若松で150年に向け「戊辰と明治展」
 戊辰戦争から150年となる2年後の節目に向け、会津若松市の歴史研究家ら有志でつくる「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」の記念事業「戊辰と明治展」は11日、同市文化センターで開幕し、鶴ケ城の写真など当時をしのぶ資料を紹介している。12日まで。

 「会津の戊辰戦争から明治復興の姿まで」をテーマに開き、古記録、絵地図、明治期のはがき写真、寺社の複写、町家の記録などを展示している。旧会津藩士が政府を相手に裁判を起こし、公債発行(復禄)を勝ち取った復禄訴訟の記録も紹介している。

 同実行委は2018(平成30)年の150周年に向け、全6回の展示会などの事業を企画している。12日は午前9時~午後3時。

【若松の歴史探訪】城下町が見えてくる (6月9日)
 2年後の戊辰戦争150年を見据えたまち歩きイベント「歴史探訪」が今年度から会津若松市で始まる。テーマを変えて3年連続で催す。初年度は郭門[かくもん]跡巡りがテーマ。第一弾として18日に約150人が外堀に設けられた郭門跡を回る。戊辰戦争や市街化で失われた東日本最大級の城下町の往時の姿を体感できるはずだ。教育旅行や外国人観光客誘致につなげたい。
 会津若松観光ビューローなどで組織する実行委員会が初めて企画した。歴史の転換点を再確認し、郷土愛を育む。
 江戸時代の城下町は、鶴ケ城を核に土塁や外堀で囲まれた区域が郭内[かくない]と呼ばれ、上級武士の屋敷、藩校などがあった。16の郭門を造り、外堀に橋を架けた。防御の要であると共に、中・下級武士、商人、職人らが住む郭外[かくがい]との出入り口になった。18日は東半分の9カ所、11月開催予定の第2回は残りを歩く。
 戊辰戦争後、土塁、外堀、郭門は取り壊された。甲賀町口に郭門の石垣、花春町に土塁が残るのみだ。巨大な城下町の全容を思い描くのは難しい。會津風雅堂付近の路上、住宅街、会津工高の校門前…。歩いてみると思わぬ場所に郭門があったことに気付く。道路の屈曲した場所が多い。天守閣など城の中枢を見通せないようにし、敵の侵入を防ぐための工夫だった。
 高低など地形もよく分かる。城下町は湯川や車川の扇状地に造られた。西に向けて傾斜が下がっている。東山や滝沢地区からの水が地下排水溝や一部の水路を音を立てて流れていく。醸造など伝統の食文化を育んだ水資源の豊かさに驚く。山国ながら「水の都」でもあったのだ。以前は水路が縦横に走っていたという。復活させたら、まち並みに潤いを与えるだろう。
 歴史探訪は教育旅行の絶好の教材となる。訪れる児童生徒は東京電力福島第一原発事故発生前の水準に戻っていない。実行委員会は参加者用に詳しいパンフレットを作成する。誘致の素材などに活用してほしい。城や飯盛山など定番に加え、新たな観光ルートに育つ可能性を秘めている。ただ、案内板や道順表示はほとんどない。外国語表記を含めた整備を求めたい。
 鶴ケ城ボランティアガイドが案内役を務める。郭門跡を下見し、歴史や構造を学んでいる。市民総ガイド運動実行委員会とビューローが運営しているが、後継者育成が課題だ。歴史探訪を機にガイドの楽しさが広まり、希望者が増えるといい。おもてなしの充実は観光都市の魅力を向上させるに違いない。(鞍田 炎)

静岡
太郎左衛門あんぱん発売!~パン祖、江川太郎左衛門が焼いたパンをイメージし開発したあんぱんです~
株式会社バンデロール(本社:静岡県沼津市西島町20-2、代表取締役:結城 馨、以下 バンデロール)は、6月18日よりパン祖と呼ばれる江川太郎左衛門英龍が伊豆韮山で初めて焼いたパンをイメージし懐かしく素朴な生地に特別製法の小豆の風味豊かな低糖あんを包み込み焼き上げたあんぱん「太郎左衛門あんぱん」の販売開始いたします。
太郎左衛門あんぱん発売!

~パン祖、江川太郎左衛門が焼いたパンをイメージし開発したあんぱんです~


株式会社バンデロール(本社:静岡県沼津市西島町20-2、代表取締役:結城 馨、以下 バンデロール)は、6月18日より太郎左衛門あんぱんの販売開始いたします。バンデロールは関東、中部を中心とした焼き立てベーカリーチェーンです。

▼http://www.banderole.co.jp/

■メニューの紹介

太郎左衛門あんぱんの特徴・・・パン祖と呼ばれる江川太郎左衛門英龍が伊豆韮山で初めて焼いたパンをイメージし懐かしく素朴な生地に特別製法の小豆の風味豊かな低糖あんを包み込み焼き上げたあんぱんです。


江戸時代後半に江川英龍がはじめて焼いたパンは「乾パン」に近いと聞いており、そのまま再現するのではなく、それをイメージしつつ、小さなお子様からお年寄りまで美味しく食べられる食材、製法で焼き上げました。
また、代々続く江川邸の歴史の重さのイメージや伊豆の素朴な大自然、反射炉の力強さをイメージした商品としました。

生地はリッチ過ぎず、素朴で懐かしさを感じる配合。
餡は特別製法で糖度を低くし、小豆の風味がより引き立てられるよう、また、粒を多く残すことによって小豆感を感じられるよう工夫をしました。単純な甘い餡ではなくこだわった「餡」です。
見た目は江戸時代に焼かれたパンをイメージしつつ現代風にくるみをトッピングしました。

・価格 本体価格167円 税込価格180円(店舗により異なります)

江川太郎左衛門英龍とは・・・号を坦庵(たんなん)。幕末の韮山代官。日本を欧米の侵略から守ろうと江戸幕府に軍隊制度と海防を提案。そのために品川台場の建設の指揮、そこへ設置する大砲を造るための韮山反射炉の築造を行う。軍隊で食べる兵糧食としてのパンを焼いたので「パン祖」といわれる。

■今後の展開
静岡県東部発祥のパンメーカー(沼津市)として、伊豆韮山発祥のパン祖と呼ばれる「太郎左衛門」の冠をつけたパンを現代風にアレンジし開発していきます。静岡県内をはじめバンデロール店舗で「特別なパン」として取り組みます。同時に、このニュースを各業界に伝え静岡県東部の地域活性化を図ります。

■会社概要
商号   : 株式会社バンデロール
代表者  : 代表取締役 結城 馨
所在地  : 〒410-0835 静岡県沼津市西島町20-2
設立   : 1972年8月
事業内容 :パン・洋菓子・サンドイッチ類の製造及び販売
(ベーカリー、ベーカリーカフェ、ショップの運営)
関東地区44店舗、静岡県下24店舗
東海地区1店舗、洋菓子工場、パン冷凍生地工場
資本金  : 3,000万円
URL     : http://www.banderole.co.jp/

兵庫
幕末から明治の偉業紹介
◇益習の集い 岡田鴨里、立木兼善パネルで

 淡路島で生まれ、幕末から明治に活躍した儒学者・岡田鴨里おうりと官僚・立木兼善を紹介するパネル展が、淡路市役所1階ロビーで開かれている。17日まで。

 「庚午こうご事変」を代表とする島の歴史を調査・研究する「益習の集い」の主催。洲本市立淡路文化史料館や神奈川県立歴史博物館所蔵の未公開資料から、2人の偉業を浮き彫りにした。

 岡田鴨里は今の淡路市中田王子地区に生まれた。漢学者・頼山陽に師事し、勤王運動に大きな影響を与えたという。徳島藩の洲本学問所では教授を務め、庚午事変で藩士の暴走を止めようと奔走した。

 現在の同市仮屋地区出身の立木兼善は、官僚として事変の調停にあたった。福島、長野、福岡各県の知事を歴任、争乱の収拾に尽力する生涯だった。

 会場では事変で命を落とした志士の子孫、三宅玉峰さん(63)が解説を担当する。洲本市から訪れた立木浩一さん(75)は「よく調査された企画で頭が下がる。歴史に埋もれた事実をどんどん掘り起こして」と話した。

 無料。午前9時~午後4時。


三重
幕末の記者魂、iPadで伝授 三重・松浦武四郎記念館
 北海道の名付け親として知られる幕末~明治期の探検家、松浦武四郎(1818~88年)は、優れたジャーナリストでもあった。生まれ故郷の三重県松阪市(旧三雲町)にある松浦武四郎記念館には、「記者」の原点とも呼べる史料が所蔵されている。

 中でも記念館の学芸員、山本命(めい)さん(40)が「告発の書」と評するのが「近世蝦夷(えぞ)人物誌」だ。江戸末期、幕府の依頼で蝦夷地を歩き回る中で、支配していた松前藩によるアイヌ民族への弾圧を見聞きした。

 《アイヌ民族に男女問わず強制労働をさせ、病気になっても手当せず、言うことを聞かない者は縄で縛りせっかんし、梅毒をうつされる女性もおり、妊娠すれば堕胎させ、二度と子どもを産めない体になる女性も多い……。》
 ここから先は有料の記事配信で。

佐賀
幕末の「牛津駅絵図」公開 宿場町にぎわい伝える小城市立歴史資料館
 幕末期、長崎街道沿いの牛津宿の様子を描いた「牛津駅絵図」が、同市小城町の市立歴史資料館に展示されている。絵図には、宿に住んでいた人たちの住居をはじめ、寺社や藩施設など建物の形がびっしりと記され、宿場町のにぎわいと共に、鍋島藩にとって牛津がいかに交通の要衝地であったかがうかがい知れる貴重な史料を見ることができる。7月3日まで。

 「牛津駅絵図」は今年3月、幕末期の牛津宿の様子が分かるとして市重要文化財に指定された。市教育委員会文化課によると、絵図は何の目的で誰が描いたのかは不明で、「牛津宿」を「牛津駅」とした意図は分からないという。

 制作年代の決め手となったのは、絵図に記されたある世帯主名。街道沿いの寺にある墓碑と照らし合わせ、「久本兵五郎」(1825~71年)が居住していたことが特定できた。さらに小城藩が出した営業許可の文書(もんじょ)などで、宿場町で薬種業を営んでいた事実も分かった。

 他にも、絵図には藩の使いが滞在した「上使屋」や馬を飼い置いた「馬立」など藩の重要な施設も描いてある。

 絵図の最大の特徴は、どの建物にも屋根を記し、黒色と茶色に描き分けている点という。同文化課学芸員の田久保佳寛さんは「黒色は瓦葺(かわらぶ)きで茶色は茅(かや)葺きを表している。屋根の色の違いで財力の差を伝えたかったのでは」と言い、「街道沿いの空き地みたいな空白部分には『焼跡』と記されるなど、宿場町は頻繁に火事に見舞われ、防災マップの意味合いもあったのでは」と推察する。

 12日午前11時と午後1時に職員による展示案内がある。「牛津駅絵図」展の問い合わせは同資料館、電話0952(71)1132。

エンターテインメント
【尾上松也の古地図で謎解き】貿易商トーマス・グラバーと幕末の志士たちの「物語」
 こんにちは、尾上松也です。「歴史」とは過去に起こったであろう出来事を、残された資料をもとに研究し描き出した物語です。本来この物語に「面白さ」は必要とされません。ただ事実のみを並べればそれで良いのです。

 ですが、そこに面白さを見出し、想像を膨らませられるのが歴史探求の醍醐味。特に物語の登場人物が心の中でどんな事を考え、行動に至ったか?その心情を想像するのが歴史探求最大の楽しみと言えるかもしれません。

 さて、今回の番組では明治維新直前の長崎を舞台に、貿易商トーマス・グラバーと幕末の志士たちの「物語」にスポットを当てます。武器商人として日本に大量の武器を持ち込んだとされるグラバーとはいったいどんな人物だったのか?坂本龍馬、五代友厚など幕末の志士たちがグラバーと深い関係を築いたのは何故なのか? 明治維新後も永住の地として日本を選んだトーマス・グラバーの知られざる素顔と幕末の志士たちとの関係に迫りながら、激動の時代を駆け抜けた若者たちの生き様に迫ります。ぜひ、ご覧ください。

■尾上松也(おのえ・まつや) 1985年1月30日東京都中央区出身。父は六代目尾上松助、叔父は大谷桂三(初代尾上松也)。身長178センチ。5歳のとき、歌舞伎座で初舞台。その後、数々の舞台に出演。昨年6月にコクーン歌舞伎にて「三人吉三」のお坊吉三に抜擢。また近年ではミュージカルにも年1回のペースで出演している。2014年のNHK紅白歌合戦のゲスト審査員。BS11の番組「尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究」は“初冠番組”となる。番組詳細は(http://www.bs11.jp/)まで。

コラム
幕末を駆け抜けた坂本龍馬は何を見て、何を考え、何を夢見たのか
幕末の偉人ランキングで圧倒的な人気を誇る、坂本龍馬。薩長同盟や、龍馬が暗殺された近江屋事件などは歴史にそれほど関心の無い方でもご存知のことでしょう。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に、そんな龍馬に関する数々のエピソードが綴られています。

人物探訪:坂本龍馬、海洋立国の夢

アメリカに漂流して、彼の地で航海術などを学び、日本に戻ってきたジョン万次郎に、坂本龍馬が初めて会ったのは嘉永5(1852)年の末頃であったと言われている。友人に勧められて、万次郎の話を聞きに行ったのである。龍馬18歳の時であった。

万次郎が滞在したヌーベッポー(ニューベッドフォード)という町には何百隻もの巨大な捕鯨船が浮かんでいて、その港の砲台には大砲が20門ほど置かれている。大きなものは口径8寸(24センチ)もある。お城の石垣程度のものなら、弾丸一発で打ち砕いてしまう。蔵にはその砲弾を何千発とも知れないほど収めているという。

軍艦はそんな大砲で撃たれてもなかなか砕けない。1隻に500人ほど乗る船は珍しくなく、戦のときには1,500人も乗り込むそうである。

龍馬はさらに航海の術について尋ねた。万次郎は、アメリカで一等航海士という偉い船頭の資格をとっており、地図とオクタント(六分儀)と磁石さえあれば、陸の影も見えない大洋に船を乗り出しても迷わないという。

龍馬は夢の中の出来事を聞いているような気がした。胸が躍ってならなかった。

黒船来る

翌嘉永6(1853)年、龍馬は剣術修行のために江戸に出た。江戸に着いてまもない6月4日の朝、アメリカの黒船が浦賀沖に現れたという知らせが届いた。万次郎の語ったアメリカの軍艦を直接目にすることになったのである。

旗艦サスケハナ号は長さ約78メートル、幅14メートル、数十門の大砲を備えていて、日本人には巨大な浮城のように見える。そんな黒船が4隻も現れた。

龍馬は土佐藩の品川屋敷のある大森海岸の防備に駆り出され、土手を築き、垣を結んだ。やがて幕府がペリーから受け取ったアメリカ国書の内容は、龍馬たちの耳にも伝わってきた。

蒸気船ならカリフォルニアから、パシフィック・オセアン(パシフィック・オーシャン、太平洋)を渡って18日間で日本に達することができる。カリフォルニアは毎年金6,000万ドルを産し、日本の様々な産物と交易を行えば互いの利益になる。また日本沿岸で捕鯨を行うアメリカ船舶が、日本で石炭、水、食料を補給できるようにしたい。そのために通商交易条約を結びたいというのだ。

日本がそれに応じなければ戦争を仕掛ける、という姿勢で、黒船は品川沖で空砲を鳴らし、沿岸に詰めかけた数万の諸藩兵を驚かせた。

アメリカは近頃メキシコと戦争をして、カリフォルニアを含む領地のおおかたをとってしまったが、その理由はメキシコがアメリカの蒸気船に領地の海辺に近寄るのを咎めたためであるという。

「外国と通商することがなぜいけないのか」

龍馬が江戸で師事していたオランダ砲術の権威・佐久間象山は、こう主張していた。

今戦えば我らに勝ち目はない。ひとたび敗れたときは皇国は滅亡、我らは異族の奴隷となるのだ。

江戸の沖に常に5、6隻の黒船がいて、大坂からの千石船を捕らえ、米などの消費物資の海上輸送を遮断すれば、江戸は10日ももたない。廻船の輸送量を牛馬によって陸路で運ぶことは不可能である。

と言う。確かにそのとおりであると龍馬は思った。今はアメリカの要求を入れて通商を行い、それを通じて国力を養って、国防力を充実させるのが、日本の生きのびる道である。

一方、ジョン万次郎は幕府の老中たちに意見を聞かれて、アメリカが日本を攻め取ることはないと答えていた。カリフォルニアのように莫大な金が算出する国であれば戦を仕掛けることもあるが、日本はそれほどの物産はなく、また遠い。軍艦を何十隻も派遣して攻めるよりも、仲良くして石炭などを分けて貰うのが得である、とアメリカは考えるはずだという。

龍馬はこれもまたその通りだと思った。龍馬が幼い頃によく遊びに行っていた遠縁の廻船問屋は江戸に米や鰹節などを運ぶ千石の大廻し船を何隻も運用して、大きな利益を上げていた。

外国と通商することがなぜいけないのか、と龍馬は考えた。

「自由な大海に漕ぎ出したい」

およそ1年ほども江戸に滞在して、龍馬が高知に帰ったのは、安政元(1854)年6月下旬のことであった。翌年正月に龍馬は河田小龍を訪れた。河田はジョン万次郎を自宅に寝泊まりさせて、聞き書きを行っていた人物である。

河田は「このような非常のときに1つの商業を興してはどうじゃ」と龍馬に薦めた。そして万次郎から聞いた話をもとに、こう語った。

アメリカじゃあ商業の元手をこしらえるのに、株仲間のような者を大勢集め自在に大金を融通しゆうがじゃ。お前(ま)んらぁがそこのところを工夫して、株仲間を何とかしてこしらえて1隻の蒸気船を買うてみい。

同志を募り、日本中を往来する旅人やら諸藩の蔵米、産物を運んだら、蒸気船運航に使う石炭、油の費用や同志の給金を払うことができるろうが。

そうやって操船の稽古をすりゃ、しだいに航海の術も身につくというもんぜよ。盗人を捕まえて縄をなうというような有り様で始めても、1日でも早う蒸気船の運用を始めざったら、いつまでたっても外国に追いつけんがじゃ。

小龍の言葉に龍馬は刺激されたが、高度な蒸気船を動かせる秀才は数が少ない、と言うと、小龍はこう応じた。

日頃俸禄を仰山もらいゆう上士にゃ志というものがありゃせん。志を持ちゆう者は、ひと働きするにも元手のない下士、百姓、町民ら下等人民の秀才ぜよ。そがな下等人民の秀才は俺の弟子にも多少はいゆう。働かせりゃ工夫するぜよ。

大洋を自由に航海する蒸気船は、また身分制度からも自由な世界であった。龍馬は自由な大海に漕ぎ出したいと思った。

「蒸気船の扱いを覚えたいがです」

文久2(1862)年3月、龍馬は脱藩した。城下で剣術道場を開く資格は得ていたが、もはや高知に留まる気はなかった。

江戸に出て、ジョン万次郎の紹介状を持って勝麟太郎を訪れ、弟子入りを頼んだ。勝は長崎海軍伝習所で教監を務め、また幕府の使節を乗せた咸臨丸を操って、太平洋横断を果たした人物である。

「俺の弟子になって何をしたいのかね」と聞かれて、龍馬は「蒸気船の扱いを覚えたいがです」と答えた。さらに「尊王と攘夷についてどう考えているのかね」と聞かれて、

「攘夷はとても無理ですろう」

「そうか。それなら無理を言わず異人の言うがままに商いをするのかね」

「そこが知りたいがです。攘夷をやらにゃあ異人がのさばりますろう。けんど今の日本じゃとても勝てん。そうなると、異人と同じ土俵で相撲がとれるほどの力を持つまで待たにゃあいかんですろう」

麟太郎は笑いながら「土佐にいながら天下の形勢をよく知っているじゃないか」と言って、弟子入りを許した。

海軍建設

勝は龍馬を護衛役として側に置きながら、いろいろ話して聞かせた。

攘夷の戦いを日本の側から起こせば、イギリス、フランスは対馬、壱岐、佐渡を占領する。アメリカは伊豆七島、ロシアは蝦夷を占領するだろう。淡路島も乗っ取られかねない。そうなれば航海の道はすべて閉ざされ、全国は籠城の有り様になる。危機に迫られると一揆が方々で起こる。その苦しみに耐えかね、外国につく者が現れると日本は外国の属国になるだろう。

そのような事態を未然に防ぐために、勝は西洋諸国と対抗できるほどの陸海軍を作るという意見書を幕府に提出していた。日本全国を6つの海域に分けて、それぞれに艦隊を置くという案である。

その経費を捻出させるためには、各大名に海外貿易を許し、それを財源に10万石あたり蒸気軍艦1隻などと費用を出させる。この案に従えば、軍艦300隻の海軍を建設することも可能であった。

しかし、軍艦は金で揃えることができても、それを動かす人材が問題である。勝と龍馬は神戸に海軍塾を作る準備を進めた。先頃まで将軍側近であった大久保忠寛(ただひろ)越中守も、それを励ましてくれた。

貴公らが麟太郎と相計って神戸に海軍塾を開く支度をしておるそうだが、それが肝心だ。海軍を大いに発展させるため幕府は、アメリカ、オランダに軍艦を注文している。だが、その操船を自在にいたす航海乗り組みの学生を取り立てねばならんのだ。幕府の先の読めない腑抜け役人どもができることではない。貴公らが操船を自在にできるよう一日も早く学び取らねばならぬのだ。

文久3(1863)年4月、将軍家茂は神戸に海軍操錬所を建設し、その入用金として年3,000両を下すことを決めた。また勝の門人たちを引き連れて、私塾として海軍塾を開くことを許した。龍馬はその設立と運営に奔走した。

亀山社中

元治元(1864)年6月19日、長州勢と幕府方が京都蛤(はまぐり)御門にて衝突した。この際に操錬所生徒である因幡藩士数十名が長州方に味方したとして、勝は江戸表に呼び戻された。

勝は薩摩の西郷吉之助(隆盛)に、龍馬以下6人の土佐藩脱藩者の庇護を頼んだ。西郷は、龍馬の人を引きつける性格と時代を切り開いていく才覚を認め、密貿易をさせつつ、いずれ長州藩に薩長連合を勧める使者として働いて貰おうと考えた。

元治2(1865)年、龍馬らは長崎の町はずれの亀山という山麓の地に宿舎を与えられ、薩摩藩から毎月給金を貰うようになった。彼らの結社は「亀山社中」と呼ばれ、ここを根拠地として密貿易にあたることになった。

5月、龍馬は下関に潜入し、西郷の使者として、長州の指導者・桂小五郎と会った。長州は幕府軍15万の大軍を迎え撃たねばならないという窮地に陥っていた。しかし、薩摩は蛤御門の変で幕府方についていたので、「いまさら薩摩の芋と手を結べるか。そんなことを抜かす奴は首を斬れ」という声が上がるほどだった。
薩長同盟を実現した交易

龍馬は桂にこう持ちかけた。

長州の四境に幕軍が間なしに参りますきに、外国から薩摩の名義で蒸気船、鉄砲を買い入れ、尊藩に持ち込むというのはいかがですろう。

桂は思わず、龍馬の顔を見直した。幕府の大軍を迎え撃たねばならない長州にとって、これはよだれの出るような好餌である。龍馬は亀山社中の同志を使って、最新式の小銃7,500丁と蒸気船1隻を調達し、約束通り、長州に収めてみせた。

一方、薩摩は長州征伐には参加せず、京都に大兵力を集めて、幕府を牽制することとした。西郷はそのための兵糧を長州から借りてくれるよう、龍馬に依頼した。「さしあたって500俵もあればえいですろう」と龍馬は承知して、すぐに山口に行き、桂から快諾を得た。

こうした実利的な助け合いを通じて、薩摩と長州は旧怨を解き、同盟関係を築いていった。その掛け橋となったのが、龍馬の働きだった。

実現した海洋立国の夢

兵糧貸与の話がまとまった後、龍馬は下関で貿易を営む大商人・伊藤助太夫の家に泊まり込んで、杯を交わした。助太夫は、長州と幕府の戦いが終われば、蝦夷の海産物などを買い入れる交易をしたいと言った。北前船は1隻作るのに千両かかるが、蝦夷へ3度も行けば元手がとれるという。

龍馬は感心した。「まっことのう。蒸気船を使うたらなお儲かるろうねや」

龍馬は今は亀山社中の同志と共に、薩長の必要とする武器などの購入を行っているが、戦が収まれば長崎、下関を根拠地に蝦夷や上海、さらには広東からルソンに行き来して貿易をしたいと考えていた。蒸気船を使えば、パシフィック・オセアン(太平洋)を渡ってアメリカとの交易もできる。それによって国を富まし、日本を異国から守れるだけの海軍も持つことができよう。龍馬の夢は広がっていった。

龍馬はその夢を実現するひまもなく、慶応3(1867)年11月、京都にて何者かに暗殺されてしまった。しかし、海外貿易の夢を抱いていたのは龍馬だけではなかった。「海外貿易の志士」森村市左衛門などはその好例である。

さらに神戸の海軍操錬所を淵源の1つとする日本海軍はやがて日清・日露戦争を通じて国家の独立を維持し、英米と並ぶ世界3大海軍の1つとして数えられるまでになった。

龍馬の描いた海洋立国の夢は幕末から明治にかけての日本人全体が共有していたもので、多くの人々の努力によって実現されたと言える。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock

ブックレビュー
新選組が殺した人数は敵よりも味方の方が多かった! 内部事情を粛清された人々の視点から探る
 現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』の視聴率が好調だ。ここ数年、低視聴率が続いただけに話題になっている。年配の方からはふざけているとの声も多少あがっているようだが、脚本を手がける三谷幸喜らしいポップともいえる演出は親しみやすく見ていて楽しい。三谷幸喜といえば、2004年の『新選組!』も好評だった。こちらも香取慎吾演じる局長・近藤勇を中心に仲間たちの絆が描かれつつ、笑えるシーンもちりばめられ、日曜の夜が明るくなるドラマだった。元々歴史好きには人気のある新選組だが、さらにファンを増やしたに違いない。

 今でこそ幕末のヒーロー的扱いを受ける新選組だが、昭和3年に子母沢寛が『新選組始末記』と題した小説を著すまで、血も涙もない人殺し集団として一般的には嫌われていたことをご存じだろうか。しかも、敵のみならず味方まで多くの人が殺しているという。『新選組 粛清の組織論』(菊地 明/文藝春秋)では、新選組が屯所とした西本願寺の侍臣・西村兼文の『新撰組始末記』や、元幹部隊士・永倉新八の『新選組奮戦記』など、当時を知る人々が残したあらゆる史料を丹念に読み解き、新選組の内部で殺された人々を考察した一冊である。

 まず、新選組には次のようないわゆる局中法度があった(当時の史料を見る限り、「局中法度」などと誰も呼んでないらしいが…)。

第一士道背くこと、第二局を脱すること、第三勝手に金策を致すこと、第四勝手に訴訟を取り扱うこと、四箇条を背くときは切腹申し付くること、またその宣告は同志の面前で言い渡すと定(き)めた。
『新選組奮戦記』

 隊士が増えるにつれて、農民や町人、下級藩士の脱藩者からなる烏合の衆をまとめるものとして必要とされたのだろうが、いくらなんでも切腹とは性急に過ぎる。本書によると、正規の武士であれば、改易や蟄居、隠居などの罪に応じた刑罰があったものの、それは守るべき家があるからこそであり、身ひとつの隊士たちには守るべき家も名誉もなかったからだとする。それにしても、何か不祥事があれば簡単に殺されそうな感がある。

 実際、本書によると殺した敵が26人であるのに対し、殺した味方は40人にのぼるという。殺された理由は、局長批判、脱走、金策、脱退志願、反幕活動、士道不覚悟などが挙げられている。中でも有名な2人について取り上げてみよう。

近藤勇と並ぶ初代局長・芹沢 鴨

 新選組の前身である壬生浪士組創設時の局長は、芹沢鴨と近藤勇。水戸藩郷士の芹沢を中心とするグループと、多摩の農民上がりの近藤勇を中心とするグループから成っていたからだ。彼らをまとめるのは「尊王攘夷」の一点であり、芹沢グループと近藤グループの間には「攘夷」に対するスタンスが違ったとされる。水戸藩出身の芹沢が藩の教えにより朝廷第一に考える「尊王敬幕」であるのに対し、近藤らは幕府を第一とする「尊王親幕」だった。

 さらに、芹沢は型破りで酒癖が悪い乱暴者だったことで知られる。芹沢の金策を断った生糸問屋・大和屋の襲撃事件は新選組ファンの間では有名な話。この事件をきっかけに新選組を預かる会津藩から芹沢の“処置”を命じられた近藤は、これを殺害指令と捉え、芹沢グループの平山五郎や芹沢の愛妾・お梅らとともに寝込みを襲って殺害している。

新選組ナンバー2・山南敬助

 山南敬助は、近藤勇が多摩の天然理心流剣術道場の四代目宗家を務めていた頃からの同志。文武両道でグループのブレーンでもある山南は、壬生浪士組創設時、土方歳三とともに副長の座にあった。しかも、本書は史料を見る限り、近藤グループの中では土方歳三よりも格上で、近藤に次ぐ二番手に位置づけられていたと考察する。

 ところが、慶応元年2月に突如脱走を図り、すぐに沖田総司に連れ戻され切腹し果ててしまう。なぜ規律違反を犯したのか、理由は史料に残っていないため判然とせず、諸説ある。本書では、より親幕に傾倒していた近藤が反幕派の長州藩とつながりが深い西本願寺を監視下に置くべく、西本願寺を新選組の屯所としようとしたことに山南が反対し、山南はそれが近藤に受け入れられなかったために諌死を遂げたとする。近藤は同志である山南の死を望んだはずはないが、局長と副長の対立という事態を隊士に伏せたかったのだと考える。

 つまり、新選組は敵を殺す以前に組織の内部抗争が絶えなかったわけだ。それは、「尊王攘夷」はともかく、幕府に対する態度という点で思想の違いが局長以下をぎくしゃくさせる原因のひとつになったようだ。親幕として組織をまとめた結果、慶応3年、新選組は隊士全員が幕臣となり、近藤は旗本に取り立てられている。

 ただ、粛清を繰り返したことで新選組ばかりを非難することもできない。この時代、長州や薩摩など活発な動きを見せた藩はいずれも、親幕か反幕か、はたまた攘夷か開国かで揺れ動き、内部粛清によるさまざまな事件が起こっている。ご存じの通り、幕府は倒され開国へと突き進んでいくわけだが、その中で新選組は粛清を繰り返すも時代に取り残され散っていった哀しい組織といえる。

文=林らいみ

モスクワ
プチャーチン提督を供養=日ロ交流で斉藤元防衛庁長官
 【モスクワ時事】日ロ交流に力を入れている斉藤斗志二・元防衛庁長官(71)が7日、幕末に下田で日露通好条約を結んだロシアのプチャーチン提督(1803~83年)の功績をたたえ、モスクワのダニーロフ修道院で供養を行った。
 斉藤氏は、プーチン大統領に近いロシア正教会関係者と会談。「安倍晋三首相と大統領が合意した協力プランに含まれる人的交流を推進し、日ロの理解を深めたい」と述べた。

7日、モスクワのダニーロフ修道院で、プチャーチン提督を供養する斉藤斗志二・元防衛庁長官(右)
 プチャーチンは1853年、日本に開国を求めて初来航したが、54年の安政地震による津波で「ディアナ号」が大破。戸田村(現静岡県沼津市)で帰国のため、日本初の洋式船「ヘダ号」を村民と船員が協力して建造した。55年2月7日の日露通好条約は北方領土を日本領と定めた。 
 斉藤氏はかつて、この日ロ友好の逸話を題材としたアニメ「幕末のスパシーボ」の制作に尽力。アニメのビデオは、1997年のクラスノヤルスク会談で当時の橋本龍太郎首相からエリツィン大統領に贈呈された。(2016/06/08-00:10)

鹿児島
幕末薩摩の外交資料120点 黎明館で企画展
 幕末の薩摩藩の外交に関する資料などを展示する企画展「幕末薩摩外交―情報収集の担い手たち―」が鹿児島市の県歴史資料センター黎明館で開かれている。9月11日まで。

 薩長同盟150年を記念した企画。薩長同盟の成功や薩摩藩が幕末に政治的指導力を発揮した背景に、優れた情報収集、分析の能力があったことを紹介しようと、関係資料を集めた。

 展示されているのは、資料約120点とパネル約80点。薩長同盟が締結された場所ともされる京都の近衛家別邸の絵図、薩摩藩英国留学生の町田久成が西郷隆盛と大久保利通に宛てた書簡などが並ぶ。前野良沢らが翻訳した医学書「解体新書」も来館者の目を引いている。

 灰床義博館長は、「薩摩藩は海外から直接情報を入手するなど、情報収集に力を入れていた。国内外の情報ネットワークを駆使した藩の外交について、関心を深めてもらいたい」と話している。

 月曜休館。入館料は常設展と共通で、一般310円、高校・大学生190円、小中学生120円。問い合わせは黎明館(099・222・5100)へ。

福島
<戊辰戦争>150年へ市民ら多様な事業企画
 2018年に150周年を迎える戊辰戦争(1868~69年)の真実を調べ、後世に伝えようと、福島県会津若松市の市民有志が「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」を結成し、活動を始めた。今後3年間、さまざまな事業を展開する計画。6月11、12日には市文化センターで史料の展示会「戊辰と明治展」を開く。
 実行委は昨年12月、会津若松市や仙台市の7人の呼び掛けで発足。歴史春秋社(会津若松市)の阿部隆一社長が会長に就任した。
 同市の阿弥陀寺にある「復禄(ろく)記念碑」前で今年3月に碑前祭を開催し、活動をスタート。士族に与えられる金禄公債の交付対象から除外されたため、明治政府を相手に「復禄運動」として展開した集団提訴で勝った旧会津藩士を弔った。
 6月の展示会(入場無料)では、市内の藩士子孫宅で昨年発見された裁判の記録や名簿などを陳列する。実行委幹事長の簗田直幸さん(62)は「勝訴し旧会津藩士約3000人に公債が交付された。会津人が誇りを失わずに闘い続け、旧会津藩の存在が認められたことを示す史料」と話す。
 戊辰戦争のパネル、明治以降の会津の復興を示すはがき写真や銅版画、生活用品なども会場に並べる。
 実行委は9月にシンポジウム、12月に展示会を再び開催。郭門や樹木などを巡って戊辰戦争以前の城下の暮らしを調べるフィールドワークや「会津戊辰復興検定」なども計画する。事業は全て3年間継続する。
 簗田さんは「戊辰戦争は会津の人からも忘れられそうになっている。会津人、日本人にとって戊辰戦争とは何だったのか一つ一つ事実を掘り起こし、若い世代に伝えたい」と話す。
 連絡先は簗田さん090(4555)7347。



東京
ふるさと納税に新選組が「出陣」 日野市、返礼品に土方歳三セットも
 日野市は六月一日から、「ふるさと納税」制度を利用して寄付した人に全国的な知名度を誇る新選組の関連グッズを返礼品として贈呈する。
 新選組関連の返礼品は、クリアファイルや手ぬぐい、扇子などの同市出身の新選組副長土方(ひじかた)歳三セットをはじめ、トートバッグや一筆箋などを詰めた新選組セット、歴史資料をまとめた図録セットの三パターン。どのグッズも市内の資料館で購入できるが、インターネットでは販売していないという。
 ふるさと納税は、出身地や応援したい自治体を選んで寄付すると、一定の住民税や所得税が軽減される仕組み。寄付を募るための自治体間の競争が激化しているが、市によると二〇一五年度のふるさと納税による同市への寄付は二十二万円。一方、他の自治体に寄付したことで、日野市に入ってこなかった税額は二千四十一万円に上るという。
 大坪冬彦市長は三十日の定例記者会見で「出入りの差があまりに大きく、このまま放置するわけにはいかない。寄付金額は年間三百万円を目指す」と述べた。
 新選組グッズのほか、多摩地域最古のビールとされ、市が昨年復刻した「トヨダビール」の六本セットも準備した。どのセットも三千円相当で、一万円の寄付につき一セットを選べる。ふるさと納税専用サイト「さとふる」から申し込む。 (加藤健太)

千葉
幕末の会津藩士を慰霊 古武術演武、墓前で奉納 富津
 幕末に東京湾防備で亡くなった会津藩士を弔おうと、房総半島会津藩士顕彰会は5日、藩士の墓がある富津市竹岡の松翁院で慰霊祭を行った。会津若松市の斎藤勝副市長ら会津の関係者を含めた約20人が参列し、 ・・・

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佐賀
江戸初期から維新激動期まで 佐賀と会津関わり探る佐賀市で講演会 龍造寺氏末裔も参加
 佐賀や会津の幕末維新期をテーマにした講演会「戊辰会津戦争の真実-会津・薩摩・佐賀の関わり」が5月29日、佐賀市の佐賀城本丸歴史館であった。県内外の歴史ファンら約160人が、佐賀藩と会津藩の興味深い関係などについて知識を深めた。

 会では、会津龍造寺氏の末裔(まつえい)である橋本靖明氏が「会津龍造寺家の歴史」の演題で講演。佐賀藩の実権を鍋島家に奪われた龍造寺家が、江戸初期に会津藩に預けられた経緯や、会津松平家の家臣となった後の処遇、子孫が幕末に禁門の変や会津戦争で活躍したことなどを紹介した。

 歴史研究家の大山格氏は「会津の明治二年」の演題で、会津戦争で敗れた松平家が改易された斗南(となみ)藩(青森県東部)での苦労などについて話した。また歴史研究家・中西豪氏は「戊辰会津戦争と佐賀藩の重火器」と題し、アームストロング砲やスペンサー騎兵銃が会津若松城攻略に果たした役割などを話した。

 講演会は、佐賀戦国研究会(深川直也代表)が開き、今回で8回目。2018年に維新150年を迎えるのを前に、県内でなかなかムードが盛り上がらないことなどから幕末維新期をテーマに選んだ。

寄稿 
「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻の刊行によせて

■多くの新事項を解明

 三重津海軍所の世界遺産登録を目指して、佐賀市・佐賀県などによって幕末期の佐賀藩の科学技術に関する遺跡の発掘と分析が行われ、多くの新しい事項が解明された。これらの成果を基に「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻(岩田書院、平成28年2月)を刊行した。

 上巻は「 ... 以下、同文。

新潟
長岡城:「御三階」を再現 図面もとに30分の1の模型化 牧野家史料館で展示 /新潟
長岡市は、長岡城のシンボルだった「御三階(おさんがい)」の復元模型を作成し、同市幸町2の長岡藩主牧野家史料館に展示している。実物の30分の1の高さ約76センチで、白壁の3階には唐破風(からはふ)と呼ば…
 以下、同文。

愛媛
大洲藩・新谷藩の歴史本 内子の芳我さん
◇江戸~幕末5章形式

 大洲藩と支藩・新谷藩の歴史をまとめた本「大洲藩・新谷藩」を元県立内子高校教頭で内子町誌編集委員の芳我はが明彦さん(61)(内子町)が出版した。好学の藩風が息づき、幕末には勤王藩として明治維新に貢献した歴史を紹介している。

 本は、全国の藩の歴史を紹介する「シリーズ藩物語」の一つ。芳我さんは高校で歴史を教えていたことなどから、出版元の現代書館(東京)から2011年頃に執筆を依頼された。

 古里の歴史を知る良い機会だと思い、大洲市立博物館や内子町が保存する庄屋の記録「高橋文書」などの資料を調べ始めた。

 大洲藩は1609年、淡路国(兵庫県)から脇坂安治が入ったことに始まる。17年には加藤貞泰が伯耆国(鳥取県)から入り、明治まで加藤家が13代にわたって治めた。幕末期、最後の藩主・泰秋は、戊辰戦争に出兵するなど勤王を貫いた。

 著書では基礎固めの江戸時代初期から幕末期までを5章にまとめた。ほかに特産の大洲和紙などについてのコラムも掲載している。

 芳我さんは「調べる時間がなかなかとれなかったが、楽しかった」と言い、「読み物風にまとめたので古里の歴史に興味を持ってもらえると思う」と話している。

 A5判変型、208ページで、1冊1600円(税別)。問い合わせは現代書館(03・3221・1321)。

隠岐で「中沼了三生誕200年展」 維新期に名声高めた地元の名士紹介
 隠岐・島後の隠岐の島町図書館(隠岐の島町西町)で「中沼了三生誕200年展」が開かれている。

孝明天皇からの御下賜品など約30点を展示

 旧隠岐郡西郷町・中村出身で、孝明天皇や明治天皇の侍講(先生)を務め、戊辰(ぼしん)戦争で参謀として活躍した中沼了三の功績を、生誕200年に際し再確認するもの。

 了三の子孫である中沼郁さんから同館に寄贈された孝明天皇からの御下賜品である茶わんや皿、了三の書など約30点を展示。了三の功績や旧・隠岐国で尊王攘夷(じょうい)を目指した思想的背景が垣間見える内容となっている。

 「こんなにすごい人が隠岐出身とは。もっと自慢すればいいのに。隠岐の人は控えめ」という、島外の来訪者からの感想を受けたという同展。感想を受け同図書館では、「了三は、三条実美ら当時の政府要人と考え方の相違から衝突し官職を辞している。生誕200年を迎えるにあたり、隠岐在住の人でも了三について知らない人は多いかも」と話している。

 6月25日には、「暮らしに役立つ図書館講座」として講師に(公財)隠岐の島町教育文化振興財団理事である牧尾実さんを迎え、「中沼了三と錦之御旗」が開催される。

 講座「中沼了三と錦之御旗」は6月25日10時30分~11時30分。いずれも入場無料。問い合わせは隠岐の島町図書館(TEL 08512-2-2341)まで。


エンターテインメント
歴史秘話ヒストリア:永瀬匡や佐野岳ら平成ライダーが新選組隊士に
 俳優の永瀬匡さんや佐野岳さん、渡部秀さんら平成仮面ライダーシリーズの出演者が、6月10日放送の歴史番組「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合)の「新選組 ボクらの友情と青春」で、新選組の隊士を演じることが分かった。仮面ライダービーストの永瀬さんが沖田総司、仮面ライダー鎧武の佐野さんが藤堂平助、仮面ライダーオーズの渡部さんが永倉新八、仮面ライダーアギトの賀集利樹さんが近藤勇、仮面ライダーガタックの佐藤じんさんが土方歳三を演じる。

 渡部さんは「今回ライダーの先輩から後輩まで、素敵な役者の方々と新選組という男なら誰もが憧れる集団を演じることができて光栄です。ライダーもしかり、僕らにしか分からない大事なモノがあって、僕らにしか感じることができない友情があるのかもしれません」とコメントを寄せている。佐野さんは「歴代ライダー出演者を新選組に見立てた斬新なキャスティング、僕たち仮面ライダーたちだからこそ出せる空気感をぜひお楽しみください」と話している。

 「新選組 ボクらの友情と青春」では、幕末の京都で活躍した新選組の永倉新八の知られざるドラマに迫る。永倉は、大正時代まで生き残った数少ない隊士で、新選組のイメージの大本となった手記「浪士文久報国記事(ろうしぶんきゅうほうこくきじ)」を残した理由などがテーマとなる。NHK総合で6月10日午後8時から放送。


お待ちかねの超歌劇「幕末 Rock」再演の情報です。

“超歌劇『幕末Rock』黒船来航”のキャスト、公演日程、チケット情報発表!
 新作“超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航”のキャストや公演日程、チケット情報などが発表された。
●新キャラクター、新ストーリー、新楽曲でいくぜよ

 ゲームやアニメで人気の『幕末Rock』の舞台版、“超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』”の新作となる“超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航”が、東京と京都の2都市で上演決定。キャストや公演スケジュール、チケット情報などが発表された。

 以下、リリースより。


 『幕末Rock』は、2014年2月に原作ゲームがリリースされるや大ヒットし、7月にTOKYO-MX他にてTVアニメが放送され、“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創る、斬新で魅力的なキャラクターにあふれた大人気コンテンツ。

 その『幕末Rock』を2014年12月に、超歌劇(ウルトラミュージカル)として、吉谷光太郎氏の脚本・演出で舞台化され、本格Rockの楽曲の数々と圧巻の雷舞(ライブ)演出を若手実力派俳優たちがミュージカルで表現し、全公演満席に加え、立見も出る話題作となりました。原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評をいただきました。そして2015年8月には、東京・大阪で再演を上演し全公演即SOLD OUT。千秋楽には全国でのライブビューイングも敢行し大反響をいただきました。

 そしてこの夏 超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航 として2都市で本格ROCKを繰り広げます! 新キャラクターも登場し、新ストーリーに新楽曲! 「新(NEW)」づくし!! 2016年夏の超歌劇『幕末Rock』にぜひご期待ください

日程・会場名
【京都】2016年8月20日(土)~8月21日(日) 京都劇場
【東京】2016年9月3日(土)~9月9日(金) EX THEATER ROPPONGI

チケットスケジュール
・オフィシャル先行一次:6/23(木)12:00~7/3(日)23:59
・オフィシャル先行二次:7/4(月)12:00~7/13(水)23:59
・一般発売:7/23(土)10:00~

<前回までのストーリー>
絶叫!熱狂!超絶頂!時は幕末。開国を拒み、新選組を利用した洗脳ソング「天歌」による強引な泰平化で国と民を支配する徳川幕府。
―「天歌」以外の歌を歌うものは“死罪”―
閉ざされた日本の姿、幕府の行動に疑問と憤りを感じる坂本龍馬をはじめとする志士たちは自由と正義の為に「Rock」の力で世界を変えるべく立ち上がる。


【超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航】
■原作:「幕末Rock」(マーベラス)
■脚本・演出:吉谷光太郎
■音楽制作:テレビ朝日ミュージック

■キャスト:
坂本龍馬 役:良知真次(らちしんじ)/高杉晋作 役:糸川耀士郎(いとかわようじろう)/桂小五郎 役:三津谷亮(みつやりょう)/土方歳三 役:輝馬(てるま)/沖田総司 役:佐々木喜英(ささきよしひで)/お登勢 役:山岸拓生(やまぎしたくお)/徳川慶喜 役:Kimeru(きめる)/マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎(かねさきけんたろう)他

■公演日程:
【京都】京都劇場 2016年8月20日(土)~8月21日(日)
【東京】EX THEATER ROPPONGI 2016年9月3日(土)~9月9日(金)

■チケット取り扱い:EVENTIFY(イベンティファイ)
■チケット価格:一般¥7,200(税込)/プレミアムチケット(パンフレット・限定グッズ付き)¥10,800(税込)
※[プレミアムチケット(パンフレット付き)とは…] 先行予約販売のみでご購入頂けるチケットです。(オフィシャル先行2次・一般発売・当日券での取り扱いはございません。)1階の前方エリア席でご観劇頂けます。劇場にて、公演パンフレット(販売品)とプレミアムチケット限定グッズ(非売品)をセットにしてプレゼント致します。

■チケットスケジュール:
★オフィシャル先行一次:6/23(木)12:00~7/3(日)23:59
★オフィシャル先行二次:7/4(月)12:00~7/13(水)23:59
★一般発売:7/23(土)10:00~

■主催:マーベラス/テレビ朝日ミュージック/NBCユニバーサル・エンターテイメント/NAS
■協力:ギブソン

■チケットに関するお問い合わせ 超歌劇『幕末Rock』チケットサポート<support_brticket@eventify.co.jp>
■公演に関するお問い合わせ マーベラス ユーザーサポート 
TEL:0120-577-405(土日祝日 指定日除く 11:00~17:00)

(C)2014 Marvelous Inc./幕末Rock製作委員会
(C)2014 Marvelous Inc./超歌劇『幕末Rock』製作委員会

 シンディこと高杉晋助役は、太田基裕さんから糸川耀士郎さんに交替。
 センセーこと桂小五郎役は、矢田悠祐さんから三津谷亮さんに交替。
 矢田さんも太田さんも別作品での舞台出演が決まってましたので、長州組が新キャストであることはファンの間でも予想されていました。

 良知龍馬、テルゾーさんとヒデちん、お登勢やん、キメ上様と再会できるのは嬉しいです。
 また、新規登場のペリージュニア……楽しみです(Jは出ないのね)。

 そして、誠仮面のキャストはいったい誰がやるんだろう(お約束)。

 キービジュアルとか予告動画とか楽しみです。刀剣乱舞から輝馬とヒデのファンが合流してくるからチケットはもっと激戦になるとの噂も流れており、チケット取れないファンにライブビューイングも期待しています。

超歌劇幕末rock黒船来航公式サイト
オバマ大統領の歴史的な広島訪問を生放送で観た後で。

北海道
函館・五稜郭祭、熱演競う 女子アナ“土方歳三”が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で21日、「箱館五稜郭祭」が始まり、戦死した新選組副長の土方歳三に扮して寸劇を披露するコンテストが開かれた。29回目の今年は地元のケーブルテレビ局「NCV」のアナウンサー、高橋ともみさん(26)が優勝した。

 コンテストには北海道のほか、川崎市や愛知県春日井市、福岡市などから男女20人が出場。身のこなしやせりふで土方らしさを表現し、詰め掛けた観衆約400人を楽しませた。

 寸劇は土方が故郷の東京・日野への手紙を仲間に託した後、戦いに臨み、銃弾に倒れる設定。

土方歳三の最期 華麗に演技 名物コンテストで函館の高橋さん優勝
【函館】箱館戦争で旧幕府軍に加わり、戦死した新選組副長の土方歳三らしさを競う「土方歳三コンテスト全国大会」が21日、函館市の五稜郭タワーで開かれた。道内外の男女21人が出場し、函館市内のケーブルテレビ(CATV)アナウンサー、高橋ともみさん(26)が初出場で優勝した。

 コンテストは29回目で、この日から2日間の日程で始まった箱館五稜郭祭(同祭協賛会主催)の名物イベント。出場者がそれぞれ独自のシナリオで土方になり切り、銃弾に倒れる土方の最期を演じた。勇ましい殺陣のほかに、コントで笑いを誘う出場者もいた。

 高橋さんは札幌市豊平区出身。アナウンサーとして昨年のコンテストを取材する中で出場を決めたといい、高橋さんは「劇団に所属していたこともあり、殺陣の経験もあった。優勝は本当にうれしい」と笑顔を見せた。他の成績は次の通り。(敬称略)

五稜郭祭開幕 土方コンテストは高橋さん優勝
 戊辰戦争の最後の戦地となった五稜郭を後世に伝える「第47回箱館五稜郭祭」(協賛会主催)が21日、2日間の日程で開幕した。初日は箱館戦争ゆかりの地を巡る「碑前祭」や「土方歳三コンテスト全国大会」が行われた。

 碑前祭は「中島三郎助父子最後之地」碑(中島町)、「碧血碑」(谷地頭町)、「土方歳三最期之地」碑(若松町)、「五稜郭タワー箱館戦争供養塔」で行い、戦没した無名兵士らの冥福を祈った。

 午後から五稜郭タワーアトリウムで記念式典、引き続き今年で29回目となった土方歳三コンテスト全国大会を開催。今年は函館や道内のほか関東、福岡県から20~48歳の21人(男性15人、女性6人)がエントリー。本紙で連載中の漫画「幕末観光ヒジカタ君」のヒジカタ君も審査対象外で初出場した。

 出演者は、土方が最期を迎える場面を、自身で考えた演出でパフォーマンスを披露。容姿や演技、土方への思い入れなどが審査され、優勝は地元ケーブルテレビ局「NCV」のアナウンサー高橋ともみさん(26)が初出場で見事に栄冠に輝いた。
 高橋さんは出身地札幌で演劇活動をしていたといい、凛とした雰囲気を醸し出す中、勇ましい殺陣と、はっきりとしたせりふの言い回しが高く評価された。高橋さんは「出るからには優勝と思っていたが、まさかという気持ち。コンテスト出場を通して、あらため土方が愛されている理由が分かった」と話した。

 22日は午後1時から「維新行列・音楽パレード」で、本町の行啓通りでは旧幕府軍と新政府軍の戦闘シーンが繰り広げられる。同3時ごろから五稜郭公園の特設ステージで「開城セレモニー」を行う。

21、22日「五稜郭祭」 維新行列や土方コンなど
 箱館戦争の舞台となった五稜郭の歴史を伝える「第47回箱館五稜郭祭」(協賛会主催)が21、22の両日、特別史跡・五稜郭跡周辺などで開かれる。函館の初夏の風物詩としても親しまれ、パレードや土方歳三コンテスト全国大会などを行う。

 初日は午前10時から市内各地を巡る「碑前祭」で、午前10時に「中島三郎助父子最後之地」碑、同10時50分に「碧血碑」、同11時に「土方歳三最期之地」碑、正午に「五稜郭タワー 箱館戦争供養塔」で行う。
 午後1時から五稜郭タワーアトリウムで記念式典があり、続いて「第29回土方歳三コンテスト全国大会」。全国から集まった土方ファンがパフォーマンスを演じる。

 2日目は、箱館開港や榎本政権誕生などの歴史物語や、すべてが五稜郭へ集結する様子を表現する「維新行列・音楽パレード」から始まる。維新行列は午後1時に中島町廉売通りからスタート、音楽パレードは同1時15分に千代台公園を出発する。行啓通りの戦闘シーンパフォーマンスの後、五稜郭公園特設ステージで榎本武揚が黒田清隆に「海律全書」を手渡すシーンなどを再現する「開城セレモニー」(午後3時ごろ予定)を行う。

 22日のパレード開催時は交通規制を実施。問い合わせは実行委事務局(TEL0138・51・4785、五稜郭タワー内)へ。

「五稜郭おもてなし隊」復活 歴史実感、観光客に好評
【函館】幕末の衣装に身を包んだ函館市民による「五稜郭おもてなし隊」が大型連休中、函館・五稜郭公園内の箱館奉行所前で観光客を出迎え、人気を呼んでいる。21、22の両日、市内で開催される「箱館五稜郭祭」(箱館五稜郭祭協賛会主催)のPRを兼ねて2年ぶりに結成されたもので、外国人観光客らの記念撮影の求めにも気軽に応じている。

 おもてなし隊は2014年の五稜郭築造150年祭の目玉企画として登場。今回は大型連休が始まった4月29日に復活した。市内の会社経営者や公務員らのボランティアで組織し、ペリーや土方歳三など幕末の函館にゆかりの深い8人の歴史上の人物に扮(ふん)している。

 大型連休後半を迎えた4日も、観光客らが記念撮影を求めて列をつくった。兄弟と写真に納まった秋田市の中学1年菅野泰雅さん(12)は「ペリーの帽子がかっこいい。タイムスリップしたみたい」と笑顔を見せた。外国人観光客も幕末の衣装に興味津々で、サクラを見に初めて函館を訪れたという英国の薬剤師ジェシカ・コリングスさん(30)は「歴史を感じられておもしろい」と話していた。

 おもてなし隊の復活は、北海道新幹線で道内外から訪れる観光客に、今年で47回目の箱館五稜郭祭をPRする狙いがある。

 同祭は箱館戦争ゆかりの碑を巡る「碑前祭」、土方歳三のなりきり度を競う「土方歳三コンテスト」、幕末当時の衣装で市内を練り歩く「維新行列」など多彩な催しが市民に親しまれている。しかし、大型連休直後とあって「市外の人には祭りの存在があまり知られていない」と同祭実行委事務局の野寺正樹さん(62)。おもてなし隊を通じて函館の歴史都市としての一面を観光客に知ってもらい、再び新幹線で足を運んでもらおうという狙いだ。

 おもてなし隊は8日までの毎日と、月内の土日に箱館奉行所前で観光客を出迎える。(岩崎あんり)

坂本龍馬の手紙に貿易構想 「黒龍丸」で北海道開拓など
 坂本龍馬の貿易構想が読み取れる手紙の写しと推測される新史料が、松田和晃・杏林大学教授の調べでこのほど確認された。龍馬が外国と通商を行おうとしていたことは知られているが、その具体的な記述は珍しい。龍馬は幕船「黒龍丸」を使っての北海道開拓に加えて、さらに上海や朝鮮などを視野に入れた航海も考えていたことがうかがえる内容となっている。

 坂本龍馬は、北方を視察した土佐勤王党の北添佶磨(きつま)らに影響を受け、防衛・交易面などから北海道開発を提言した。勝海舟の日記に、尊皇攘夷派の志士たちを黒龍丸に乗せて移住させる龍馬の計画も記されている。

 しかし1864(元治元)年6月5日に新選組が尊攘派志士を襲撃した池田屋事件が起き、北添ら攘夷派が多数殺された。龍馬の支援者だった海舟の幕府内における政治的影響力も失われたことから、黒龍丸による通商計画はかなわなかった。

 新史料の手紙は池田屋事件から間もない6月29日付で、龍馬から海舟に宛てられている。松田教授が20年以上前に知人から入手した巻物の中に、西郷隆盛ら海舟宛て書簡5通とともに収められていた。松田教授が内容を分析し、論文にまとめて大学内の紀要に発表した。

 手紙の右上には、海舟と思われる筆跡で、龍馬の手紙である旨を記した紙片が貼られている。

 手紙の中で、黒龍丸を交易などに活用したい龍馬の考えに反し、幕府の中に軍艦にしたいという意見があることを指摘し、「上海朝鮮ハいふも更也、津島(対馬)箱館(函館)にさへ自由に行事を得さるべし」(そうなれば、上海や朝鮮のみならず対馬や函館へも自由に行けなくなる)と具体的な地名を挙げて警戒している。

 「先生(海舟)の龍に御委有し事(委ねてくれていること)と相違し、大に諸生の英気を挫(くじ)かむ事を恐れ、此(この)歎願を申候(もうしそうろう)」と協力を懇願している。

 そして池田屋事件で犠牲になった望月亀弥太らを「大ニ遺憾」と悼む記述もある。

 龍馬の黒龍丸に関する記述はこれまでにも見つかっていたが、龍馬の筆跡とは異なる印象もあり、手紙の写しではないかともみられている。今回の手紙も直筆ではなく写しと推測され、松田教授は以前見つかった手紙と筆跡や紙のサイズに類似点があることを指摘し、その後半部分ではないかと考えている。

 松田教授は「海商計画が頓挫した経緯に再検討が加えられる契機となれば」と期待している。

 今回の発見について、三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館主任学芸員は「龍馬が書いたとは断言しにくいが、内容的に面白い。今後の研究材料になると思う」と話す。

 高知市の歴史家、松岡司さんは「龍馬が書いたものの写しだろう。龍馬は有能な志士たちを北海道へ送りたがったが、思うようにならない時期にきていた。維新史に触れる重要な史料」としている。 


◆黒龍丸◆
 米国製の木造蒸気船。幕府が1864(元治元)年7月、所有していた越前福井藩から買い上げ、勝海舟の建議によって新設された神戸海軍操練所に配置された。1864年11月、勝は軍艦奉行を罷免され、翌年、神戸海軍操練所も閉鎖。黒龍丸は民間に払い下げられた。



静岡
国際色豊かに黒船祭 22日まで下田
 ペリー艦隊の来航にちなんだ日米親善イベント「第77回黒船祭」(同執行会主催)が20日、下田市内で始まった。幕末に開国の舞台となった港町の同市で22日まで、国際色豊かな催しを繰り広げる。
 市観光交流課によると、3日間で約20万人の人出でにぎわう市内最大のイベント。初日は記念碑のある下田港のペリー上陸記念公園で、献花式が開かれた。市立下田中吹奏楽部が日本と米国の国歌を演奏し、ペリー出生地で国際姉妹都市の米国ニューポート市の訪問団や、地元の園児らが花を供えた。
 下田市の楠山俊介市長は「今後も日米の友好関係が絶え間なく続き、相互理解が深まることを祈念します」とあいさつした。
 ペリー艦隊乗組員の菩提(ぼだい)寺である玉泉寺では、米海軍主催の墓前祭が営まれた。米海軍派遣艦隊の乗組員と、ニューポート市の訪問団は下田市内の全小学校7校を訪れ、児童と交流した。夜間は海上花火大会があり、約1200発の打ち上げ花火が夜空を彩った。
 21日は記念式典や、主要行事の公式パレードなどが行われる。


鹿児島
幕末薩摩の外交資料120点 黎明館で企画展
 幕末の薩摩藩の外交に関する資料などを展示する企画展「幕末薩摩外交―情報収集の担い手たち―」が鹿児島市の県歴史資料センター黎明館で開かれている。9月11日まで。

 薩長同盟150年を記念した企画。薩長同盟の成功や薩摩藩が幕末に政治的指導力を発揮した背景に、優れた情報収集、分析の能力があったことを紹介しようと、関係資料を集めた。

 展示されているのは、資料約120点とパネル約80点。薩長同盟が締結された場所ともされる京都の近衛家別邸の絵図、薩摩藩英国留学生の町田久成が西郷隆盛と大久保利通に宛てた書簡などが並ぶ。前野良沢らが翻訳した医学書「解体新書」も来館者の目を引いている。

 灰床義博館長は、「薩摩藩は海外から直接情報を入手するなど、情報収集に力を入れていた。国内外の情報ネットワークを駆使した藩の外交について、関心を深めてもらいたい」と話している。

 月曜休館。入館料は常設展と共通で、一般310円、高校・大学生190円、小中学生120円。問い合わせは黎明館(099・222・5100)へ。



佐賀
寄稿 「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻の刊行によせて
■多くの新事項を解明

 三重津海軍所の世界遺産登録を目指して、佐賀市・佐賀県などによって幕末期の佐賀藩の科学技術に関する遺跡の発掘と分析が行われ、多くの新しい事項が解明された。これらの成果を基に「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻(岩田書院、平成28年2月)を刊行した。

 上巻は「 ...
 以下を読むには有料登録が必要だとのこと。

高知
「志国高知 幕末維新博」は2018年4月から第2幕
 2017年から高知県内各地で展開する「志国高知幕末維新博」の推進協議会の設立総会が25日、高知市内のホテルで開かれた。県内34市町村や商工、観光など各分野の関係者ら約150人が出席し、推進協議会が博覧会の運営主体となることや博覧会の実施方針などを確認した。

 2017年は大政奉還、2018年は明治維新からそれぞれ150年に当たることから、高知県は2017年3月からと2018年1月からの2部制で博覧会を企画している。...
 この続きは有料登録が必要だとのこと・汗。

栃木
ビビる大木、世界遺産・輪王寺で無料の幕末トークライブ開催
ビビる大木の無料トークライブ「TAN-SU presents ビビる大木 世界遺産で幕末のお話 in日光山輪王寺」が7月9日(土)に栃木・日光山 輪王寺 常行堂にて開催される。

大木が自身の大好きな幕末時代について語り尽くす「お寺で幕末のお話」シリーズ。普段は有料の同ライブが、今回は定員80名の無料イベントとして実施される。ゲストは歴史にも精通している精神科医の名越康文。世界遺産の輪王寺で繰り広げられる、大木と名越の幕末トークを堪能しよう。

TAN-SU presents ビビる大木 世界遺産で幕末のお話in日光山輪王寺

日時:2016年7月9日(土)16:00開場 17:00開演
会場:栃木・日光山 輪王寺 常行堂
出演:ビビる大木
ゲスト:名越康文
料金:無料
定員:80名
予約方法:専用予約フォーム(https://www.watanabepro.co.jp/enq/4KMNP/)にて申し込み。

ブックレビュー
新選組 粛清の組織論」菊地明著
  殺した敵は26人、粛清した同志は40人。幕末を駆け抜けた漢(おとこ)たちには、表に出ない内部粛清の歴史がある。司馬遼太郎の『燃えよ剣』などの小説から入った人の多くは、近藤勇や土方歳三ら“新選組内の勝者”のファンなのではないだろうか。
 一方で彼らは鉄のおきてを作り、厳しく隊内を取り締まっていた。食い詰め浪人を最強組織に育て上げたのが、世にいう「局中法度」と呼ばれるものだ。脱走や金策は厳しく処罰され、切腹に追い込まれている。本書ではその40人にスポットを当てて論じている。
 そこには近藤勇グループが覇権を掌握していくという過程が含まれており、粛清された大幹部である芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎らは、「新選組の敵」として描かれがちである。本書は“粛清された敗者”の視点、そして幕末動乱期の思想変化という視点を加えて、新しい新撰組論に挑戦している。
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