新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
台風9号の影響で水害や交通への影響が出ています。被災された方にはお見舞い申し上げます。東京はいったん雨が収まってセミがわんわん鳴いてますが、台風が接近する明日午後までは油断禁物ですね。
富山
名刀の奥深さに触れる 富山県水墨美術館で秘蔵展 講座で魅力を紹介
佐賀
「クオリアに気づき、育てよう」 九州創発塾2009が閉幕
熊本
火の国まつり:サンバのリズムで「おてもやん」 総おどり熱演--フィナーレ /熊本
社会
現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、1位「坂本龍馬」
細かいツッコミですが、「戦慄!!恐怖・ミステリー特集」の番外編だったとは(苦笑)。ホラー苦手・スプラッタ嫌いなので本編は見たいとも思いません^_^;。
現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、1位「坂本龍馬」
コラム
【次代への名言】8月10日・大久保利通
富山
名刀の奥深さに触れる 富山県水墨美術館で秘蔵展 講座で魅力を紹介
富山市の県水墨美術館で開催中の「大名家秘蔵の名刀展―源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀―」(日本美術刀剣保存協会県支部、富山新聞社など主催)は9日、特別講座「名刀の魅力を探る」が開かれ、多くの来場者が武器、美術品としての刀剣の奥深さに触れた。
特別講座は、日本美術刀剣保存協会県支部会員の山誠二郎さんらが講師を務め、幾振かの刀剣を示しながら解説した。山さんは、日本刀の魅力は姿(すがた)、地鉄(じがね)、刃文(はもん)の三つにあると指摘。刀の形や曲線美など姿が、各時代の思想や文化、戦い方の違いによって多様に変化していることを映像や実際の刀を見せて紹介した。
また、刃文は鎌倉中期以降、花の房が重なるような文様や砕け散る波のような文様など技巧性に富み、山さんは「刀工は刀身をキャンバスに見立て、美しい刃文を造った」と語った。
講座後、来場者は2振の刀剣を実際に手に取り、刃文の違いなどに見入った。山さんは名刀の条件として歴史的な背景も欠かせないと強調し、同展で展示されている48振はすべて名刀と呼ぶにふさわしいと述べた。
同展は9月23日まで。観覧料は一般500円、大学生400円、高校生以下無料。
佐賀
「クオリアに気づき、育てよう」 九州創発塾2009が閉幕
佐賀新聞社など九州の7新聞社が共同主催する「九州創発塾2009」が8日、閉幕した。新たなメディアとして注目されるインターネットの会員制掲示板「地域SNS」のレクチャーや有田焼産地をめぐる見学会などがあり、総合コーディネーターの脳科学者茂木健一郎氏が「九州にある素晴らしい”クオリア(質感)”に気づき、育てることが大切だ」と締めくくった。
(中略)
このほか、消費者の嗜好(しこう)をとらえた「匠(たくみ)の蔵」シリーズをヒットさせている有田焼卸団地のブランド作りの現場を訪ねたり、世界遺産登録を目指す幕末佐賀藩の遺構の見学などがあった。
熊本
火の国まつり:サンバのリズムで「おてもやん」 総おどり熱演--フィナーレ /熊本
◇4600人、総おどり熱演
熊本市の「第32回火の国まつり」が7、8の両日、市中心部であった。8日夜には、サンバのリズムにあわせて踊る「おてもやん総おどり」があり、まつりを締めくくった。
熊本が生んだ幕末の思想家、横井小楠の生誕200年記念交流事業で熊本市を訪れている友好都市・福井市の小学生、福岡市のサンバ愛好団体、県内企業など56団体の計4600人が参加した。団体ごとにそろいの衣装を着た参加者は、汗びっしょりになりながら踊り、大勢の見物客から拍手を受けていた。
また市役所前の特設ステージでは、熊本市出身の津軽三味線演奏家、高崎裕士さん(31)が「おてもやん」の音楽にあわせて三味線を演奏してまつりに花を添えた。【和田大典】
社会
現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、1位「坂本龍馬」
8月末の総選挙を目前に控え、オリコン恐怖特集・番外編(!?)では『蘇って、現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人』ランキングを発表。10~40代を対象にアンケートしたもので、結果は幕末の志士【坂本龍馬】が全世代にわたり1位を独占した。「男気溢れる政治力で立て直してほしい」(長崎県/20代社会人/女性)と強いリーダーシップを求める声が多く、2位に【織田信長】、4位【田中角栄】など、少々強引ながらもその辣腕を期待される偉人たちが名を連ねた。
1位の【坂本龍馬】には「彼並みのカリスマ性を持った人物が市民の先頭に立って日本を立て直してくれると思う」(滋賀県/専門・大学生/男性)と、史実のみならず、様々な著書やドラマで伝えられてきたカリスマ性、決断力、瞬発力といった人間性が、今なお多くの人々を魅了している様子。なお、龍馬と同様に幕末の日本で活躍した【近藤勇】、【土方歳三】、【沖田総司】といった新撰組のメンバーの名前も挙げられている。
また「女性にして日本をまとめ上げた存在感がすごい。考え方を聞いてみたい」(東京都/専門・大学生/男性)と、TOP10のなかで紅一点のランクインを果たしたのが邪馬台国の女王【卑弥呼】。「女性が引っ張ってって欲しい」(神奈川県/20代社会人/男性)と、意外にも男性からの票が集まった。
このほか、圏外にはロックミュージシャンの【hide】や【ジョン・レノン】、【カート・コバーン】といった伝説のアーティスト達も登場し「素晴らしい曲を作ってほしい」(東京都/20代社会人/男性)と、彼らの音楽で日本を変えて欲しいと期待を寄せる意見もちらほら。そのほか、電器業界で“経営の神様”と称された【松下幸之助】、自動車産業の成功者【本田宗一郎】など、昭和の景気復興を支えた偉人たちを求める声もあがった。
細かいツッコミですが、「戦慄!!恐怖・ミステリー特集」の番外編だったとは(苦笑)。ホラー苦手・スプラッタ嫌いなので本編は見たいとも思いません^_^;。
現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、1位「坂本龍馬」
コラム
【次代への名言】8月10日・大久保利通
■「凡(およ)そ国家の事は深謀遠慮自然の機に投じて図(はか)るにあらざれば成す事能(あた)はざるや必せり」(大久保利通)
「大久保公は常に無口であつたが、唯(た)だ黙つて国家の事をのみ考へて居(お)られた」-。岩倉遣外使節団の一員として明治維新後、ともに欧米を訪問した久米邦武の回想だが、1830年のきょう(旧暦)、鹿児島城下に生まれた大久保利通は古い伝記によると、少年時代、相当いたずら好きで腕白だったらしい。だが、盟友、西郷隆盛との出会いと、幕末という激動期の到来が彼の運命を変える。
冒頭の一文は、征韓論をめぐってその西郷と訣別(けつべつ)する結果にいたる「明治六(1873)年の政変」のさなかにしたためた“遺書”のなかにある。大久保の「国家三十年の計」によると、当時の日本はいまだ「創業時間」。「最も肝要」とした次の「内治と殖産期」(明治11~20年)、さらには「後進賢者の継承期」(21~30年)への大事な準備期間であり、隠忍自重のときだった。
「昨夜予(よ)は西郷と断崖(だんがい)の上に搏(はく)(格)闘したり。乱撃こもごも打力を極めて相争へるが、忽(たちま)ち足失して二人相擁(あいよう)し、倶(とも)に崖下に墜落するを見る」-。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』によると、そんな夢をみた数日後、大久保は凶刃に倒れる。西南戦争で西郷を失ってから8カ月後のことだった。
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一日曇ってましたが、暑い一日でした。夕方になって、ようやく風が入り、ちょっと一息ついてます。
北海道
野外劇20万人突破、和田さんに記念品
20万人の記念品は土方歳三グッズなんですね(^^)。
兵庫
洗練極めた幕末の美 「まぼろしの薩摩切子」展
山口
萩で若者向け「維新塾」
福岡
玩具:お殿様のおもちゃ公開 清末藩主愛用・ゼンマイ仕掛けの亀--北九州 /山口
佐賀
九州創発塾、きょう開幕 一体的発展や将来像探る
北海道
野外劇20万人突破、和田さんに記念品
国の特別史跡・五稜郭跡(五稜郭公園)で開かれている市民創作・函館野外劇の第22回公演「星の城、明日に輝け」の来場者が7日、1988年の第1回公演から通算20万人を突破した。
20万人目となったのは市内大川町の和田栄さん(78)。数年前から3回目の観劇で、この日は一人で訪れた。開演前にセレモニーが行われ、主催するNPO法人市民創作「函館野外劇」の会の家口利明副理事長から土方歳三グッズの記念品を受け取った。和田さんは「驚いた。野外劇は照明の演出が華やかで楽しい。これからも役者の皆さんは練習を頑張って野外劇を続けてほしい」と話していた。
函館野外劇は第1回(10回公演)に約1万4000人が来場。13―15回は数千人と低迷していたが、第16回(2003年)に演出をリニューアルして盛り返し、現在は年間平均約1万人が来場している。今年の公演は9日まで。
20万人の記念品は土方歳三グッズなんですね(^^)。
兵庫
洗練極めた幕末の美 「まぼろしの薩摩切子」展
幕末から明治初期にかけ、日本で花開いたガラス工芸、切子(きりこ)。複雑な文様を彫り込んだカットガラスだ。その中でも至高の美を誇った薩摩切子を紹介する「まぼろしの薩摩切子」展が、神戸市立博物館(同市中央区京町)で開かれている。ごく短期間にデザインと技術の両面で飛躍的な発展を遂げ、洗練を極めた約160点が並ぶ。(神谷千晶)
薩摩切子の生産を始めたのは、1851年に11代薩摩藩主となった島津斉彬(なりあきら)。職人たちは、現在の鹿児島市に設立された藩営工場・集成館で、英国やボヘミアのカットガラスを参考に製造。無色ガラスに紅(べに)色や藍(あい)色のガラスを被せ、鉄棒で文様を削る日本独自の色被(き)せ切子を完成させた。
特筆すべきは、銅粉の量や製法の工夫によって生み出された美しい紅色だ。また複数の文様を組み合わせた華麗な彫り込みは西洋産に引けを取らず、色ガラスを浅い角度で削ってグラデーション(濃淡)を表現する「ぼかし」には日本の美意識が表れている。
その粋を集めた作品が、薩摩の天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)が13代将軍徳川家定に嫁ぐ際、持参したとされる「藍色被栓付瓶」や雛(ひな)道具一式だ。切子尽くしの雛道具は、わずか数センチの脚付杯や重箱など約60点からなり、精緻(せいち)なカットにため息が漏れる。
58年に斉彬が急逝すると、切子事業は急速に縮小。コスト節約の目的もあり、器の一部だけに色を使う意匠が増える。さらに薩英戦争(63年)で集成館が焼失し、藩主導の製造は大きな打撃を受けた。
同展では、明治維新後の作品も紹介。72~77年に薩摩の地で切子製造にかかわった開物(かいぶつ)社が宮内省のために作った「紅色被三段重」は、菊を表す円形の紅色ガラスが配され、モダンな雰囲気が漂う。
薩摩藩が切子生産に注力した背景には、国内外の事情に通じた斉彬が主導した産業振興政策があった。集成館では兵器や蒸気船まで製造。ガラスも船窓や薬品用器具など幅広い用途に使われた。高度な産業技術を美術工芸に転用した切子はしばしば将軍家や諸大名に贈られたが、そこには藩の先進性を誇示する意図も読み取れる。
幕末の激動期に生まれ、磨かれた珠玉のガラス工芸・薩摩切子。その逸品を楽しむ貴重な展覧会だ。
30日まで。月曜休館。同館TEL078・391・0035
山口
萩で若者向け「維新塾」
萩市や市観光協会などでつくる萩・維新塾実行委員会は9月12~16日、萩博物館などで、吉田松陰の没後150年と伊藤博文の没後100年を記念した企画「萩・維新塾」を開く。参加者を募っている。
萩博物館の樋口尚樹副館長が「関ケ原から萩へ」▽京都大大学院法学研究科の伊藤之雄教授が「伊藤博文と明治天皇―日本のかたちを作る」と題して講演。松陰神社内の松下村塾や神社近くの松陰誕生の地などをバスで巡るほか、パネル討論や城下町の散策などもある。
高校生を除く18歳以上30歳未満の男女が対象で、参加費は2万円(宿泊しない場合は1万円)。定員は20人。31日まで先着順に受け付ける。実行委事務局=電話0838(25)3166。
福岡
玩具:お殿様のおもちゃ公開 清末藩主愛用・ゼンマイ仕掛けの亀--北九州 /山口
◇下関の歴史研究家、子孫宅で発見--12月1日まで北九州・小倉城
長州藩の支藩、清末藩七代藩主、毛利元承(もとつぐ)(1833~49)が愛用したゼンマイ仕掛けの亀の玩具が、北九州市小倉北区の小倉城で公開されている。甲羅や頭、手足など精巧に作られ、まるで本物のようだ。専門家は「国内で現存する江戸期のからくりの玩具は少なく、とても貴重」という。
下関市彦島江の浦町の歴史研究家、小川忠文さん(69)が4年前、同市清末、清末藩士の子孫宅の蔵で木箱に入っていた玩具を見つけた。箱に記された書によると、嘉永2(1849)年、元承(当時17歳)から、遊び仲間だった同藩士の少年(同14歳)に贈ったものだった。
玩具は縦20センチ、横9センチ。和紙を漆で固め、亀を模している。ゼンマイを巻くと車輪が回転して前進し、首や手足も振る仕組みだ。
発見時、関節部などが朽ちていたため、江戸期のからくり機械の第一人者として知られる東野進・日本からくり研究会理事長(59)に修理を依頼、このほど作業が終了。亀のからくり玩具は6体しか確認されておらず、「とてもよい状態で残っていた」と東野さん。
小倉城天守閣1階歴史ゾーンで開催中の「おがわ是苦集(コレクション) 第2章 江戸の科学」で公開。幕末の思想家、科学者としても知られる佐久間象山(1811~64)が作った電気発生器なども並ぶ。12月1日まで展示。小倉城(093・561・1210)へ。【尾垣和幸】
佐賀
九州創発塾、きょう開幕 一体的発展や将来像探る
九州7県が連携し新たな地域づくりを考える「九州創発塾2009」が7日、佐賀市のマリトピアで開幕する。脳科学者の茂木健一郎氏を総合コーディネーターに迎え、8日までの2日間、基調講演やパネルディスカッション、分科会などを通し、九州の一体的な発展や将来像を探る。
九州創発塾は、佐賀新聞社など九州7新聞社が合同で企画。前身の「九州発見塾」(2000~06年)で培ったネットワークをさらに連携、融合させることを目的に、07年からスタートした。
今回は九州各県から260人が参加。「ソフトパワーで繋(つな)ぐ新しい九州~地域の技術・ブランドを武器に」をテーマに、ICT時代の産業のあり方や各県の歴史、地域資源を掘り起こし、そのネットワーク化などを議論する。
初日は愛知万博「愛・地球博」で会場演出を手がけた造園家の涌井雅之氏が「地域遺伝子で時代をひらく」をテーマに基調講演。パネルディスカッションで議論を深めた上で、講師を交えた塾生交流会に引き継ぐ。
2日目は4分科会で議論を深める。苦境が続く窯業界でヒットを飛ばす仕掛け人たちの案内で有田焼卸団地をめぐるほか、世界遺産登録を目指す幕末佐賀藩の科学技術遺構の見学や、日本人で初めてイタリアの「スローフード大賞」を受賞した武富勝彦さんの有機栽培農法の現場に足を運ぶ。
レクチャー「共有・共感・協働~ネットがはぐくむ地域力」の分科会では、特定エリアを中心に人と人をつなぐ新たなメディアとして注目される地域SNSの現状を取り上げる。
2日目の午後からは各分科会の成果を報告した後、茂木氏が2日間の議論を総括して閉幕する。
よい天気になったので、早速洗濯しています。
京都
学生ら防犯訴え
京の繁華街をパレード
学生ら防犯訴え 京の繁華街をパレード
高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
遺品展:下関出身の志士・笹尾卓馬、東行庵で /山口
佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(22)東大教授・山内昌之 山内容堂
小御所会議での発言「幼い天皇をかついで権力をないがしろにして、私にほしいままにする」は、実は真実を突いていたと思っています。でも、政治家のディベートとしては言質を取られる大失言だった。山内教授も指摘している通り、劣勢にありながら失言を見逃さず、土俵際で足下を掬った岩倉の勝負勘に山内容堂公は負けたのだと思います。
京都
学生ら防犯訴え
京の繁華街をパレード
学生ら防犯訴え 京の繁華街をパレード
京都学生祭典実行委員会は6日、学生による地域の防犯活動の一環として、新撰組をイメージした法被を着て、京都市役所(京都市中京区)からパレードした。
祭典「グランドファイナル」(10月11日)で島田紳助さんが企画した「平成の新撰組」のステージが企画されていることから、五条署、東山署、京都市と共同で行った。
「新撰組のように若い人たちが活躍してほしい」と門川大作京都市長らから激励を受けて出発。創作踊り「京炎そでふれ」の音楽に合わせ祇園甲部歌舞練場(東山区)まで行進、舞妓さんから拍手を受けた。
高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
土佐・龍馬であい博:巡回講座でイベントPR--29日から /高知
◇幕末の高知で活躍した人物など紹介
来年1月から開催される観光イベント「土佐・龍馬であい博」の機運を盛り上げようと、県内の博物館学芸員らによる巡回講座「幕末ゆめ道場・幕末維新の土佐」が今月末から開かれる。坂本龍馬を中心に幕末の高知で活躍した人物などを紹介。来年3月までに33講座を用意している。
主催は、県内の博物館や文化施設など約50施設でつくる「こうちミュージアムネットワーク」。歴史系の博物館8館を中心に実行委員会をつくり、企画を練っていた。
29日から始まる巡回講座では、龍馬の人物像やゆかりの史跡などを紹介。さらに三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎や、万葉集を研究した国学者・鹿持雅澄(かもちまさずみ)など、幕末の高知で活躍した人物の講座もある。北川村から宿毛市の県内全域の11会場であり、各会場で3テーマを用意し、学芸員が講演する。
加えて、同ネット加盟の12館では子ども向けの出前講座も準備。各館が板垣退助や龍馬を扱った漫画などをテーマに講座を開く。
また実行委では、11月に幕末から明治維新の高知を知る冊子を作製する予定。観光客らの史跡探訪などに活用してもらいたい考えだ。
同ネットの会長で、県立歴史民俗資料館の宅間一之館長は「講座などの一連の企画を契機にであい博を盛り上げ、幕末の歴史や人物に関心を持ってもらえたら」と話している。問い合わせは、同ネット事務局(088・866・8013)。【服部陽】
遺品展:下関出身の志士・笹尾卓馬、東行庵で /山口
幕末の戦いで奇兵隊に従軍した志士、笹尾卓馬の遺品展が下関市吉田の東行庵で開かれている。長州軍1000人で2万人の幕府軍を破った小倉口の戦い(1866年)を中心に、卓馬の功績を顕彰している。
卓馬は現在の下関市吉田地区で武道場を営む隠居笹尾家の長男として生まれた。幕末には奇兵隊総督、山内梅三郎の家臣団「正名団」の第1班長として従軍。明治政府で工部省営繕課長も務めた。
遺品は、同市豊田町に住む笹尾家の親族男性がこのほど、東行庵に寄贈。卓馬が小倉口戦争で使ったよろいや大本営旗、鉄扇など約30点を特別展示している。下関にいた幕末の志士を身近に感じることができる。
遺品展は31日まで無休。入場は午前9~午後4時半で、一般300円▽高校・大学200円▽小・中学生50円。【取違剛】
佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
三重津海軍所跡:新たな遺構を発見 金属加工用炉跡など--8日に一般公開 /佐賀
佐賀藩の三重津海軍所跡(佐賀市川副町、諸富町)の発掘調査をしている市教育委員会は5日、同所のボイラー工場の関連個所を調査したところ、金属加工用の炉跡やかまど跡とみられる遺構が新たに発見されたと発表した。現場は8日、一般公開される。
海軍所跡は、同市が世界遺産暫定リスト入りを目指す幕末遺産の一つ。海軍所の存在を証明する遺構や遺物を探し当てるため、6月からボイラー工場、船大工小屋、ドックがあったとされる場所を順次調査している。
ボイラー工場の調査では、01、02年に確認済みの炉跡に加え、新たな炉跡を発見。鉄くずや焼土も出ており、金属鋳造に使われた可能性が高いという。
また、長さ約4・5メートル、幅65~70センチの溝が3本並んだ遺構も見つかった。かまどの底部とみられ、大量の水の煮沸などに使われた可能性がある。
これらの遺構は出土した磁器から1820~60年代のものとみられ、海軍所の時期と合致する。
一般公開は8日午前9時半~正午。埋め戻す前の貴重な見学機会という。雨天時は午前8時半に実施の可否を決める。問い合わせは市教委文化振興課(0952・40・7368)。【姜弘修】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(22)東大教授・山内昌之 山内容堂
■鯨海酔侯、世紀の大失言
政治は言葉の芸術である。古代ローマのカエサルとキケロの争い以来、政治家は雄弁術を磨き、弁舌たくみに政敵を論破してきた。
しかし、時には弁論に自信をもつあまり、失言を犯すこともある。最近では麻生太郎首相が、高齢者は「働くしか才能がない」と発言した表現もかなり際どいものである。2000年6月の衆院選において、森喜朗元首相は有権者も「寝てしまってくれればいいが」と棄権を期待したため、自民党は大幅に議席を減らしてしまった。
04年6月、小泉純一郎元首相も年金未払い問題で「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」とやって、7月の参院選の改選議席では民主党に及ばなかった。今回も聞き様によっては、高齢者の余暇や自由を否定したような麻生首相の発言は、衆院選で自民党を苦戦させるきっかけになるかもしれない。
◆一時は議論をリード
幕末政治史に目を転じれば、世紀の大失言は、あまりの酒癖の悪さから生まれた。この失言は、慶応3年12月(1868年1月)の小御所会議の席で起こった。
会議に泥酔状態で遅参した土佐藩前藩主の山内容堂は、徳川宗家と列侯会議の温存をはかる保守的な議論でその場を一度はリードし、大政奉還を果たした王政復古の功労者たる徳川慶喜を会議に呼ばない薩摩・長州両藩の陰険な工作をひそかにそしった。容堂は、岩倉具視や大久保利通が、徳川慶喜の辞官納地を主張しながら、薩摩などは何故に藩領を奉還しないのか、と正論を吐いたのである。
ここまではまだよかった。問題はこの後に起きる。
◆言葉に酔い「幼沖の…」
容堂は若い時分から酒を愛し、「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称し、一日3升ともいう酒量を誇った。やや酒乱の気味もあったので、まさに自分の言葉に酔い、岩倉らを念頭において徳川慶喜を排除して朝議に参加させないのは、「これ恐らくは幼沖(ようちゅう)の天子を擁して権柄(けんぺい)を窃取(せっしゅ)し、自ら私せんとするものではないか」とやってしまったのだ。「幼い天皇をかついで権力をないがしろにして、私にほしいままにする」というのだから、表現は穏やかでない。
それまで容堂の正論に押されぎみだった岩倉と大久保は、この失言をとらえてすぐ切り返した。このあたりの切所を見抜く岩倉の勝負勘は、公卿(くぎょう)ばなれしている。岩倉はすかさず、「帝は幼くていらしても不世出の英主であり、今日の事業はすべて天皇のご決断である。それを幼い天皇とは大失言であるぞ」と攻め立てた。
容堂の言葉を「妄言」と断じ、まるで芝居のように「土州(どしゅう)、土州、返答せよ」と大喝したのである。面前で叱責(しっせき)されては、泥酔した容堂には答える論理も筋道も浮かばなかったに違いない。
それにしても、失言を逆手にとって「土州」(松平土佐守を名乗った山内容堂)と連呼しながら、政治的に不利な形勢を逆転する手腕はたいしたものだ。
◆武力倒幕路線ほぼ確定
容堂は謝罪、沈黙させられ、幕府擁護の論を張れなくなったのだ。こうして薩長中心の新政府による武力倒幕路線がほぼ確定したのである。
容堂は、苦労して分家から本家に入って国主大名に上りつめた分だけ、おのれの力量や弁をたのむ自信家タイプであった。酒の勢いが舌を滑らかにしたにせよ、将軍から天皇に国の新たな象徴が移ろうとしているときに語るべき言葉ではなかった。
ゆきすぎた酒は何によらず政治家を油断させ、時には大きな失言を吐かせることに注意しなくてはならない。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】山内容堂
やまうち・ようどう 名は豊信(とよしげ)。土佐(高知)15代藩主。文政10(1827)年、分家の山内豊著(とよあきら)の長男として生まれる。第14代藩主・豊惇(とよあつ)が急死し、家督を継ぐ。13代将軍・徳川家定の継嗣問題で一橋派にくみし、安政の大獄で隠居謹慎となる。幕府から謹慎を解除されると、公武合体に尽力し、土佐勤王党を弾圧する。慶応3年、後藤象二郎の提言を受け入れ、大政奉還を将軍の徳川慶喜に建白。その後も幕府の権力保全を図るが、王政復古クーデターで望みを絶たれた。明治政府では議定や上局議長などを歴任。酒と詩を好んだ。明治5(1872)年、46歳で死去。
小御所会議での発言「幼い天皇をかついで権力をないがしろにして、私にほしいままにする」は、実は真実を突いていたと思っています。でも、政治家のディベートとしては言質を取られる大失言だった。山内教授も指摘している通り、劣勢にありながら失言を見逃さず、土俵際で足下を掬った岩倉の勝負勘に山内容堂公は負けたのだと思います。
陽が落ちて、ようやく風が入ってくるようになりました。例年に比べるとまだましな暑さとはいえ、今年はいつにも増して冷房による冷え症が著しく、クーラーをつけられない(涙)……冷え症と暑さの二重苦と闘う毎日です(苦笑)。
東京
維新の裏面史 八重洲「割烹・嶋村」
うわ、幕末から続いているお店ですか……行ってみたいです。昼食の定食なら、手が届くかな(苦笑)。
神奈川
展覧会:画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画ほか
長野
「真田10万石まつり」でコスプレ募集
「戦国BASARA」などで真田幸村人気が高まってる昨今、よりによって真田家ゆかりの祭りでコスプレを呼びかけ……しかも「新選組でもお姫様でもOK」なんて余裕かまして大丈夫なんでしょうか(汗)。全国から何万人も集まってきたらどうするのかと考えてしまうのが杞憂に終わればいいんですが。
石川
辰巳用水取水口名称、築造当初は「鶏」いつの間にか「雉」 金沢市の調査で判明
加賀に巨大テーマパーク「日本元気劇場」-東京ドーム9個分 /石川
「幕末ミュージカル」って……(苦笑)。
大阪
未来をひらく福澤諭吉展
高知
であい博 高知駅に電光掲示板
土佐・龍馬であい博:開幕へ「あと165日」 高知駅にカウントダウンボード /高知
土佐・龍馬であい博:開幕へ「あと165日」 高知駅にカウントダウンボード /高知
東京
維新の裏面史 八重洲「割烹・嶋村」
(中略)
江戸町人の心意気
店の始まりは嘉永3年(1850年)、12代将軍の代。仕事振りが評判となり江戸城の御用を努めた。万延元年(1860年)3月3日のこと、二代目と三代目が食材を入れた御膳籠を担いで登城途中、浪士に行く手をさえぎられた。桜田門外の変だ。一行は事件の一部始終を目撃したという。
慶喜の駿府隠棲に殉じ、板場を預かっていた3代目に暖簾を譲り、初代と2代目は駿河に移った。将軍と共に駿府に落ちるかどうか迷った御家人、旗本の多かった中で、繁盛する店を捨てて同行した江戸町人の心意気をしのばせるエピソードでもある。もう一つの維新史をみるようだ。以来、今の加藤一男氏が八代目に当たる。駿河に移った初代、2代目は慶喜の台所を預かったのだろうが、その後どうなったかは聞かない。
今生きる有り難さ
日本橋の店は山形有朋や伊藤博文などの明治の元勲らにひいきにされ、あるいは久保田万太郎や獅子文六などの文士も良く店にあがったという。売れる前の永井荷風など「早く嶋村で昼飯が食えるようになりたい」と日記に書いているそうだ。ただ私はまだそれを読んでいない。
荷風や文六の如き才無く、有朋や博文の富貴権門に程遠い身が、こうして同じ店でお気楽に昼飯を食せる今の世の有り難さを思う。洒落た楊枝入れを眺めつつ、そんなとりとめのないことをぼんやり考えながら昼飯を食した。
うわ、幕末から続いているお店ですか……行ってみたいです。昼食の定食なら、手が届くかな(苦笑)。
神奈川
展覧会:画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画ほか
◇画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画
23日まで、神奈川県葉山町の県立近代美術館葉山(電話046・875・2800)。幕末以降、お互いに影響し合った写真と絵画・版画など約200点を対比させるように展示して、近代日本における両メディアの成立を考察する。月曜休館。
長野
「真田10万石まつり」でコスプレ募集
長野市松代町で10月11日に開く「松代藩真田十万石まつり」の実行委員会は、歴史ファンが自分たちで作った戦国武将や幕末の志士らの扮装で大名行列に参加できる「あこがれ隊」を初めて創設する。
松代は幕末の偉人佐久間象山の故郷ということもあり、幕末を新たに加えた。実行委は「新選組でも戦国のお姫様でもいいので、ぜひ参加して」と呼びかけている。
「戦国BASARA」などで真田幸村人気が高まってる昨今、よりによって真田家ゆかりの祭りでコスプレを呼びかけ……しかも「新選組でもお姫様でもOK」なんて余裕かまして大丈夫なんでしょうか(汗)。全国から何万人も集まってきたらどうするのかと考えてしまうのが杞憂に終わればいいんですが。
石川
辰巳用水取水口名称、築造当初は「鶏」いつの間にか「雉」 金沢市の調査で判明
辰巳用水の国史跡指定に向けた金沢市の調査で、築造当初の取水口の名称が「鶏(にわとり)」だったことが4日までに判明した。現在は取水口が別の場所に移っており、歴史学者らの間では最初の取水口名は「雉(きじ)」だったことが定説化しているが、戦後に辰巳用水の研究が進む中で、「鶏」がいつの間にか「雉」になり、誤って伝わったとみられる。
現在の辰巳用水は金沢市上辰巳町の東岩を取水口としている。1632(寛永9)年と言われる築造当初は東岩から下流約730メートルにあったとされ、その後約130メートル上流に移り、1855(安政2)年に現在の東岩取水口に移ったとされる。
最初の取水口について、江戸後期の1834(天保5)年の「辰巳用水長巻図」には「鶏渕(にわとりぶち)」の記述が見られ、幕末の1861(文久元)年の「犀川々筋図」には同じ場所に「上鶏(かみにわとり)」と記されている。
1916(大正5)年に辰巳用水普通水利組合が刊行した「辰巳用水沿革」でも最初の取水口が「鶏」の旧字である「●(=奚の右にフルトリ)(にわとり)」と表現されており、少なくとも戦前は「ニワトリ」だったことがうかがえる。
市辰巳用水調査指導委員も務めた市玉川図書館近世史料館の宇佐美孝専門員によると、戦後に辰巳用水開削者の板屋兵四郎を書きつづった文献などでは、取水口は「雉」と記されており、「鶏」や「●(=奚の右にフルトリ)」の表現は見られない。しかし、市が地元上辰巳町で聞き取り調査を行ったところ、最初の取水口付近が今も「上鶏」と呼ばれていたことが分かった。
宇佐美専門員は「戦後に研究が進められる中で『雉』と間違い、その後も疑問を持たれることがなかったために、『雉』と呼ぶことが常識になったのではないか」と分析する。本来とは違う呼び名がこれほどまでに定着するのは「珍しいケースではないか」(宇佐美専門員)としている。
市は「国史跡指定に向けた調査を進めたことで、正しい事実が明らかになった」(文化財保護課)と受け止めており、11月1日に辰巳用水探訪会を開催するなどして、辰巳用水の歴史的価値への理解を深めてもらうことにしている。
●辰巳用水 1631(寛永8)年に金沢城を含めて城下を焼き尽くした大火を契機に、加賀藩3代前田利常が築造を命じた。かつては金沢城周辺の空堀を満たし、城内への給水、城下の防火用水などに利用された。金沢市は7月27日、国に史跡指定を申請しており、早ければ11月にも文化審議会が指定を答申するとみられている。
加賀に巨大テーマパーク「日本元気劇場」-東京ドーム9個分 /石川
東京ドーム9個分の敷地面積を持つテーマパーク「日本元気劇場」(加賀市黒崎町TEL 0761-75-1100)が7月18日、グランドオープンした。(金沢経済新聞)
「地域の活力再生」をコンセプトに楽しさと娯楽性を追求する同劇場は、地方発「日本のブロードウェー」を目指し、国内外に向けエンターテインメントソフトコンテンツを発信、「見る・遊ぶ・体験する・ショッピング・グルメ」を満喫できる施設として、訪れる人に「元気のエネルギー」を提供するという。
メーンゲートとなっている「加賀砦赤門」をくぐると、昔ながらのまち並みを再現した風景が広がる。10の劇場で公演されるミュージカルやドラマ、約30種のアトラクションなど多彩なメニューを用意し、家族で一日中遊べるテーマパークとして年間200万人の入場を見込む。オープニングイベントでは、イメージキャラクターを務めるはるな愛さんが同劇場の専属劇団とともにステージを華やかに飾った。
目玉は、ほぼ原寸大で復元された戦艦三笠のオープンセット。全長80メートル、高さ50メートルの迫力で、9月に行われるNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケ見学も予定する。
オープニングの特別公演では、葵陽之介さんが座長を務める「劇団朱雀」に早乙女太一さんが出演(8月10日~30日まで1日3公演)。同劇場オリジナルのミュージカルドラマとして、専属劇団員「HIROZ(ヒローズ)」の幕末ミュージカル「沖田総司の青春」と忍者アクション満載の「忍者ショー明日なき戦い」、同団員「劇女」の「おんなたちと新撰組」も上演中(8月31日まで)。
アトラクションは、専門のインストラクターから教わる「手裏剣道場」、天と地がひっくり返るパニック空間「からくり忍者屋敷」、鬼太郎が案内する「河童お化け屋敷」のほか、大型ゲームセンターの「元気プレイランド」、アスレチック施設「こども元気広場」、「足湯」、10月に完成予定の「フラワー大観覧車」など多様な施設を用意する。飲食店は、500人を収容できる大型食堂「元気食堂」、「信州十割蕎麦」、明治時代の海軍が食べた海軍カレーを提供する「海軍食堂」、いりたてコーヒーを提供する「元気カフェ」など多彩なメニューをそろえる。
同劇場広報の作本さんは「山中・山代・片山津の加賀温泉郷への呼び水となれば。多くの人に足を運んでほしい」と期待を寄せる。
営業時間は9時30分~22時。入園料は、大人=500円、小学生=300円、小学生未満=無料。園内1日フリーパス券は、大人=3,000円、小学生=1,500円、小学生未満=無料。アトラクションによっては別途入場料が必要。
「幕末ミュージカル」って……(苦笑)。
大阪
未来をひらく福澤諭吉展
幕末から明治の激動の時代にあって革新的な活動を展開し、日本の近代化に大きな足跡をのこした福澤諭吉(1835~1901)は、大阪と非常に関係の深い人物です。
福澤は、中津藩(大分県)の下級武士の子として、父の任地であった大坂に生まれました。早くに父を亡くし中津で育った福澤は、のち再び大坂に出て緒方洪庵の適塾に入門しました。蘭学を学びつつ、青春を謳歌した大坂での日々は福澤が世の中を見つめるまなざしを形づくりました。安政5年(1858)には、23 歳の若さで江戸に蘭学塾(のちの慶應義塾)を開き、その後独学で英語を習得、欧米各国を訪問し、西洋文明を紹介する「西洋事情」や「学問のすゝめ」などを著しました。
本展覧会は、福澤諭吉が開いた慶應義塾の創立150年を記念して開催されるもので、福澤の多方面にわたる活動をあらためて捉えなおし、その遺品、書幅、書簡、自筆草稿、著書、およびその門下生たちが収集した美術コレクションや慶應義塾ゆかりの名品などを紹介します。また、福澤と大阪のゆかりについてもクローズアップする予定です。
美術品だけでなく多くの資料もご覧いただける本展で、いつもと違った美術館を味わってください。
※なお関連企画として、大阪・中之島の国立国際美術館B2展示場にて、展覧会「慶應義塾をめぐる芸術家たち」を、6月20日(土)~9月23日(水・祝)まで開催します。
(中略)
開催期間 2009年08月04日(火)~2009年09月06日(日)
休館日 月曜日
時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入場料 一般1,200円(1,000円)
大学・高校生900円(700円)
中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方は無料〔要証明(原本に限る)〕
※カッコ内は、前売り・20名以上の団体料金
会場 大阪市立美術館
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82
会場ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/museum/
問い合わせ電話番号 06-6771-4874
関連ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/museum/page/0000036101.html
高知
であい博 高知駅に電光掲示板
2010年1月16日開幕の「土佐・龍馬であい博」に向け、高知市のJR高知駅コンコースに4日、「カウントダウンボード」が設置され、開幕までの日数を数え始めた。高さ2メートル幅2メートルで、開幕までの残り日数を示す電光掲示板と、県内のパビリオンの場所を示す地図が取り付けられている。
除幕式には、尾崎知事や林田周一駅長らが出席。ボードの覆いを取り除くと、「165日」とともった掲示板がお目見えした。近くの幼稚園「丑之助(うしのすけ)学園」の園児らが鍵盤ハーモニカの演奏を披露してムードを盛り上げた。尾崎知事は「県浮揚のための主要事業です。高知の名を全国的に有名にしましょう」と呼びかけた。
ボードの隣には、約50個の風鈴がつるされた屋台が置かれ、「えかきさんになりたい」などと、園児らが願い事を書いた短冊を風鈴に取り付けると、涼しげな音を奏でていた。
であい博は来年1月から、高知駅前のメーンパビリオンのほか、安芸、土佐清水両市と、梼原町にサテライト会場を設け、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映に合わせて幕末・維新のロマンを演出する。
土佐・龍馬であい博:開幕へ「あと165日」 高知駅にカウントダウンボード /高知
土佐・龍馬であい博:開幕へ「あと165日」 高知駅にカウントダウンボード /高知
「開幕まで あと165日」--。来年の観光イベント「土佐・龍馬であい博」までの日数を表示する電光掲示板「カウントダウンボード」が4日、JR高知駅の改札口前に設置された。主催する県関係者は「開幕日がいよいよ近づいてきた。ぜひ盛り上げていきたい」と話している。
ボードは約2メートル四方。「2010年1月16日開幕ぜよ!」という吹き出しが付いた坂本龍馬など、であい博のイメージキャラクターが描かれ、開幕日までの日数と現在の時刻を表示する。
また、メーン会場の「龍馬ろまん社中」(高知市)と、「岩崎弥太郎こころざし社中」(安芸市)▽「維新の道社中」(梼原町)▽「ジョン万次郎くろしお社中」(土佐清水市)--の3サテライト会場の場所を示す地図も描かれている。いずれも来年1月16日の開幕日にオープン予定という。
県土佐・龍馬であい博推進課の中村智砂課長補佐は「観光客に喜んでもらう準備をしっかりしなければ」と気合の入った様子で話していた。【千脇康平】
この時間になっていい風が入ってくるようになりましたが、まだまだ暑くて汗だくだくです^_^;。
北海道
函館開港150周年:市民が盆踊りや「いか踊り」披露--函館でイベント /北海道
函館開港150周年:市民が盆踊りや「いか踊り」披露--函館でイベント /北海道
ワッショイはこだて、ねぶたや神戸サンバも
「陸軍奉行並土方歳三」のねぶた、見たいなぁ……(笑)。
静岡
おんとくさん、紙芝居で紹介 新居関所保存に尽力
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富山
刀剣の取り扱い、手入れ実演 富山県水墨美術館で開催中の名刀展
北海道
函館開港150周年:市民が盆踊りや「いか踊り」披露--函館でイベント /北海道
函館開港150周年:市民が盆踊りや「いか踊り」披露--函館でイベント /北海道
◇函館で2万人、イベント楽しむ
函館市民が地元の盆踊りや「いか踊り」を披露し、市内を練り歩く「ワッショイはこだて」が2日開かれた。今年は開港150周年を記念し、幕末に函館とともに開港した新潟、横浜、神戸、長崎市の踊り手たちも参加。約2万人が夏のイベントを楽しんだ。
新潟からは、若者らがげたを打ち鳴らすよう踊る「新潟下駄(げた)総踊り」、神戸からは南米のサンバをアレンジした「神戸サンバ」のチームが登場。色とりどりの衣装で披露された各地の踊りのパレードに、沿道から盛んな拍手が送られた。【昆野淳】
ワッショイはこだて、ねぶたや神戸サンバも
「開港150周年記念函館港まつり」(実行委主催)は2日、メーンの「ワッショイはこだて」1日目十字街・松風コースが行われた。今年は新潟、横浜など開港4都市の祭りや、2年ぶりに「青森ねぶた」が参加。「函館港おどり」や「函館イカ踊り」の参加者と合わせて78団体約9200人、山車85台がパレードし、函館の一夜を盛り上げた。
函館市末広町の十字街付近で行われた出発式では、実行委の木村孝男会長が「開港150年の節目を祝い、明日の函館の躍進につながる祭りにしたい」とあいさつ。ミス函館、神戸、長崎などの開港5都市親善大使も紹介された。
「ワッショイ―」は、午後4時20分ごろ、同市豊川町の豊川広路を先頭にスタート。同松風町までの電車通り約1.4キロの道のりを、華やかな衣装と、各団体が工夫を凝らし開港150年を祝う言葉で飾られた山車とともに、踊りを披露しながら練り歩いた。あいにくの曇り空で肌寒さを感じる日となったが、沿道に詰め掛けた観客の心を熱くし、惜しみない声援が送られた。
また、開港4都市からは、新潟下駄総踊り、横浜中華獅子舞、神戸サンバ、長崎龍踊りが参加。珍しい踊りや龍の舞う姿に大きな拍手が起こった。青森ねぶたは「らっせらー」の元気な掛け声の跳人(はねと)と呼ばれる踊り手が幅9メートル、高さ3.5メートルの「陸軍奉行土方歳三」のねぶたを先導。土方の勇姿が夜の街を照らし、観客を魅了した。
3日は午後4時15分から「ワッショイ―」2日目の堀川・五稜郭コースが行われる。同7時から同市末広町高田屋通りで「函館新聞社杯争奪ファンタジアクロス音楽祭」の決勝が予定されている。
「陸軍奉行並土方歳三」のねぶた、見たいなぁ……(笑)。
静岡
おんとくさん、紙芝居で紹介 新居関所保存に尽力
リンク先は静岡新聞サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
幕末から明治にかけて、新居関所の保存に尽力した飯田温徳(通称おんとくさん)の功績をたたえた紙芝居「飯田武兵衛本陣 ぶへえさまのおんとくさん」の上演が2日、新居町の同関所史料館で始まった。30日までの毎週日曜に随時、上演され、初日は多くの観光客から好評を得た。
紙芝居は町の名所・史跡を案内しているボランティア団体「新居宿史跡案内人の会」(杉浦政雄会長)が、町制施行120周年を記念した特別展や拓本体験講座に合わせて企画。物語の構成から絵の作成まで、すべてメンバーが手掛けた。
温徳は参勤交代の際、大名が宿泊した飯田武兵衛本陣の18代当主で、明治維新を受けて廃止された関所を取り壊しから免れようと奔走した人物。紙芝居では寺子屋を開いて教育に力を注いだエピソードなども描いた。
上演には地元の新居中生徒も協力し、史料館に訪れた観光客にメンバーたちが関所保存にまつわる秘話を語って聞かせた。寺子屋のシーンでは観光客も“生徒役”にふんして「いろはにほへと…」などと唱和し、教科書に載っていない歴史を感心しながら見入った。
富山
刀剣の取り扱い、手入れ実演 富山県水墨美術館で開催中の名刀展
富山市の富山県水墨美術館で開かれている「大名家秘蔵の名刀展―源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀―」(日本美術刀剣保存協会県支部、富山新聞社など主催)は開幕後初の日曜日となった2日、刀剣の取り扱い方と手入れの実演が行われ、大勢の来場者が興味深く見入った。
同支部の澤田康則事務局長が、加賀藩家老の長家旧蔵の名刀「則重(のりしげ)」を手に、刀を鞘(さや)から抜くときは真っすぐ手前に引き抜くことや、手入れで刀身の油を拭き取る際に今はティッシュペーパーを使っていることなどを実演して説明した。
また、澤田事務局長は「刀身と柄(つか)が分離できるのは世界中で日本刀だけであり、武士は使用目的に合わせて何種類も外装を変えた」と解説した。
この後、安全な刀の持ち方を指導した上で、希望者に実際に持ってもらった。刀は重さが約1・2キロで、本物の刀を手にした柿本拓郎君(9)=石川県中能登町=は「ずっしりと重くて、すごいと思った。大好きな直江兼続の刀も見られてよかった。夏休みの自由研究にする」と話した。
会場には夏休み期間中の子どもたちも多く訪れ、有名な戦国武将が所持した刀の前で列をつくり、あこがれを膨らませた。
同展は9月23日まで。
今日は降ったり止んだりの一日でしたが、やにわにミンミンゼミが激しく鳴き始めました……雨は上がったと感じているのでしょうか。
北海道
市函高生が開港150周年記念し張り絵壁画
礎石調査「館城」解明に期待
これ、続報を楽しみにしています。箱館戦争ゆかりの史跡であることに加えて、「江戸時代に確立された御殿形式の建物は、皇居などを除けば、館城が最後」、さらに「確認された石列だけでも、長さ40メートルを超える巨大な本丸御殿があった可能性を示している」という談話からも、一体どんな城だったのか……興味津々です。
港まつり開幕、開港パレードで節目祝う
秋田
「更生保護の父」後世へ 現役保護司が自費出版 川村の生涯小説化
富山
歴史ロマン感じて 大名家秘蔵の名刀展にぎわう
長崎
亀山社中“復活”ファンらでにぎわう 長崎で記念館がオープン
亀山社中記念館が一般公開
亀山社中記念館:長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
<亀山社中記念館>長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
亀山社中記念館 長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
北海道
市函高生が開港150周年記念し張り絵壁画
市立函館高校(日向稔校長、生徒954人)の全校生徒が、函館開港150周年を記念し、張り絵の巨大壁画を制作した。解体された函館どつくの大型クレーンや市電、函館山など市民になじみのある風景を描いた力作。1日から7日まで、函館市五稜郭町の五稜郭タワーに展示される。
壁画制作は同校の学祭に合わせて生徒会が企画。開港150周年を迎えた現在の街の様子を残そうと絵柄を考えた。下絵を描いた模造紙を25枚に分割し、全24クラスが各1枚、実行委が残りの1枚を担当。生徒らは絵に合わせて細かくした折り紙を張り合わせ、約1週間掛けて完成させた。
作品は、函館山を背景に旧函館区公会堂やハリストス正教会など西部地区の歴史的建造物が多く盛り込まれ、金森倉庫や石川啄木像、五稜郭タワーなど市内の観光地がカラフルに浮かび上がる。大きさはたて6メートル、横7メートル。
2年生の末永和則君(17)は「苦労した分、張り合わせて完成した時は感動した」、3年生の早坂駿一君(17)も「函館の歴史を感じてほしい」と話す。デザインを担当した三浦薫教諭は「思ったより良く出来上がった。多くの人に見てほしい」と喜ぶ。
同校ではタワーでの展示後、作品を掲示する場所を探している。問い合わせは同校TEL0138・52・0099。
礎石調査「館城」解明に期待
【厚沢部】町教委は館城跡(国指定史跡)で行っている本年度の発掘調査の一環として、建物の礎石とみられる石列の分布調査を進めている。古文書などによると城内には本丸御殿など複数の建物があり、来年度以降の調査では石列の調査を通じて、城内の詳しい構造が解明されることも期待される。
館城跡では以前から、建物の土台を支えた礎石とみられ岩が露出。1964年には測量調査も行われた。町教委は、来年度以降の調査に備えて石列の分布状況を調べている。城の南西部には、複数の場所で長径40~50センチの石が分布。長さ40メートルの範囲に数10個の石が並んでいる様子も浮かび上がってきた。町教委の石井淳平学芸員は「記録と礎石の配置を照らし合わせることで、建物の配置など館城の詳細な構造を解明できる可能性がある」と話している。
館城は松前藩の新たな拠点として1868(明治元)年9月に築城を開始。箱館戦争の戦火が迫る10月末に棟上式が行われたが、11月15日に旧幕府軍の攻撃で炎上した。城の詳しい構造が分かる絵図面などは残っていない。松前藩の役人などを務めた増田伝左衛門幹通が記した「増田家文書」は、藩主が政務を執る表御殿、生活の場だった奥御殿などを記録している。明治維新以後、国内では洋風建築が主流を占め、江戸時代に確立された御殿形式の建物は、皇居などを除けば、館城が最後のケースになるという。
現地を視察した、館城跡発掘調査検討委員会(藤沼邦彦委員長)は、石列の分布、建築に伴う盛土などの痕跡、築城前の原地形などを調べることで、館城の構造を解明する手掛かりが得られるとし、来年以降の全面発掘も提言している。検討委メンバーで日本の城郭史に詳しい、奈良大学文学部文化財学科の千田嘉博教授は「確認された石列だけでも、長さ40メートルを超える巨大な本丸御殿があった可能性を示している」とし、来年度以降の発掘調査に期待を示す。
これ、続報を楽しみにしています。箱館戦争ゆかりの史跡であることに加えて、「江戸時代に確立された御殿形式の建物は、皇居などを除けば、館城が最後」、さらに「確認された石列だけでも、長さ40メートルを超える巨大な本丸御殿があった可能性を示している」という談話からも、一体どんな城だったのか……興味津々です。
港まつり開幕、開港パレードで節目祝う
港町函館の夏を盛り上げる一大イベント「開港150周年記念函館港まつり」(同実行委主催)が1日、開幕した。市民らが函館の歴史にかかわる人物にふんして練り歩く「箱館開港パレード・高田屋嘉兵衛からペリーへ」で幕開け。5日まで多彩なイベントが展開される。
港まつりは1935(昭和10)年、前年に発生した函館大火からの復興を願って始まった。この年、函館が開港した1859年から「喜寿」の77年目に当たることから、盛大な祭りとなった。当時は7月に行われたが、1966年から8月に移行した。
パレードは午後4時すぎに高田屋嘉兵衛銅像前(函館市宝来町)を出発。花泉舞衛社中による高田屋嘉兵音頭や、回転太鼓、ふとんだんじりなどの一行を先頭に、嘉兵衛の7代目高田嘉七さん(78)、第30代ミス函館らが車上から手を振りながら観客の前を通った。また、陸上自衛隊函館駐屯地が製作した山車「黒船号」「開国五カ国号」も加わり、行列を華やかに彩った。
約1時間でウオーターフロント特設ステージ(同市末広町)に到着し、箱館港歴史セレモニーを実施。留学生たちがペリー提督などを演じ、開港時の歴史劇を披露した。その後の開会式では実行委の木村孝男会長が「函館が祭りに染められて開港150年の節目を祝い、活気づいた市民が喜んでくれることを確信しています」とあいさつした。
2日は「ワッショイはこだて(十字街・松風コース)」が午後4時15分から行われ、2年ぶりに「青森ねぶた」、新潟、横浜、神戸、長崎の開港4都市の各祭りが第2部に登場する。
秋田
「更生保護の父」後世へ 現役保護司が自費出版 川村の生涯小説化
華々しい政治の世界から一転獄中へ、晩年は私財をなげうって元受刑者の社会復帰に尽力。県内唯一の更生保護施設「秋田至仁会」(秋田市楢山)の創立者川村養助(1864~1905年)のそんな功績と波瀾(はらん)万丈の人生を後世へ伝えようと、建設会社社長で保護司の大歯省三さん(59)=同市御野場=が「秋田県更生保護の父 小説 川村養助物語」を自費出版した。収益は、川村の供養に全額充てたいとしている。
かねて川村の功績に注目していた目黒勵(はげむ)・県保護司会連合会長(72)=同市土崎港=が3月、連合会の会合で「川村先生の偉業が世間に知られていない。今では墓を訪れる人も少ない」と嘆いたのを機に、川村の生涯を調べ始めた大歯さん。「至仁会創立者として漠然とは知っていたが、こんなにも偉大な人だったのか」と感動し、5月に冊子にまとめた。
大歯さんの「川村養助物語」や、日本更生保護協会発行の「更生保護史の人びと」などによると、川村は幕末期、山本郡下岩川村(現在の三種町)の地主の家に生まれ、維新後は20代で同村長と県議会議員を兼任。しかし村役人のミスの責任を問われ、公文書偽造などの罪で重禁固2年の実刑判決が言い渡されたことで、人生の転機を迎える。
川村は秋田監獄本署(現在の秋田刑務所)服役中、受刑者たちが出所しても「前科者」と冷たく扱われ、社会復帰がままならず再犯へ走る例が多いことに心を痛める。出所後の1900年、同市川尻の自宅を「秋田出獄人保護所」(後の至仁会)とし、全財産を投じて出所者の寝食の面倒を見て、仕事も世話した。保護所開設5年目、無断外出した入所者を探して吹雪の街を歩き回るうちに肺炎を患い、更生保護にささげた短い生涯を閉じた。
大歯さんが特に着目したのは、川村が親族の反対を押し切り、一家離散も顧みず、更生保護のために全財産を投げ打った点だ。小説の後記で川村の孫娘が経済的に恵まれないまま亡くなったエピソードを挙げ「もし川村先生が生き方を変えていたら、妻子や孫たちの人生は変わっていたかもしれないが、至仁会は創設されなかった。安易な気持ちで更生保護事業への参加は許されない」と述べている。
大歯さんは25年ほど前から、経営する会社で延べ150人の元受刑者を雇ってきたが、多くは再び事件を起こし刑務所へ戻って行った。会社の車を持ち逃げされたり、雇用者として警察で事情を聴かれたりもした。出所者と向き合うことの大変さを知っているからこそ、川村の偉大さを実感し「家族に迷惑を掛けながら、元受刑者と付き合ってきた自分と共通するものも感じた」という。
「川村養助物語」はA5判16ページ、350円。これまでに約700冊を売り上げ、収益は同市八橋の全良寺にある墓の補修費などに充てる。4日の命日には、目黒会長の発案で関係者が墓参りをする。問い合わせは大歯さんTEL018・839・3409
富山
歴史ロマン感じて 大名家秘蔵の名刀展にぎわう
富山市の県水墨美術館で開かれている「大名家秘蔵の名刀展―源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀―」(日本美術刀剣保存協会富山県支部、富山新聞社など主催)は開幕2日目の1日、若者や女性グループを含む多くの愛好家が訪れ、歴史を彩った刀剣の輝きに見入った。
有名武将の刀に人気が集まり、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元から奪い取った刀の前では、「織田尾張守信長」と刻まれた金象嵌銘に歴史のドラマを感じ取っていた。また14代将軍夫人和宮の元いいなずけである有栖川宮熾仁(たるひと)親王が、東征軍大総督として江戸城に乗り込む時にさした「村正」では、昨年の大河ドラマ「篤姫」を思い出して語り合う姿も見られた。
2日午前11時と午後2時から刀剣の取扱い方・手入れの実演が行われる。同展は9月23日まで。
長崎
亀山社中“復活”ファンらでにぎわう 長崎で記念館がオープン
幕末の志士坂本龍馬が設立した貿易結社「亀山社中」の建物を復元した長崎市亀山社中記念館が1日、同市伊良林2丁目の同社中跡にオープンした。
記念館は長崎市街を一望できる高台にある。亀山社中が使用した家屋を市が約2900万円かけて往時の間取りに改装。龍馬が身に着けた紋服、刀、ブーツのほか、手紙(いずれも複製品)など約30点を展示。紋服を羽織ったり、月琴を弾く体験もできる。
初日の完成披露会は約50人が出席。田上市長は「全国の龍馬ファンが思いをはせる場所がついに完成した」と述べ、用地を市に無償貸与した本村勝実さん(60)=同市江平=へ感謝状を贈呈。坂本家9代目当主の坂本登さん(72)=東京都小平市=らがテープカットした。
最初の入館者は、長崎市東小島町の馬渡由美さん(47)と中学生の杏樹さん(12)親子。来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」主役の福山雅治さん(40)ファンという由美さんは「一番乗りを目指していた」と笑顔。夏休みの自由課題で龍馬を取り上げる杏樹さんは「中は思ったより広い。展示資料を見て勉強できた」と話した。
市は本年度2万5千人、来年度以降は年間5万人の入館者を見込む。入館料は大人300円、高校生200円、小中学生150円。
亀山社中記念館が一般公開
幕末の志士、坂本竜馬がつくった日本初の貿易商社とされる「亀山社中」跡(長崎市伊良林)の建物を当時の姿に復元した亀山社中記念館の一般公開が1日、始まった。
亀山社中は1865年の設立で、武器購入のあっせんなどを通じて薩長連合に貢献。記念館は当時の柱や梁(はり)を生かして復元され、竜馬が身を隠したとされる屋根裏部屋も公開されている。竜馬が鹿児島に新婚旅行した際の書簡などの展示品(複製)も並び、この日は朝から来館者が詰め掛けた。
復元は市の事業。来年はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が放映され、竜馬ブームが起きるのを期待して、「日本回天」の足掛かりとなった舞台をよみがえらせたが、停滞する長崎観光の「回天」となるか。 (長崎)
亀山社中記念館:長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
<亀山社中記念館>長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
亀山社中記念館 長崎市にオープン 龍馬ファンら続々訪問
幕末の志士・坂本龍馬が設立した日本初の商社「亀山社中」跡を、長崎市が改修・整備した「亀山社中記念館」(同市伊良林2)が1日、オープンした。龍馬ファンや観光客が続々と訪れ、坂本家の子孫、坂本登さん(72)=東京都小平市=らがテープカットした。
往時の間取りを正確に再現。龍馬が寄り掛かったという「龍馬柱」の床の間に、愛用の刀「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」(複製)などを展示している。初の入館者は地元の中学1年生、馬渡杏樹(まわたり・あんじゅ)さん(12)で、記念品として幕末当時のカステラを復刻した「海援隊カステラ」が贈られた。馬渡さんは「夏休みの自由研究で来ました」と展示品に熱心に見入っていた。【錦織祐一】
いい風が入ってきます。今晩は23度程度で気持ちよく眠れそうです。
長崎
龍馬と長次郎の子孫、感動対面 ゆかりの亀山社中記念館で
龍馬と長次郎の子孫、感動対面 ゆかりの亀山社中記念館で
長崎
龍馬と長次郎の子孫、感動対面 ゆかりの亀山社中記念館で
龍馬と長次郎の子孫、感動対面 ゆかりの亀山社中記念館で
幕末の志士坂本龍馬が設立した貿易結社「亀山社中」の建物を復元した長崎市伊良林2丁目の市亀山社中記念館で31日、坂本家9代目当主の坂本登さん(72)=東京都小平市=と、龍馬の片腕といわれた社中隊士近藤長次郎のひ孫、川邉篤次郎さん(77)=福岡県北九州市=が感動の対面を果たした。
長次郎は高知市のまんじゅう屋の生まれで、龍馬とは幼なじみといわれる。2人は一緒に幕臣勝海舟の門下生となり、共に亀山社中を設立。力を合わせて薩長同盟の成立に貢献した。だが、長次郎は仕事の報酬を私して英国留学を企てたとされ、慶応2(1866)年1月、社中の仲間に責められて長崎の小曽根邸で切腹した。
坂本さんと川邉さんが言葉を交わすのは初めて。坂本さんは「2人が新しい歴史をつくったこの場所で、こうして会えたのは感慨深い。龍馬は長次郎の死を悔やんでおり、もしその場にいたら切腹させていなかったはずだ」と話した。
川邉さんは「(3歳年下の)長次郎は龍馬を兄のように敬っていた」と話し「龍馬の姉の乙女が売れ残りのまんじゅうを引き取っていたという話もある」と逸話も披露。陽気に語り掛ける川邉さんと、笑みを浮かべて静かにうなずく坂本さんのやりとりは、伝えられる通りの龍馬と長次郎の姿をほうふつさせた。
市亀山社中記念館は1日開館。午前8時45分から完成披露会があり、坂本さんらがテープカットする。
今日の東京は暑さが和らぎました。スーツを着る必要があったので、助かりました(^^ゞ。
富山
歴史の名刀48振 31日から「大名家秘蔵の名刀展」 富山県水墨美術館
広島
大河ドラマ「龍馬伝」みろくの里でロケ決定
長崎
雑記帳 龍馬も飲んだ? 幕末の濁り酒復刻 長崎・雲仙
龍馬と長次郎の子孫対面 ゆかりの亀山社中記念館で
亀山社中記念館1日開館 竜馬の手紙など30点展示 長崎市
鹿児島
映画:「半次郎」 西郷役を公募 榎木さん会見「鹿児島を活性化したい」 /鹿児島
映画:「半次郎」 西郷役を公募 榎木さん会見「鹿児島を活性化したい」 /鹿児島
富山
歴史の名刀48振 31日から「大名家秘蔵の名刀展」 富山県水墨美術館
「大名家秘蔵の名刀展―源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀―」(富山新聞社主催)は31日、富山市の富山県水墨美術館で開幕する。
徳川家をはじめ上杉家、前田家、細川家など大名家に代々伝わる名刀や、織田信長、明智光秀、直江兼続など歴史上の人物が愛した名刀、歴史の名舞台に登場した刀など48振を展示し、日本刀が歴史の中で果たしてきた役割と、美術品としての素晴らしさを紹介する。国宝2点を含み、県内初公開やほとんど一般公開されない刀剣も多数展示される。
開幕を前に30日は、日本美術刀剣保存協会富山県支部の会員15人らが展示作業を行った。会員たちは刀に息がかからないようマスクをし、ライトの光によって刃文がよく見えるような位置や角度を探りながら、絹の白布をかけた刀掛けに慎重に刀身を置いた。
大名家に伝わったかぶとや書状、書なども展示されている。
31日は午前9時半から同美術館で開会式が行われる。
広島
大河ドラマ「龍馬伝」みろくの里でロケ決定
福山市は30日、来年放映されるNHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケが10月に同市藤江町のテーマパーク「みろくの里」で実施されると発表した。主役の坂本龍馬役を務める俳優の福山雅治さんも参加するという。ロケ地決定に合わせ、龍馬ゆかりの鞆の浦を全国にPRしようと、官民でつくる「『龍馬伝』を福山で応援する会」も発足した。
龍馬伝は幕末の志士、坂本龍馬の33年の生涯を描く青春群像劇。龍馬役を俳優や歌手として人気の福山さんが演じる。市によると、みろくの里でのロケは10月上旬ごろに10日間、非公開で実施。龍馬の少年時代などを撮る予定。
市は、龍馬率いる海援隊の商船と紀州藩の軍艦が衝突した「いろは丸」事件の舞台となった鞆の浦をロケを通じてPRしようと、昨年11月ごろから誘致交渉を進めていた。
鞆の浦でのロケは実現しなかったが、みろくの里ではこれまで故司馬遼太郎さん原作の「坂の上の雲」を映像化したNHKドラマなどのロケがあり、今月1日にNHK側から市にロケ地決定の連絡が入ったという。
30日、市役所であった「応援する会」設立会で、会長の小川雅朗・市経済部長は「福山を全国に発信する絶好の機会」とあいさつ。市内の経済団体や観光団体と、いろは丸事件を紹介するイベント開催やふくやまフィルムコミッションなどと連携した支援に取り組む方針を確認した。会に出席したみろくの里の運営会社「マップ」の西原一夫社長は「いいシーンが撮れるようサポートし、日本中の龍馬ファンに福山をPRしたい」と話した。(吉田博行)
長崎
雑記帳 龍馬も飲んだ? 幕末の濁り酒復刻 長崎・雲仙
幕末の志士・坂本龍馬も飲んだかも、という幕末当時の濁り酒を、長崎県雲仙市の土産物店「田浦物産」が“復刻”、8月1日から販売する。その名も「愛のろまん酒」。
龍馬は1864年に初めて長崎に来た際、現在の雲仙市愛野町に宿泊したという。「そこで飲んだであろうお酒」の再現を当時の濁り酒の製法を知る地元酒造会社に頼んだ。
500ミリリットル1238円。店主の田浦元(はじめ)さん(42)は「甘い口当たり。愛野でロマンチックに『日本を変えよう』と語ったのでは」。憂国気分の人には、お薦めの一品?【錦織祐一】
龍馬と長次郎の子孫対面 ゆかりの亀山社中記念館で
幕末の志士坂本龍馬が設立した貿易結社「亀山社中」の建物を復元した長崎市伊良林2丁目の市亀山社中記念館で31日、坂本家9代目当主の坂本登さん(72)=東京都小平市=と、龍馬の片腕といわれた社中隊士近藤長次郎のひ孫、川邉篤次郎さん(77)=福岡県北九州市=が感動の対面を果たした。
長次郎は高知市のまんじゅう屋の生まれで、龍馬とは幼なじみといわれる。2人は一緒に幕臣勝海舟の門下生となり、共に亀山社中を設立。力を合わせて薩長同盟の成立に貢献した。だが、長次郎は仕事の報酬を私して英国留学を企てたとされ、慶応2(1866)年1月、社中の仲間に責められて長崎の小曽根邸で切腹した。
坂本さんと川邉さんが言葉を交わすのは初めて。坂本さんは「2人が新しい歴史をつくったこの場所で、こうして会えたのは感慨深い。龍馬は長次郎の死を悔やんでおり、もしその場にいたら切腹させていなかったはずだ」と話した。
川邉さんは「(3歳年下の)長次郎は龍馬を兄のように敬っていた」と話し「龍馬の姉の乙女が売れ残りのまんじゅうを引き取っていたという話もある」と逸話も披露。陽気に語り掛ける川邉さんと、笑みを浮かべて静かにうなずく坂本さんのやりとりは、伝えられる通りの龍馬と長次郎の姿をほうふつさせた。
市亀山社中記念館は1日開館。午前8時45分から完成披露会があり、坂本さんらがテープカットする。
亀山社中記念館1日開館 竜馬の手紙など30点展示 長崎市
幕末の志士、坂本竜馬が設立した日本初の貿易商社「亀山社中」跡の建物(長崎市伊良林2丁目)を、当時の姿に復元した「長崎市亀山社中記念館」が8月1日、オープンする。竜馬の手紙や愛用品の複製など約30点の展示品の準備もほぼ整い、30日には報道陣に公開された。
竜馬ら社中のメンバーが集会場に使っていたとされる「亀山社中の間」(10畳)には、竜馬の息遣いを感じられるよう、身に着けていた紋服やブーツ、ピストルなどの複製を展示。司馬〓太郎が小説「竜馬がゆく」の中で竜馬がもたれかかったと描写した床柱「竜馬柱」も往時のまま残されており、歴史のロマンを誘う。
8月1日は午前8時45分に開館イベントがあり、同9時から一般公開。入館料は一般300円、高校生200円、小中学生150円。市文化観光総務課=095(829)1152。
※本文中と写真説明の「〓」は「遼」の「しんにょう」が「2点しんにょう」
鹿児島
映画:「半次郎」 西郷役を公募 榎木さん会見「鹿児島を活性化したい」 /鹿児島
映画:「半次郎」 西郷役を公募 榎木さん会見「鹿児島を活性化したい」 /鹿児島
幕末の薩摩藩士、中村半次郎(後に桐野利秋と改名)の半生を描く映画「半次郎」(五十嵐匠監督)の制作開始を前に30日、主演で伊佐市出身の俳優・榎木孝明さんが県庁で記者会見した。
映画は激動の幕末から明治維新、西南戦争までを「人切り半次郎」の名で恐れられた中村半次郎の目線で描く。9月中旬にクランクインし、多くの場面が県内で撮影される。
榎木さんは「構想から十数年。やっとここまでたどりついた。鹿児島を活性化させる映画にしたい」と作品への思いを語った。
この日は作中の重要人物、西郷隆盛役の一般公募も発表。プロ・アマ問わず全国から20~50歳の「目力のある」男性を募集するという。8月17日に締め切り、鹿児島市内でオーディションを開いて8月中に決定。エキストラや撮影を支援するボランティアスタッフも併せて募集する。問い合わせは「半次郎」鹿児島事務局(099・222・5889)。【黒澤敬太郎】
毎日暑い日々が続いてますね。雨が去って、ようやく夏らしくなってきました。
福島
往時しのび二本松少年隊顕彰祭
岡山
県立東岡山工業高校 方谷駅の模型制作 /岡山
広島
島津家ゆかり 薩摩焼や切子
佐賀
県立宇宙科学館:夏の企画展--武雄 /佐賀
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(21)東大教授・山内昌之 中川宮
中川宮、幕末のぎりぎり終盤になるとあまり登場してなかったのは、長州嫌い・岩倉とは合わないからだったんですね。
福島
往時しのび二本松少年隊顕彰祭
戊辰戦争で散った二本松少年隊を慰霊する「二本松少年隊顕彰祭」は28日、二本松市の城山総合体育館で行われた。
二本松城が落城した1868(慶応4)年7月29日にちなみ毎年この時期に実施している。
戊辰戦争から141年目に市民ら約500人が往時をしのんだ。
福島岳風会の二本松吟詠会と安達詩吟会が「戒石銘」「二本松少年隊を弔う」を献吟。
二本松北小剣舞クラブが剣舞、岳下小居合道部が居合、二本松南小舞踊部が舞踊、二本松剣友会が日本剣道形を披露した。
29日午前10時から少年隊の墓所がある市内成田町の大隣寺で、墓前祭が営まれる。
岡山
県立東岡山工業高校 方谷駅の模型制作 /岡山
◇大工の技と心意気学ぶ
県立東岡山工業高設備システム科3年の生徒8人が、卒業制作として高梁市にあるJR伯備線「方谷(ほうこく)駅」駅舎の模型(縮尺30分の1)作りに取り組んでいる。
担当の難波好幸教諭は「(方谷駅は)妥協を許さない職人技が光る。柱の寸法を実測しても1ミリの狂いもなく、昔の大工さんの技や心意気を生徒に知ってほしい」と期待する。
方谷駅は、1928(昭和3)年築造の、県内でも有数の歴史を誇る木造平屋建て駅舎。高梁出身の陽明学者、山田方谷(1805~1877)の名にちなんだ。方谷は幕末期、借金で疲弊した備中松山藩を8年で再建、ついには10万両の蓄財を成し遂げた。JR西日本岡山支社によると、方谷を慕う住民の願いに応えた全国初の人名を冠した駅という。
生徒たちは外壁作りから始め、図面に従って発泡スチロールを切り抜き、柱となるヒノキの角棒をボンドで接着する作業を繰り返した。窓枠や柱の接合部を合致させる作業には、とりわけ繊細さが要求されるという。
生徒は「難しい」と口にしながらも、柱の先端を斜めに切ったり、紙やすりで少しずつ削り取る作業に熱中していた。武田廉君(18)は「見た目をきれいに仕上げるのが難しい。コンマ以下のミリ単位の作業なので、手先が器用になりそう」と話し、秋山弘樹君(17)は「ピタッとはまった時はとてもうれしい」と笑顔を見せた。外壁に続いて屋根を作り、全体の仕上げに入るという。完成予定は来年1月末。難波教諭は「模型が完成したら、JRや山田方谷の会に寄贈したい」と話していた。【坂根真理】
広島
島津家ゆかり 薩摩焼や切子
薩摩藩主島津家ゆかりの工芸品を並べる「磯お庭焼と薩摩切子の世界展」が28日、福山市元町の天満屋福山店で始まった。8月3日まで。
江戸時代に発祥し、藩主が生産に力を入れた薩摩切子と薩摩焼を展示。ガラス製品である薩摩切子は赤や黄色など色鮮やかな小皿や香水瓶など80点、陶器の薩摩焼は香炉や茶わんなど60点を並べた。
製造に力を入れた幕末の藩主島津斉彬の養女で、江戸幕府13代将軍徳川家定に嫁いだ篤姫は薩摩切子の酒瓶を愛用していたという。
佐賀
県立宇宙科学館:夏の企画展--武雄 /佐賀
武雄市の県立宇宙科学館で、夏の特別企画展「古今東西 宇宙(そら)へのあこがれ」が開かれている。東洋から西洋、古代から現代の宇宙観、天体観測や宇宙開発などを紹介している。
幕末に使われた観測道具、宇宙空間で使用できる特殊なNASAカメラの展示に加え、国際宇宙ステーション(ISS)での実験の様子も映像で楽しめる。武雄小1年の井手口太陽君(6)は「楽しくて科学が好きになった」と笑顔を見せていた。
9月13日までの期間中、ワークショップや実験など多彩なイベントが計画されている。問い合わせは同科学館(0954・20・1666)。【原田哲郎】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(21)東大教授・山内昌之 中川宮
■黒幕政治家の悲哀
政治でいう「黒幕」とは歌舞伎で場面の変わり目に舞台を隠す幕などから来た言葉らしい。米語で黒幕を指すワイアプラーは、操り人形師の意味である。隠然たる力をもち、陰で策略を巡らし人を指図する人は、現代政治でも良い印象をもたれない。
好き嫌いはあっても、民主党の力がここまで伸びた大きな原動力は、小沢一郎氏の強烈な個性とリーダーシップによるものだが、小沢氏にもどこか古典的な“黒幕”のイメージがつきまとってきた。
この印象は、自民党幹事長、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党代表を歴任し、政治改革と政権交代に執念を賭けてきた政治家なのに不思議なことだ。
その理由は、人前で進んで語りたがる政治家でなく、自民党からも消えかけている党人派らしい大物党人だという個性も無関係ではない。メディア受けせず、玄人好みのする政治家は現在どうしても評価が低くなるが、小沢氏も黒幕タイプと色眼鏡で見られがちなのはやや気の毒かもしれない。
◆クーデターの荒業
黒幕がいなければ、歴史に大きな変化が起きないこともある。幕末政治の大きな転換点、文久3(1863)年の八月十八日の政変にも一人の黒幕が潜んでいた。それが中川宮である。
尊皇攘夷(じょうい)過激派嫌いだった孝明天皇の意を受けた中川宮は、薩摩藩と会津藩に同盟を組ませ、長州藩を禁門警備の任から追放してしまった。とても宮様とは思えないクーデターの荒業を裏で仕掛けながら、小心な公卿(くぎょう)たちの動揺を大胆に取り鎮めた人物である。これは、いわゆる七卿落(しちきょうおち)から禁門の変を経て長州戦争を誘発する遠因となった。文芸評論家の野口武彦氏は「黒幕法親王」とうまいネーミングをするが、当を得ているだろう(『天誅(てんちゅう)と新選組』)。
◆次から次へと改名
宮は黒幕にふさわしく、名前を始終変えた不思議な人物である。孝明天皇に影響を及ぼし始めた時期は、粟田宮や青蓮院(しょうれんいん)宮。安政大獄に連座してからは獅子王院宮となり、井伊直弼が暗殺されると、還俗(げんぞく)して中川宮となり、やがて朝彦(あさひこ)親王を名乗った。そして弾正尹(だんじょうのいん)の職に就いたので、尹宮(いんのみや)と呼ばれるようになる。
これだけでは終わらない。それから本籍の伏見宮に戻り、現代人にもなじみの深い名の賀陽宮(かやのみや)、ついで久邇宮(くにのみや)となるのだから、忙しいことおびただしい。
しかし、信頼の厚い孝明天皇が崩御し、尊皇攘夷派が復権しはじめると、黒幕としての精彩や出番を欠くようになり、まさに薩長の藩論を倒幕に切り替えた敵の黒幕、岩倉具視が表舞台に出てくると、神通力を失ったのだ。下級貴族の「岩吉」こと岩倉あたりに圧倒されたのは、やはり皇族の鷹揚(おうよう)さというものであろうか。
明治に入ると、久邇宮家をつくるが、長州藩との関係が面白くないので新政府にも入らなかった。それでも公家社会に隠然たる勢力を保った宮は、生涯に9人の王子と9人の王女をもうけたというから子福(こぶく)者でもある。
◆辛酸なめ逆境はねかえし
とにかく、最初は本能寺の僧から出発して辛酸をなめた末に法親王になるのだ。世襲議員でも下積みの苦労を知らない人には、爪(つめ)のあかをせんじて飲ませたいほど人生経験を積んでいた。
奈良の興福寺一乗院門跡だったころは、奈良奉行の川路聖謨(かわじ・としあきら)に手ずから酌をし、「ワレ」という二人称で気さくに語りかけたというから相当にさばけた人物だったのだろう。下情に通じた闊達(かったつ)さも勢いあまって、僧籍にあるときに女人を近づけ、子をひそかにもうけたともいう。
さて、黒幕となる条件は相当の世間知にたけていることだ。現代政治で黒幕といえる存在が少ないのは、20代、30代などで政治の世界に入り、他の環境を知らない人間には、無数の逆境をはねかえす試練を重ねておらず、世界観も多元的になっていないから黒幕になりようもないのだ。
中川宮のように“他人の飯を食う”のは、黒幕とは言わずとも、いつの世でも政治家となる上で最低の修業ではないだろうか。(やまうち まさゆき)
【プロフィル】中川宮 なかがわのみや 文政7(1824)年、京都生まれ。幕末、明治維新時代の皇族、政治家。伏見宮邦家親王の四男。天保7(1836)年に仁孝天皇の養子となり、青蓮院門跡となるが、幕府の条約調印に反対し、安政の大獄で隠居の身に。孝明天皇の信任が厚く、文久2(1862)年に還俗し、中川宮と称する。公武合体派の中心として同3年の「八月十八日の政変」を計画、会津・薩摩藩と協力して京都から長州藩を中心とする尊皇攘夷派を一掃する。同年に元服し、名を朝彦と名乗る。その後も重鎮として国事に当たるが、孝明天皇の崩御とともに孤立。明治8年に新宮号を与えられ、久邇宮家初代となり、伊勢神宮祭主も務めた。明治24年10月、68歳で死去。
中川宮、幕末のぎりぎり終盤になるとあまり登場してなかったのは、長州嫌い・岩倉とは合わないからだったんですね。
近所の小さな書店では置いていない可能性が高いので、バスに乗って大きな書店まで買いに行きました(^^)。
貪るように読んで、第13巻にさかのぼって読み直し……安政の大獄前後の史実についてはややこし過ぎるんで軽くしか理解してなかったけど、やっぱし、複雑(苦笑)。でも、『風雲児たち』を読むと本当に、わかりやすい……すべて、みなもとキャラで頭にインプットされてしまいますけどね(爆)。
本巻は、島津斉彬公が亡くなられたのが一大イベント。この人があと10年、いえ5年でも生きていたら、幕末の政局はったく変わっていたでしょうねぇ……(涙)。
特に、徳川斉昭と一橋慶喜親子、自分の歴史観には、みなもとキャラによる描かれ方が一番しっくりします(^^ゞ。
「目玉」こと坦庵先生・江川英龍ファンとしては、一巻に最低でも一度、本巻では村田蔵六せんせのセリフに小さなカットが入っていたことが嬉しいです。そして、盟友・斎藤弥九郎も少しながら登場していることも。
貪るように読んで、第13巻にさかのぼって読み直し……安政の大獄前後の史実についてはややこし過ぎるんで軽くしか理解してなかったけど、やっぱし、複雑(苦笑)。でも、『風雲児たち』を読むと本当に、わかりやすい……すべて、みなもとキャラで頭にインプットされてしまいますけどね(爆)。
本巻は、島津斉彬公が亡くなられたのが一大イベント。この人があと10年、いえ5年でも生きていたら、幕末の政局はったく変わっていたでしょうねぇ……(涙)。
特に、徳川斉昭と一橋慶喜親子、自分の歴史観には、みなもとキャラによる描かれ方が一番しっくりします(^^ゞ。
「目玉」こと坦庵先生・江川英龍ファンとしては、一巻に最低でも一度、本巻では村田蔵六せんせのセリフに小さなカットが入っていたことが嬉しいです。そして、盟友・斎藤弥九郎も少しながら登場していることも。
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