新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
東京は厳しい残暑です。朝晩涼しいのでだいぶ過ごしやすいのですが。
北海道
啄木も愛した海と坂の街 北海道・函館(はこだて)
徳島
企画展:日本刀の魅力たのしんで 徳島城博物館で5日から「阿波刀の世界」 /徳島
山口
萩の広告塔走る、トラックで観光PR
長州の「走る広告塔」第1便は薩摩へ 萩観光をPR
福岡
坂本龍馬と下関の関係は!?
[発信!北九州]
大分
「日本近代洋画への道」開幕
長崎
後藤象二郎:洋装の写真発見 上野彦馬が撮影 長崎
後藤象二郎:幕末の志士、洋装の写真を発見 上野彦馬が撮影--長崎
タウンたうん:幕末の長崎、市民劇で紹介--長崎 /長崎
亀山社中記念館:入場者が1万人超 スピード達成、龍馬人気に驚き /長崎
龍馬愛用の茶碗、最新技術で再現へ 県窯業技術センターなど
大河ドラマ効果 県北にも HTBに「龍馬伝館」 佐世保市 来年2月に開館
長崎の坂本龍馬展:長崎空港ビルで始まる /長崎
鹿児島
映画:「半次郎」オーディション 西郷役に指宿出身・田中さん /鹿児島
西郷どん役に県出身・田中さん~映画「半次郎」
映画「半次郎」西郷役は指宿出身の男性 鹿児島市でオーディション
オーディションの写真が面白いです……西郷さんが一杯(笑)。
コラム
【連載】 今、歴史から元気をもらおう(27)改革者・鍋島直正
[今、歴史から元気をもらおう]
文化芸能
要潤:「目指すは土方の“男気”」 司馬遼太郎「燃えよ剣」の朗読劇に挑戦
洋装・土方を演じる要潤さんの写真、もっとアップで見たいなぁ(爆)。
北海道
啄木も愛した海と坂の街 北海道・函館(はこだて)
函館は、坂の街である。坂道で振り返れば海が見え、見えなくても海を感じる。路面電車に揺られて青柳町電停で降り、ゆるやかな坂を行けば函館公園、道なりに右にそれると石川啄木の居住跡地に行き着く。
「函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」と詠んだ漂泊の歌人が郷里・岩手から函館に来たのは1907年5月。21歳だった。8月に大火があり9月に去っているから、住んだのはわずか130日余り。だが「死ぬ時は函館で」と願うほど、この地を愛した。
東京で息を引き取った啄木は、青柳町電停から1駅先、谷地頭電停から歩ける距離にある一族の墓に眠る。墓前からは啄木が散策した大森浜が見渡せた。白波が寄せ、吹き来る潮風が心地よい。さらに南へ歩けば立待岬。天気がいいと下北半島が見えるはずだが、かすんで見えない。ハマナスは花の季節を過ぎ、朱色の実を膨らませていた。
函館公園内の市立函館博物館で、学芸員の保科智治さんは、「啄木が来たころの函館は、経済的に一番いい時でした」と教えてくれた。幕末の1853年に9400人だった人口は、啄木が来る前年の1906年には9万人を超す。大正期には東京以北で最大、全国9位の都市だった。北洋漁業の拠点には、人も物も情報も集まる。文学の支持者に恵まれただけでなく、啄木は都市の引力に吸い寄せられたのではなかったか。
昼間は五稜郭タワーから五稜郭を眺め、夕方からはロープウエーで函館山に登り、夜景を楽しむ。霧が刻々と濃淡を変え、街の明かりが明滅するたびに、観光客の歓声に嘆声が混じる。山を下り、ライトアップされたハリストス正教会など元町かいわいをそぞろ歩く。夜の光が、異国情緒を深くする。八幡坂の上から函館港を見下ろすと、坂の延長線上に、青函連絡船摩周丸が見えた。
翌日、記念館になっているその船を訪ねた。船内では連絡船の歴史をたどる展示を見たり、操舵室で汽笛を鳴らしたり。
副館長の佐藤幸雄さん(66)は88年3月13日、青函連絡船最終便となった八甲田丸に1等航海士として乗っていた。「連絡船を知らない若い人も増えてきました」と、少し寂しげだ。
1859年に国際貿易港として開港して今年で150年。赤レンガ倉庫の並ぶベイエリアのにぎわいと裏腹に、連絡船が出入りしたころの港の風情は、心なしか薄れているようにも見える。それでも、「懐かしい」と船を見に来る人々からの質問には、「乗っていましたから、たいてい答えられます」。海の男の誇りは生きていた。
これまで、函館を離れる時はいつも海路だった。船の後方で白く泡立つ航跡の先に、函館の街が遠ざかっていくのを見るのが好きだった。今回は函館駅からバスで空港へ。大森浜沿いを走るバスの窓から、沖にイカ釣り船のいさり火が見える。啄木が歌集『一握の砂』を出して、来年でちょうど100年になる。
(山内則史、写真も)
徳島
企画展:日本刀の魅力たのしんで 徳島城博物館で5日から「阿波刀の世界」 /徳島
徳島市立徳島城博物館(同市徳島町城内)で5日から、企画展「阿波刀の世界 刀、刀装具の美・刀剣を愉(たの)しむ」が始まる。10月18日まで。
日本刀は、伝統文化に培われた芸術品としても扱われる。県内でも海部川流域を中心に作刀されたとされる「海部刀」がある。今回は十代藩主・蜂須賀重喜が江戸へ派遣した石川正守、近藤宗利といった刀工や、阿波の刀工が幕末という激動の時代に合わせ手がけた質実剛健な刀にも注目し展示を構成した。
また、鐔(つば)や小柄(こづか)など刀を彩る刀装具にもスポットを当て、阿波正阿弥鐔(しょうあみつば)や、江戸で召し抱えられた金工師(きんこうし)などの作品も、蜂須賀家伝来の太刀などとともに展示する。
このほか、会期中には関連イベントとして、阿波刀講座(23日、10月11、18日)や講演会(13日、10月4日)、展示解説(22日、10月12日)も開かれる。
同館では「阿波の伝統文化にはぐくまれて歴史の舞台に登場した刀などを見てもらい、その魅力を探求し、阿波刀の美の世界、さらには日本刀の魅力をたのしんでくだされば」としている。問い合わせは同博物館(088・656・2525)へ。【深尾昭寛】
山口
萩の広告塔走る、トラックで観光PR
萩産の農産物を運びながら、観光PRをしようと、車体に萩の観光名所を描いた大型トラックのお披露目式が4日、萩市江向のJAあぶらんど萩で行われた。
同JAが企画した「萩をまるごと運ぶプロジェクト」の一環。JAと委託契約している吉部運送(萩市)所有の14トン積みトラックの荷台側面に萩城下町や土塀、夏みかんなどが描かれている。試食販売やイベントなどでも活用し、各地で「萩ブランド」を売り込む。
第一便は今月中旬、鹿児島県に向けて出発する予定で、積み荷は、薩長同盟締結の陰に坂本龍馬と長州の米が大きな役割を担ったというエピソードから名付けられた萩産コシヒカリ「龍馬が愛したお米」。このほかにも四国、名古屋、東京方面などへの運送も決まっている。
式には市や市観光協会関係者らも出席。野村興児市長は「『走る広告塔』として全国を駆け巡ってほしい」と期待を込めた。
長州の「走る広告塔」第1便は薩摩へ 萩観光をPR
明治維新胎動の地、山口県萩市の観光資源を全国にPRしようと、萩の城下町などが描かれた装飾トラック(14トン)が完成し、4日、市内で披露された。
JAと運送会社による「萩をまるごと運ぶプロジェクト」。農産物を運ぶと同時に萩の歴史や文化を発信する「走る広告塔」だ。「維新伝心」の文字も見える。
第1便は今月中旬、萩の新米を積んで鹿児島へ行く。「坂本龍馬が幕末、武器が欲しい長州と、米が欲しい薩摩を結んだとされるのにちなみました」と担当者。
福岡
坂本龍馬と下関の関係は!?
[発信!北九州]
歴史小説やテレビドラマで主人公とされることが多い坂本龍馬。その龍馬のゆかりの地と言えば、高知や長崎が頭に浮かぶのが一般的である。
しかし、土佐藩脱藩後の龍馬を支えたのは下関の豪商であり、龍馬と下関との関わりは意外に知られていない。
龍馬は海援隊の他にも、下関で海運会社「馬関商社」を起こす計画だった・・・等、龍馬の下関でのエピソードを中心に綴られた『龍馬とお龍の下関』が下関市の瞬報社写真印刷から発行された。龍馬と下関との関わりが分かる一冊である。
なお、販売は下関市内の書店で扱っている。
【問い合わせ】
瞬報社写真印刷(株)
住所:山口県下関市長府扇町9-50
TEL:083-249-1100
大分
「日本近代洋画への道」開幕
「日本近代洋画への道―山岡コレクションを中心に―」(大分市美術館、大分合同新聞主催)が5日、同美術館で始まった。幕末から明治にかけて、新しい時代にふさわしい絵画を確立しようとした先駆者たちの奮闘の軌跡を紹介している。
開会式があり、足立一馬大分市教育長が「新しい絵画をつくり出そうとした画家たちの情熱を感じてほしい」とあいさつ。足立教育長、大分合同新聞社の佐藤政昭事業局長、地元自治会の代表らがテープカットした。
会場には油彩や素描など約180点を展示。そのほとんどはヤンマーディーゼルの創業者、山岡孫吉氏(1888~1962)が収集した貴重なコレクション。
日本洋画の父といわれる高橋由一をはじめ、渡仏して日本人初のサロン入選者となった五姓田(ごせだ)義松、画面に明るくみずみずしい色彩を取り込んだ黒田清輝、独自の画風を追求した青木繁らの作品が並んでいる。
同展は10月18日まで。観覧料は一般800円、高大生600円、中学生以下無料。
長崎
後藤象二郎:洋装の写真発見 上野彦馬が撮影 長崎
後藤象二郎:幕末の志士、洋装の写真を発見 上野彦馬が撮影--長崎
幕末の志士・坂本龍馬と共に大政奉還に奔走したことで知られる土佐藩参政・後藤象二郎(1838~97年)を、日本初の写真館を長崎に開いた上野彦馬(1838~1904年)が撮影した写真4点が、長崎市内で見つかった。うち2点は洋装で、象二郎の幕末時点の洋装写真は初確認。
写真を所蔵していたのは、1709年に創業した日本最古のべっ甲細工店「江崎べっ甲店」(同市、江崎淑夫社長)。江崎家と上野家は親類で、江崎家には、彦馬から贈呈された1864~66年ごろ撮影の約300点の古写真のアルバムが伝わり、江崎家関係者とみられる人々が撮影されていた。
07年、彦馬にちなんだフォトコンテスト「上野彦馬賞」(九州産業大学、毎日新聞社主催)を記念してこのアルバムを紹介した際、象二郎に似た人物の写真があったため、古写真研究を続ける姫野順一・長崎大教授(経済思想史)が分析した。
彦馬が長崎に開設した写真館「上野撮影局」には、土佐藩から化学を学びに医師が留学するなど、土佐藩関係者が多数出入りしていた記録があり、象二郎もたびたび写真を撮ったとみられる。
高知県立坂本龍馬記念館の三浦夏樹学芸員は「象二郎に間違いない。彼も龍馬同様、型破りで好奇心旺盛な人物だったので『面白い』と思い、洋装を身に着けたのだろう」と話す。【錦織祐一】
タウンたうん:幕末の長崎、市民劇で紹介--長崎 /長崎
長崎市のまち歩き観光「長崎さるく幕末編」の催しでこのほど、シーボルトの逸話などを交えて幕末の長崎を紹介する市民劇が市内であり、来場した約100人が楽しんだ。
「歩くのが大変な人も街を歩いた気分に」と5月に始まった講演会「楽さるく」の一環。4回目のこの日は劇に趣向を変え、「長崎龍馬会」メンバーや劇団、男声合唱団の約30人が出演。勝海舟らの海軍伝習所では合唱も教えていた逸話などを、歌やクイズも交えて披露した。
神戸市から市内に単身赴任中の会社員、本多福馬さん(60)は「長崎は、市民が一致団結して街を楽しんでもらおうと努力している」と話していた。【錦織祐一】
亀山社中記念館:入場者が1万人超 スピード達成、龍馬人気に驚き /長崎
◇龍馬が設立の商社跡整備
幕末の志士、坂本龍馬が設立した商社跡を整備した「亀山社中記念館」(長崎市伊良林)の入場者がこのほど、1万人を突破した。
同記念館は、同市が所有者から無償で借り受け、建物を整備、公開している。1万人目となったのは、福岡県筑紫野市の会社員、花里隆彰さん一家5人。長女の香乃さんと共に龍馬ファンという花里さんは「去年、京都の寺田屋にも行ったので、いい思い出になりました」。
同市は、年間2万5000人の入場者を目標にしているが、8月1日のオープンから24日目でのスピード達成となった。
長崎市は来年1月からの大河ドラマ「龍馬伝」放映に向け、「さるく幕末編」など、さまざまな機会に長崎をPR。田上富久市長は「龍馬熱が高まっているので、訪れた人が長崎ファンになって何度も足を運んでもらえるようにすることが大事」と話していた。【阿部弘賢】
龍馬愛用の茶碗、最新技術で再現へ 県窯業技術センターなど
来年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、幕末の志士、坂本龍馬が愛用したといわれる長崎製の亀山焼の皿や鉢を、最新技術を使って忠実に再現しようとする試みが進められている。
県窯業技術センター(東彼波佐見町)と窯元、嘉泉製陶所(佐世保市)が3月から研究開発に着手。長崎歴史文化博物館に所蔵する7点の形状を3次元スキャナーで読み取り、原形を制作。同社の伝統技術で色つけなどをするという。
ドラマ放送開始に合わせ、1月までの完成を目指す。商品化する計画もあるとか。同社の金氏嘉一郎社長は「完ぺきに再現し、龍馬ファンも納得の商品を焼き上げたい」と、燃えんばかりの意欲。
大河ドラマ効果 県北にも HTBに「龍馬伝館」 佐世保市 来年2月に開館
佐世保市は、坂本竜馬をテーマに来年1月から放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ展示施設「龍馬伝館」(仮称)を来春、同市のハウステンボス(HTB)に開設する。ドラマは長崎市が主舞台だが、県北地域にも波及効果を呼び込もうと、市やHTBが企画。開館する約1年間に約15万人の入館者を見込んでいる。
計画では、施設はHTB港町エリアの空き店舗(約300平方メートル)を改装して活用。海や海外に関する竜馬のエピソードを中心にドラマ映像や写真パネル、当時の資料などを展示する。
また、HTBが所有する幕末ゆかりの日本初の蒸気帆船を復元した「観光丸」を使った大村湾クルージング事業も生かし、付加価値を高める。
佐世保市は開設費約7300万円のうち、観光客誘致促進事業として約4716万円を、本年度一般会計補正予算案に計上、開会中の9月定例市議会に提案している。残額はHTBが負担する。
設置は来年2月27日から1年間で入館料500円(HTB入場料別)。運営費用約8千万円は入館料などでまかなう。
佐世保市によると、龍馬伝に関する県内の企画施設は、ほかに長崎歴史文化博物館(長崎市)や浜町商店街(同)で計画されている。
長崎の坂本龍馬展:長崎空港ビルで始まる /長崎
長崎空港(大村市)の旅客ターミナルビルで3日、来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を記念した「長崎の坂本龍馬展」が始まった。2階の保安検査場前イベントスペースで、10月12日まで。入場無料。
ビルを運営する長崎空港ビルディング社の主催で、龍馬が晩年を過ごした長崎での足跡を振り返る。龍馬直筆の手紙の写真や、当時の出島、長崎港の写真などパネル38枚を使い、幕末期を奔走した龍馬の足跡を時系列で紹介している。
期間中は、龍馬グッズやシャツなどの特設売店も設置。同社は「長崎の空の玄関口である長崎空港の利用客に龍馬の情報を発信することで、観光客の誘致と機運を高めたい」としている。【柳瀬成一郎】
鹿児島
映画:「半次郎」オーディション 西郷役に指宿出身・田中さん /鹿児島
◇今月から県内で撮影
幕末の薩摩藩士、桐野利秋(中村半次郎)を描く映画「半次郎」で、西郷隆盛役を選ぶオーディションが3日夜、鹿児島市であった。「西郷(せご)どん」役を射止めたのは、指宿市出身で名古屋市在住の人材派遣会社経営、田中正次さん(48)。「男を見せるような演技をしたい」と意気込んでいた。
審査したのは、五十嵐匠監督、主演の榎木孝明さんら。全国約350人の応募の中から書類選考などで残った26~60歳の15人が浴衣姿で登場。映画のせりふを読んだり、特技を披露するなど「西郷どん」になりきってアピールした。
田中さんは演技は素人という。「西郷さんに似ている」と会社の同僚が応募。オーディションもぶっつけ本番だったが、五十嵐監督は「包み込むような優しさと存在感があった」。榎木さんも「目に優しさと力があった」と評価した。
映画は17日からクランクインし、多くの場面が県内で撮影される。来年5月公開予定。【黒澤敬太郎】
西郷どん役に県出身・田中さん~映画「半次郎」
「我こそは西郷」――。幕末に活躍した薩摩藩士桐野利秋の生涯を描いた映画「半次郎」で西郷隆盛を演じる出演者のオーディションが3日夜、鹿児島市のアミュプラザ鹿児島で開かれた。全国から自薦、他薦の15人の西郷さんが一堂に会し、指宿市出身で名古屋市東区在住の会社社長田中正次さん(48)が西郷役を射止めた。
西郷役は全国から350人を超える応募があり、東京オーディションで勝ち残った2人と、九州在住の応募者で書類選考を通過した13人の計15人が、最終オーディションに臨んだ。
審査員の五十嵐匠監督(51)と、主演の桐野役を演じる伊佐市出身の俳優榎木孝明さん(53)が見守る中、参加者は「桜島に最期の礼をする西郷を演じて」などの注文に真剣な表情で取り組んでいた。
西郷役に選ばれた田中さんは人材派遣会社を経営しており、約1500人が登録している。西郷を敬愛しており、社員の勧めもあったため応募したという。田中さんは「西郷さんは郷土の誇り。兄貴分のような存在だった西郷さんから学んだことを演じきりたい」と抱負を語った。
主演の榎木さんは「田中さんは、私が抱く西郷像とも重なるところがあった。すばらしい映画になると思う」と話していた。
映画は17日にも撮影が開始され、鹿児島市の仙巌園や南洲墓地、伊佐市などを舞台に、約2か月間のロケが予定されている。公開は来年5月の予定。
映画「半次郎」西郷役は指宿出身の男性 鹿児島市でオーディション
幕末維新期に活躍した薩摩藩出身の桐野利秋(中村半次郎)を描く映画「半次郎」に出演する西郷隆盛役のオーディションが3日夜、鹿児島市のアミュプラザ鹿児島であった。主役を演じる榎木孝明さんと五十嵐匠監督が審査。全国公募の最終選考に残った15人から、指宿市出身で名古屋市在住の人材派遣会社社長田中正次さん(48)を選んだ。
田中さんは「後輩を育てる兄貴分の西郷さんを演じきりたい」と抱負を語った。榎木さんは「田中さんなら自分の思いを託せる」、五十嵐監督は「包み込むような存在感と優しさがあり、主役と張り合える」と期待した。
西郷は劇中でも重要な役割を担い、オーディションは全国から350人以上が応募。書類選考で合格した九州地区の13人に東京で8月下旬に選抜された2人も加わって全員が浴衣姿で登場、西郷役になりきり特技などを披露した。
本格的な撮影は9月中に開始。公開は来年5月の予定という。
オーディションの写真が面白いです……西郷さんが一杯(笑)。
コラム
【連載】 今、歴史から元気をもらおう(27)改革者・鍋島直正
[今、歴史から元気をもらおう]
藩の実権を握って前藩主の寵臣たちを罷免、改革派を登用して本格的な藩政改革に乗り出した鍋島直正は、財政再建、農村改革、教育改革を藩政再建の三本柱とした。この改革運動の大きな推進役となったのが古賀穀堂である。穀堂は早くから「洋学研究」の必要性を説き、自然科学も政治経済もオランダだけでなく広く西洋の諸国に学ぶべきであると主張していた。奇跡といわれた幕末佐賀藩の藩政改革の底流に穀堂の啓蒙思想があったことはまちがいない。穀堂は直正とともに佐賀に戻った翌年、「済救封事」を現わして藩政再建の具体的な指針を示した。その骨子は、質素倹約の励行、人材の登用、産業振興、学問の奨励などであった。六歳のときから穀堂の薫陶を受けていた直正は、彼の死後もその思想を受け継いでブレることがなかった。
直正が先ず手をつけなければならなかったのは借金(当時は銀で取引していたので正確には借銀)の整理である。借銀の精算は「利留永年賦」と「打切」によって行われた。「利留永年賦」は利息を全額免除のうえ、元金を最長百ヵ年賦で少しずつ返済し、「打切」は元金のごく一部を支払い残額は藩に献金させて清算するという現在の民事再生法も顔負けの手法である。こうして佐賀藩は実質的にはほとんどの借銀を踏み倒してしまった。ソロバン高いはずの大阪商人が、直正のことを「ソロバン大名」と呼んであきれたという話が伝わっている。
佐賀藩はもともと豊かな農業生産を誇っていたが、商品経済の浸透につれて農民たちは土地を質にいれて借金し、その結果、土地を手放して商人地主から土地を借りて小作料を支払いながら農業をおこなう小作人に転落していった。ために農民たちは年貢と地代の二重の負担に苦しむことになる。そこで、佐賀藩は「農商分離」の政策を採用、「加地子猶予」を発令して小作人が地主に納める地料(加地子)を減免して年貢徴収を確実なものとするとともに農民を保護するという抜本的農村改革を行った。
穀堂は、かねて意見書「学政管見」で「新しい時代を担うべき有為な人材育成のためには、教育予算は削らず、逆に三倍にふやすべき」と主張していたが、直正は藩主になると同時に、藩財政は最悪の状態にあるにもかかわらず藩校弘道館の充実を指示した。弘道館の予算は当初百七十石だったが、佐賀城北堀端に移転した天保11年(1840)には、千石に加増、敷地も千九百坪から五千四百坪に広がり、教室や講堂、武芸場、寄宿舎など設備の充実を見るにいたった。上級から下級まで全ての藩士子弟の入学を求めた弘道館における教育は厳格をきわめ、課業は朝六時からときとして夜十時に及んだ。校則となる「文武課業法」は、優秀な成績を収めたものは、身分にかかわらず藩政に抜擢する一方、二十五歳までに学問と武道が一定の水準に達しないときは家禄を減らすと明示していた。
安政元年(1854)7月、直正は長崎でオランダから幕府に贈られたスームビング号(観光丸)に乗りこんだとき「私の家来たちは、とにかく学ばなければならないのだ」と語っている。改革が進んでいてもなお、直正が“学ぶこと”に藩の命運がかかっていると認識していたことを示す逸話である。弘道館で学んだ人材は藩政に登用され、佐賀藩が西洋の最新の情報を吸収し消化する原動力となった。幕末期の佐賀藩は、幕府をもしのぐ日本最先端の強力な科学技術力、軍事技術力を実現していたのである。銑鉄を溶解するための反射炉を日本で最初に手がけた佐賀藩の蘭学研究は他藩にさきがけていた。
佐賀藩の蘭学研究は医学から始まっている。天保5年(1834)に設立された「医学館」は、当初漢方医学を教えていたが、佐賀蘭学の先駆者といわれる島本良順が寮監となってからは蘭学を積極的にとりいれ、やがて「医学館」から独立しての「蘭学寮」がつくられる。さらに「蘭学寮」が「火術方」の管理下におかれるようになると、蘭学寮では語学だけではなく、科学・軍事にわたる西洋の知識が急速な勢いで研究される。財政再建で生み出された余裕資金は軍備の充実にまわされた。戊辰戦争のとき、上野の山に立てこもった彰義隊を木っ端微塵に吹き飛ばしたのは佐賀藩の2門のアームストロング施条鋼砲だった。このアームストロング砲は会津の会戦でも威力を発揮し、勇猛を誇る会津武士の息の根を止めた。
明治2年(1869)1月20日、薩長土肥の4藩主が版籍奉還の建白書を提出した。翌3年までには全部の藩が奉還を終り、旧藩主はそのまま藩知事に任命された。明治4年(1871)4月14日、廃藩置県が断行され日本は中央集権政府のもとに統一される。直正はその年の1月すでに死去していたので、彼はついに新しい「佐賀県」の誕生を目にすることはなかった。
小宮 徹/公認会計士
文化芸能
要潤:「目指すは土方の“男気”」 司馬遼太郎「燃えよ剣」の朗読劇に挑戦
俳優の要潤さん(28)が、新選組副長の土方歳三を描いた司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の朗読劇に挑んでいる。舞台に上がるのは、要さんとフラメンコギターの沖仁さん、カンテ(歌)の高岸弘樹さんの3人だけという構成で、13日に増上寺(東京都港区)で開かれる東京公演を前に、要さんに意気込みを聞いた。【岡本同世】
--「燃えよ剣」を読んだことはありましたか?
司馬先生の本は、まず「竜馬がゆく」から入ったんですね。役者を始めるときに、付いてくれたマネジャーさんが、「役者をやるなら『竜馬がゆく』を読んでおけ」ということで買ってくれて。(自分は)歴史が好きで好きで、というタイプじゃないんですが面白くて。その次に「燃えよ剣」に行ったんですよ。それが9年前で、そこからいろんな小説にフラフラしながら。
--今回オファーが来たときはどう思われましたか。
この話が来たときにまず、「燃えよ剣」ということはもちろんあったんですけど、1人舞台というところに(気持ちが)フックしたんですね。1人というのは面白いな、と思って。どういう話か聞いたら「朗読活劇」、なんだそれはと。朗読、さらに活劇ですから。舞台上で本を読んで、あるときは本を手放して刀を持って体で表現する、というところにすごく魅力を感じて、「じゃあやらせてください」と。
--要さん自身の土方像を教えてください。
日野(東京都日野市)という田舎町で(育って)けんかや剣が強い。やんちゃで暴れん坊で、そういう部分を大事にしていきたいなと思ったんですね。今まで本当にたくさん名優が演じてらっしゃるんですけど、「司馬先生の思い描く土方歳三ってどんなんだろう」と思ったときに、そこ(原作での設定)をかなり掘って掘って考えた。げたのかかとを「カーンカーン」と鳴らしながら歩いてくっていう、そんな人物を描いていこうかと思ってます。
--土方に対してどんな思いがありますか。
「燃えよ剣」京都公演で熱演する要潤さん まず、男っぽいというところが僕はすごく好きで。何でもかんでも「男気」なんですね。「男の一生というものは美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」というせりふがあるんですけども、それが非常に土方歳三を表しているなと。彼が生まれてから死ぬまでの人生の中で、それに尽きると思ったんですね。(新選組について)現代に投影して考えても、やっぱり引っ張っていくやつがいて、引っ張られるやつがいて、統括するやつがいて、その他に普通の兵隊がいて、という縮図になってる。自分が一生の中でどのポジションに入るのかっていうのは、振り返ってみないと分からないけど、目指すところは、僕は土方だなと思っています。
--土方は剣の名手ですが、殺陣の演技について聞かせてください。
「池田屋襲撃」と「五稜郭の戦い」という二つ山場があるんですけど、司馬先生の描き方が、エンターテインメント性があるというか、読むだけでわくわくする絵が浮かんでくる。そこに余計な殺陣を入れると、果たしてどうなんだろうって思った。刀を振るうという殺陣じゃなくて、土方歳三の心の動きを重点的にしたいなと。(朗読を)聞いているだけで絵が浮かんでくると思うので、邪魔をしたくないというのが一番ですね。
--他の登場人物との演じ分けについては。
表現の仕方では落語に近い。落語って不思議で、声色を変えてなくても、右と左を振り向いたときにキャラクターが変わる。すさまじい技だなと思ったんですね。声色を変えようと思って変えてるわけじゃないと思う。今回その技を取り入れようかなと。右を見て近藤勇がしゃべっているふうにして、左を向くと土方歳三がしゃべっているっていう。お雪という女性も出てくるので、(声色を)変えるとしたら女性まで変えなきゃいけない。悩んだんですが、落語のような戦法でいこうかなと。イメージは、沖田総司は丁寧で品があって、近藤勇には土方よりは一つ年上ですが、自分の中での武士像とか、「自分はこうしたい」というのをはっきり持ってなかった。そういう対比を作りました。
--幕末という時代の魅力を教えてください。
読む限りでは、「日本を変えてやろう」と思う人間がたくさんいたんだなと。すなわち国に不満を持って、「おれだったらこうする」「こっちの派閥に入る」とか、そういうのがはっきりしてるんですね。自分が思ったことを言って、思ったように行動して、それがあからさまに結果に出るというところに僕は魅力を感じた。今の時代はどうしても情報が多くて、何かしらこう、みんなから頭を出すことに恐怖感というか、「たたかれるんじゃないか」というところを真っ先に考えてしまう。そこがもうすでにだめだと思うんですけど。そういうことを同年代の人たちに見ていただきたいなと思います。
--7月公演の舞台は新選組ゆかりの京都・壬生寺でした。
京都公演の舞台になった新選組ゆかりの壬生寺 (開演が午後)6時なのでちょうど日が沈みかけたころに始まるんですよ。僕らは「ああ、こういうことか」と、舞台に立って初めて(分かった)。作られた照明ではなくて、(その場の)世界観がその場で味方してくれるというか。刀を持って、黒い服を着て、白いシャツでオールバック(の髪形)で、そこに立てば「土方歳三さんだな」っていうのがぱっと見て分かるようなシチュエーションを作ってますね。これは(出演した)3人共通の意見ですが「楽しかったね」って。すごく気持ちよかったんですね。リハーサルで、「ここは泣かせる音楽」とか、6割くらいしか決めてなかったんです。音楽の沖さんも高岸さんも、ダンサーに合わせてアドリブを見せ、ダンサーがヒートアップすれば(声を張り上げて)歌うし、ダンサーが踊るのを止めれば、ばっと歌うのも止める。(今回は)「どこで入りますか」って聞いても、「適当にお任せしますよ」っていうのが2人の意見で、「じゃあ聴きながら適当に入りますね」って、入ったらすごくぴったりで。ぼくがヒートアップして、がーっとしゃべってそこでせりふがトンと終わったら、彼らもトンと止める。そのキャッチボールがうまくできた。
--観客の反応は。
新選組のファンの方もすごくたくさんいらして、「うんうん」ってうなずいてました。感動する部分では泣いてくれたりして。一人一人の顔はもちろん見えないですけど、「伝わってなんぼ」っていうところがあって。「伝わってほしいな」と思いながらしゃべっているんですけどね。反響は賛否両論、ばっと分かれたんですよ。よく考えると、何か新しいことを始めたとき、賛否が分かれる。真ん中がないというか。そういう意味では(評価が分かれたことも)良かったのかなと。今回はデジタルとか最新技術とか全く関係ない世界なので、現代のぜいたくな映像を見てきた皆さんがどれだけ反応するのかなと。「全然だめだ。音楽も声もバラバラで」っていう方もいらっしゃいました。でも「その生っぽいところが大好き」という方もいらして、すごくありがたい意見でしたね。
朗読活劇「燃えよ剣」の京都・壬生寺公演で熱演する要潤さん --役者として観客に相対するのは要さん一人。一対多数という環境はいかがでしたか。
もうまさにチャレンジ。出る前までは本当にプレッシャーで「できるのかな」とか「せりふがとんだら終わりだな」とか、いろいろ考えたんですけど、共演者がいないということで「ノンプレッシャーだな」というところに思考をチェンジしたんですよね。せりふがポーンと飛んでもそのまま間として成立して、思い出せばまたパズルのピースのようにはめていける。そう考えることですごく楽になれたし、自分を信じていける。自分が表現者として視線を集めていけると。
--これから東京公演ですね。
京都で得たすごくいいものを東京に持っていって爆発させられれば、さらにいいものが得られるんじゃないかという気がします。今後も日本人だからこそできる、こういう企画をやっていけたらいいなと思います。縁がなければ巡り合える作品じゃないと思うし、一緒に成長できる作品だなと。希望としては、一つのライフワークとして、これからずっと、毎年1回でも2回でもやっていけたらと思うんです。(土方が死んだ)35歳になるまでは土方さんと同じように歩んでいければと思っています。
*……朗読活劇レチタ・カルダ「燃えよ剣」は13日午後6時、増上寺(東京都港区)で開演。全席指定で7000円。問い合わせは、キョードー東京(03・3498・9999)まで。
<プロフィル>
要潤(かなめ・じゅん)。81年2月21日生まれ、香川県出身。01年に「仮面ライダーアギト」でデビュー。ドラマ「流星の絆」(08年、TBS系)や主演映画「ピューと吹く!ジャガー」(08年、マッコイ斉藤監督)、「GOEMON」(09年、紀里谷和明監督)などで幅の広い演技を見せている。
洋装・土方を演じる要潤さんの写真、もっとアップで見たいなぁ(爆)。
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昨日に続き、今日も曇りです。夕方には雨が降るとか……さらに涼しくなるかな。
秋田
役者絵の今昔展:仙北・角館樺細工伝承館で /秋田
栃木
田崎草雲しのび112回法要 足利・長林寺
千葉
秋篠宮ご夫妻、佐倉市で美術鑑賞 オランダデザイン展
東京
師・勝海舟像に成功祈願 ミュージカルオペラ『龍馬』
神奈川
金沢文庫が開港時の様子伝える企画展/横浜
金沢文庫が開港時の様子伝える企画展/横浜
幕末期の和洋折衷住宅を相模原市に寄贈へ
幕末期の和洋折衷住宅を相模原市に寄贈へ
長崎
咸臨丸やタイタニック号、市に模型贈る 長崎の宮崎さん趣味で製作
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(26)東大教授・山内昌之 岩倉具視
「私の世代は、岩倉の肖像が刷られた五百円札を見ながら育った。子供心に何という“悪相”かと、紙幣の顔をしげしげ眺めたものだ」……実は私もそう思ってました(苦笑)。
知床記者の見てある記
ラッコのクーちゃんが教えてくれる自然との共生
ブックレビュー
書籍:民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
書籍 民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
<書籍>民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
文化芸能
野口五郎「変わった勝海舟を演じたい」
主役で年下の龍馬がバリトン声で、脇役で年上の勝海舟がテノール声……伝統的なオペラ作品ではあまり考えられないパターンですね。
野口五郎「僕は武田鉄矢さんに似てる!?」
秋田
役者絵の今昔展:仙北・角館樺細工伝承館で /秋田
13日まで、仙北市角館町表町の角館樺細工伝承館で「役者絵の今昔展~幕末から現代」が開催されている。浮世絵の一分野“役者絵”を紹介する作品展。幕末期の歌川派をはじめ、明治期の月岡芳年、大正昭和期の名取春仙、現代の浮世絵師・弦屋光渓などによる役者絵約60点を展示。9~17時。入場料一般300円、小中生150円。電話0187・54・1700同館。
栃木
田崎草雲しのび112回法要 足利・長林寺
【足利】幕末から明治にかけて活躍した足利ゆかりの文人画家、田崎草雲(1815~98年)の112回忌の法要(画聖田崎草雲顕彰会主催)が1日、西宮町の長林寺で行われた。
大豆生田実市長や市民ら約35人が集まった同寺本堂で、同顕彰会の金井敏夫会長が「先生に尊敬の念を抱く多くの方々に感謝し、今後も活動を続けていきたい」とあいさつ。白金昭文住職が読経を上げた後、参列者は境内にある草雲の墓所に線香を供え、手を合わせた。
この後、足利郷土史料研究所を主宰する菊地卓さんが「南画家田崎草雲のふたつの墓碑」をテーマに講演を行った。
千葉
秋篠宮ご夫妻、佐倉市で美術鑑賞 オランダデザイン展
秋篠宮ご夫妻は3日、日本とオランダの通商400周年に合わせて千葉県佐倉市の市立美術館で開催中の「オランダデザイン展」を鑑賞された。
佐倉市は幕末に佐倉藩が蘭学を積極的に取り入れていたのが縁で、約20年前からオランダと盛んに交流を重ねている。ご夫妻も8月、通商400周年記念式典出席などでオランダを訪問した。
同展は主に1920年代以降、オランダ人デザイナーやオランダのメーカーが発表した家具や家電製品を「革新性」「合理主義」など作品の特徴ごとに分類して展示。
ご夫妻は「面白い」「すてきですね」と言葉を交わしながら、木漏れ日が差すように日光を通すレースのパラソルや、古着を束ねて作ったいすなど個性的な作品を見て回った。
東京
師・勝海舟像に成功祈願 ミュージカルオペラ『龍馬』
幕末の志士、坂本龍馬を題材にしたミュージカルオペラ「龍馬」の発表記者会見が二日、龍馬が師と仰いだ幕臣・勝海舟の生誕地、墨田区で行われた。会見後には関係者が、同区役所敷地内に立つ勝海舟像の前で、公演の成功を祈願。東京公演は十一月十七~二十三日、台東区浅草の浅草公会堂で行われる。 (丹治早智子)
会見は墨田区役所内で行われ、山崎昇区長、吉住弘台東区長も同席。公演を企画した高知県在住のオペラ歌手でプロデューサーの岡本光正さんは、「今の日本があるのは約百四十年前の龍馬の活躍なくして語れない」と意義を語り、墨田区で発表会見を行うことについて「龍馬を育てた勝先生ゆかりの地から出発できることは感無量」と喜びを語った。
脚本を手掛けたジェームス三木さんは「龍馬を題材にした作品はこれまで山ほど作られている。今回は、民主主義を最初に考えた日本人として龍馬を描いた」と見どころを紹介。演出を手掛ける俳優、江守徹さんとの名コンビぶりも披露した。
同作品には、龍馬役にオペラ歌手の平良交一さん、勝海舟役に歌手の野口五郎さんが出演。来月二十四日に龍馬の出身地、高知県で初演が行われる。東京公演には、墨田、台東の両区もけいこ場や公演会場を提供するなど協力している。
公演の問い合わせは「龍馬」東京事務所(スガジャズダンススタジオ内)=(電)03(5284)8440=へ。
神奈川
金沢文庫が開港時の様子伝える企画展/横浜
金沢文庫が開港時の様子伝える企画展/横浜
「幕末明治の横浜・金沢」と題した企画展が、横浜市金沢区金沢町の県立金沢文庫で開かれている。所蔵している浮世絵や絵画、文献の中から約80点を公開し、江戸末期から明治時代までの横浜港や金沢地区の様子を伝えている。10月4日まで。
1854年にペリーが来航時に乗っていた蒸気船「ポーハタン号」の絵画、同年の日米和親条約締結時の宴席に出された料理に関する文献、港や関内近辺を英語を交えて紹介した地図、明治初期の横浜駅(現・桜木町駅)に蒸気機関車が停車している様子を描いた浮世絵などが展示されている。
訪れた同市栄区の無職浜清隆さん(73)は「遊郭で踊る外国人など、開港当時の華やかな横浜を知ることができて面白い」と見入っていた。
午前9時から午後4時半までで月曜休館。観覧料などの問い合わせは県立金沢文庫電話045(701)9069。
幕末期の和洋折衷住宅を相模原市に寄贈へ
幕末期の和洋折衷住宅を相模原市に寄贈へ
19世紀後半の幕末期の「和洋折衷(せっちゅう)住宅」とされ、国登録有形文化財の「中村家住宅主屋(しゅおく)」(相模原市磯部、個人所有)について、所有者が相模原市に寄贈することで合意したことが、2日までに分かった。市は来年4月に一般公開する予定で、施設改修費約1280万円を含む補正予算案を、開催中の市議会9月定例会に提出した。
県教育委員会によると、中村家住宅は県内の国と県の有形文化財の中で、唯一現存する幕末期の和洋折衷住宅という。
市文化財保護課によると、同住宅は木造2階建てで、延べ床面積は約420平方メートル。隣接する建物に慶応3(1867)年建立という文字があり、主屋も同じ時期に建てられたとされる。
内部は和室などが配されて「和風」、縦長に配した窓は「洋風」となっている。「幕末期の和洋折衷住宅として全国的にも極めて重要な建造物」との理由で、国が2006年に文化財登録した。
今回の寄贈は、「市民に文化遺産として活用してほしい」と所有者が申し出た。予算案に計上されたのは、一般公開に必要な防火や防犯の設備の工事費。2日開催の市議会で、岡本実教育長は「(住宅を紹介する)案内板を設置し、パンフレットを作成する」と答弁した。
長崎
咸臨丸やタイタニック号、市に模型贈る 長崎の宮崎さん趣味で製作
長崎市城栄町の宮崎工房代表の宮崎應男さん(70)は2日、木製模型の咸臨丸(125センチ)、プリンスウィレム号(74センチ)、エスメラルダ号(116センチ)、タイタニック号(107センチ)の計4基を市に寄贈した。
模型は、宮崎さんが趣味で15年ほど前から製作。これまで6基の帆船、客船模型を手掛けた。昨年12月に知り合いの市職員を通じて申し出があり、寄贈が決まった。
咸臨丸は、幕末に江戸幕府がオランダに発注した軍艦で、1857年に長崎に入港した。実物の50分の1の大きさで、約1年がかりで製作。帆やマスト部分などが精巧に作られている。
宮崎さんは「不十分な部分があるかもしれないが、子どもがもの作りに興味を持つきっかけになれば」と話した。田上市長は「すごく精巧で素晴らしい」と礼を述べ、感謝状を手渡した。
4基の模型は、年内にも同市南山手町のグラバー園に展示する予定だという。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(26)東大教授・山内昌之 岩倉具視
小選挙区制はドラマを起こす。この劇場性は、1993年10月のカナダ下院の総選挙結果を知る政治家なら誰でも気がついていたはずだ。カナダ下院の当時の定数は295議席。首相は、与党の進歩保守党首のキャンベルで、カナダ最初の女性宰相であった。実際、進歩保守党は1988年の総選挙で295議席中169の議席を獲得して政権の座に就いていた。
しかし、93年に総選挙が行われると、何とキャンベル首相の進歩保守党は2議席を除き全選挙区で落選した。首相はじめほぼ全閣僚が議席を失ったのだ。
日本では比例代表並立制のため、今回の選挙で同じ結果は生まれなかったが、事態はまさにシーチェンジという言葉を思いださせるほどだ。“海の作用による著しい大変貌(へんぼう)”ともいうべき政治地図の塗り替えによる政権交代は世界史でもめったにあるものでない。
シーチェンジ実現
しかし、こうした劇変に、制度の変更から政党の再編や人脈の形成のひだにいたるまで絡んだ人物のいるあたりが政治の妙だ。小沢一郎氏は、自民党幹事長を務め、首相の地位にも手が届きながら、自ら望んで苦難の道を選んで今回の政変を実現した。氏が日本の憲政史に残ることは間違いない。その個性は、狷介(けんかい)孤高とか独立不羈(ふき)という中傷めいた評言を意に介さず、政権交代と自民党解体という目的に一意専心してきた点にある。
そして、幕末に信念と個性でシーチェンジを実現した人物といえば、やはり岩倉具視であろう。岩倉は、天皇中心の近代日本国家をつくる大目標において一度もぶれなかった。弱体化した幕府にテコ入れするのが朝廷の利益になると思えば、将軍の徳川家茂に和宮を降嫁させ、公武合体を推進し、江戸に下って孝明天皇の威を高め、将軍老中の器量を見切る芸当もしてのけた。
貧乏下級公家の出身ながら、小ざかしく立ち回るので「岩吉」と蔑称(べっしょう)されても気にしなかった。尊皇攘夷(じょうい)派の浪士から命をつけ狙われると、1862(文久2)年に岩倉村へさっさと隠棲(いんせい)し、67(慶応3)年まで政治の表舞台から離れることになった。
待つことができる
しかし、薩摩藩と気脈を通じながら、ひそかに時節の到来を待った。岩倉が政治家として偉いのは、待つことができた点であり、沈黙を守る忍耐力に恵まれていたことである。第二次長州戦争が起こると、弱い幕府に見切りをつけた薩摩藩とともに公然、倒幕に舵(かじ)を切り、朝廷の動きを一挙に倒幕へもっていった。このあたりの強引な力量は、親幕だった孝明天皇の逝去という偶然にも支えられていたが、「岩吉」の面目躍如で公家離れしている。
岩倉は、小御所会議で山内容堂の佐幕論を葬り去り、対決倒幕のシナリオを描いた大変革のライターでもあった。そのうえ、岩倉は明治日本の近代国家設計者の一人でもある。彼は自ら使節団を率いて、その目で欧米社会の進んだ現実を見て回り、ショックを受けながら旧弊から脱皮する必要性を痛感し、帰国後に大久保利通などに手腕を振るわせたのだ。
強い気迫と信念こそ
政治家岩倉が関頭に立ったのは、征韓論をめぐる西郷隆盛との対決であろう。大久保でさえ竹馬の友、西郷との決別ともなれば、ひるまなかったとはいい切れない。しかし、西郷に威嚇されて、卒倒した三条実美(さねとみ)と違って岩倉はたじろがなかった。西郷と正面から全身全霊でぶつかった同時代人は他にいない。岩倉の強い気迫と信念こそ、西郷との政争に打ち勝った最大の要因であろう。
私の世代は、岩倉の肖像が刷られた五百円札を見ながら育った。子供心に何という“悪相”かと、紙幣の顔をしげしげ眺めたものだ。
しかし、本来、政治家に必要なのは何事かをなさんという迫力であり、みめ麗しい容貌(ようぼう)ではありえない。“イケメン”や“明眸皓歯(めいぼうこうし)”といわれて悦に入る風潮や世相にも困ったものだ。
ある時、小沢一郎氏が「政治家の顔のことをいっちゃおしまいだ」と語ったのを鮮明に憶(おぼ)えている。岩倉の人相を見るにつけても、シーチェンジで誕生した“小沢チルドレン”が顔や口舌でなく、政策と信念で勝負する政治家になることを期待したい。(やまうち まさゆき)
【プロフィル】岩倉具視
いわくら・ともみ 幕末・明治の公家、政治家。文政8(1825)年、前権中納言、堀河康親の次男として京都に生まれる。岩倉具慶(ともやす)の養子になり、孝明天皇の侍従に。公武合体を唱えて和宮降嫁を推進し、尊攘派によって一時、宮中を追われる。薩長と接近して王政復古を進め、維新後は副総裁として新政府の中心人物となる。明治4(1871)年には外務卿、右大臣となり、特命全権大使として欧米各国を歴訪。帰国後は三条実美太政大臣の代理として征韓論を退ける。自由民権運動の高まりに対し、憲法制定の方針を定め、華族・皇室の地位擁護に努めた。胃がんを患い、明治16(1883)年、59歳で死去。
「私の世代は、岩倉の肖像が刷られた五百円札を見ながら育った。子供心に何という“悪相”かと、紙幣の顔をしげしげ眺めたものだ」……実は私もそう思ってました(苦笑)。
知床記者の見てある記
ラッコのクーちゃんが教えてくれる自然との共生
(中略)
ラッコはかつて北太平洋一帯に数十万頭はいたといわれている。しかし、17世紀から、ラッコの上質な皮が高価に取引され乱獲された。ロシア船がラッコを追って、北海道周辺に現れるようになる。日本が開国に追い込まれ、明治維新をもたらした遠因の一つがラッコだという見方もある。
ブックレビュー
書籍:民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
書籍 民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
<書籍>民主党関連の売れ行き好調 「幕末」も人気
政権交代実現を受け、東京都内の書店に民主党関連の書籍が多く並んでいる。党の政策を解説した本の売れ行きも好調だ。同時に幕末の激動期をテーマにした書籍も人気を集めているといい、「変革」に対する関心の高さがうかがえる。【工藤哲】
(中略)
「民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?」(1500円、ダイヤモンド社)などの売れ行きが好調で、重点政策の年金問題の解説書も並んでいる。政権交代で日本が大きく変わることが予想されるため、隣に「大転換の時代を生き抜く術(すべ)」と銘打った売り場も設置。幕末や戦後の混乱期の時代状況を伝える書籍約300点を並べた。
文化芸能
野口五郎「変わった勝海舟を演じたい」
歌手の野口五郎(53)は9月2日、都内で行われたミュージカルオペラ「龍馬」(脚本・ジェームス三木、演出・江守徹)の製作発表に出席。幕末のヒーロー、坂本龍馬の波乱の人生を描く舞台で、龍馬の恩師、勝海舟を演じる。龍馬役はバリトン歌手の平良交一。「僕の声はテノールなので、平良さんといい化学反応を起こすのでは。ちょっと変わった勝海舟を演じたい」。10月24日の高知公演を皮切りに全国で公演。世界公演も視野に入れている。
主役で年下の龍馬がバリトン声で、脇役で年上の勝海舟がテノール声……伝統的なオペラ作品ではあまり考えられないパターンですね。
野口五郎「僕は武田鉄矢さんに似てる!?」
オペラ歌手・平良交一や、歌手・野口五郎たちが2日、東京・墨田区でミュージカルオペラ「龍馬」の制作発表会を行った。
舞台は、理想を追い求め、命を懸けて明治維新を実現させた坂本龍馬を、ミュージカルとオペラを合わせた形式で描く。日本が誇る英雄を世界に紹介したいと、海外での公演も予定されている。
坂本龍馬役の平良は「スタッフのみなさんの熱いエネルギーをプレッシャーに感じず、自分のエネルギーに持っていき、大きな役をつとめさせていただきたい」と意気込みを語った。
坂本龍馬といえば、来年放送のNHK大河ドラマが決定しており、坂本龍馬を福山雅治、勝海舟を武田鉄矢が演じる予定になっている。
「大河ドラマのキャストを意識する?」との質問に平良は「見た目も近いので十分意識しております」と笑わせると、勝海舟役の野口も負けじと「僕も鉄矢さんとは見た目も(似ている)…って、なんでですか!」とノリツッコミで会場を笑わせた。
今日はめっきり涼しくなりましたね。
埼玉
川越城の堀復元 門設置、史跡公園に
静岡
黒船電車ホッチキス 静岡・伊豆急沿線で発売
黒船電車ホッチキス 静岡・伊豆急沿線で発売
大阪
ものの始まり:/6 全国学生相撲大会 /大阪
山口
資風祭:明治維新支えた白石正一郎の邸宅跡で顕彰--下関 /山口
埼玉
川越城の堀復元 門設置、史跡公園に
川越市は、川越城(川越市郭町)の堀で唯一現存する中ノ門堀跡を史跡公園とするための整備工事を、10月から開始する。堀跡は現在、保存修理中の川越城本丸御殿と蔵造りの街並みを結ぶ中間地点にあるため、公園を観光客が足を休める場所にも使ってもらい、新たな観光拠点としたい考え。来年4月の公園オープンを目指す。
中ノ門堀跡は、江戸初期の正保年間(1644~48)に始まった川越城の拡張工事によって造られた堀の一部とみられている。明治維新後、ほとんど埋め立てられたが、郭町の住宅地内の民有地(1078平方メートル)の竹やぶの中に、長さ約46メートル、幅約20メートル、深さ5メートルの堀跡が残っていた。
市はこの民有地を2008年5月に取得。今年10月から約5900万円かけて整備工事を進めていく。
堀跡の整備にあたって、市は08年度、歴史や土木工学の専門家、近隣住民を交えた「整備検討委員会」を発足。1年間かけて竹やぶの伐採や測量、埋蔵文化財の発掘調査、史跡公園の設計を検討してきた。その結果、堀の東側のり面は60度の急こうばいだったことが分かったが、当時の面影をそのまま復元しようと、工事では表面の土崩れを防ぐため洋芝を植えて安定させ、景観上にも配慮した格好とする。
堀跡の入り口には、歴史的景観をイメージし、2本の柱に横木を抜いて通した冠木(かぶき)門(高さ3・1メートル、横幅3・7メートル)を設置する。公園全体の構図としては、門をくぐると休憩スペースがあり、ベンチに腰掛けながら、堀跡が見渡せる状態となっている。
このほか、堀跡の東側には約2メートルの土壁を建て、敵からの襲撃に備え鉄砲を構えるための穴「鉄砲狭間(ざま)」を設置するなど、細部にもこだわった造り込みとなっている。
公園整備を担当する市教委文化財保護課では「公園は入場無料なので、多くの観光客に足を運んでもらって当時の時代を思い描いてほしい。周辺には多くの観光スポットがあるので、公園も含めた新たな散策コースを作りたい」としている。
静岡
黒船電車ホッチキス 静岡・伊豆急沿線で発売
黒船電車ホッチキス 静岡・伊豆急沿線で発売
伊豆急行(本社・伊東市)は1日から、人気車両「リゾート21・黒船電車」をかたどった「黒船電車ホッチキス」を沿線各駅の窓口で販売する。
ホチキスの下部は線路をイメージしたマグネットで、後部は収納スペースになっている。価格は1個900円。
「黒船電車」は展望座席や海向きに作られたシートがある「リゾート21」を、下田に来航した黒船に見立てて黒く塗装した列車で、平成16年に下田開港150周年を記念して運行を始めた。
車内には、幕末の歴史や当時の下田に関する資料を展示し、熱海-伊豆急下田間を運行している。
問い合わせは、(電)0557・53・1116同社鉄道部運輸営業課まで。
大阪
ものの始まり:/6 全国学生相撲大会 /大阪
◇90年の伝統、名力士輩出
◇堺・大浜はアマ相撲の聖地 往時、3万人が取組に熱狂
堺市の大浜は、第1回全国学生相撲大会が1919(大正8)年11月に開かれ、学生相撲発祥の地、アマチュア相撲の聖地と呼ばれる。当時、3万人の観衆が取組に熱狂したと伝えられる。
(中略)
相撲場のある大浜一帯は、明治から昭和初めにかけて、関西有数のリゾート地としてにぎわった。堺市によると、大浜公園は1879(明治12)年に開園、幕末の砲台場跡を活用した。堺市営で最も古い公園だ。
山口
資風祭:明治維新支えた白石正一郎の邸宅跡で顕彰--下関 /山口
幕末の志士らを資金面で支えた豪商、白石正一郎(1812~1880年)を顕彰する「第13回資風祭」(下関西部振興協議会主催)がこのほど、下関市竹崎町の白石邸跡であった。
白石は荷受け問屋などで財をなし、豊富な資金で高杉晋作や坂本龍馬らを援助。大きな後ろ盾となって明治維新に向かって歩み出す原動力に。白石邸では倒幕の先駆けとなった奇兵隊も結成された。
白石の雅号から資風祭と呼ぶようになったという。付近一帯が維新発祥の地として長く発展することを願い、毎年開かれている。今年も白石をしのんで有志らが吟詠や詩舞を奉納し、晋作を描いた紙芝居なども披露された。
この後近くの寿美礼旅館で野村忠司・市文化協会長が講演。「赤間神宮や中央霊園、桜山神社、東行庵の市内4カ所に白石の墓がある」などと説明した。【尾垣和幸】
昨日は台風11号の影響で風雨がかなーり強かった(一番風雨がきつい時間帯に外出していた、雨女です^_^;)ですが、今日は台風一過、ちょっと暑かったですね。夕方になり、涼しい風が入ってきたので、一段落しています。
北海道
間宮林蔵が見た世界とは…国際シンポ
神奈川
9月から篤姫の好物など再現のランチ/横浜ロイヤルパークホテル
9月から篤姫の好物など再現のランチ/横浜ロイヤルパークホテル
滋賀
ミュージカル:「天翔ける風に」 ええじゃないか踊りで演出--3日・大津 /滋賀
ミュージカル:「天翔ける風に」 ええじゃないか踊りで演出--3日・大津 /滋賀
京都
全国の5種飲み比べ、産地当てて
来月25日に京都大闘茶会
全国の5種飲み比べ、産地当てて 来月25日に京都大闘茶会
闘茶、「タイムスクープハンター」で紹介してましたね。加熱して全財産とか自分の首をかける『カイジ』的展開になっていたという記憶が……(汗)。
文化芸能
龍馬伝:龍馬の母・幸役を草刈民代 初のドラマ出演 スタジオ撮影スタート
<龍馬伝>龍馬の母・幸役を草刈民代 初のドラマ出演 スタジオ撮影スタート
2010年NHK大河『龍馬伝』、龍馬の生母役で草刈民代がドラマ初出演
2010年NHK大河『龍馬伝』、龍馬の生母役で草刈民代がドラマ初出演
北海道
間宮林蔵が見た世界とは…国際シンポ
江戸時代の探検家間宮林蔵にスポットを当てた国際シンポジウム「間宮林蔵が見た世界 デレン・サンタン人・石碑」が30日、函館市五稜郭町の市中央図書館で行われた。大阪学院大の大塚和義教授が林蔵自筆の現地取材メモの断片と思われる資料を見つけた経緯を説明するなど、研究者ら4人がそれぞれの研究成果を報告した。
「間宮林蔵の大陸の旅200年」実行委(代表・中村和之函館工業高等専門学校教授)が主催。市民ら約150人が参加した。
大塚教授は林蔵の自筆と判断した理由を「書簡の字体と似ている」と説明し、「今回断片が出たということはまだどこかに残っている可能性がある。それが見つかるきっかけになれば」などと語った。このほか、林蔵の足跡をたどって樺太などを訪れた際の現地の様子を写真のスライドで紹介した。
大塚教授に先立ち、京大大学院の松浦茂教授が「19世紀初頭江戸幕府の北方調査」と題して基調講演したほか、後半はロシア・サハリン州郷土博物館のタチヤーナ・ローン館長、中村教授がそれぞれ報告した。
神奈川
9月から篤姫の好物など再現のランチ/横浜ロイヤルパークホテル
9月から篤姫の好物など再現のランチ/横浜ロイヤルパークホテル
横浜美術館の「大・開港展―徳川将軍家と幕末明治の美術」と連動し、横浜ロイヤルパークホテル(横浜市西区)は13代将軍家定の御台所、篤姫の好物などを再現した特別ランチ「徳川遊膳」を19日から11月23日まで、日本料理レストラン「四季亭」で提供する。
“幕末のファースト・レディー”としてNHK大河ドラマにもなった篤姫は薩摩(鹿児島県)出身で、古里の味へのこだわりが強かったとされる。同ホテルは徳川記念財団や江戸・東京博物館などで将軍家の食生活に関する資料を収集。四季亭の小島行男料理長が篤姫の好物などを再現した。「現代風にアレンジしたが、将軍家の料理の雰囲気は実感してもらえるのでは」と広報担当。
お造りは献上品に欠かせないタイ。焼き物八寸は、さつま揚げや白インゲン豆の煮物。切り口が葵の御紋に見えるキュウリには篤姫の好物の麦みそを添える。煮物に替えて、篤姫が好んだ豆腐を揚げだしにして提供する。
3465円(税・サービス料込み)。同期間に開催される「大・開港展」の鑑賞券持参で10%引きになる。予約・問い合わせは同ホテル・レストラン予約電話045(221)1155。
滋賀
ミュージカル:「天翔ける風に」 ええじゃないか踊りで演出--3日・大津 /滋賀
ミュージカル:「天翔ける風に」 ええじゃないか踊りで演出--3日・大津 /滋賀
◇県内のエキストラら30人--3日、びわ湖ホール
3日にびわ湖ホール(大津市打出浜)で公演される幕末の志士たちを描いたミュージカル「天翔(あまか)ける風に」の舞台で、県内のエキストラら30人が江戸民衆にふんして「ええじゃないか踊り」を披露する。
原作は野田秀樹の『贋作・罪と罰』。殺人を犯して苦しむ架空の人物・三条英(はなぶさ)をヒロインに、坂本竜馬との恋や時代の転換期の様子を描く。江戸城を攻撃しようと、町中を踊りながら城になだれ込もうとする民衆を、公募で選ばれたエキストラたちが演じる。10代から70代まで45人の応募があったという。
8月27日に同ホール
であったエキストラのけいこに参加した草津市笠山5の無職、鈴鹿暁美さん(69)は「ミュージカルが好きで、出演者の方と一緒に舞台に立てたらと思って応募した。踊りはストレス解消になる」と元気よく体を動かしていた。午後7時開演、S席6000円、A席4000円。問い合わせは同ホールチケットセンター(077・523・7136)。【村瀬優子】
京都
全国の5種飲み比べ、産地当てて
来月25日に京都大闘茶会
全国の5種飲み比べ、産地当てて 来月25日に京都大闘茶会
市民100人が京や九州、静岡の茶を飲み比べ、産地や品種を当てる「京都大闘茶会」が10月25日、京都市中京区のホテルで開催される。全国で最も古く結成されたとされる市茶業組合の創立130周年記念事業で、広く参加者を募っている。
同組合と市茶業青年会の主催。
闘茶は茶香服(ちゃかぶき)とも呼ばれ、宋代の中国に起源を持つ。日本でも茶の伝来とともに広まり、室町時代には幕府から禁止令が出されるほど流行した。幕末から明治時代にかけ、煎茶を用いる形式で復活し、現代に続いている。
闘茶会では、順不同で出される宇治茶と八女茶の玉露、宇治茶・静岡茶・鹿児島茶の煎茶の計5種を飲み、味や香り、色からそれぞれの産地と種類を当てる。これを4回行い、計20点満点で競技を行う。参加者には記念の湯飲みが進呈される。
午後2時開始。また午前中には、視覚障害者を対象にした闘茶会も行われる。
参加費千円。市内の組合加盟店にある専用はがきに必要事項を記入し、申し込む。9月30日消印有効。問い合わせは大谷茶園TEL075(641)2581。
闘茶、「タイムスクープハンター」で紹介してましたね。加熱して全財産とか自分の首をかける『カイジ』的展開になっていたという記憶が……(汗)。
文化芸能
龍馬伝:龍馬の母・幸役を草刈民代 初のドラマ出演 スタジオ撮影スタート
<龍馬伝>龍馬の母・幸役を草刈民代 初のドラマ出演 スタジオ撮影スタート
俳優の福山雅治さん(40)主演の2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のスタジオ撮影が1日、東京都渋谷区のNHK放送センター内で始まった。龍馬の母・坂本幸(さかもと・こう)を女優の草刈民代さんが演じることが明らかになり、この日、龍馬の少年時代のシーンを収録。初のドラマ出演となる草刈さんは「今日が女優として初めての仕事の日。1シーン撮り終わりました。偉人の母役をやるとは夢にも思いませんでした」と緊張気味に語った。
「龍馬伝」は、幕末の英雄・坂本龍馬の33年の生涯を、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の視点から描いたドラマ。同郷の龍馬にあこがれる岩崎が、師事していた土佐藩参政の吉田東洋の暗殺を機に、龍馬を憎むようになるが、二人は長崎で再会し、衝突を繰り返しながら、「世界の海援隊を作る」という龍馬の遺志を引き継いでいく……というストーリー。
この日は、弱虫で頭も悪く怒られてばかりの少年・龍馬を、体の弱い母・幸がやさしく励ますというシーンを収録。草刈さんは世界的バレリーナで、96年映画「Shall we ダンス?」に出演、日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀主演女優賞を受賞。同作品の周防正行監督と結婚した。今年4月、自身がプロデュースした「Esprit~エスプリ~ローラン・プティの世界」を最後にバレリーナを引退した。「Shall we ダンス?」以来の演技で、草刈さんは「初めてのテレビドラマに参加させていただく者がこのような番組に参加させていただけて、いいチャンスだと思う」と話した。
他に龍馬の父・八平役の児玉清さん(75)、兄・権平役の杉本哲太さん(44)、権平の妻・千野役の島崎和歌子さん(36)も登場。少年時代の龍馬を演じる濱田龍臣さん(9)と龍馬の姉・乙女の子ども時代を演じる土屋太鳳(つちや・たお)さん(14)も収録に参加した。濱田君は「大河ドラマは初めてなので緊張しています」と話し、土屋さんは「大河は大好きで毎年見ている。出させていただいてうれしい。男の子のような乙女を演じたい」と話した。【服部美央】
2010年NHK大河『龍馬伝』、龍馬の生母役で草刈民代がドラマ初出演
2010年NHK大河『龍馬伝』、龍馬の生母役で草刈民代がドラマ初出演
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』のスタジオ撮影開始にともなう会見が1日、東京・渋谷の同局で行われ新たに福山雅治演じる坂本龍馬の生母・坂本幸役にドラマ初出演となる元バレリーナの草刈民代、幼少の龍馬の姉・坂本乙女役に土屋太鳳が発表された。草刈は「今日が私の女優としての初めての仕事の日。龍馬という偉人の母親役をやるなんて夢にも思わなかった。大変光栄に思います」と喜びを語った。
今年4月に行った公演をもってバレリーナを引退した草刈は、ドラマ初出演作が大河ドラマとなったことについて「初めてテレビドラマに参加させていただくのが時代劇で、由緒ある番組。いいチャンスをいただいたなって思います」と堂々たるコメント。役柄としては第1話の中盤で龍馬と死に別れることになるが、「龍馬が後々常に心に持っているような言葉を投げかけて亡くなってしまう。大きな仕事をしていく人を産み出した母親だったということを演じていきたい」と意気込んだ。
スタジオ内のメインセットとなる、ソテツの木が植えられた土佐の坂本家の前で行われた会見には児玉清(龍馬の父・坂本八平)、杉本哲太 (龍馬の兄・坂本権平)、島崎和歌子(龍馬の兄嫁・坂本千野)、濱田龍臣(幼少の坂本龍馬)ら“坂本ファミリー”が集結。児玉は「父親は真面目一本というような感じなので、素晴らしい妻だったんじゃないかと思う。龍馬には母親の血が流れていそう」と語り、笑いを誘った。
また「大河は初めてですが、すごい作品に出演させてもらって嬉しい。男の子のような乙女ちゃんを演じたいと思います」と話した土屋は、1000人近い参加者の女性子役オーディションを経て「いまどきの中学生とは思えない凛とした力強さを感じ、幕末の武家の娘にふさわしい魅力があった」(演出・大友啓史氏)との理由で選ばれた。
同作は、脚本をドラマ『HERO』『ガリレオ』『CHANGE』(すべてフジ系)など人気ドラマを手がける福田靖氏が担当し、坂本龍馬の生涯を後に三菱財閥の礎を築く幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視点から描いたオリジナル作品。
朝、早めに投票に行ってきました。投票率は好調なようで、開票速報特番を楽しみにしています。
佐賀
【早稲田のお宝】(5)大隈の生まれ故郷・佐賀
九州陶磁文化館:陶磁商の寄贈品展示 有田・田代家の旧蔵品432点 /佐賀
佐賀
【早稲田のお宝】(5)大隈の生まれ故郷・佐賀
大隈重信の生まれ故郷である佐賀県唐津市に平成22年4月、新しい中高一貫教育校が開校する。男女共学の「早稲田佐賀中学校・高等学校」だ。中学入試の定員は120人。現在、校舎や寮の整備を進めるとともに学校説明会を全国で開催するなど、生徒受け入れへ向けた準備が、着々と進んでいる。
進取の精神
佐賀は幕末、薩摩や長州とともに倒幕を果たし、明治維新を推し進める原動力となった。土地柄は「進取の精神」に富んでいる。
(以下略)
九州陶磁文化館:陶磁商の寄贈品展示 有田・田代家の旧蔵品432点 /佐賀
有田町の県立九州陶磁文化館でこのほど、新収蔵品展「肥〓山信甫(ひちょうざんしんぽ)と明治の有田」が始まった。08年度に寄贈を受け、新たに館蔵品となった陶磁器の中から、有田・田代家の旧蔵品192件432点を紹介している。
幕末から明治にかけて有田の陶磁商・田代紋左衛門は「肥〓山信甫」の銘で、輸出向けの陶磁器を製造販売した。展示品は当時の物で、「色絵果実文皿」など当時の洋食器や薄手の食器をはじめ、田代家に伝わった明治・大正期の製品が並ぶ。
これらの品々は、今年3月、紋左衛門の子孫の田代正敏さん(70)=有田町=ら兄弟6人から同館に寄贈された。展示会初日のこの日行われた県教委からの感謝状贈呈では、長崎県佐世保市に住む田代直輔さん(69)と川原洋子さん(73)も出席した。
正敏さんは「売れ残りで大したものはない」と控えめだが、同館は「美術工芸的にも素晴らしいものがたくさんあり、資料としても貴重。多くの人に見てほしい」と話す。
観覧無料。9月13日まで。【原田哲郎】
涼しくなるのが早いと書いた途端に、うだるような暑さ(汗)。明日は雨が降るそうな。
北海道
【白老】観光協会の水野さんにアイヌ工芸作品最高賞
滋賀
ミュージカル出演の市民ら初練習 大津で3日上演
文化人・直弼の横顔紹介
彦根 書写本や和歌展示
文化人・直弼の横顔紹介 彦根 書写本や和歌展示
佐賀
【都の西北 早稲田大学、127年目の飛翔】“進取の精神”佐賀で新たな「挑戦」
九州陶磁文化館:陶磁商の寄贈品展示 有田・田代家の旧蔵品432点 /佐賀
北海道
【白老】観光協会の水野さんにアイヌ工芸作品最高賞
アイヌ文化振興・研究推進機構が主催する2009年度アイヌ工芸作品コンテスト木工芸の伝統的作品部門で、白老観光協会職員の水野練平さん(31)作の「マキリ」が、最高賞になる優秀賞を獲得した。
コンテストは、木工芸や織物など3部門。水野さんが挑戦したマキリは、アイヌ民族が主に木彫りの加工に使った小刀のこと。刀身と木製のさやと柄からなる。水野さんは、幕末から大正にかけて択捉島で活動したアイヌ民族の名工、シタエホリ作のマキリをモデルに「自分なりにアレンジするというよりも、いかに忠実に再現するかにこだわった」と、原物が所蔵されている市立函館博物館へ直接足を運び、一つの作品をさまざまな角度から写真に記録。その数は100枚以上に上った。
製作期間は約3カ月。イタヤカエデをさやと柄の形に切り、彫刻刀で繊細な花模様を描き出した。「アイヌの木工品は機能性だけでなく、デザインに優れたものが多い。(作業を通して)名工たちの偉大さを再確認することができた」と振り返る。
アイヌ伝統工芸品との出合いは、昨年まで9年間勤務していたアイヌ民族博物館。館内に展示された作品の美しさに魅せられ、楽器「トンコリ」や木製のお盆「イタ」などの作り方を、先輩たちから進んで教わった。
伝承者が少ないとされる木工芸の伝統的作品部門で、水野さんは過去最年少での優秀賞獲得。文化伝承の担い手として懸かる期待も大きい。今後は観光協会職員の立場も生かし、今秋に同協会がインターネット上に開設予定の「北海道・白老ネット商店」で、自身の作品を販売する。「多くの人に自分の作品を知ってもらえたら」と話していた。
滋賀
ミュージカル出演の市民ら初練習 大津で3日上演
ミュージカル「天翔ける風に」が9月3日午後7時から、大津市のびわ湖ホールで上演される。一般公募で出演する民衆役の人たちが27日夜、同ホールでの初練習に挑み、意気込んだ。
出演するのは、オーディションで選ばれた10代から60代までの男女30人。幕末の江戸を舞台にしたミュージカルで、幕府を滅ぼす民衆のエネルギーを表現した「ええじゃないか」を踊る。
初練習では、振り付け助手の滝沢由佳さんが指導。民衆役たちは「ええじゃないか ええじゃないか」と連呼しながら両手足を激しく振り上げて踊った。滝沢さんからは「怒りをぶつけて」「今風でなく、幕末風に」と指示を飛ばした。
普段はジャズダンスをしているという民衆役の1人、草津市の小林恵理子さん(26)は「スターの人たちと一緒に舞台に立つのは初めてで、一度やってみたかった。どんな仕上がりになるのか楽しみ」と本番を心待ちにしていた。
「天翔ける風に」は、野田秀樹さん原作の「贋作・罪と罰」を元にしたミュージカル。演出、振り付けは謝珠栄さん。主演は香寿たつきさん。入場料はS席6000円、A席4000円。
問い合わせは、びわ湖ホールチケットセンター=電077(523)7136=へ。
文化人・直弼の横顔紹介
彦根 書写本や和歌展示
文化人・直弼の横顔紹介 彦根 書写本や和歌展示
徳川幕府の大老だった彦根藩主井伊直弼(なおすけ)(1815~1860)の文化人としての側面を紹介する企画展「井伊直弼の書と古典研究」が、滋賀県彦根市の彦根城博物館で9月1日まで開かれている。
重要文化財「井伊家文書」を中心に、直弼が書写した本や詠んだ和歌など30点を展示した。
20歳前後にしたためた「うもれぎのやの言葉」は、前藩主の14男として生まれ、行き場がなく文武の修養に励んだ心境を吐露。「伊勢物語」の書写本に細かな字でびっしりと書き込まれた注釈や引用からは、徹底して学問に打ち込んだ姿がうかがえる。
家臣に贈った花を入れる桶(おけ)には、直弼が好んで使った花押「柳」が記され、変革期の幕末にしなやかに生きたいとの心構えや願いが書き残されている。
佐賀
【都の西北 早稲田大学、127年目の飛翔】“進取の精神”佐賀で新たな「挑戦」
大隈重信の生まれ故郷である佐賀県唐津市に2010(平成22)年4月、新しい中高一貫教育校が開校する。男女共学の「早稲田佐賀中学校・高等学校」だ。中学入試の定員は120人。現在、校舎や寮の整備を進めるとともに学校説明会を全国で開催するなど、生徒受け入れへ向けた準備が、着々と進んでいる。
佐賀は幕末、薩摩や長州と並んで倒幕を果たし、明治維新を推し進める原動力となった。その土地柄を一言でいえば、「“進取の精神”に富んでいる」だ。
(以下略)
九州陶磁文化館:陶磁商の寄贈品展示 有田・田代家の旧蔵品432点 /佐賀
有田町の県立九州陶磁文化館でこのほど、新収蔵品展「肥〓山信甫(ひちょうざんしんぽ)と明治の有田」が始まった。08年度に寄贈を受け、新たに館蔵品となった陶磁器の中から、有田・田代家の旧蔵品192件432点を紹介している。
幕末から明治にかけて有田の陶磁商・田代紋左衛門は「肥〓山信甫」の銘で、輸出向けの陶磁器を製造販売した。展示品は当時の物で、「色絵果実文皿」など当時の洋食器や薄手の食器をはじめ、田代家に伝わった明治・大正期の製品が並ぶ。
これらの品々は、今年3月、紋左衛門の子孫の田代正敏さん(70)=有田町=ら兄弟6人から同館に寄贈された。展示会初日のこの日行われた県教委からの感謝状贈呈では、長崎県佐世保市に住む田代直輔さん(69)と川原洋子さん(73)も出席した。
正敏さんは「売れ残りで大したものはない」と控えめだが、同館は「美術工芸的にも素晴らしいものがたくさんあり、資料としても貴重。多くの人に見てほしい」と話す。
観覧無料。9月13日まで。【原田哲郎】
今日も最高気温は30度を超えましたが、湿度が低く風があるので案外しのぎやすかったです。
東京
絹の道 旅を楽しもう
八王子・尾崎さん ガイドブック出版
神奈川
横浜ロイヤルパークホテル、ケーキショップ「コフレ」でシュークリームのフェアを開催
美味しそうです。
新潟
ミュージカルの民衆役決まる
岐阜
どっしりと重厚な建築群に往時の風情
旧中山道中津川宿(中津川市)
岡山
重文・臥牛亭 解体修理へ 高梁市の保存会
山口
伊藤博文がもてなした“日本初の西洋料理”を再現 山口・下関
伊藤博文がふるまった歴史の味 “日本初の西洋料理”再現
伊藤博文がもてなした“日本初の西洋料理”を再現 下関
長崎
龍馬に会いたい:/10 愛津庄屋宅跡 /長崎
HTBに「龍馬伝館」開設へ 佐世保市など、ドラマ効果を県北にも
鹿児島
島津斉彬生誕200年記念ウィーク 鹿児島県、9月19―30日に多彩なイベント
東京
絹の道 旅を楽しもう
八王子・尾崎さん ガイドブック出版
鉄道の旅を楽しみながら、幕末から明治にかけて生糸の輸送路として隆盛を極めた絹の道を知るためのガイドブック「絹の道ものがたり」(日本地域社会研究所刊)が完成した。作者の八王子市打越町、炭焼三太郎(本名・尾崎正道)さん(63)は「今年は横浜開港150年、中央線開通120年の記念すべき年。この本を片手に、絹の道周辺の旅を楽しみながら自分独自のトラベルノートを作ってほしい」と話している。
絹の道は全長約40キロで、八王子に集荷された長野や群馬、埼玉などの生糸を町田を経て横浜まで運ぶ近道として利用された。また、この道を通じて海外から自由民権思想などがもたらされた。現在は宅地造成などにより寸断され、ほとんどが姿を消した。
ただ、八王子市鑓水(やりみず)地区にある約1・5キロの山道は往時の面影をとどめており、1996年に都内で唯一、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれた。尾崎さんは大学時代からこの道に関心を持ち、市議時代には道の整備・保存運動に尽力した。2年ほど前から、絹の道をより多くの人に知ってもらおうと出版を企画した。
本には、生糸の運搬に使用された中央線と横浜線、八高線をメーンに、左ページには各駅に下車した際に押すスタンプ欄を、右ページには施設の入場券やパンフレットなどを張り付ける欄を設けた。絹の道の概要や、絹に関連した資料館のリストも掲載されている。
本はA5判、140ページ。1200円(税抜き)。問い合わせは、日本地域社会研究所((電)03・5397・1231)へ。
神奈川
横浜ロイヤルパークホテル、ケーキショップ「コフレ」でシュークリームのフェアを開催
横浜ロイヤルパークホテルは、ケーキショップ「コフレ」で、今年で横浜港が開港150周年を迎えたのに因み、幕末から明治にかけて横浜でフランス人菓子職人が開いた洋菓子店から日本に広まったといわれるシュークリームのフェアを開催する。
(以下略)
美味しそうです。
新潟
ミュージカルの民衆役決まる
新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)で9月に上演されるミュージカル「天翔ける風に」のオーディションが26日、同館で行われた。参加者は、「ええじゃないか」とせりふを叫びながら、全身を使って民衆の高ぶった気持ちを表現。幕末を舞台した同作品に民衆役で出演する30人が決まった。
このミュージカルは、同市芸術文化振興財団などの主催。劇作家・野田秀樹さんの戯曲「贋作・罪と罰」をミュージカル化した。
オーディションには市内外から17~61歳の36人が参加。審査を担当する同演目の振付・演出家の謝珠栄さんの指導を受けながら、左右に跳ねる動きなど本番で踊る一部分を練習。1時間ほどで振り付けを覚え、審査に臨んだ。
謝さんは短時間で振り付けを覚えられたかなどを基準に審査。「特に年代が上の人から、佐渡おけさなどの郷土芸能に親しんでいることが伝わってきた」と評価した。
オーディション後、合格者は早速、けいこに取り組み、本番へ向けて気を引き締めていた。
合格した同市秋葉区の専門学校生(21)は「本番では勢いよく踊り、楽しい気持ちが伝わるように演じたい」と話していた。
9月6日午後1時開演。S席7千円、A席5千円、B席4千円。問い合わせは同館チケット専用ダイヤル、025(224)5521。
岐阜
どっしりと重厚な建築群に往時の風情
旧中山道中津川宿(中津川市)
中山道六十九次のうち中津川宿は江戸から数えて45番目。寛政年間(1789~1800年)のころには東西1・1キロ、家屋175軒、人口1230人の規模となり、隆盛を誇った。今日においても中津川市の中心市街地。道幅が狭く、もはや幹線とはいい難いが、往時の風情は残っている。そぞろ歩きの案内をしてみよう。
街筋の町名は東(江戸側)から淀川町、新町、本町。まず目を引くのが淀川町の高札(こうさつ)場。江戸時代に「お触れ」が立った所で、今はレプリカが掲げられている。ここから新町にかけてはいまひとつ古い建物が残っていないが、所々で土蔵が存在感を見せる。中でも「小栗屋」の2棟は明治の建築ながら黒しっくいで造られ、どっしりと重厚。
本町に入ると、旧街道の特徴である枡形(ますがた=道路の直角の折れ曲がり)が2カ所にあり、風情が増す。その東寄りに、あたかも主にように建つのは曽我家(昔は肥田家)。建物は江戸時代中期にさかのぼり、当時は庄屋と脇本陣を務めた。さらに西進すると、松霞堂(可児家)、十八屋(間家)、白木屋(横井家)、吉本屋・太田薬局(長屋建築)などの江戸建築群がある。
中津川宿は特に幕末期に逸話があり、「賊軍・天狗党が通行した際に浪士をかくまった」などの言い伝えが家々にある。屋根裏に「隠し部屋」のある家も多い。
二つ目の枡形を曲がると蔵元の「はざま酒造」。屋根に何本ものうだつがあり、景観に美しいリズムを奏でている。
メモ
▽あし 中央自動車道中津川インターから10分。JR中津川駅からは徒歩5~10分▽関連施設 中山道歴史資料館(本町2丁目)=月曜休館、電話0573(66)6888。(本文で紹介した各建物は現に使われており、内部は公開されていない)
岡山
重文・臥牛亭 解体修理へ 高梁市の保存会
備中松山藩主が政務を行った御根小屋内の建物として唯一現存する「臥牛亭」(高梁市内山下、市重要文化財)が今秋から解体修理される。築後約150年を経て柱、屋根など主な構造部をはじめ、建物全体が老朽化しているため。
臥牛亭は幕末、藩主板倉勝静が建てたとされる。明治維新後の廃城令を受け、同藩の財政を立て直した山田方谷が高梁川西岸の蓮華寺に移築。ほどなく、板倉家の始祖・勝重を祭る八重籬(やえがき)神社境内(現在地)に移された。木造平屋、12・4平方メートル。市重文指定は1958年。
修理では、現在の部材をなるべく残す方針。柱、垂木などは傷みが激しい部分のみ新材を継ぎ足し交換。雨漏りが発生しているため、瓦と屋根下地の間に防水シートを施す。建物の耐震性を増すため、壁に鉄筋の筋交いを設置する。シロアリ被害のある床、床下も新材に交換、防蟻(ぼうぎ)処理を施す。
事業主体は同神社を管理する地元住民らが昨年設立した「市指定重要文化財臥牛亭等保存会」(森光正美会長)。7月開かれた市文化材保護審議会で、修理が承認された。
山口
伊藤博文がもてなした“日本初の西洋料理”を再現 山口・下関
伊藤博文がふるまった歴史の味 “日本初の西洋料理”再現
伊藤博文がもてなした“日本初の西洋料理”を再現 下関
幕末の長州(山口県)で、のちの初代首相・伊藤博文が英外交官のアーネスト・サトウにふるまったとされる西洋料理が再現され、山口県下関市のホテルで27日夜、晩餐(ばんさん)会が開かれた。参加者らはサトウが「日本で最初の洋風の料理」と記した“歴史の味”に舌鼓を打った。
かつてサトウを題材に小説を書いた下関在住の直木賞作家、古川薫さんが料理の再現を提案し、2人が会食した料亭跡に建つ東京第一ホテル下関が挑戦。サトウの自叙伝「一外交官の見た明治維新」の記述を手がかりに、1年半がかりでスッポンのシチューや煮魚など7品を、和食の技術を駆使しながら西洋料理風に仕立てた。
伊藤が西洋料理でサトウをもてなしたのは、下関が英米など四国艦隊の砲撃を受けた元治元(1864)年。当時長州藩士だった伊藤がまだ通訳官に過ぎなかったサトウを招いたのは、長州とイギリスとの将来の関係を見すえてのことだったという。
古川さんは「伊藤に命じられて板前が手探りで作った洋食はきっとこんな味だっただろう。145年前の同じ日に同じ場所で同じメニューをいただけるのは感慨深い」と満足げ。同ホテルは「今後も機会を設け、下関の歴史を考える機会の1つにしたい」と話している。
長崎
龍馬に会いたい:/10 愛津庄屋宅跡 /長崎
◇志士ら山道を越え
1864年、勝海舟の随行で初めて長崎を訪れた坂本龍馬。2月22日に島原に上陸した後、まず古町別当(町役人)の中村家(現・島原市中堀町)で休息した。現在はスーパーになっているが、長屋門は同市萩原町に移設され現存。10メートル超の長さに脇門、用人部屋を備え、往時の島原城下の隆盛を物語る。
郷土史家の松尾卓次さん(74)によると、日記の記述から島原街道の「千々石道」と呼ばれる山道を越えて島原半島を抜け、初めて宿泊したのは、愛津(現・雲仙市愛野町乙)の庄屋・深浦家とされる。現在も子孫が住むこの地には城郭をほうふつとさせる石垣が積み上げられ、豪農の財力をうかがわせる。
土産物店主で「雲仙歴史ガイド」の田浦元(はじめ)さん(42)は「龍馬がこの地に泊まったことはあまり知られていない。日本の将来を語り合いながら酒を酌み交わしたかもしれない」。田浦さんは幕末当時の濁り酒を“復刻”。雲仙市も当時から栽培される野菜を活用した「雲仙ロマンティックスイーツ」を開発し、志士の活気で町おこしを図っている。【錦織祐一】
HTBに「龍馬伝館」開設へ 佐世保市など、ドラマ効果を県北にも
佐世保市は27日、坂本龍馬の生涯を描く来年のNHK大河ドラマにちなんだ展示施設「龍馬伝館」(仮称)を来年、同市のハウステンボス(HTB)内に開設する計画を明らかにした。
大河ドラマ「龍馬伝」は主に長崎市が舞台で、県北での本格的な観光活用構想は初めて。海外に目を向けた龍馬と海のかかわりを軸に、HTB所有の復元帆船、観光丸も活用してドラマの世界観を表現する。
佐世保市企業立地・観光物産振興局によると、HTB内スパーケンブルグ地区の空き店舗(約300平方メートル)を活用。ドラマ関連のパネル、衣装、映像などを展示、地域の観光情報も発信する構想。幕末に活躍した長崎海軍伝習所の練習艦を復元した観光丸との連動も図る。期間は来年2月27日から1年間、入館料は500円(HTB入場料別)の予定。
龍馬伝でNHK側が展示に協力する施設はほかに、長崎歴史文化博物館(長崎市)に開設予定の「長崎奉行所・龍馬館」だけ。
佐世保市と佐世保観光コンベンション協会、HTBの三者でつくる佐世保・ハウステンボス連携事業推進会議が設置主体。
市の本年度一般会計補正予算案に、国の地域活性化・経済危機対策臨時交付金を活用した設置負担金約4720万円を計上。HTB支出の約2580万円を合わせ設置費用は約7300万円。
同局は「龍馬、大河ドラマの高い人気を県北の活性化につなげられる。観光客を周遊、滞在させるPRや旅行商品づくりに取り組む」、HTB広報室は「観光丸と大村湾を活用し相乗効果を生み出したい」としている。
鹿児島
島津斉彬生誕200年記念ウィーク 鹿児島県、9月19―30日に多彩なイベント
鹿児島県では9月19―30日、「島津斉彬生誕200年記念ウィーク」が展開される。多彩な記念イベントが催され、斉彬公の偉業を称える。
島津斉彬は幕末期の薩摩藩主で、鹿児島の近代化に貢献した名君。昨年の大河ドラマ「篤姫」で全国的にも再度注目を集め、同県では今年の観光振興策のキーワードの1つに掲げている。
期間中は、JR鹿児島中央駅コンコースと鹿児島空港ロビーに記念パネルを展示。19日は鹿児島中央駅で、地元高校吹奏楽部によるコンサートが開かれ、記念ウィークの幕が開ける。
22日は島津家の別邸・仙巌園で記念企画「響彩時空」を開催。昼の部は、園内や尚古集成館で近代化の舞台に触れ、太鼓踊りなど島津家ゆかりの芸能を楽しむ。夜の部は「悠久の灯」と題し、和灯りで園を彩り、雅楽や薩摩琵琶、ピアノコンサートで斉彬公をしのぶ。
記念シンポジウムは27日、宝山ホールで。川勝平太・静岡県知事や「篤姫」で斉彬公を演じた俳優の高橋英樹さんらが意見を交わす。
そのほか、23、25、29日は斉彬公とその時代背景を学ぶ「夜学塾」、19―30日はまち歩きイベントが開かれる。
暑さがぶり返してきましたね。でも風には秋の気配が混じっています……今年は涼しくなるのが早いのかな。
岩手
「龍馬伝」遠野で収録開始 来年のNHK大河ドラマ
「当時の人々の所作やいでたちなどを徹底的にこだわり」……今年の大河ドラマ作品への反省でしょうか(爆)。「よしよし、頑張れ」と思います。
山口
東京第一ホテル下関:「時代動かした味」 日本初の西洋料理再現--あす /山口
萩博物館:入館50万人に 開館5年、観光客らに人気 /山口
郷土料理:萩と阿武町の44点、厳選レシピ集発行--萩元気食の会 /山口
ネーミングが(笑)。
長崎
県庁舎:敷地内埋蔵文化財調査 試掘作業始まる 奉行所の遺構残存か /長崎
なるほドリ:県庁舎敷地、どんな場所だったの? /長崎
鹿児島
10.5メートルの巨大西郷さん 鹿児島から現代の日本を見つめる
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(25)東大教授・山内昌之 鍋島閑叟
「肥前の妖怪」という渾名は知りませんでした(苦笑)。
「肥前閥の脅威をいちはやく察知したのは、大久保利通であった。佐賀の乱の鎮圧と江藤新平処断の仮借のなさは偶然でない」……そうそう、江藤新平処断の時の大久保利通は、個人的な執念が相当入っているような言動してましたっけ。
文化芸能
“福山龍馬”が2010年NHKの顔に
福山「龍馬」いざっ! 撮影スタート&ポスター初披露
ポスター写真、予想以上に格好いいです(^^)。
来年NHK大河“福山龍馬”ポスター公開
福山龍馬 ポスター登場ぜよ
福山「龍馬」いざっ!子供時代は濱田龍臣
福山「龍馬」初見参…27日からポスター掲示
福山「龍馬」いざっ!ポスター初披露
岩手
「龍馬伝」遠野で収録開始 来年のNHK大河ドラマ
遠野市附馬牛町の観光施設「遠野ふるさと村」で26日、2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の収録が始まった。クランクイン初日は、俳優の蟹江敬三さんら約100人が明治時代築の南部曲がり屋の前で熱演し、来年9月までの撮影は順調なスタートを切った。
「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯をドラマ化。龍馬の海援隊の活動などを金銭面で支え、後に三菱財閥の基礎を築く幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視点から描くオリジナル作品だ。
撮影した場面は1843(天保14)年の土佐。郷士から地下(じげ)浪人となった弥太郎の父・弥次郎役の蟹江さんが、10歳の弥太郎を連れ、農家に物売りに歩くシーンなどを収録。
同市などから約30人のエキストラも参加。農民役で出演した同市土淵町の団体職員立花秀樹さん(36)は「自分のために撮り直しになってしまった。現場の緊張感はすごい」と真剣に取り組んだ。
主人公の坂本龍馬役を務める歌手で俳優の福山雅治さんは10月から撮影に加わる。鈴木圭チーフ・プロデューサーは「当時の人々の所作やいでたちなどを徹底的にこだわり、臨場感あふれる作品づくりを目指す」と抱負を述べた。
「当時の人々の所作やいでたちなどを徹底的にこだわり」……今年の大河ドラマ作品への反省でしょうか(爆)。「よしよし、頑張れ」と思います。
山口
東京第一ホテル下関:「時代動かした味」 日本初の西洋料理再現--あす /山口
◇1864年、伊藤博文が振る舞う--古川さん企画提案、予約きょうまで
長州藩士だった伊藤博文(1841~1909)が、日本で初めて作らせたという西洋料理を下関市赤間町の東京第一ホテル下関で27日再現する。幕末の志士らを題材にした多くの著作でも知られる同市在住の直木賞作家、古川薫さん(84)が企画提案。幕末、維新ファンにはまたとない機会だ。【尾垣和幸】
日本初の洋食は、1864(元治元)年、現在の東京第一ホテル下関にあった料亭「大坂屋」で登場した。当時、薩英戦争や4国連合艦隊下関砲撃事件などにかかわった英国人外交官、アーネスト・サトウ(1843~1929)に親交のあった伊藤が振る舞った。献立は、煮たロックフィッシュ▽焼きうなぎ▽すっぽんのシチュー▽煮アワビ▽煮た鶏肉▽柿のビール漬け、米飯。サトウは日記に「すっぽんと、うなぎが大変うまかった」と賛辞を送っている。
その後、英国は倒幕へ向け動き出す長州藩の大きな後ろ盾となった。伊藤は日本の初代内閣総理大臣に。「時代を動かした料理といえるかもしれません」と古川さん。
当日は午後6時半、ディナーショー「『アーネスト・サトウ』の晩餐(ばんさん)」としてスタート。維新史こぼれ話など古川さんの講演も。料理は同ホテル料理長、西岡寛さん(53)が文献などを基に現代によみがえらせた。午後7時15分から、145年前のメニューそのままに披露される。料金は1人1万円。26日までに同ホテル(083・223・7111)へ予約を。
萩博物館:入館50万人に 開館5年、観光客らに人気 /山口
萩市の萩博物館(高木正煕(まさのり)館長)は25日、開館5年で入館者が50万人を迎えた。節目に訪れた大阪府豊中市の小学4年、山内孝洋君(9)に野村興児市長が記念品を贈った。
博物館は04年11月に「萩開府400年」を記念し市が約30億円をかけて開館。城下町や幕末・明治を2本柱とした歴史、考古、美術、自然など約15万点の資料を収蔵。企画展や常設展を開き、観光スポットとして人気がある。
山内君は夏休みで下松市美里町の祖父母、河野槌徳さん(71)、千代江さん(70)宅に帰省中。開催中の「マンタの海流大冒険」が見たくて祖父母と一緒に訪れた。山内君は「海に興味があり、釣りも泳ぐのも大好き。楽しみにきたので非常にうれしい」と話していた。【川上敏文】
郷土料理:萩と阿武町の44点、厳選レシピ集発行--萩元気食の会 /山口
萩市、阿武町の郷土料理を紹介する「次世代につなげよう 郷土料理 萩地域版」(A4判、22ページ)のレシピ集を「萩元気食の会」(岡野芳子会長、約40人)が発行した。昨年、各地域で郷土料理などを聞き取り調査したものをまとめた。
同会は、食を核に魅力的なまちづくりの取り組みや市民の健康づくりの推進などを目的に03年2月に発足。古文書から「毛利の祝膳」を再現、新提案として「晋作弁当」「長州ファイブサンドイッチ」「幕末バーガー」などの献立を作った。
ネーミングが(笑)。
長崎
県庁舎:敷地内埋蔵文化財調査 試掘作業始まる 奉行所の遺構残存か /長崎
県庁舎(長崎市江戸町)敷地内の埋蔵文化財を発掘調査するための試掘が24日、始まった。本館東側の駐車場一画を数メートル掘り下げ、明治時代以降のものとみられるれんがや陶器が見つかったが、貴重な文化財は発見できなかった。28日までに本館南側と合わせ2カ所を掘り、今後の調査の判断材料とする。
県庁舎敷地はかつては岬の突端で、1663年に長崎奉行所を建設。長崎港に造成された出島でのオランダ貿易を管理した。幕末には海軍伝習所や医学伝習所も開かれ、日本の近代化に貢献した。1874年に県庁となり、現在の県庁舎は旧庁舎が原爆で焼失した後の1953年に建設された。
県は県庁舎を旧長崎魚市跡地(同市尾上町)に移転させる方針で、県と長崎市は10日に学識経験者による「県庁舎跡地活用懇話会」を設置。来春までに跡地活用の方向性を定める。県まちづくり推進室は「どう活用できるのか、奉行所の遺構が残っているかも含めて調査したい」と話す。【錦織祐一】
なるほドリ:県庁舎敷地、どんな場所だったの? /長崎
◆県庁舎敷地、どんな場所だったの?
◇イエズス会が教会建設、禁教令で破壊され奉行所に
なるほドリ 県庁舎(長崎市)の敷地の埋蔵文化財調査が始まったね。
記者 県は、県庁舎を旧長崎魚市跡地に移転させる方針です。これを受けて、現県庁の跡地をどう活用できるかの可能性を探るため、まず試掘が24~26日にありました。長崎市や有識者を交え、来春までには方向性を定めたい考えです。
Q そもそも、ここってどんな場所だったの?
A 江戸幕府の長崎奉行所があったことが分かっています。長崎港が現在のように埋め立てられる前、ここは岬の突端でした。これが「長崎」の語源といわれますが、その先に出島が造成されました。オランダ貿易を管理する奉行所も置かれ、大火を経て1663年にこの地に移転しました。幕末には海軍伝習所も開かれ、勝海舟や榎本武揚も学んだんですよ。周囲には当時のものとみられる石垣も残っています。
Q あれ? 長崎歴史文化博物館も奉行所の跡地だよね。
A 奉行は当初1人でしたが、権力分散のため1633年に2人制になりました。1671年に片方が移転して「立山役所」が新設され、県庁の方は「西役所」と呼ばれました。立山役所は一部が復元されて05年に長崎歴史文化博物館が開館しました。ただ、西役所はさらに歴史があります。
Q え? どんな?
A イエズス会の教会だったんです。キリシタン大名の大村純忠は1570年に長崎を開港し、翌年にはイエズス会が「サンパウロ教会」をこの地に建設。さらにはセミナリヨ(神学校)、印刷所も設立され、西洋文明が開化したことがイエズス会側の文献に残っています。禁教令で1614年にすべて破壊されましたが、発掘調査で遺構が見つかる可能性はありますね。
Q なるほど。でも、そんな歴史を生かすにしても、県庁舎が移転すれば、の話だよね?
A 移転には、特に中心市街地の住民から「空洞化が進み街が衰退する」「税金の無駄遣い」との反対意見があります。県には、跡地活用のビジョンを示すことで反対派の理解を得ようという狙いもあるようです。【回答・錦織祐一】
鹿児島
10.5メートルの巨大西郷さん 鹿児島から現代の日本を見つめる
この夏、とりわけ“大きな”話題として注目されたのは、東京・お台場に立ち上がった実物大ガンダム像だろう。『機動戦士ガンダム30周年プロジェクト』の一環として、等身大立像がお台場の潮風公園に登場し、この夏の観光スポットの仲間入り。集まる観光客を地上18メートルの高さから見下ろしている。一方、鹿児島県でも巨大な“像”が高見から市民を見守っているという。1988年に完成した西郷隆盛の巨大銅像のことだ。
明治維新の偉人・西郷隆盛の巨大な銅像は、体長10.5メートル、胴周りは5.6メートル、重さは30トンにもおよび、人物の銅像としては日本一の大きさであると謳われている。この巨大像があるのは、鹿児島県霧島市にある西郷公園。鹿児島空港の目の前にある公園だ。この巨像は、西郷隆盛の激動の人生にも見劣りしないほどの紆余曲折を経て、現在の西郷公園に鎮座しているという。
この像は、1977年に西郷隆盛の没後100年を記念した事業として、鹿児島県出身の政治家が、明治維新の立役者であることから京都市の京都霊山護国神社に建立する計画を立て、佐賀県出身の彫刻家である古賀忠雄氏に発注されて作られた。1976年にほぼ完成したが、発注者が亡くなってしまったため、富山県高岡市の倉庫で永く保管されたままの状態であったという。その間には、制作に携わった古賀氏も死去してしまった。
その後、新聞の報道によって西郷像の存在を知った古賀氏の遺族と旧溝辺町の商工会が中心になり、像を建立するための募金活動を展開。募金活動の成果が実り10年以上経った1988年に鹿児島県内での建立が実現し、以来現在までの約20年間、現代の薩摩を見つめているのだという。
設置の場所は鹿児島の玄関口の近くが選ばれ、現在の西郷公園として一帯が整備された。石畳や噴水を配した美しい庭園や、歴史資料展示場や西南戦争を描いた錦絵が並ぶ。売店には鹿児島名物や、カステラが作られるようすを見ることもでき、薩摩色を全面に押し出した一大テーマパークとなっている。夏休みや空港でのイベントがあるときなど、多くの人が集まる観光スポットのひとつだ。
この巨大な西郷像の正式名称は「現代を見つめる西郷隆盛像」。そのため、東京上野公園や鹿児島市にあるほかの像と比べて厳しい顔つきをしている。腕組みをして、羽織袴に身を包み、厳しいながらも暖かく現代を見つめている。(情報提供:フルタイム)
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(25)東大教授・山内昌之 鍋島閑叟
■政治家は自分を高く売る
終戦記念日に田中真紀子氏が、民主党入りを表明した。自民党を大きくした功労者の田中角栄氏の娘が、民主党に入るとは隔世の感がしなくもない。
しかし、政治の世界にはドライな面がある。自分の力量を恃(たの)む人にとって、無所属では発言の機会も少なく、もっと具体的に活躍できる場所がほしいとムズムズするのは当然かもしれない。だが、注意すべきは、民主党入りを公にしたタイミングで、そこに鳩山由紀夫代表が同席した事実なのだ。
田中氏は、夫の直紀参院議員の民主党入りと合わせて、存在感をいちばん高く売りこめる公示直前に入党を表明することで、選挙後の位置取りを有利にしたかったのだろう。民主党が勝てば組閣人事もあり、鳩山氏による田中氏処遇の行方も注目される。
◆藩政立て直した名君
ところで、ギリギリまで自分の値をつり上げて、新政府へ高く売りつけようとした幕末の政治家といえば、肥前佐賀の鍋島閑叟であろう。閑叟は、もともと質素倹約や藩政改革で財政を立て直した“名君”である。俗に商人たちにさえ「そろばん大名」と揶揄(やゆ)されたほどで、自ら蘭学を習得し、種痘を藩内に広めたりした。
しかし、閑叟は、殿様の趣味として欧米の学問を修めたのでなく、軍事力や産業力を強化する実利の手段として学んだのだ。反射炉や蒸気船を自前で造り出した技術は、薩摩の島津斉彬(なりあきら)とも甲乙つけがたい水準に達していた。江戸上野の彰義隊を壊滅させた根本要因は、本郷の現東大の場所に据え付けた佐賀藩のアームストロング砲の威力にほかならない。
◆時勢の流れからも超然
閑叟の端倪(たんげい)すべからざるゆえんは、安易に薩長と連合しなかった点にある。それどころか、幕末の激動をよそに幕府、京都の一橋・会津・桑名はもとより、尊皇攘夷派と公武合体派のいずれとも手を組まずに時勢の流れからも超然としていた。
薩長の島津久光のように積極的に先頭に立つわけでもなく、かといって長州の毛利敬親(たかちか)こと「そうせい侯」のごとく何によらず家臣にまかせる風情でもない。
また、土佐の山内容堂にならって、朝廷と幕府の周旋外交を展開したのでもなかった。見た目にはとらえどころがなく、まさに「肥前の妖怪」として各所で警戒されたのである。
閑叟はたやすく腹の中を見せなかったが、その意図が逐鹿(ちくろく)(中央で権力を得るために争う)にあることは一目瞭然(りょうぜん)だった。薩長と幕府との抗争長期化、あるいは消耗戦を見越しながら、混乱に乗じて天下に乗り出す野心を抱いていたはずだ。
しかし、鳥羽伏見の戦いで幕軍が敗走し、将軍慶喜にやる気がないのを見切って、勝負の勘所を見誤らなかったのはさすがである。この後、最新式軍備を誇る閑叟の部隊は、江戸開城から五稜郭包囲にいたるまで戊辰戦争を軍事的にリードする存在となった。
◆チーム・プレーを指揮
こうして明治新政府では、「薩長土肥」と俗称され、かろうじて権力の一角に食い込むことができたのだ。さらに、大隈重信や江藤新平や副島種臣ら「佐賀の7賢人」など、多くの人材を育てた功績も大きい。
長い目で見れば、薩長に脅威を与える逸材をつくった閑叟は、自分を高く売るだけの利己心や虚栄心で政局のタイミングを見計らう小人ではなかった。個人プレーでなく、堂々たる政策やビジョンに基づくチーム・プレーを指揮しながら、肥前佐賀を高く売りつけたのである。肥前閥の脅威をいちはやく察知したのは、大久保利通であった。佐賀の乱の鎮圧と江藤新平処断の仮借のなさは偶然でない。
いずれにせよ、政治家として大をなすには、個人プレーの“オレがオレが”だけではダメな点は今も昔も変わらないのである。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】鍋島閑叟
なべしま・かんそう 文化11(1815)年生まれ。幕末の大名。閑叟は号。名は斉正(なりまさ)、のちに直正(なおまさ)。父、斉直(なりなお)の跡を継ぎ、第10代肥前佐賀藩主となる。佐賀城二ノ丸の焼失をきっかけに藩財政改革に取り組み、殖産興業や軍備強化に尽力。初めて反射炉を建設し、洋式鉄製大砲を製造するなど西欧の近代工業技術を積極的に取り入れた。ペリー来航後は攘夷を主張するが、のちに公武合体を斡旋(あっせん)した。維新後は新政府の議定(ぎじょう)となる。明治4(1871)年、58歳で死去。
「肥前の妖怪」という渾名は知りませんでした(苦笑)。
「肥前閥の脅威をいちはやく察知したのは、大久保利通であった。佐賀の乱の鎮圧と江藤新平処断の仮借のなさは偶然でない」……そうそう、江藤新平処断の時の大久保利通は、個人的な執念が相当入っているような言動してましたっけ。
文化芸能
“福山龍馬”が2010年NHKの顔に
NHKの公共放送キャンペーンのポスターに2010年大河ドラマ「龍馬伝」主演の福山雅治(40)が起用された。ポスターは27日、全国の放送局に登場する。同ポスターは、大河ドラマの主演やレギュラー出演者が登場しており、04年の「新選組!」の香取慎吾(32)からスタート。一方、「龍馬伝」は26日、岩手県遠野市でクランクイン。10歳の岩崎弥太郎(渡邉甚平)が農家に鳥かごを売り歩く父・弥次郎(蟹江敬三)に連れられているシーンなどを撮影した。
福山「龍馬」いざっ! 撮影スタート&ポスター初披露
俳優で歌手、福山雅治(40)が主演する次期NHK大河ドラマ「龍馬伝」(来年1月3日スタート、日曜後8・0)のポスターが26日、初披露された。
有名な龍馬の写真のイメージを踏襲し、キャッチコピーはシンプルでストレート。福山は「幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」とコメントした。全国54のNHK放送局などに掲出される。
ドラマはこの日、岩手・遠野市内でクランクインし、1000人のオーディションを突破した少年・龍馬役の子役、濱田龍臣(たつおみ=9)が発表された。
ポスター写真、予想以上に格好いいです(^^)。
来年NHK大河“福山龍馬”ポスター公開
俳優福山雅治(40)が主演する来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のポスターが26日、同局から初公開された。NHKによると撮影は7月に行い、坂本竜馬の有名な写真のイメージを崩さぬよう、さらに新鮮さと身近さを表現したという。福山は「竜馬を演じるにあたり、あらためてその幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」と意気込みを語った。同ドラマは、この日岩手県でクランクイン。福山は10月上旬から撮影に入る予定。
福山龍馬 ポスター登場ぜよ
来年のNHK大河「龍馬伝」に主演する福山雅治(40)が27日から全国のNHKに張り出される公共放送キャンペーンポスターに坂本龍馬の姿で登場する。現存する写真のイメージそのままに初めて龍馬に変身した福山は「経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」と大役に武者震い。ドラマは26日に岩手県でクランクイン。福山は10月から撮影に入る。
福山「龍馬」いざっ!子供時代は濱田龍臣
俳優で歌手、福山雅治(40)が主演する次期NHK大河ドラマ「龍馬伝」(来年1月3日スタート、日曜後8・0)のポスターが26日、初披露された。
有名な龍馬の写真のイメージを踏襲し、キャッチコピーはシンプルでストレート。福山は「幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」とコメントした。全国54のNHK放送局などに掲出される。
ドラマはこの日、岩手・遠野市内でクランクインし、1000人のオーディションを突破した少年・龍馬役の子役、濱田龍臣(たつおみ=9)が発表された。
福山「龍馬」初見参…27日からポスター掲示
歌手で俳優の福山雅治(40)が来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬にふんした姿が初公開された。NHK公共放送キャンペーンポスターが27日から全国54のNHK放送局で掲示される。
同局によれば、多くの人に知られている坂本龍馬の有名な写真のイメージを崩さないように、リアルさを追求しながらも、新鮮さ、身近さを出したという。
福山は「坂本龍馬を演じるにあたり、あらためてその幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」とコメント。ドラマは26日にクランクイン、福山は全国アリーナツアー終了後の10月上旬から参加する。
福山「龍馬」いざっ!ポスター初披露
俳優で歌手、福山雅治(40)が主演する次期NHK大河ドラマ「龍馬伝」(来年1月3日スタート、日曜後8・0)のポスターが26日、初披露された。
有名な龍馬の写真のイメージを踏襲し、キャッチコピーはシンプルでストレート。福山は「幕末の奇跡という事実に、いままで経験したことのない緊張とおそれを感じています。でも、それと同じくらいの興奮も感じています」とコメントした。全国54のNHK放送局などに掲出される。
ドラマはこの日、岩手・遠野市内でクランクインし、1000人のオーディションを突破した少年・龍馬役の子役、濱田龍臣(たつおみ=9)が発表された。
最高気温が30度を割る日が続いて、ほっと一息ついてます。
今日からドリコムのクリッピングサービスが停止します。活用していたので、すごく残念です。
茨城
遊ナビ・アート館:古河ゆかりの文人画家の作品 古河歴史博物館で29日から /茨城
千葉
ユーモア満載! 菱川師宣記念館で江戸の遊び絵展
広島
能楽の謡や舞体験 府中・南小6年 喜多流大島家講師に学ぶ
山口
萩博物館:入館50万人に 開館5年、観光客らに人気 /山口
萩博物館50万人突破
福岡
去りゆく夏 千灯明淡く 筑後市水田天満宮
コラム
【次代への名言】8月26日 アーネスト・サトウ
芸能
キングレコード限定 インタビュー動画企画 第3弾は陰陽座!
以下、ツッコミどころだけ紹介します(笑)。
歴女の定義がどこか変です。幕末は新撰組ファンだけが「歴女」なんですか?(苦笑)
今日からドリコムのクリッピングサービスが停止します。活用していたので、すごく残念です。
茨城
遊ナビ・アート館:古河ゆかりの文人画家の作品 古河歴史博物館で29日から /茨城
◇訪れる秋を絵画で
明治を代表する女流画家、奥原晴湖ら古河ゆかりの文人画家の作品を紹介する「南画の秋・古河の文人たち」が29日から、古河市中央町の古河歴史博物館で開かれる。奥原ほか7人の文人が秋を題材にした掛け軸など約20点を展示、訪れる秋の趣を書と絵画で楽しめる。
奥原晴湖(1837~1913)は、古河藩士の池田政明の三女として生まれ、本名は節子。子供のころ学問や武芸を好み、幕末から明治・大正にかけ、画界で活躍した。同展では、奥原作品の下絵、手びかえなど参考にした絵も展示され、作品が出来上がるまでの経過も味わえる。
奥原の他には、狩野派の画法を学んだ川鍋暁斎(1831~89)▽古河出身3大画家の一人、岡野竹癡▽古河画界の祖とされる枚田水石(1796~1863)▽幕末の書家、小山霞外(1785~1864)らの作品も展示される。
同館では「幕末から大正にかけ活躍した文人画家の構図や筆さばきを作品を通して楽しんでほしい」と話している。
展示は10月22日まで。入場料は一般400円、小中高生100円。開館時間は9~17時、月曜日休館。問い合わせは同館(電話0280・22・5211)へ。【宮本寛治】
千葉
ユーモア満載! 菱川師宣記念館で江戸の遊び絵展
幕末から明治にかけて、庶民の間で人気を博したユーモアあふれる浮世絵を集めた企画展「江戸の遊び絵~浮世絵に見る江戸っ子ユーモア」が、千葉県鋸南町吉浜の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)記念館で9月27日まで開かれている。
戯画、判じ物、おもちゃ絵などと呼ばれる浮世絵で、切り抜いて組み立てられるものなど、ひと味違った作品を展示。江戸の地名をクイズにした絵もある。開館は午前9時から午後5時。入館料は大人500 円、高校生以下400 円。【問】0470・55・4061(月曜休館)。
広島
能楽の謡や舞体験 府中・南小6年 喜多流大島家講師に学ぶ
総合学習の時間に能楽を取り入れている府中市立南小(同市用土町)の6年生が25日、福山市光南町の喜多流大島能楽堂で喜多流大島家の能楽講師から指導を受け、扇子を手にした舞やすり足に戸惑いつつも日本の伝統文化に触れた。
喜多流大島家は全国約20の喜多流宗家直系の能楽師一門。明治維新後、福山藩お抱えの能楽師の家が途絶えたため、元藩士の大島七太郎が師匠の跡を継いだ。現在は4代目の政允さんを中心に公演や学校の出張講座で能楽の魅力を伝えている。
この日は児童40人が地謡と舞役に分かれ、能楽講師の大島紀恵さん(29)らから歩き方の作法や声の出し方を教わった。児童らは慣れるにつれて背筋を伸ばし軽やかに舞ったり、「ありがたやさんこおごていのむかしより~」と中国の伝説を題材にした「西王母(せいおうぼ)」の一節を伸びやかに謡った。
10月31日に府中市文化センターで練習成果を披露する。前原栞奈さん(12)は「伝統文化に触れるめったにない機会だった。扇の構えやすり足は難しいけど、しっかり練習して成功させたい」と話している。
山口
萩博物館:入館50万人に 開館5年、観光客らに人気 /山口
萩市の萩博物館(高木正煕(まさのり)館長)は25日、開館5年で入館者が50万人を迎えた。節目に訪れた大阪府豊中市の小学4年、山内孝洋君(9)に野村興児市長が記念品を贈った。
博物館は04年11月に「萩開府400年」を記念し市が約30億円をかけて開館。城下町や幕末・明治を2本柱とした歴史、考古、美術、自然など約15万点の資料を収蔵。企画展や常設展を開き、観光スポットとして人気がある。
山内君は夏休みで下松市美里町の祖父母、河野槌徳さん(71)、千代江さん(70)宅に帰省中。開催中の「マンタの海流大冒険」が見たくて祖父母と一緒に訪れた。山内君は「海に興味があり、釣りも泳ぐのも大好き。楽しみにきたので非常にうれしい」と話していた。【川上敏文】
萩博物館50万人突破
萩市の萩博物館の入館者が25日、50万人を突破した。2004年11月の開館以来、4年9か月での達成。50万人目となった大阪府豊中市の小学4年、山内孝洋君(9)に、野村興児市長から記念品が贈られた。
山内君は、夏休みを利用して下松市の祖父母方を訪れている。将来、漁師になるのが夢で、海の生き物などについて学ぼうと、同館で開催中の特別展「マンタの海流大冒険」の見学に来たという。祖父母と一緒にくす玉を割り、「夏休みの素晴らしい思い出になりました」と目を輝かせていた。
同博物館は、萩開府400年を記念して開館。歴史、美術、民俗、自然などの分野に約15万点の資料類を収蔵。萩城下町や明治維新関連などの常設展示がある。今月末まで開催の「マンタの海流大冒険」は3万人近い来場者でにぎわっている。
(2009年8月26日 読売新聞)
福岡
去りゆく夏 千灯明淡く 筑後市水田天満宮
筑後市水田の水田天満宮で25日、700年以上続くとされる伝統の「千灯明祭」があった。境内には、約千本のろうそくがともされ、揺らめく光に映し出される光景を、多くの市民が楽しんだ。
五穀豊穣(ほうじょう)を願い、毎年この日に開かれている。午後7時ごろ、ろうそくが一斉に点火されると、淡い光に楼門などが浮かび上がった。
裸ん行や幕末の勤王の志士、真木和泉が謹慎していた小屋「山梔窩(さんしか)」のライトアップ、花火の打ち上げなどもあり、浴衣姿の市民が去りゆく夏を惜しんでいた。
コラム
【次代への名言】8月26日 アーネスト・サトウ
■「誇り高く、高貴だった彼がかくも変わり果てたことには、同情するほかなかった」(アーネスト・サトウ)
サトウは駐日歴が通算で25年にわたった英国の外交官。冒頭は通訳見習として初来日した幕末の1862年からの6年半をつづった『日本のいち外交官(一外交官の見た明治維新)』にある。
「彼」とは徳川慶喜である。15代将軍に就任したばかりの慶喜は「私(サトウ)がこれまでに見た日本人の中で最も貴族的な容貌(ようぼう)をもった一人」だった。それが8カ月後、起死回生策のはずだった「大政奉還」への大打撃となった「王政復古の大号令」で、政権もお家も危うくなったときの様子である。
さて英国は薩摩藩、次いで長州藩と戦火を交えた(サトウも従軍した)が、その薩長と親密になり、幕府とは疎遠になる。「将軍の家臣たちがその弱腰と二枚舌のゆえに嫌悪の情をおこさせた」一方で、薩長に誠実さと、日本を変えようとする意志を感じたからだった。
ときに辛辣(しんらつ)なサトウも、鳥羽・伏見の戦い以降、あえて恭順の道を選んだ慶喜に「敗者の美学」をみたようだ。彼はつづっている。「幕府は外国からの軍事支援とそれに伴う多大な流血によって独裁を続ける道を選ばなかった。それだけの愛国心を持っていたことは日本にとって、まことに喜ぶべきことであった」
芸能
キングレコード限定 インタビュー動画企画 第3弾は陰陽座!
以下、ツッコミどころだけ紹介します(笑)。
なお、先行シングルの「蒼き独眼」は、サミー製ぱちんこ「CR戦国乱舞~蒼き独眼~」の主題歌に決定し、コアな陰陽座ファンだけでなく、パチンコファン、果ては今話題の歴女(れきじょ・戦国時代の武将や幕末の新撰組を好む歴史好きの女子)を巻き込んで大ヒットも目前である。
歴女の定義がどこか変です。幕末は新撰組ファンだけが「歴女」なんですか?(苦笑)
最高気温30度を割り、涼しい風が入ってくる一日。とても快適です。週末また30度を超える予報ですが、うだるような暑さは峠を越したかな。
北海道
よみがえる箱館奉行所 五稜郭跡、幕末の姿復元
来年夏にオープンするんですね……完成前でも一度見に行きたいです。
石川
新たに「専長寺本堂」などと「辰巳用水絵巻」 金沢市文化財に答申
富山
手に取り感じる名刀 富山県水墨美術館の秘蔵展 県外からも愛好者続々
島根
精巧な彫刻 石見根付
佐賀
佐賀城本丸歴史館:来館者100万人達成 /佐賀
九州陶磁文化館 有田・田代家が所蔵品寄贈
長崎
亀山社中記念館、早くも1万人 福岡の花里さん家族に記念品
長崎市の亀山社中記念館 開館24日で1万人超
亀山社中記念館、早くも1万人 福岡の花里さんに記念品
北海道
よみがえる箱館奉行所 五稜郭跡、幕末の姿復元
【函館】江戸幕府の北方警備などの拠点として1864年(元治元年)に建設され、明治新政府によって1871年(明治4年)に解体された「箱館奉行所」の復元工事が函館市の五稜郭跡で進んでおり、外装部分がほぼ完成した。
外壁を保護するための覆いを外した工事現場では早速、観光客らが真新しい奉行所にカメラを向けていた。
奉行所は木造平屋で広さ約千平方メートル。中央部の「太鼓櫓(やぐら)」まで含めた高さは約17メートル。函館市が2006年から、発掘調査の結果と古写真などを基に、本州の宮大工らを集めて当時と同じ場所、材料、工法で復元工事を進めてきた。文化庁や道などの補助を含めた総事業費は約27億円。
今後、内部の壁の塗装や、建具の取り付けなどの内装工事を進め、来年6月に完成、夏にオープンする予定。
来年夏にオープンするんですね……完成前でも一度見に行きたいです。
石川
新たに「専長寺本堂」などと「辰巳用水絵巻」 金沢市文化財に答申
金沢市文化財保護審議会は24日、市立玉川図書館蔵の歴史資料「紙本著(しほんちゃく)色(しょく)辰巳用水絵巻」と、金石西4丁目の建造物「専長寺本堂附棟札(つけたりむなふだ)一枚・旧鬼瓦一対、松帆●(しょうはんしゃ)及び山門」を市文化財として指定するよう、市教委に答申した。このうち辰巳用水絵巻は先月、市が辰巳用水を国史跡に申請したことも反映しての答申となる。国史跡指定と合わせ、市は「歴史都市」の貴重な資産を生かしたまちづくりを加速させる。
紙本著色辰巳用水絵巻は江戸後期、文化から天保年間の作と考えられる。幅55センチ、長さ882センチの本紙部分は一部破損しているが、取水口から現在の兼六園小立野口付近に至るまでの辰巳用水の流路と沿線の景観が彩色で写実的に描かれている。
他の流域絵図との比較から、藩政期の土清水塩硝蔵の建物数や用水の改修範囲などの変遷が分かる資料となっており、国史跡指定にも関連する重要な価値が認められた。
専長寺は真宗大谷派の寺院で、現在の本堂は寛政9(1797)年、加賀八家横山家の屋敷地を譲り受け再建された。棟札には建立年代や大工棟梁(とうりょう)と並んで作形絵図や彫師の名が記され、分業体制で工事が行われたことを示す珍しい資料である。
本堂内に保存されている鬼瓦一対には、寛政9年に越前敦賀で作られたことなどを表す銘があり、越前と金石の物流や近世の瓦生産の物証となる。松帆●は幕末の豪商銭屋五兵衛の隠居所にあったものを移築したと伝えられる茶室。山門は本堂と同時期の18世紀末の建築と推定され、市内に3基しかない平唐門である。いずれも金沢における江戸後期の寺院建築の遺構として高い完成度を誇る。
2件の指定文化財は9月にも開催される次回の市教委定例会議での議決を受け、正式に指定される運びとなる。これで市指定文化財は計187件となる。
☆●は木ヘンに射
富山
手に取り感じる名刀 富山県水墨美術館の秘蔵展 県外からも愛好者続々
富山市の富山県水墨美術館で開かれている「大名家秘蔵の名刀展―源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀―」(日本美術刀剣保存協会富山県支部、富山新聞社など主催)は23日、県外からも多くの愛好家が訪れ、にぎわった。
午前は日本美術刀剣保存協会の長野県北支部と同南支部の約30人、午後には名古屋支部の約20人が団体で訪れ、一点一点をじっくりと鑑賞した。名古屋支部の加藤敏夫副支部長は「まれに見る名刀が非常に良い状態でそろっている」と話した。
この日は、同協会富山県支部の会員が、午前午後の2回、刀剣の取り扱いと手入れの仕方を実演を交えて解説した。参加者は、平安末期の古備前末行と江戸初期の越後守包貞(初代)の2振の刀を手に取り、重さの違いなどを感じ取った。同展は9月23日まで。
島根
精巧な彫刻 石見根付
印籠(いんろう)などに付ける装飾品の根付(ねつけ)を集めた展示会が21日、江津市波積町本郷の波積公民館で始まった。「石見の左甚五郎」と呼ばれた清水巌(1733~1811年)や現代作家の計30点。28日まで。
初公開となる清水の根付は、長さ約10センチのクロガキの木片などにクモとカタツムリを彫った2点。カタツムリの殻の部分は1ミリ以下の細かい線模様がびっしり浮かぶ高度な技巧。幕末まで続いた清水一門の作品もある。
江戸時代のシカやトラの置物、長浜人形などのほか、石見銀山関連の古文書や民具など数十点も展示した。
根付は江戸時代によく作られ、特に精巧な石見根付は欧米で人気が高い。初代清水巌の作品は国内に数えるほどしか残っておらず「幻の芸術品」とされる。
佐賀
佐賀城本丸歴史館:来館者100万人達成 /佐賀
佐賀市の県立佐賀城本丸歴史館で22日、来館者が100万人に達し、福岡県筑紫野市の主婦、丹辺照美さん(50)に記念品が贈られた。
佐賀城本丸御殿を復元した同館は04年8月に開館。畳が敷きつめられた館内に、幕末・維新期の佐賀の歴史が学べる多様な資料が展示され、県内外から観光客が訪れている。
目標より約1年早い丸5年での達成。丹辺さんには県産米さがびより5キロの目録と、人間国宝・中島宏さんの湯飲みが贈られた。
初めて来館したという丹辺さんは「すごく驚いたし、ありがたく思う。展示物をしっかり見て帰りたい」と話していた。【姜弘修】
九州陶磁文化館 有田・田代家が所蔵品寄贈
有田の陶磁器商で、幕末から明治にかけて洋食器などの輸出を手がけた田代家の所蔵品432点が、有田町の県立九州陶磁文化館へ寄贈された。全作品を紹介する「肥●山信甫(ひちょうざんしんぽ)と明治の有田」展が9月13日まで、同館で開かれている。月曜休館。入場無料。
田代家は油販売から製陶業に転じ、1856年、田代紋左衛門の時に海外貿易の許可を得て、洋食器や花瓶などを欧米へ輸出した。長崎や横浜、上海にも出店して繁盛したが、朝鮮王宮用につくった瓦に苦情が出るなどして90年代に廃業した。
「肥?山信甫」は田代家が使った銘で、肥?山は肥前皿山の意味。銘入りの作品は色絵磁器が多く、武者絵や花鳥図などを描いた外国人好みのものが目立つ。
このうち、ブドウやクリを描いた洋食器は、15種類・41点からなるディナーセット。ほかに、三川内焼(長崎県)の極薄の素地(きじ)に色絵を付けた碗(わん)、13の口を持つチューリップを差す花瓶などもある。
●は「蝶」の虫偏が石偏
長崎
亀山社中記念館、早くも1万人 福岡の花里さん家族に記念品
幕末の志士、坂本龍馬ゆかり場所として復元整備された長崎市亀山社中記念館(伊良林2丁目)の入館者数が24日、今月1日のオープンから1万人を達成した。1万人目となった福岡県筑紫野市の会社員、花里隆彰さん(40)家族に同日、田上市長から記念品が贈られた。
亀山社中は、1865年、龍馬が中心となって組織し、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介などをした日本初の商社といわれている。来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を前に、社中が使ったとされる家屋を市が改装。龍馬が身に着けた紋服、刀、ブーツ、手紙(いずれも複製品)など約30点を展示し、紋服を羽織ったり、月琴を弾く体験もできる。市は本年度、1万7000人の入館者を見込んでいたが、予想を上回るペースとなった。
花里さん家族は親子5人で長崎を観光。長男の小学5年、寛一君(11)が記念品を受け取った。記念館は初めてという花里さんは「1万人目となり光栄。日本を変えるために活躍した龍馬の生きざまには興味がある。閉塞(へいそく)感が漂う現代にも龍馬のような考えが必要ではないか。長崎のイメージは西洋文化。今度は日本の近代化を支えた軍艦島(端島)も見学したい」と話し、家族で展示品に見入っていた。
本年度の入館者数は当初予想を大幅に上回るとみられ、市長は「あらためて龍馬の人気の高さ、人を引き付ける力を感じる。来館者の声を聞きながら、展示物も含め、少しずつ改善していきたい」と手応えを話した。
長崎市の亀山社中記念館 開館24日で1万人超
幕末の志士、坂本竜馬が設立した日本初の貿易商社「亀山社中」跡(長崎市伊良林2丁目)を当時の姿に復元した「亀山社中記念館」の入館者が24日、会館から1カ月を待たずに1万人を突破した。市が予想した月間約2千人の5倍に達する人気で、来年1月から放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に向けてさらに入館者が見込まれる。
1万人目となったのは、家族5人で訪れた福岡県筑紫野市の会社員花里隆彰さん(40)。竜馬好きで、竜馬が襲撃された現場とされる京都市の旅館寺田屋にも2度行ったという花里さんは「亀山社中のことは教科書で習っただけだったが実際に来ることができてうれしい。大河ドラマも楽しみ」と笑顔で話した。
同館は今月1日にオープン。市文化観光総務課は、2006年まで市民団体が所有者の協力を得て公開していた当時の来場者数を基に、年間約2万5千人を見込んでいたが、予想をはるかに上回る盛況を見せている。
市は「夏休みということもあり里帰り客や全国の竜馬ファンも来やすかったのでは」と分析している。一方、午後5時の閉館に来場者からは「早い」という不満の声も多く、開館時間の延長や、リピーター確保へ展示資料の入れ替えなどの工夫も必要となっている。
同館=095(823)3400。
亀山社中記念館、早くも1万人 福岡の花里さんに記念品
幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの場所として復元整備された長崎市亀山社中記念館(伊良林2丁目)の入館者数が24日、今月1日のオープンから1万人を達成した。1万人目となった福岡県筑紫野市の会社員、花里隆彰さん(40)家族に同日、田上市長から記念品が贈られた。
亀山社中は、1865年、龍馬が中心となって組織し、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介などをした日本初の商社といわれている。来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を前に、社中が使ったとされる家屋を市が改装。龍馬が身に着けた紋服、刀、ブーツ、手紙(いずれも複製品)など約30点を展示し、紋服を羽織ったり、月琴を弾く体験もできる。市は本年度、1万7000人の入館者を見込んでいたが、予想を上回るペースとなった。
花里さん家族は親子5人で長崎を観光。長男の小学5年、寛一君(11)が記念品を受け取った。記念館は初めてという花里さんは「1万人目となり光栄。日本を変えるために活躍した龍馬の生きざまには興味がある。閉塞(へいそく)感が漂う現代にも龍馬のような考えが必要ではないか。長崎のイメージは西洋文化。今度は日本の近代化を支えた軍艦島(端島)も見学したい」と話し、家族で展示品に見入っていた。
本年度の入館者数は当初予想を大幅に上回るとみられ、市長は「あらためて龍馬の人気の高さ、人を引き付ける力を感じる。来館者の声を聞きながら、展示物も含め、少しずつ改善していきたい」と手応えを話した。
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