新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
昨日から5夜連続で始まったNHK BS2の『ガンダム宇宙世紀大全』を録画して見ています。アニメは白黒テレビで見た『8マン』とか『スーパージェッター』とかがリアルタイムなんで(ふ、古っ)、ファースト『ガンダム』はリアルタイムでは見てなかった……その割に、アニメ誌とかアニパロ誌は当時けっこう読んでたので知ってました。普及したレンタルビデオのおかげで映画版のファーストガンダムシリーズを見られ、年甲斐もなく『Zガンダム』はリアルタイム視聴、だったかな(苦笑)。自分的には、ファーストガンダムの青少年たちが大人になって逆境や挫折やらの中を生きている方がリアルに感じられましたねぇ。
青森
一足先に「ねぷた展」
長崎
国内最古のレシピ再現「幕末カレー」 ビストロ「ボルドー」
青森
一足先に「ねぷた展」
8月1日~7日に「弘前ねぷたまつり」が開催されるのを前に、ねぷたの起源や歴史を紹介する「弘前ねぷた展」が、弘前市下白銀町の市立博物館で開かれている=写真=。
会場には、板画家・棟方志功が制作した「天の岩戸」(高さ約5メートル)を始め、ねぷた絵や資料など計約60点が展示されている。津軽藩士の小島左近が幕末頃に描いたとされる現存最古のねぷた絵や、照明を入れたねぷた本体もあり、弘前の伝統文化を体感しながら学べる。
8月23日まで。観覧料は一般280円、高校・大学生140円、小・中学生80円。問い合わせは同館(0172・35・0700)へ。
長崎
国内最古のレシピ再現「幕末カレー」 ビストロ「ボルドー」
長崎市万屋町のビストロ「ボルドー」のオーナーシェフ、植原一さん(52)が国内で最も古いレシピを再現した「1八73(いちはちななさん)・幕末カレー」を考案し、提供を始めた。バターやショウガの風味を生かし、辛さを抑えたマイルドな味に仕上がっている。
植原さんは、地元の西洋料理人などでつくる「幕末西洋料理を考える会」(坂本洋司会長)のメンバー。料理名の「1八73」は、レシピが記載されている「西洋料理通」(仮名垣魯文著)と「西洋料理指南」(敬学堂主人著)の両書の発行年、1873(明治6)年にちなんだ。8種類の材料を使ったことや、坂本龍馬の8カ条の国家構想「船中八策」にも掛けている。長崎では、63年に草野丈吉が開いた西洋料理店の献立にカレーがあるが、レシピは残っていない。
「幕末カレー」は鶏肉をメーンの食材にネギ、ショウガ、ニンニク、バターなどで味付け。赤鶏などの食材はすべて県産品。約3カ月かけ、納得の味に仕上げた。
植原さんは「幕末に口にしたものにかなり近いはず。ネギ一つにしても、品種改良された今のものとは味が違う。タマネギと長ネギを組み合わせるなど工夫を重ねた。龍馬が活躍した時代の本物をよみがえらせることで、長崎の歴史にロマンという味わいを加えたい」と話す。
「幕末カレー」は900円。問い合わせはボルドー(電095・825・9378)。
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午後4時過ぎから東京でも雨が降り出しました。気温がぐっと下がるのはありがたいりですが、かなりの降水量になりそうですので水害が心配です。
群馬県館林市では竜巻と見られる突風が発生してけが人が出たとか……被災お見舞い申し上げます。
北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
新潟
受け継ぐ藩校精神 長岡・崇徳館「剛健質樸」、与板・正徳館「藩民皆学」
長崎
花火8000発でみなとまつり閉幕 長崎、幕末パレードも開催
群馬県館林市では竜巻と見られる突風が発生してけが人が出たとか……被災お見舞い申し上げます。
北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
函館開港150周年:絵画や写真で、過去へ時間旅行--道立函館美術館 /北海道
開港150周年を記念し、函館の街の移り変わりを絵画や写真などで振り返る企画展「箱館→函館・ビジュアル時間旅行」が、函館市五稜郭町の道立函館美術館で開かれている。9月6日まで。
幕末から現代までの街並みを描いた地元芸術家の作品や、当時の世相を映し出した宣伝用ポスターなど約300点を展示。明治初期に開拓使が現在の国道5号に当たる函館-森間の道路周辺を描いたとされる長さ約10メートルの絵図や、当時の金森洋物店など歴史的建造物を再現したミニチュア模型なども展示され、市民らが興味深く見入っていた。【昆野淳】
新潟
受け継ぐ藩校精神 長岡・崇徳館「剛健質樸」、与板・正徳館「藩民皆学」
「未来へつなげ! 藩校教育と米百俵の精神」をテーマに6月下旬、長岡市で「第8回全国藩校サミット」が開かれた。会場には全国の藩主の子孫をはじめ、約1600人が参加。人格教育を重視した江戸時代の「藩校精神」を振り返った。県内にはかつて11の藩校があり、今もその流れをくむ学校がある。校風や学習に息づく「藩校精神」を探ってみた。(三沢敦)
●名物レース40年 長岡高
6月10日、県立長岡高校(長高〈ちょうこう〉)の体育祭。グラウンドからスタートした生徒たちは、近くの栖吉(すよし)川をひた走る。対岸の土手を駆け上り、再び川を引き返してグラウンドを目指す。長高名物の「渡河レース」だ。
近くに橋があるのに、なぜ――。実はその橋、かつて「健児渡らずの橋」と呼ばれていたという。40年ほど前、橋の向こう側に長岡大手高校(当時は女子校)が移転してきた。男子が9割以上(当時)を占める長高生は興味津々。橋を渡って見に行く者が相次ぎ、怒った風紀委員会が通行を禁止した。だが、川を渡る生徒が現れた。それが創立100周年の年に誕生した名物レースの由来という。
「長高生のモットーは『剛健質樸(ごうけんしつぼく)』や『豪爽快活(ごうそうかいかつ)』。女の子にチャラチャラするなんてもってのほか。当時の風紀委員会はそれは怖かった」と、同窓会事務局長で元英語教諭の岡村清さん(62)は振り返る。
長高のルーツは、1870(明治3)年に、長岡藩の小林虎三郎らが建てた国漢学校だ。北越戊辰(ぼしん)戦争の敗北で飢えに苦しむ中、虎三郎は分家の三根山藩から見舞いとして届いた米百俵を配分せず、将来の人材育成のためにと学校設立の資金に充てた。いわゆる「米百俵」の故事である。
国漢学校の国学・漢学部門は阪之上小学校などに、医学局は長岡赤十字病院に、それぞれ引き継がれる。そして洋学局が長岡洋学校となり、旧制長岡中学を経て戦後、長高に生まれ変わった。
国漢学校の教育の根底にあったのが、1808(文化5)年、第9代藩主牧野忠精(ただきよ)が創設した藩校「崇徳館(そうとくかん)」の精神だった。当時、幕府が朱子学以外を学ぶことを禁じていたのに対し、忠精は儒学の原典にさかのぼって究める古義学を併用。一つの見方に偏らない多様な人材を育てようとしていたとみられる。長高の校章は牧野家の家紋「三つ葉柏」。「剛健質樸」や「豪爽快活」といったモットーも牧野家の家訓だ。
長高の生徒会は、「和して同ぜず」の意で「和同会」と呼ばれる。大先輩の一人で東洋大を創設した哲学者井上円了が在校中の1876(明治9)年、生徒の親睦(しんぼく)や演説の練習のために創設。今も、生徒会長は和同会長、文化祭は和同祭だ。「仲良くしても、けっして同じ色に染まらない。円了が論語から取ったその名称にも、多彩な人格形成を重んじた藩校精神が込められている」と岡村さん。
再来年で創立140周年を迎える長高。その精神は確実に受け継がれていると信じている。
●「米百俵」学び英語劇に 阪之上小
長高と同じく「三つ葉柏」を校章に据える阪之上小には三つの記念日がある。開学記念日、開校記念日、創立記念日だ。
「開学」は、昌福(しょうふく)寺の一室を借りて国漢学校が始まった1869(明治2)年。「開校」は校舎が完成した翌1870年。そして「創立」が阪之上校と称した1874年だ。開校140年目を迎えた先月12日の記念集会。4年生が学校の歴史を振り返る演劇を披露した。
「高学年になると、学校の生い立ちを知らない児童は一人もいませんね」と、教頭の高橋和人さん。「わたしたちの学校」と「わたしたちの悠久山」。先生たちが独自に作った2冊の副読本を通じ、地域と学校の歴史をじっくり学ぶからだ。
6年生は6年前からほぼ年に一度、英語劇の「米百俵」を市内のホールで演じてきた。修学旅行先も、北越戊辰戦争に敗れた河井継之助が命を落とした会津だ。「授業で学んだことを現地に行ってさらに調べる。高学年が低学年に教えてあげる。それを繰り返して子供たちは歴史に強くなっていく」と高橋さんは話す。
●統合新設で校名に採用 正徳館高
一方、05年に与板高校と寺泊高校が統合して誕生した長岡市の県立正徳館高校。新しい校名は与板藩校「正徳館」から取った。この藩校は戊辰戦争で一度閉校したが、1869(明治2)年に再興。その際、最後の与板藩主となった井伊直安は藩士の子弟だけでなく広く領民に就学を呼びかけたという。
史料によれば、「極貧者でもよし。衣食住に欠ける者は校内に寄宿してもよい」と藩民皆学を奨励したとあり、こうした先人の志を、新設校の精神に取り入れた形だ。
◇
長岡・多士済々
旧制長岡中や長高は多彩な人物を輩出してきた。仏文学者で詩人の堀口大学、太平洋戦争で連合艦隊司令長官だった山本五十六、作家の関川夏央、ジャーナリストの櫻井よしこ、女優の星野知子。「るろうに剣心」などで知られる漫画家の和月伸宏、05年の神戸国際フルートコンクールに最年少で優勝した小山裕幾もOBだ。
長崎
花火8000発でみなとまつり閉幕 長崎、幕末パレードも開催
長崎の夏のイベント「ながさきみなとまつり」(長崎開港記念会、実行委主催)は26日、長崎ゆかりの幕末の志士をたたえるパレードや打ち上げ花火などを行い、閉幕した。 貿易港として栄えた歴史を持つ長崎港をPRしようと毎年開催。悪天候で、主会場の長崎水辺の森公園の昼間のステージイベントは中止となった。
夕方以降、天気が持ち直し、坂本龍馬や勝海舟などの山車を引いて練り歩く「先賢行列長崎さるき『幕末パレード』」や、約8千発の打ち上げ花火などが観衆を魅了した。
昼間の強風(時々熱風、時々涼風)もやや収まり、今はいい感じの涼風になった東京の宵です。中国四国地方の豪雨の被災者とその関係者にお見舞い申し上げます……最大で600ミリとか、年間降雨量の3分の1とか、すさまじい雨量でしたね。
北海道
高田屋嘉兵衛まつり始まる、顕彰・慰霊式典や淡路島特産品フェア
函館開港150周年事業、ライブチケット売り上げ低調
宮城
力強く龍踊り 観光客を魅了
2009.07.26
きょうまで金華山黄金山神社
石巻/
三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
長崎
「みなとまつり」あいにくの雨模様 きょうまで長崎で
コラム
遺跡写真、保存の危機 デジカメ普及、フィルム激減
遺跡データを撮影した媒体データが残るようには、どうしたらいいんでしょうね。
北海道
高田屋嘉兵衛まつり始まる、顕彰・慰霊式典や淡路島特産品フェア
「第34回函館高田屋嘉兵衛まつり」(実行委主催)が25日、函館市内で始まった。初日は同市宝来町の嘉兵衛像の前で顕彰・慰霊式を開く予定だったが、雨のため近くのホテル函館山(元町)で行い、嘉兵衛の古里、兵庫県淡路島の特産品フェアもが行われた。
高田屋嘉兵衛は、1769(明和6)年、現在の同県洲本市で生まれ、96(寛政8)年に「辰悦丸」で来航。99(同11)年に国後島と択捉島間に航路を開いた後、箱館に基地を構え、造船所を建てるなどし、箱館発展の基礎を築いた。慈善や奉仕にも力を入れ、日露間の紛争も円満に解決するなど活躍した
祭りは、嘉兵衛の没後150年に当たる1976年、嘉兵衛の業績をたたえ、北方領土返還運動の機運を高めようと始まった。顕彰・慰霊式典には、嘉兵衛の7代目、高田嘉七さん(77)東京など約60人が参列。称名寺の須藤隆仙住職の読経の中、献花するなどした後、花泉舞衛社中が「高田屋嘉兵衛まつり音頭」などの舞踊を奉納、谷地頭保育園ちびっこ太鼓の太鼓奉納が行われた。
26日は嘉兵衛像前で北方領土返還署名運動、同市末広町のアクロス十字街で北方領土関係写真パネル展が行われる。また、最終日の8月1日は午後3時半から、嘉兵衛像前から西波止場までパレードが行われる予定。
函館開港150周年事業、ライブチケット売り上げ低調
函館開港150周年記念事業(同事業実行委主催)のメーンイベント「ドリーム・ボックス150」の催しの一つで、函館港「緑の島」野外特設ステージで8月13日に開かれる「COP10スペシャルライブ」の前売券の売り上げが低調だ。同ライブは札幌出身のシンガーソングライター、大黒摩季さんや熱帯JAZZ楽団ら著名なアーティストが出演。数ある催しの中でも、同実行委(会長・西尾正範市長)が集客力を期待しているライブで、「ぜひ1枚購入を」と協力を呼び掛けている。
COP10は生物多様性条約第10回締約国会議の略称で、名古屋市で来年、同会議が開催されることを記念してライブを企画した。記念事業のメーンイベントはさまざまな催しが予定されているが、特に同ライブは同実行委が窓口となって準備を進める肝いりのイベント。
入場券は6月中旬から市内の松柏堂プレイガイド各店やローソンチケットで販売を始め、目標の1500枚に対し、24日現在、約600枚と4割にとどまっている。前売券はいす指定席3700円、立見2000円と、実行委がある程度負担する形で相場よりも安く設定したという。
市民の反応は「アーティストは知っているが、函館でやるのは知らなかった」「平日で日程が調整つかないのでは」などの声が上がっている。メーンイベントを紹介するリーフレットが7月17日に全戸配布されたばかりで、今後発行予定の公式ガイドブックも完成しておらず、実行委の周知、宣伝活動が後手に回っている。
ライブの開始時間は午後6時半で、屋外特設ステージで開かれる。ライブは大黒さんがボーカリスト&フリューゲルンホルン奏者のTOKUと、熱帯JAZZ楽団がフィリピン出身のジャズシンガー、マリーンさんと、それぞれ特別ユニットを組んで出演する。問い合わせは同実行委TEL0138・21・3493。
宮城
力強く龍踊り 観光客を魅了
2009.07.26
きょうまで金華山黄金山神社
石巻/
石巻市の金華山黄金山神社(奥海聖宮司)で25日、伝統行事「龍神まつり」が始まった。大勢の観光客が伝説と自然が残る牡鹿半島突端の島を訪れ、勇壮な龍(蛇)踊りを楽しんだ。26日まで。
メーンの龍踊りは3回奉納された。龍衆(じゃしゅう)と呼ばれる氏子10人が、長さ1・5メートルの棒を使って全長20メートル、重さ約100キロの龍をまるで生きているように操った。
太鼓やラッパ、爆竹などで勇壮な雰囲気を醸し出す中、龍が力強く舞うと、観客たちは大きな拍手を送った。
龍神まつりは、海上安全や大漁、五穀豊穣(ほうじょう)などを願う同神社の伝統行事。
明治維新時に途絶えていた。1983年、金華山近くの海中で「八大龍王神」の石碑が発見されたのを機に、翌年から再開した。
26日の龍踊りは、午前11時と午後1時の2回披露される。
三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
三重本草:医師・鎌井松石の代表的著書、四日市市立博物館で展示 /三重
幕末から明治時代に県内の自然や生物について研究した鎌井松石(1815~91年)の代表的著書「三重本草(ほんぞう)」が、四日市市安島の市立博物館3階常設展示室で紹介されている。医師で日本画家でもあった鎌井は挿絵に多くの動植物や昆虫などを鮮やかに描き、親しみやすい貴重な資料に市民らが見入っている。8月30日まで。無料。
同博物館によると、鎌井は現在の鈴鹿市神戸地区の出身。京都で医学を学んだ後、30代で四日市へ移り住み、中国由来の薬学「本草学」に打ち込んだ。
展示品は、鎌井が明治政府の文部省に献納した「三重本草」(全50巻)を清書するのに使った本と、付録の計16冊。目を引くのが挿絵で、トンボ、チョウ、ハチ、カラス、キクなどが岩絵の具で写実的に描かれ、当時の方言による呼び名や、どんな薬に利用できるかといった説明が記されている。今回は虫などの絵が多いページを開いて展示している。
担当の学芸員は「地元の先人が残した貴重な資料で、多くの人に見てほしい」と話している。【井上章】
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
◇幕末・明治に思いはせ
衆院解散を目前に控えたある日。長女日向子(4)を連れて亀陽泉(きようせん)に出かけた。この夏休みは、いつ一緒に遊んでやれるか分からない。せめてもの「罪滅ぼし」だった。
変わった名前の温泉だ。地元の歴史に詳しい龜カメ倶楽部の高橋東洋雄さん(67)によると、亀川村の庄屋で、幕末に勤王の志士をかくまって投獄された経験を持つ高橋敬一の号「亀陽逸人」が起源ではないかという。
明治維新後は日田県知事・松方正義の元で働いた。1890年、中津江村で起きた一揆の鎮圧に向かい、殉職した。その子廉一は「松方に育てられ、後に坊主地獄の近くで世界で3番目の地熱発電に取り組んだ」(高橋さん)という。
亀陽泉は1902(明治35)年、現在地に移転。巨大な浴槽で「千人風呂」と称された。近くに住む男性は「子どものころはここで泳いでいた。旅館の客もみな入りに来ていた」と振り返る。65年の建て替えで浴槽は以前より小さくなったが、それでも相当な大きさだ。管理人の陽増美さん(70)は「『広くて入りやすい』とよそから来る人は今でも多い」と話す。
日向子は鏡の前で踊りすっかりご機嫌だ。筆者が「今年の夏は遊園地に行かれんかもしれんで」と言ったら、こう答えた。
「仕方ないな。一生懸命働いてな。お父さんが働かんと、みんなご飯も食べられんもんな」【祝部幹雄】
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◇亀陽泉(亀川中央町)
隣接地の泉源(70~80度)と、約200メートル西側の泉源(30~40度)を使う弱食塩泉。2階はステージ付きの集会場や会議室がある「亀陽泉ホール」。営業時間は午前6時半~午後11時半で、立ち寄り湯は100円。定休日は毎月5、15、25日。
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
香美・八王子宮、修復 幕末の絵師・金蔵(通称・絵金)らの屏風(びょうぶ)絵を飾る手長足長(てながあしなが)絵馬台(香美市文化財指定)が24日、29年ぶりに香美市土佐山田町の八王子宮夏祭りにお目見えした。香南、香美両市の商店主らの寄付で今年1月に修復したことを受けての展示。25日午前10時~午後10時にも見られる。
絵馬台は高さ約4メートル、幅約10メートル、奥行き約2メートル。幕末から明治初期にかけて、同町の宮大工・原卯平によって作られたという。屋根部分を支える4本の飾り彫りの柱が特徴。社殿を模した台の正面には、江戸時代の漫画絵「手長」と「足長」をかたどった柱があり、その外側には「上り龍」と「下り龍」が彫られている。台には、絵金と弟子河田小龍の屏風を5枚はめ込むようになっている。
1980年の夏祭り以降、損傷が激しく展示できなかったが、今年1月、同宮に隣接する市立美術館での展示をきっかけに寄付が集まり、虫食い個所や、組み立て部分を取り換えることができた。甲藤(かっとう)栄一宮司(62)は「先人の残した物を後世に伝えたい」と話していた。
(2009年7月25日 読売新聞)
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
吉富町歴史文化の会は24日までに、中津城下の事件事故を記録した「惣(そう)町大帳」の解読作業の中で、中津藩(大分県中津市)が、1786(天明6)年の皆既日食の時刻を正確に予測していたことを突き止めた。同会の山本初男顧問は「江戸中期すでに下級武士まで日食の時刻を知っていたのは驚き」と話す。
同会は「惣町大帳」の中で、同年正月元旦に日食の記述を発見。また同日の下級武士の職務日誌「郡方小頭月番帳」には「午(うま)の刻(こく)(正午ごろ)に日食が予想されるため、藩主への正月の祝賀記帳を5つ刻(どき)(午前8時ごろ)に行った」と記されていた。
当時の中津藩は、医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳書「解体新書」の実質的編さん者、前野良沢(1723-1803)が活躍するなど、日本屈指の蘭(らん)学先進地。特に天文学、医学、物理学など自然科学分野では、他藩を圧倒していた。
17世紀後半から18世紀初頭の長崎では、オランダ通詞で洋書の収集家として有名な吉雄耕牛や「惑星・恒星・彗(すい)星」などを造語した本木良永、万有引力やケプラーの法則などを紹介した志筑(しづき)忠雄などが活躍。中津藩は、前野良沢をはじめ、幕末までに約100人の藩士を遊学させ、先進科学を取り入れたという。
九州大大学院のW・ミヒェル教授らと「九州の蘭学‐越境と交流‐」(思文閣出版)を共著し、同藩の蘭学史に詳しい川嶌整形外科病院(中津市)の川嶌真人院長は「蘭学者にとって天文学は、医学と並び基本。日食は、予測可能な自然現象の1つになっていたのでしょう」と話している。
長崎
「みなとまつり」あいにくの雨模様 きょうまで長崎で
長崎の本格的な夏の訪れを告げるイベント、ながさきみなとまつり(長崎開港記念会、実行委主催)が25日、長崎市の長崎水辺の森公園一帯で開幕した。貿易港として栄えた歴史を持つ長崎港をPRしようと毎年開催。26日まで。
初日はあいにくの雨で、打ち上げ花火などほとんどのイベントが中止になった。だが、浴衣姿の市民らは次々と会場を訪れ、コピーバンド演奏や出店などで祭り気分を味わった。
26日は、長崎ゆかりの幕末の志士たちをたたえる「先賢行列長崎さるき『幕末パレード』」などのほか、打ち上げ花火が約8千発上がる予定。問い合わせは実行委(電095・822・0111)。
コラム
遺跡写真、保存の危機 デジカメ普及、フィルム激減
デジタルカメラ全盛時代にもかかわらず、古代遺跡の発掘現場ではいまだに、フィルムカメラが活躍している。デジタルカメラで撮影した画像データを保存するCDなどは湿気や熱でデータが消える危険性があるためだ。しかし、フィルム出荷量について、昨年は10年前の1割近くに激減し、遺跡写真に最適なフィルムの入手にひと苦労の状態で、半永久的な保存が不可欠な文化財写真が危機にさらされている。
あと数十枚分
デジタルカメラは今ではフィルムカメラを圧倒。写真感光材料工業会や写真出版社「フォトマーケット」の統計によると、35ミリなどのロール式フィルムの出荷量(推計)は、平成9年の約4億8283万本をピークに、10年は約4億5788万本、20年は約5583万本にまで落ち込んだ。
「フィルムはあと数十枚分しかない。一(ひと)現場撮れればいいほうだ」。奈良文化財研究所(奈良市)で遺跡撮影を30年以上続ける井上直夫さん(59)はため息をついた。
撮影現場では、遺跡や遺物を実物と同じような質感で写すために、専用の大型フィルムを何種類も使い分けているが、生産縮小によって代替用フィルムも容易に見つからないという。
再現保証ない
坂本龍馬や近藤勇といった幕末の英雄たちを撮影した写真は、色あせながらも現在に伝わっている。「(電子データではなく)写真なら150年以上保存できることは歴史が証明している」と井上さんは強調する。
一方、デジタルカメラの画質はフィルムとほとんど変わらないものの、画像データを保存するCDやDVDは割れるなどすると再生は不可能になる。
5~10年前まで使われていたフロッピーディスクやMOディスクはすでに「時代遅れ」となり、最新のデジタル機器に付属しておらず画像の読み込みは困難。井上さんは「デジタルは万能に見えても、数十年後に画像を再現できる保証はない」と話す。
高松塚古墳も
全国各地から出土した木簡などの赤外線撮影を行う奈良文化財研究所では、赤外線専用フィルムの生産が打ち切られたため、数年前からデジタルカメラに切り替えた。
飛鳥美人など国宝壁画の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体や壁画調査にも、デジタルカメラを使用。フィルム交換時にカメラが接触して壁画損傷を招く危険があり、画像のコンピューター処理が必要なためだ。画像はCDなどではなく、データの破損を防ぐため2台のハードディスクで保存している。
文化財写真の保存問題に詳しい岩崎仁・京都工芸繊維大環境科学センター准教授(画像情報)は「発掘された遺跡は二度と元には戻らない。現状を正確に記録した写真は後世に伝える手だてとして不可欠。写真データの保存は緊急的課題」と話している。
遺跡データを撮影した媒体データが残るようには、どうしたらいいんでしょうね。
東京は、久しぶりに晴れ間が覗いています。
鳥取
近代史を飾った 西部人物伝
【59】緒形 弘義(おがた ひろよし)
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
長崎
【観光丸・船内講座の受講生募集中!】長崎龍馬☆大航海<神戸、広島、松山、福岡>この夏、龍馬ゆかりの地に『観光丸』が寄港します!
鳥取
近代史を飾った 西部人物伝
【59】緒形 弘義(おがた ひろよし)
明治から昭和にかけて文化、経済、政治など各分野で活躍した、鳥取県西部地区ゆかりの多彩な顔を、加藤哲英さん(米子市美術家協会会長)の絵と杉本良巳さん(米子市歴史館運営委員長)の文章で紹介する。金曜日掲載。
【59】緒形 弘義(おがた ひろよし)
1856~1992
養蚕で町を活性化
緒形弘義は1856(安政3)年、日野町黒坂に生まれた。72(明治5)年、16歳の若さで戸長になったのを皮切りに村会議員、県会議員を務めたが、彼の本領は産業振興であった。江戸時代に陣屋町として栄えたが、維新以後昔日の面影を失った町の活性化を図るため、彼は養蚕業に目を向けた。77(同10)年、群馬県前橋山室伝習所に入所して技術を習得し、帰郷すると自宅で座繰(ざぐり)製糸を始めた。
しかし、養蚕の一層の発展のためには桑の改良が必要だと考え、長野県から優良な桑苗を取り寄せる一方、良質な蚕種の重要性を痛感、奥日野の地形と寒冷な気候を利用して自家産まゆを原料とする蚕種を提供、県下はもとより岡山・徳島・宮崎各県へ移出し、高い評価を得た。こうして養蚕により収入を得た村民は「報緒形弘義君功労養蚕記念碑」を建てて彼の功績をたたえた。
1922(大正11)年没、69歳。
高知
手長足長絵馬台祭りに29年ぶり
香美・八王子宮、修復 幕末の絵師・金蔵(通称・絵金)らの屏風(びょうぶ)絵を飾る手長足長(てながあしなが)絵馬台(香美市文化財指定)が24日、29年ぶりに香美市土佐山田町の八王子宮夏祭りにお目見えした。香南、香美両市の商店主らの寄付で今年1月に修復したことを受けての展示。25日午前10時~午後10時にも見られる。
絵馬台は高さ約4メートル、幅約10メートル、奥行き約2メートル。幕末から明治初期にかけて、同町の宮大工・原卯平によって作られたという。屋根部分を支える4本の飾り彫りの柱が特徴。社殿を模した台の正面には、江戸時代の漫画絵「手長」と「足長」をかたどった柱があり、その外側には「上り龍」と「下り龍」が彫られている。台には、絵金と弟子河田小龍の屏風を5枚はめ込むようになっている。
1980年の夏祭り以降、損傷が激しく展示できなかったが、今年1月、同宮に隣接する市立美術館での展示をきっかけに寄付が集まり、虫食い個所や、組み立て部分を取り換えることができた。甲藤(かっとう)栄一宮司(62)は「先人の残した物を後世に伝えたい」と話していた。
福岡
江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確
吉富町歴史文化の会は24日までに、中津城下の事件事故を記録した「惣(そう)町大帳」の解読作業の中で、中津藩(大分県中津市)が、1786(天明6)年の皆既日食の時刻を正確に予測していたことを突き止めた。同会の山本初男顧問は「江戸中期すでに下級武士まで日食の時刻を知っていたのは驚き」と話す。
同会は「惣町大帳」の中で、同年正月元旦に日食の記述を発見。また同日の下級武士の職務日誌「郡方小頭月番帳」には「午(うま)の刻(こく)(正午ごろ)に日食が予想されるため、藩主への正月の祝賀記帳を5つ刻(どき)(午前8時ごろ)に行った」と記されていた。
当時の中津藩は、医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳書「解体新書」の実質的編さん者、前野良沢(1723-1803)が活躍するなど、日本屈指の蘭(らん)学先進地。特に天文学、医学、物理学など自然科学分野では、他藩を圧倒していた。
17世紀後半から18世紀初頭の長崎では、オランダ通詞で洋書の収集家として有名な吉雄耕牛や「惑星・恒星・彗(すい)星」などを造語した本木良永、万有引力やケプラーの法則などを紹介した志筑(しづき)忠雄などが活躍。中津藩は、前野良沢をはじめ、幕末までに約100人の藩士を遊学させ、先進科学を取り入れたという。
九州大大学院のW・ミヒェル教授らと「九州の蘭学‐越境と交流‐」(思文閣出版)を共著し、同藩の蘭学史に詳しい川嶌整形外科病院(中津市)の川嶌真人院長は「蘭学者にとって天文学は、医学と並び基本。日食は、予測可能な自然現象の1つになっていたのでしょう」と話している。
大分
別府八湯・名人への道:/48 亀陽泉(亀川中央町) /大分
◇幕末・明治に思いはせ
衆院解散を目前に控えたある日。長女日向子(4)を連れて亀陽泉(きようせん)に出かけた。この夏休みは、いつ一緒に遊んでやれるか分からない。せめてもの「罪滅ぼし」だった。
変わった名前の温泉だ。地元の歴史に詳しい龜カメ倶楽部の高橋東洋雄さん(67)によると、亀川村の庄屋で、幕末に勤王の志士をかくまって投獄された経験を持つ高橋敬一の号「亀陽逸人」が起源ではないかという。
明治維新後は日田県知事・松方正義の元で働いた。1890年、中津江村で起きた一揆の鎮圧に向かい、殉職した。その子廉一は「松方に育てられ、後に坊主地獄の近くで世界で3番目の地熱発電に取り組んだ」(高橋さん)という。
亀陽泉は1902(明治35)年、現在地に移転。巨大な浴槽で「千人風呂」と称された。近くに住む男性は「子どものころはここで泳いでいた。旅館の客もみな入りに来ていた」と振り返る。65年の建て替えで浴槽は以前より小さくなったが、それでも相当な大きさだ。管理人の陽増美さん(70)は「『広くて入りやすい』とよそから来る人は今でも多い」と話す。
日向子は鏡の前で踊りすっかりご機嫌だ。筆者が「今年の夏は遊園地に行かれんかもしれんで」と言ったら、こう答えた。
「仕方ないな。一生懸命働いてな。お父さんが働かんと、みんなご飯も食べられんもんな」【祝部幹雄】
長崎
【観光丸・船内講座の受講生募集中!】長崎龍馬☆大航海<神戸、広島、松山、福岡>この夏、龍馬ゆかりの地に『観光丸』が寄港します!
2010年大河ドラマ「龍馬伝」をきっかけに、長崎県の魅力を全国に発信するキャンペーンの一環として、坂本龍馬ゆかりの地・神戸、広島、松山、福岡に『観光丸』が寄港し、長崎県の観光・物産・文化のイベントをおこないます。
なかでも、龍馬が活躍した幕末長崎にスポットを当てるミニ講座「旅する長崎学講座」はオススメです。時代を変えようと志す志士たちは、なぜ長崎を目指したのでしょうか。近代に向かう激動の日本における幕末長崎の世界へといざないます。『観光丸』の船室で、ちょっと“学び”のひとときを! 各港3回講演です。事前申込が必要ですので、下記によりお申し込みください。
●『観光丸』の入港日:10時~17時●
【神戸】平成21年8月13日(木):メリケンパーク中突堤(初寄港)
【広島】平成21年8月16日(日):観音マリーナ(初寄港)
【松山】平成21年8月18日(火):松山観光港(初寄港)
【福岡】平成21年8月22日(土):マリンメッセ福岡横イベントバース(21年ぶり2度目)
●「旅する長崎学講座」の開講:各港共通●
【時間】
第1回:11:00~11:45
第2回:13:30~14:15
第3回:15:00~15:45
【内容】
◇幕末長崎のお話
◇月琴ミニコンサート
【定員】
各回40名(事前申込が必要) ★当日、参加者へのプレゼントもあります!
※先着順。定員になりしだい締め切ります。
【申込方法】
■申込先:長崎県文化振興課にFAX〔095-829-2336〕でお申し込みください。
■様 式:下記の関連ページをご覧になり、チラシにある「参加申込書」に必要事項をご記入のうえ、FAXにてお申し込みください。なお、必要事項[代表者氏名、参加希望人数、住所、電話番号、FAX番号、希望会場、希望時間]を書いたメモでもOKです。
■その他:電話〔095-895-2762〕でのお申し込みも受け付けます。
●その他のイベント●
このほかにもいろいろなイベントがありますので、ぜひお出かけください。
■観光丸船内イベント
・ミニ龍馬館(長崎風頭の龍馬像制作者 山崎和國展、龍馬ブーツの展示など)
・観光丸船内ツアー
■ふ頭イベント
・長崎県観光・物産PRコーナー
・ご当地共催コーナー
・長崎事始めコーナー(オランダ木靴絵付け体験、パットゴルフチャレンジなど)
・長崎県産品が当たるクイズ大会
関連URL:http://tabinaga.jp/pdf/daikoukai.pdf
梅雨が明けたのに降ったり止んだりの梅雨っぽい天気ですね。ムシムシしているので、気温は割と低いのに汗かいてます(^^ゞ。
青森
弘前ねぷた展:幕末のねぷた絵や棟方志功作品を展示--弘前市立博物館 /青森
弘前ねぷた展:幕末のねぷた絵や棟方志功作品を展示--弘前市立博物館 /青森
宮城
幕末の仙台藩士・玉虫左太夫像出来た 25日にお披露目式
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幕末の仙台藩士・玉虫左太夫像出来た 25日にお披露目式
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福島
絵馬に残る驚きの和算
神奈川
箱根・武士の里美術館、直江兼続の手作り「愛」かぶとの試着人気に /神奈川
三重
石垣:明治の上野署石垣が出土 江戸期の城石も使用--上野駅前の発掘調査 /三重
石垣:明治の上野署石垣が出土 江戸期の城石も使用--上野駅前の発掘調査 /三重
青森
弘前ねぷた展:幕末のねぷた絵や棟方志功作品を展示--弘前市立博物館 /青森
弘前ねぷた展:幕末のねぷた絵や棟方志功作品を展示--弘前市立博物館 /青森
弘前市下白銀町の市立博物館で、「弘前ねぷた展」が開かれている。8月23日まで。
同展は、弘前ねぷたが国の重要無形民俗文化財に指定された80年に初開催。その後中断し、86年から毎年この時期に開かれている。
今回は現存する最も古い幕末のねぷた絵をはじめ、大正、昭和初期から近年までの作品や、小型扇ねぷたなど約60点が陳列されている。会場入り口には、棟方志功が71年に描いた大型扇ねぷた絵の「天の岩戸」「天照大神」が展示されている。同博物館は「祭り気分を実感してほしい」と話していた。
月曜日休館(8月3日は開館)。入場料は一般280円、高校大学生140円、小中学生80円(市内小中学生などは無料)。【塚本弘毅】
宮城
幕末の仙台藩士・玉虫左太夫像出来た 25日にお披露目式
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幕末の仙台藩士・玉虫左太夫像出来た 25日にお披露目式
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地域ゆかりの幕末の仙台藩士、玉虫左太夫の顕彰活動を進めている仙台市若林区荒町のまちづくりグループ「人生銀行」が玉虫の胸像を完成させ、25日、お披露目式を行う。式には玉虫の子孫にも出席してもらう予定。グループは「グローバルな視点を持った玉虫の功績を知ってもらうきっかけにしたい」と話している。
胸像は高さ約45センチで、ちょんまげに着物姿。玉虫が幕府の公式使節団の一員として渡米した30代後半のころの写真を基にしている。
市地下鉄東西線建設で伐採されたケヤキを使い、アマチュア彫刻家佐々木実さん(74)=仙台市太白区=が約4カ月がかりで手彫りで完成させた。
お披露目式は午後3時に荒町の昌伝庵で行い、子孫の山本三郎さん(73)=仙台市青葉区=や玉虫由樹福岡大准教授=福岡市=らが除幕に立ち会う。郡山市の作家星亮一さんによる「戊辰戦争と玉虫左太夫の今日的意味」と題した講演もある。
胸像は当面、「人生銀行」の頭取で、文具店経営の出雲幸五郎さん(78)の文具店事務所に飾られ、地域の声を聞きながら、今後の設置場所を決めていくという。
胸像作りは、出雲さんが地域の観光資源を掘り起こす活動を通して玉虫の存在を知ったことがきっかけ。昨年7月に、市から材料のケヤキを無償で譲り受け、佐々木さんに制作を依頼していた。
子孫の山本さんは「これまで知名度が低かっただけに、玉虫の存在を伝えてくれる人がいることに感謝している」と話している。
お披露目式は一般に公開される。参加費は500円。連絡先はグループの事務局がある文具店「幸洋堂」022(266)3331。
[玉虫左太夫]1823年、仙台藩士の子として生まれた。藩校の養賢堂で勉学に励んだとされる。1860年に日米修好通商条約批准書の交換使節団の一員として渡米し、見聞録「航米日録」を著した。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の結成に関与した責任を問われ、1869年に切腹した。初めてビールを飲んだ日本人としても知られる。
福島
絵馬に残る驚きの和算
●米研究者ら「算額」に注目/とぐろ巻くヘビの直径は?
時をさかのぼること300年。鎖国下の日本、それも全国津々浦々、民衆の間にまで驚くべき高度な数学の世界が広がっていた。それを示すのが数学の絵馬「算額」だ。各地の神社に900枚あると言われるが、多くは価値を見いだされることなく、朽ち果てようとしている。この貴重な遺産がいま、注目を集めだした。光を当てているのは米国の研究家たちだ。(斎藤健一郎)
◎三春・田村、神社など訪問
阿武隈山地の山すそにある人口約2万人の三春町。町の中心から、さらに車で田園を分け入ること15分。70戸ほどの集落にやって来たのは、米国の数学者ピーター・ウォン教授(49)だった。
世界に「ミスターサンガク」として知られる名城大学の深川英俊さん(66)も岐阜から駆けつけた。向かったのは集落の厳島神社。総代を務める男性が来客に目を見開いた。「ここに外国人が来るのは初めてですからねえ」
中に入り天井を見上げると、木枠には鶴や富士山の絵がびっしり。不思議な木枠も見つかった。ウォン教授は大きな声を上げる。「オー、ビューティフル」。脚立の上に上り、記録用にカメラのシャッターを何度もきった。
縦横40センチほどの木枠に描かれたのは木に巻きつくヘビの絵と思われたが、よく見ると、墨書きがある。10尺のヘビがとぐろを巻き、「の」の字になった時の円の直径を求めよ、という数学の問題だった。明治期のものらしい。
深川さんは「動物の絵入りの算額は初めて見た。全国的にも例がなく、きわめて貴重なもの」と絶賛した。
新発見に興奮する2人の研究者。その姿をずっと眺めていた総代は、「文化財にも指定されていないのに、そんな貴重なものがあったのかねえ」と再び驚いた。
江戸時代、田畑の測量などの必要性が高まり、和算は広く庶民に広まった。和算ブームで各地には道場も出現、師匠は弟子を育て、流派もできた。より高度な和算を求め、数式を携えて松尾芭蕉のごとく日本各地を旅する流浪和算家の日記も残っている。
現代の和算家、ウォン教授は田村市船引町に向かった。ここは東北地方で隆盛を誇った最上流の和算家、佐久間庸軒氏が道場を開いた場所。幕末から明治にかけ、約2千人の弟子をとったという。
町内の安倍文殊堂には長さ7メートル近い日本最大の算額がある。日本有数の和算の地だったが、地元で往事を知る人は少ない。「ミスターサンガク」こと深川さんは、「算額は海外では注目されているが、日本ではそっぽを向かれている。価値を認められないまま算額が朽ちていってしまう」と嘆く。
佐久間氏の子孫で、農業を営む求さん(63)が、紙を取り出してきた。和算道場に入門するために、弟子がしたためた血判状。決意の言葉と共に、鈍い血色が和紙ににじんでいる。
ウォン教授は「ここまで情熱をかけて当時の人は数学を学んでいたのか。こんな農村地帯にまで数学文化が広がっていた証しだ」と話した。
ウォン教授は、米国の大学の授業でも、算額を紹介している。ゆくゆくは日本の算額をすべて記録し、全世界に算額の存在を広めるつもりだ。なぜ、そこまでのめり込めるのか。ウォン教授は言う。「算額と向き合うと、昔の数学マニアから挑戦されている気がするから」
「キーワード」
算額:和算の問題や答え、説いた人物名を書き、神社に奉納した木の額。時に自慢の種、時には成果を発表する手段として時の数学マニアがこぞって奉納した。そのレベルの高さは折り紙付き。神奈川・寒川神社に1822年に奉納された算額には、ノーベル化学賞の受賞者が1936年に発表した「六球連鎖の定理」と同じものが書かれている。
神奈川
箱根・武士の里美術館、直江兼続の手作り「愛」かぶとの試着人気に /神奈川
箱根・武士の里美術館(箱根町仙石原、TEL 0460-84-8177)でNHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続のかぶとの試着を行っており、人気を集めている。(小田原箱根経済新聞)
(中略)
開館時間は10時~17時(最終入館16時30分)。4月~11月は無休、12月~3月は木曜休館。入館料は、高校生以上=800円、中学生=600円、小学生=400円。体験試着は甲冑一式(武将鎧)=2,000円、(戦闘よろい)=1,500円、新撰組・白虎隊(隊士姿)=1,000円、子ども向けのかぶと・刀=300円。
三重
石垣:明治の上野署石垣が出土 江戸期の城石も使用--上野駅前の発掘調査 /三重
石垣:明治の上野署石垣が出土 江戸期の城石も使用--上野駅前の発掘調査 /三重
◇25日に現地説明会
伊賀市教委は22日、上野丸之内の上野商工会議所跡地から、明治時代の上野警察署の石垣が出土したと発表した。一部は江戸初期の上野城石垣の石が使われているという。現地説明会を25日午前11時から開く。
上野市駅前地区市街地再開発事業に伴い、6月から発掘調査を進めていた。石垣は「L」字型をしており、花こう岩が使われている。
東西28メートルに伸びる「石垣A」は高さ2~2・5メートル。「石垣B」は南北に14メートル築かれ、高さ2・5メートル。石を斜めに積み重ねる「落積(おとしづみ)」という、幕末以降に普及した技法が採られている。
現場にはかつて、上野城の東大手門があったが、1887(明治20)年に取り壊された。市教委は、門の石垣も同時期に解体され、上野警察署(1889年完成)を新築する際、よう壁として新たに積み直したとみている。今後の石垣の保存方針は未定。
現地説明会は小雨決行。参加自由。問い合わせは市教委生涯学習課文化財係(0595・22・9681)。【渕脇直樹】
陽差しが出てきました……今日は暑くなりそうですね。
宮城
玉蟲左太夫木彫り胸像に
長野
幕末の松代藩の測量図 長和の滝沢さんが縮刷版
「松代封内測量図」の縮刷版編さん
佐賀
江藤新平捕縛の地 高知・東洋町から訪問団
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(20)東大教授・山内昌之 伊東甲子太郎
毎回楽しみにしている山内教授のコラムですが……伊東先生が取り上げられたからって期待し過ぎたかな(^^ゞ。
伊東先生の国家構想の大きさを評価してくれるのはいいんです(^^)。
でも、「新選組に入った伊東の巧みさは、会津藩や幕府の機密情報に接することで薩藩に内通する材料をたやすく得たことである。」……って、最初から薩摩に通じることを目的に新選組に入隊したって説ですか(´・ω・`) 。
宮城
玉蟲左太夫木彫り胸像に
商店主ら「進取の気概知って」
江戸時代末、幕府使節団の一員として渡米、戊辰戦争で罪に問われて切腹した仙台藩士・玉(たま)蟲(むし)左太夫を顕彰するため、木彫りの胸像が作られ、25日、仙台市でお披露目の会が開かれる。今では知る人も少ない地元の偉人だが、閉塞(へいそく)感漂う今だからこそ、進取の気概を持って時代を生き抜いた姿を知ってほしいと、関係者は呼びかけている。
1823年生まれの玉蟲は幕末に幕府使節団に加わり渡米。先進的な民主主義制度や、アジア進出を狙う欧米の帝国主義などに触れ、克明な記録を残した。帰国後は、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の成立に尽力した。
胸像を作ったのは、仙台市若林区荒町の商店主らで結成した街づくり団体「人生銀行」。これまで落語や町歩きの会などのイベントを行ってきたが、今回、歴史に埋没した郷土の偉人に、光を当てようと考えた。
胸像に使った木は、地下鉄東西線工事のために伐採されたケヤキを、市から譲り受けた。市内の仏師佐々木実さんに依頼し、半年ほどかけて肖像写真をもとに作った。高さ約45センチ。「まるで生きているように、表情がよく出ている」と同会事務局の乳井昭道さんは満足そうだ。
お披露目会は25日午後3時から、同区荒町の昌伝庵で開かれる。午後3時半から、戊辰戦争研究者で作家の星亮一さんの講演会(参加費500円、事前申し込み必要)も開かれる。
同会代表で文具店「幸洋堂」の店主・出雲幸五郎さんは「玉蟲の功績やグローバルな視点を知ってもらうことで、時代を切り開く人材が育てば」と期待していた。胸像は会の後、同店事務所内にある会の活動拠点「荒町養賢堂」(同市若林区荒町)に置かれ、自由に見学できる。問い合わせは同店(022・266・3331)へ。
長野
幕末の松代藩の測量図 長和の滝沢さんが縮刷版
「松代封内測量図」の縮刷版編さん
小県郡長和町和田で私設の「長野県地名研究所」を主宰する滝沢主税さん(79)が、幕末の松代藩領内を実測した「松代封内測量図」の縮刷版を冊子にまとめた。幕府の命で作られた元禄時代の国絵図では川などが実際の位置からずれているケースがあるが、松代藩が独自に作ったこの測量図はかなり正確に描かれているという。研究や学習のために閲覧しやすいようA3判の大きさにした。
信濃教育会(長野市)が所蔵する縦2・7メートル、横2・5メートルのものを中心に縮尺6千分の1の測量図7枚(幅)分をまとめた。縮刷版での縮尺は2万4千分の1。
測量図を管理する信濃教育博物館(同市)などによると、松代藩8代藩主・真田幸貫の命を受けた測量士・東福寺泰作と絵師・田中月耕が、1850(嘉永3)年から5年がかりで領内を踏査して作成した。完成品は「城下近傍諸村」などからなる。現代の地図と比べてもずれが少ないといい、同博物館は「非常に貴重な実測図」としている。
現在の長野市松代町や戸隠、鬼無里、須坂市、中野市などを描いてあり、寺社や集落の建物、川や山には色付けしてある。「丹波島村」「上氷鉋村」といった地名が、直接書き込まれたり、和紙に書いて張り付けたりしてある。
滝沢さんは測量図上の地名に番号を付け、現代の地名などを当てはめて表にしたものを縮刷版に収めた。
信濃教育会は1941(昭和16)年、控えとみられる7幅と、測量や製図の道具を東福寺の子孫から寄贈された。20年ほど前に測量図の存在を知った滝沢さんが、縮刷版の作成を当時の太田美明・信濃教育会長に約束した。
滝沢さんは、写真店に依頼して複写作業などを進めたものの、ほかの仕事の忙しさや病気の治療などで中断。病気が回復した今年初めから「急ピッチで」仕上げたという。「後世の人もだいぶ見やすくなっただろう」と完成を喜んでいる。
縮刷版(94ページ)と測量図の原本は、信濃教育博物館に申請すれば閲覧できる。
佐賀
江藤新平捕縛の地 高知・東洋町から訪問団
佐賀の七賢人の一人、江藤新平にゆかりの深い高知県東洋町の澤山保太郎町長ら10人が21日、佐賀市の秀島敏行市長を表敬訪問した。明治維新史研究会(太田善郎代表)との交流研修会の一環で、澤山町長は「今後も佐賀と交流を図り、江藤新平の業績をしのびたい」と述べた。
江藤新平は1874年の「佐賀の乱」で敗走し、鹿児島を経て高知に上陸。その後、甲浦(高知県東洋町)で捕縛されたとされる。
澤山町長は江藤を近代日本国家建設に大きな役割を果たしたとたたえる。一方で、「救出できなかったことに町民は135年もつらい思いをしてきた。深いおわびを申し上げたい」とした。
その上で「江藤の業績や遺徳を顕彰し、人権にかけた思いを実現することが私たちの使命」と決意を述べた。これに対し秀島市長は「東洋町の人にお世話になった心意気は伝わったはず。一度は現地を歩かせてください」と答えた。東洋町の一行は江藤の生誕地や墓参し帰町した。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(20)東大教授・山内昌之 伊東甲子太郎
■分離分党の覚悟
衆院が解散された。自民党の麻生太郎総裁の首をすげかえるため、両院議員総会の開催を企てた人たちがいる。その中心にいた新聞記者出身の中川秀直氏の勝負勘と、外交官出身の加藤紘一氏の知力との連携が、党人派と官僚派の政策通チームとして発展すれば、面白い勝負になるはずであった。
しかし、総会開催に賛同した議員たちの同床異夢ぶりをすかさずついた党執行部の切り崩しは、都議会議員選挙の敗北にめげた同人物たちとは思えぬほど迅速果断を極めていた。皮肉なことに解散時期をめぐっても、良く言えば穏健中正、悪く言えば優柔不断を絵で描いたような総裁と細田博之幹事長のコンビは、政権も最終局面になって火事場の“大力”を発揮したといえば失礼であろうか。
勢いでは勝っていた議員総会開催派の動きが竜頭蛇尾に終わったのは、彼らが党分裂や離党まで覚悟した権力闘争に踏み切れなかったからだ。小選挙区制では立候補者の選定や運動資金の分配などの権限をもつ幹事長のスーパー権力の前に反乱がついえたのは当然であろう。
◆勤王から倒幕思い描く
しかも、幹事長権限を駆使して郵政解散選挙で民営化反対議員をつぶし、空前の大勝利を収めた武部勤氏が今回の政変準備劇で苦杯をなめたのは皮肉というほかない。2000年の“加藤の乱”を繰り返したかのような加藤氏の失敗は、必要なら分離・分党し、新党の旗を立てる構えを見せなかったからだ。総理総裁の首をとるのは、なまなかの覚悟では実現できないことを苦渋とともに体験したはずではなかったのか。またしても詰めが甘かったのである。
幕末の分党や分離といえば、何といっても新選組から独立した伊東甲子太郎(かしたろう)と御陵衛士(ごりょうえじ)を思いだす。北辰一刀流の剣術家だった伊東は、新選組の拡充を図った近藤勇の求めに応じて入隊したが、学識や弁舌を買われて新設の参謀職にすぐ任じられた。
しかし、近藤や土方歳三と伊東は尊王攘夷という一般理念では共通していたにせよ、実現の具体的手法となると違っていた。近藤らは佐幕にこだわり、伊東はひそかに勤王から倒幕を思い描いたからである。新選組に入った伊東の巧みさは、会津藩や幕府の機密情報に接することで薩藩に内通する材料をたやすく得たことである。
京都の志士や幕府関係者の間に人脈や情報網を築いた意味も大きい。こうした手土産をもとに孝明天皇の御陵警備を名目に新選組から分離・脱党したのであった。
分党が成功したのは、伊東の政治能力もさることながら、10人以上の同志的団結が固かったからだ。土方は、士道不覚悟といった得意の粛清劇を断行すれば、新選組の土台が揺らぐことを知っていたはずだ。伊東を通して薩摩藩の内情を探ろうと“泳がした”可能性も否定できない。
伊東には、富国強兵を目指す大開国や武士が補佐する公家中心の政体と国民皆兵、畿内5カ国を新政府直轄領にするような独創的政権構想があった。どこか坂本龍馬を彷彿(ほうふつ)させる大きなスケールをもっており、この点では剣豪の枠を超えられない近藤や土方ははるかに及ばなかった。
しかし、伊東には頭脳明晰(めいせき)な才人が陥りがちな欠点があった。それは、壮大な政権ビジョンが世人に理解されて当然と自負し、新時代の中枢に自分が座ることを露だに疑わぬことであった。これは、つい油断や自己過信を生み出すことにつながる。
◆幕末政治の一筋の光芒
伊東は近藤の妾宅に招かれて酩酊(めいてい)したあげく、新選組の一党に京都の油小路通で斬殺された。敵の懐に不用意にとび込むのは、まさに才子が才に倒れた感もある。カリスマの伊東が死ぬと、残った同志たちは彼の大胆な計略や交渉術を継承できるはずもなかった。
高台寺党と称された御陵衛士は、しょせん伊東の私党私塾だった。かれらは薩摩はじめ倒幕派の隊列に入ると、三流どころの役割を地味に演じたにすぎない。
伊東の油断は政治家としてほめられたことではない。それでも、新選組という幕末最大の実力集団から分離する勇気と、新たな未来に独立党派として同志と一緒に投企する使命感にあふれていた。結果は無残な悲劇に終わったにせよ、伊東は幕末政治をよぎった一筋の光芒(こうぼう)だったのである。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という言葉がある。一身を投げうつ覚悟のない政治家には、そもそも運が開けるチャンスも訪れないのではないか。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】伊東甲子太郎
いとう・かしたろう 天保6(1835)年生まれ。新選組参謀、後に孝明天皇の陵を守る「御陵衛士(高台寺党)」首領。名は武明、通称・大蔵、摂津、変名・宇田兵衛。常陸志筑(しづく)=茨城県新治郡=の旗本(交代寄合)本堂氏の家臣、鈴木忠明の長男。江戸で北辰一刀流を学び、家督を継ぐ。元治元(1864)年、新選組に入隊するが、長州攻めをめぐって近藤勇、土方歳三らと対立、脱退。その後、山陵奉行の戸田大和守の配下となり、大久保利通ら薩長藩士に接近して勤王運動に参加。近藤、土方に疎まれ、慶応3(1867)年11月18日、京都の本光寺門前で謀殺された。享年33。
毎回楽しみにしている山内教授のコラムですが……伊東先生が取り上げられたからって期待し過ぎたかな(^^ゞ。
伊東先生の国家構想の大きさを評価してくれるのはいいんです(^^)。
でも、「新選組に入った伊東の巧みさは、会津藩や幕府の機密情報に接することで薩藩に内通する材料をたやすく得たことである。」……って、最初から薩摩に通じることを目的に新選組に入隊したって説ですか(´・ω・`) 。
今日の皆既日食、奄美諸島まで足を伸ばされた方たちには天候不良で残念でしたが、全国各地で雨雲の間から観測できた方々も多かったようで。自分の友人のひとりは海外まで遠征してダイヤモンドリングを見たとメーリングリストで報告してくれました……その行動力といい晴れ男っぷりといい(自分は遠征すると雨を降らせる雨女^_^;)、羨ましい。
栃木
掘り出しニュース:1887年の皆既日食、皇族が観測スケッチ
スケッチの画像がけっこう大きくて、ほう~っと思いながら、ちょうど今日の皆既日食の報道をテレビで見ているところです。
東京
明治時代のフランス人画家ジョルジュ・ビゴーの全生涯を展示、風刺画をはじめ貴重な銅版原板も
歴史の教科書でもおなじみのビゴー展、8月23日までなので行ってみようかな……。
静岡
新居関所跡で第13次調査 尖柵を発掘で幕末の絵図の正確さ証明
木柵、石垣の存在確認 新居関所周辺の発掘調査
コラム
江戸の富士塚 参拝も行楽も
【元気のでる歴史人物講座】(29)橋本左内
栃木
掘り出しニュース:1887年の皆既日食、皇族が観測スケッチ
【栃木】1887(明治20)年8月19日、栃木県日光市の男体山(標高2484メートル)の山頂で、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人の北白川宮能久親王(1847~1895年)らが皆既日食を観測した際のスケッチが日光市の民家に残っていることが分かった。皆既食を中心に5段階で満ち欠けが描かれており、当時の関心の高さがうかがえる。
保存していたのは日光市下鉢石町の高野(こうの)隆史さん(53)。当時の文献には、見物のため外国人300人以上、日本人は5000人以上が訪れたと記され、客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほどだと、混雑ぶりが記録されている。
世界遺産の「日光の社寺」の一つ、輪王寺の門跡を務めた北白川宮もその一人。明治以後は還俗し、当時は陸軍少将だった。北白川宮に仕えていた当時の高野家当主、盛三郎氏が記した「高野家文書」に日食を観測した記録が残っている。
スケッチは和紙に墨で描かれた「日光二荒山上日蝕観測之図」。この時「紫色青色黛赭数種ノ硝子盤と望遠鏡ヲ以テ観測ス」とあり、「第壱図」は午後3時35分、太陽の右下部分が欠けている様子が描かれ、同48分の「第三図」で皆既食、「第四図」の3時52分では「復光最初の観測」と太陽が再び輝き始めた様子などが5段階で描かれている。皆既食時には「暗黒虫禽鳴ヲ止メ距離六七尺ニ在リテモ甲乙誰某タルヲ辨知スルヲ得ス」などと、周囲の様子なども記されている。
日本が近代に入って初めて経験した皆既日食。内務省が官報で地方官庁や学校に観測の心得を示したほどだった。高野さんは「宮様もよく登って見たと思う。よほど興味があったのだろう」と話している。【浅見茂晴】
スケッチの画像がけっこう大きくて、ほう~っと思いながら、ちょうど今日の皆既日食の報道をテレビで見ているところです。
東京
明治時代のフランス人画家ジョルジュ・ビゴーの全生涯を展示、風刺画をはじめ貴重な銅版原板も
文明開化の時期に来日したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴーの生涯にわたる作品を展示する展覧会『ジョルジュ・ビゴー展 碧眼の浮世絵師が斬る明治』が、8月23日まで東京都写真美術館2階展示室にて開催されている。
ビゴーは明治初期、日本に来日し、数多くの風刺画を残したことで知られる。急速に近代化する日本の情景を描き、その姿を西洋に伝えた。
本展では、来日前の新聞や雑誌への挿絵から、日本で出版した『あさ』『おはよ』『また』『クロッキー・ジャポネ』などの画集や、歴史教科書で著名な「釣りの勝負」が収録される雑誌『トバエ』、帰国後の風刺画やエピナール版画などを展示。また、今回が初公開となる来日以前に描いた水彩画や、120年前に彫った貴重な銅版原板も展示し、ビゴーの全生涯を明らかにする内容となっている。
さらに写真美術館ならではの展示として、幕末や明治初期の風俗、磐梯山の噴火、日清戦争などを被写体とする日本の初期写真を併せて紹介することにより、写真史からみたビゴーの魅力と、ビゴーを魅了した日本の姿に迫る。
『ジョルジュ・ビゴー展 碧眼の浮世絵師が斬る明治』
2009年7月11日(土)~8月23日(日)
会場:東京都写真美術館2階展示室
時間:10:00~18:00(木・金は20:00まで)入館は閉館30分前まで
休館:月曜日(ただし7月20日は開館し21日は閉館)
料金:一般800円 学生700円 中高生・65歳以上600円
歴史の教科書でもおなじみのビゴー展、8月23日までなので行ってみようかな……。
静岡
新居関所跡で第13次調査 尖柵を発掘で幕末の絵図の正確さ証明
新居町教育委員会は21日、同町の国特別史跡・新居関所跡で進めている第13次発掘調査で、江戸時代に関所の敷地境界を示すために設置した「尖柵(とんがりさく)」を発掘したことを明らかにした。幕末に作成され現存する「今切関所絵図」の記載に一致し、専門家らは「絵図の正確さが証明できた」と評価している。 (堀内孝義)
調査は関所関連施設の有無を目的に、6月下旬から7月末まで同町泉町の町有地で実施。尖柵は地下約1メートルから東西に横並びで一部分(長さ約1・8メートル)が発掘された。
基礎部だけでいずれも表面は黒く、東端は角柱、そのほかは丸太だった。今切関所絵図では「尖柵長三間」とあり、柵の設置状況も絵図通りだった。本来の尖柵は侵入防止のため最上部は鋭く、高さ約1・8メートルあったが、上部は腐るなどして残っていなかった。尖柵両側からは、柵の保護を目的とした石垣も発掘された。
調査に当たった新居関所整備委員会考古学担当の向坂鋼二さんは「従来は絵図が正確か分からなかったが、今回の発掘は絵図の正しさを証明した。石垣は尖柵を保護するためとみられ、当時は関所の付属施設として重要だったことが分かる」と話した。
町教委は調査終了後、発掘現場を埋め戻して保護する予定。これを前に23、24両日の午前10時から午後4時まで一般公開し、町教委職員が説明に当たる。
木柵、石垣の存在確認 新居関所周辺の発掘調査
新居町の新居関所周辺で行われた発掘調査で、幕末期とみられる木柵などの遺構が見つかり、町教育委員会が21日、公開した。調査では古図面の記載通りに柵の存在が確認されたほか、図面になかった石垣も柵に隣接する形で設置されていたことが明らかになった。
調査は関所跡の南西約100メートルの町有地で6月下旬から行われ、遺構は地下約1・5メートルで見つかった。木柵は丸太材17本と東端に角材1本が使用されていた。また、木柵の南には並行する形で石垣が組まれ、周辺には砂利や貝殻で地盤を固めた形跡も見られた。
幕末期に作成されたとみられる「今切関所平面図」では、この地点に「尖柵(せんさく)長三間」との記載があり、今回の発掘でこの記載が正確だったことが裏付けられた。平面図では、柵の近くに通行人の出入りを監視する大御門も描かれていて、この地点が関所施設の西端部だったとみられる。一方、図面には石垣の記載はなく、生活排水を流すための溝を補強するために組まれた可能性があるという。
新居関所整備委員会のメンバーで、県考古学会の向坂鋼二会長は「文献の記載と調査結果が一致することは珍しい。石垣の存在も確認されたのは貴重」としている。
町教委は23、24両日に調査結果を一般公開する。
コラム
江戸の富士塚 参拝も行楽も
福の神を訪ねて歩く旅。今回は番外編で「江戸の富士山」へ。
江戸時代、富士山を神聖視し、信仰する団体「富士講」が興隆し、その数は「江戸八百八講」と言われるほどだったという。各地に盛り土をした人工の富士山が作られ、今も都内数か所に残っている。
私たちが出かけたのは、北区の十条冨士塚。山開きの7月1日の大祭日で、塚の周囲にのぼりが立てられ、賑わっている。入り口で線香と護摩木を購入して、いよいよ富士登山。
二十数段の階段を上るとすぐに頂上で、線香と護摩木を焚き、石の祠にお参りする。火のそばにはほら貝を持った修験者がいて、私たちを見守ってくれた。木々が繁って、山頂からの眺めがいいとは言えないが、住宅地にこんな空間があるというのは、とても不思議な感じだ。
ここはもともと小さな古墳で、溶岩などを本物の富士山と同じように並べて作られたそうだ。残された石碑の銘文によれば、1840年(天保11年)にはすでに冨士塚があったと考えられる。幕末の石碑などを見ると、混乱の世に人々が平和を祈ったのかと思う。
もっとも、私たちは近所にずらりと並んだ露店に大喜び。金魚つりならぬ「うなぎつり」なども発見して、童心に帰ってしまった。江戸の人々も参拝と行楽を同時に楽しんだに違いない。(ペリー荻野 コラムニスト)
【元気のでる歴史人物講座】(29)橋本左内
■夭折した英才、天衝く志
幕末第一等の英才、橋本左内(さない)は14歳のとき『啓発録』を書き5つの要目(稚心を去る。気を振う。志を立つ。学に勉む。交友を択(えら)ぶ)をあげて自戒、自省した。
福井藩医を父とした左内は15歳のとき、大阪の緒方洪庵(こうあん)に弟子入りし蘭学を学んだ。最年少だったが一心不乱に学び、やがて塾中第一の学力を認められた。洪庵は「橋本は他日わが塾名を揚げん」と嘆称した。
あるとき左内は連日夜間外出した。塾生たちは左内もついに夜遊びに出かけたかと思い、そっと後をつけていくと、橋のたもとの小屋に行き、病気の乞食(こじき)を診てやっていた。塾生は己を恥じ、洪庵にこれを伝えた。洪庵は全塾生にこのことを話し、左内に見習い、一層勉励するように訓戒した。
左内は洋学のみならず和漢の学問にも打ち込んだ。その人物、学問、見識がずば抜けていたので、21歳のとき抜擢(ばってき)され藩医を免ぜられ、やがて藩主、松平慶永の侍読(じどく)となり深く信頼され腹心として活躍するのである。左内の志は幕末の国難から日本を救うことであった。
「医に小医あり、中医あり、大医あり。小医は人の病を治し、中医は小医の師となりてこれを救う。大医は天下国家の病根を治す。われすべからく大医たらざるべからず」
こうした天を衝(つ)く志をもって国事に奔走した左内が、安政大獄により25歳の若さで亡くなったのは惜しんで余りあることだった。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)
今日外出したら、電車の吊り広告に仁先生のイラストが大きく載った『スーパージャンプ』の広告が。テレビドラマの配役情報が掲載されるとか。コンビニに走ったら、まだ売ってなかった……(汗)。明日発売なのね。
某巨大掲示板の村上もとかスレに一足早く情報が出ていたので、メモ。真偽のほどは、明日確認します(汗)。
民放のワンクール時代劇としては、かなーり力が入った配役のような気がする。視聴率次第ではパート2以降もつくる気満々でしょう(笑)……これは、応援したいです。
個人的には、来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』より、配役がツボりそうな気がする……特に、龍馬:内野聖陽、勝海舟:小日向文世、緒方洪庵:武田鉄矢の組み合わせが。コヒさんの勝海舟なら、江戸下町のべらんめぇ調で聞けそうだ。誰が勝海舟に合わないので今からげんなりしてるって、言いたくはないけど……(毒)。
関連記事:
『JIN―仁―』テレビドラマ化
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7月22日追記。『スーパージャンプ』を読む前に、ニュース記事で確定情報が流れてました^_^;。
大沢たかおが脳外科医、中谷美紀1人2役
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大沢たかおが脳外科医、中谷美紀1人2役
江戸の町並みもちゃんとセットで再現してくれそうです……楽しみだなぁ、わくわく。
大沢たかお8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
大沢たかお8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
大沢たかお:8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
キャストも某巨大掲示板情報で大体合ってそうですね……後で『スーパージャンプ』誌で確かめたく存じます。
10月スタートということで来年の大河ドラマ『龍馬伝』より一足早く幕末ワールドを楽しむことができそうです。
☆★☆★
追記。
かぶってない記事を追加します。
大沢たかおが8年ぶり連ドラ復帰!超大作『JIN-仁-』が今秋放送決定!共演は中谷美紀、綾瀬はるかなど
「超大作」なんて発表されている……(汗)。原作がビジュアル的に緻密な時代考証している作品なので、セットや衣装や所作など、どこまで緻密にやってくれるかと不安なのですが、TBSはかなり力入れているようです。NHKですら時代劇は縮小傾向なので、本格的な作品となることを期待してます。
JIN 仁:大沢たかお主演、中谷美紀、綾瀬はるかも 内野聖陽が龍馬 ドラマが10月放送
<JIN 仁>大沢たかお主演、中谷美紀、綾瀬はるかも 内野聖陽が龍馬 ドラマが10月放送
細かいツッコミですが、この見出しで「ドラマが10月放送」の「が」に違和感感じました。「ドラマが10月から放送される」にはまったく違和感ないのに、見出しで「が」がつくと、なぜか違和感。「ドラマ10月放送」「ドラマ化、10月放送」などなら読み飛ばしていたと思うのですが……うーん、日本語って難しい(^^ゞ。
幕末医療漫画『JIN-仁-』が大沢たかお、中谷美紀ら豪華キャストでドラマ化
うーん、「幕末医療マンガ」……確かにそうなんだけど、違和感ありあり。てゆーか、そんなジャンルはない(爆)。タイムスリップありのSF設定ですが、かなり緻密な時代考証と医療技術の考証をした上で、史実をうまくフィクションと絡めた大河歴史ロマン……(長っ)というのが愛読者である白牡丹の理解です。
とにかく、このドラマ化をきっかけに原作を手にとってくれる方が増えて欲しいという、一押しマンガ作品です。
☆★☆★
7月23日追記。TBSによるニュースリリース、キャストによるコメント付きです。
超歴史スペクタクル&SFヒューマン
『JIN-仁-』
現代の脳外科医が江戸にタイムスリップ!
坂本龍馬や江戸の女性たちとの出会いが歴史を変える事になるのか・・
大沢たかお・中谷美紀・綾瀬はるか・小出恵介・内野聖陽ら
豪華俳優陣で臨む超大作が今秋放送決定!
株式会社TBSテレビ
日曜劇場『JIN-仁-』大沢たかお、中谷美紀ら出演者コメント
某巨大掲示板の村上もとかスレに一足早く情報が出ていたので、メモ。真偽のほどは、明日確認します(汗)。
南方仁:大沢たかお
野風:中谷美紀
橘咲:綾瀬はるか
坂本龍馬:内野聖陽
橘恭太郎:小出恵介
橘栄:麻生祐未
勝海舟:小日向文世
緒方洪庵:武田鉄矢
山田純庵:田口浩正
(中略)
佐分利祐輔 桐谷健太
妙 戸田菜穂
鈴屋彦三郎 六平直政
民放のワンクール時代劇としては、かなーり力が入った配役のような気がする。視聴率次第ではパート2以降もつくる気満々でしょう(笑)……これは、応援したいです。
個人的には、来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』より、配役がツボりそうな気がする……特に、龍馬:内野聖陽、勝海舟:小日向文世、緒方洪庵:武田鉄矢の組み合わせが。コヒさんの勝海舟なら、江戸下町のべらんめぇ調で聞けそうだ。誰が勝海舟に合わないので今からげんなりしてるって、言いたくはないけど……(毒)。
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7月22日追記。『スーパージャンプ』を読む前に、ニュース記事で確定情報が流れてました^_^;。
大沢たかおが脳外科医、中谷美紀1人2役
大沢たかおが脳外科医、中谷美紀1人2役
大沢たかおが脳外科医、中谷美紀1人2役
俳優の大沢たかお(41)が、10月スタートのTBS系新ドラマ「JIN―仁」(日曜・後9時)で、約8年ぶりに連ドラ主演する。1人2役のヒロインを演じる中谷美紀(33)も約7年ぶりの連ドラ出演。村上もとかさん原作の人気コミックのドラマ化で、幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医の数奇な運命をミステリータッチで描く。
主人公の脳外科医・南方仁は、とある手術をきっかけに幕末の江戸にタイムスリップ。個性豊かな女性たちとの恋や、坂本龍馬、緒方洪庵ら歴史上の人物との交流を通じて、歴史とは? 医術とは? 人間の尊厳とは?といった重厚なテーマを問う。原作は「スーパージャンプ」に連載中で、単行本15巻の累計が160万部を超える人気コミックだ。
主演の大沢は、2001年のTBS系「昔の男」以来の連ドラ出演で「自分としてはすごく興奮しています」。久々のドラマに「時間と空間の広がりがあるうえ、登場人物がみな魅力的に描かれている。社会的、恋愛的、ファンタジーとたくさんの要素が入っていてすごく共鳴しました」と気合が入っている。
02年「おとうさん」以来の連ドラとなる中谷は、現代では仁の婚約者・未来、江戸では仁に心ひかれていく吉原の最高峰の花魁(おいらん)野風の1人2役。「色気と気品あふれる花魁・野風の情熱と孤独を表現すべく、目下女らしさの研究中です」。カツラと着物の重量に負けない体をつくるため、ヨガなどに励むという。また助手として仁に恋心を抱く橘咲役の綾瀬はるか(24)は「神業といえる医療に驚き、興味を持ち、仁を慕う江戸時代の女性を生き生きと演じたい」と話している。
オープンセットやCGで再現する江戸の町並みも見どころとなりそうで、約6年前から企画を温めてきたという同局の石丸彰彦プロデューサーは「江戸に会ってみたかった。映画『ALWAYS』のラストシーンのような町並みを再現します。江戸を感じてください」と話している。
江戸の町並みもちゃんとセットで再現してくれそうです……楽しみだなぁ、わくわく。
大沢たかお8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
大沢たかお8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
大沢たかお:8年ぶり、中谷美紀7年ぶり連ドラ
俳優の大沢たかお(41)が8年ぶりに連続ドラマに出演する。TBSで10月にスタートする「JIN―仁―」(日曜後9・00)で、主役の現代の脳外科医に扮し、幕末の江戸にタイムスリップする。
「スーパージャンプ」(集英社)で連載中の同題の漫画が原作で、南方仁(みなかた・じん)があることがきっかけで、タイムスリップしてしまい、満足な医療器具も薬もない環境で幕末の人々の命を救い、坂本龍馬(内野聖陽)、勝海舟(小日向文世)、緒方洪庵(武田鉄矢)らと交流を深め、幕末の歴史に巻き込まれる壮大なスケールの物語。1956年12月から始まった同局の同枠「日曜劇場」で初のSFドラマ。
ヒロインは中谷美紀(33)と綾瀬はるか(24)の2人。中谷が仁の現代の恋人・友永未来とタイムスリップした江戸にいる吉原の最上級の花魁(おいらん)・野風の2役、綾瀬は江戸で仁を助手として支える橘咲を演じ、大沢との三角関係を繰り広げていく。
大沢は01年の同局「昔の男」以来の連ドラとなり、「凄く興奮しています。内容も社会的、恋愛的、ファンタジーとたくさんの要素が入っていて、凄く共鳴しました」と意欲満々。中谷も02年の同局「おとうさん」以来、7年ぶりの連ドラとなる。
キャストも某巨大掲示板情報で大体合ってそうですね……後で『スーパージャンプ』誌で確かめたく存じます。
10月スタートということで来年の大河ドラマ『龍馬伝』より一足早く幕末ワールドを楽しむことができそうです。
☆★☆★
追記。
かぶってない記事を追加します。
大沢たかおが8年ぶり連ドラ復帰!超大作『JIN-仁-』が今秋放送決定!共演は中谷美紀、綾瀬はるかなど
超歴史スペクタクル&SFヒューマン
日曜劇場『JIN-仁-』
10月スタート!日曜21:00~(TBS系列)
現代の脳外科医が江戸にタイムスリップ!
坂本龍馬や江戸の女性たちとの出会いが歴史を変える事になるのか・・
大沢たかお・中谷美紀・綾瀬はるか・小出恵介・内野聖陽ら豪華俳優陣で望む超大作が今秋放送決定!
TBSでは10月クールの日曜劇場(日曜よる9時~)で超大作『JIN-仁-』を放送する事が決定。
『JIN-仁-』は、ある事がきっかけで現代に生きる脳外科医が幕末の江戸へタイムスリップしてしまうという物語で、現在「スーパージャンプ」(集英社)で連載され、圧倒的人気を誇る作品だ。
タイムスリップした脳外科医・南方仁(みなかたじん)が、満足な医療器具も薬も無い環境で、幕末の人々の命を救い、その医術を通して坂本龍馬・勝海舟・緒方洪庵など、幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも幕末の歴史の渦の中に巻き込まれていくという、壮大な歴史スペクタクル&SFヒューマンエンタテインメントとなっている。
十分な医療器具・最新機器もないままに、自らの知識と経験だけを頼りに、麻疹、コレラ、梅毒など、江戸の病魔の数々と対峙する仁。
ただ医師として生きるために…。たとえ歴史を変えることになったとしても目の前の命を救うべく、仁の孤独な闘いが幕を開ける──。そして交流を深めていく坂本龍馬に果たして「暗殺」という本当の史実を伝えてしまうのか……。
そして、仁が愛した現代と幕末の女性──。その運命とは……。
「南方仁」を演じるのは主演の大沢たかお。8年ぶりの連ドラ出演となる。また、仁の現代での恋人「友永未来」と、タイムスリップした江戸・吉原の最上級位の花魁「野風」の2役を演じるのは、こちらも連ドラ7年ぶりとなる中谷美紀。さらに、幕末の江戸で仁の世話をし、公私共に彼の支えになる「橘咲」を綾瀬はるかが、その兄で仁がタイムスリップして一番最初に手術を行い、命を救うことになる「橘恭太郎」を小出恵介が演じる。
さらに歴史上の人物としては、明治維新を推進させる幕末の革命児で、タイムスリップした仁とも深く関わっていく「坂本龍馬」を内野聖陽が、いち早く開国を志し働きかける日本近代のパイオニア「勝海舟」を小日向文世が、江戸時代末期の医学を牽引する医学所頭取「緒方洪庵」を武田鉄矢が演じる事が決定している。
ドラマでは綺羅星の如く現れた志士・偉人たちが数多く登場し、また、爛熟した江戸文化も大いに描かれていく。江戸の町並み、遊郭吉原、歌舞伎など、綿密な時代考証をもとに再現され、ドラマを見ているとまるで自分が幕末にいるような錯覚を覚えるはずだ。
近年増大中の江戸時代ファン、そして本格派歴女たちにも大満足してもらえること間違いなしのこの日曜劇場『JIN-仁-』をどうぞお楽しみに!
「超大作」なんて発表されている……(汗)。原作がビジュアル的に緻密な時代考証している作品なので、セットや衣装や所作など、どこまで緻密にやってくれるかと不安なのですが、TBSはかなり力入れているようです。NHKですら時代劇は縮小傾向なので、本格的な作品となることを期待してます。
JIN 仁:大沢たかお主演、中谷美紀、綾瀬はるかも 内野聖陽が龍馬 ドラマが10月放送
<JIN 仁>大沢たかお主演、中谷美紀、綾瀬はるかも 内野聖陽が龍馬 ドラマが10月放送
細かいツッコミですが、この見出しで「ドラマが10月放送」の「が」に違和感感じました。「ドラマが10月から放送される」にはまったく違和感ないのに、見出しで「が」がつくと、なぜか違和感。「ドラマ10月放送」「ドラマ化、10月放送」などなら読み飛ばしていたと思うのですが……うーん、日本語って難しい(^^ゞ。
村上もとかさんの医療マンガ「JIN 仁」のテレビドラマ版で、幕末にタイムスリップした脳外科医・南方仁を俳優の大沢たかおさんが演じることが22日、明らかになった。ドラマは10月から、TBS系で放送される。
「JIN 仁」は、マンガ誌「スーパージャンプ」(集英社)で00年4月から連載され、シリーズ計125万部を発行している。幕末にタイムスリップした南方が、現代の医療技術を駆使して江戸の人々を救うというストーリー。
大沢さんのほか、中谷美紀さんが、吉原一の花魁(おいらん)・野風と、仁が現代に残した婚約者の友永未来。仁の助手として医療の道を志す武家の娘・橘咲を綾瀬はるかさん。内野聖陽さんが坂本龍馬役を演じる。
幕末医療漫画『JIN-仁-』が大沢たかお、中谷美紀ら豪華キャストでドラマ化
うーん、「幕末医療マンガ」……確かにそうなんだけど、違和感ありあり。てゆーか、そんなジャンルはない(爆)。タイムスリップありのSF設定ですが、かなり緻密な時代考証と医療技術の考証をした上で、史実をうまくフィクションと絡めた大河歴史ロマン……(長っ)というのが愛読者である白牡丹の理解です。
雑誌『スーパージャンプ』(集英社)で連載中の幕末医療漫画『JIN-仁-』が、TBS系日曜後9時枠で、大沢たかお、中谷美紀、綾瀬はるか、内野聖陽ら豪華キャストでドラマ化されることが、22日発売の同誌で発表された。同作は、『六三四の剣』などで知られる村上もとかさんの作品で、現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁(大沢)が、現代の医療技術を用いて江戸の人々を救おうと努力する物語で、坂本龍馬、勝海舟ら幕末の英雄たちとの交流を描く。大沢の連ドラ出演は2001年の『昔の男』(同局系)以来8年ぶり、中谷も02年の『おとうさん』(同局系)以来、7年ぶりの連ドラとなる。
2000年に連載が開始され、現在15巻まで発売されている『JIN-仁-』。東都大学附属病院脳外科医局長から、文久2年の江戸にタイムスリップし、歴史の改変を自覚しつつも、江戸の人々を現代医療で救う主人公・南方仁を大沢が熱演。さらに、仁が現代に残してきた婚約者・友永未来と江戸を魅了する吉原一の花魁・野風の二役を中谷、仁の助手を務める橘咲役に綾瀬が演じる。
また、実在の人物である坂本龍馬を内野聖陽、勝海舟を小日向文世、江戸時代の医学をけん引した緒方洪庵を武田鉄矢が扮する。 そのほかに、小出恵介、麻生祐未、戸田菜穂、六平直政、田口浩正、桐谷健太ら豪華キャストが集結。今回、発表はなかったが、原作には西郷隆盛や、沖田総司、近藤勇ら新選組のメンバーも登場しており、こちらの配役にも注目だ。
とにかく、このドラマ化をきっかけに原作を手にとってくれる方が増えて欲しいという、一押しマンガ作品です。
☆★☆★
7月23日追記。TBSによるニュースリリース、キャストによるコメント付きです。
超歴史スペクタクル&SFヒューマン
『JIN-仁-』
現代の脳外科医が江戸にタイムスリップ!
坂本龍馬や江戸の女性たちとの出会いが歴史を変える事になるのか・・
大沢たかお・中谷美紀・綾瀬はるか・小出恵介・内野聖陽ら
豪華俳優陣で臨む超大作が今秋放送決定!
株式会社TBSテレビ
TBSでは10月クールの日曜劇場(日曜よる9時~)で超大作『JIN-仁-』を放送する事が決定した!
『JIN-仁-』は、ある事がきっかけで現代に生きる脳外科医が幕末の江戸へタイムスリップしてしまうという物語で、現在「スーパージャンプ」(集英社)で連載され、圧倒的人気を誇る作品。
タイムスリップした脳外科医・南方仁(みなかたじん)が、満足な医療器具も薬も無い環境で、幕末の人々の命を救い、その医術を通して坂本龍馬・勝海舟・緒方洪庵など、幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも幕末の歴史の渦の中に巻き込まれていくという、壮大な歴史スペクタクル&SFヒューマンエンタテインメントとなっている。
十分な医療器具・最新機器もないままに、自らの知識と経験だけを頼りに、麻疹、コレラ、梅毒など、江戸の病魔の数々と対峙する仁。
ただ医師として生きるために…。たとえ歴史を変えることになったとしても目の前の命を救うべく、仁の孤独な闘いが幕を開ける──。そして交流を深めていく坂本龍馬に果たして「暗殺」という本当の史実を伝えてしまうのか……。そして、仁が愛した現代と幕末の女性──。その運命とは……。
「南方仁」を演じるのは主演の大沢たかお。8年ぶりの連ドラ出演となる。また、仁の現代での恋人「友永未来」と、タイムスリップした江戸・吉原の最上級位の花魁「野風」の2役を演じるのは、こちらも連ドラ7年ぶりとなる中谷美紀。さらに、幕末の江戸で仁の世話をし、公私共に彼の支えになる「橘咲」を綾瀬はるかが、その兄で仁がタイムスリップして一番最初に手術を行い、命を救うことになる「橘恭太郎」を小出恵介が演じる。
さらに歴史上の人物としては、明治維新を推進させる幕末の革命児で、タイムスリップした仁とも深く関わっていく「坂本龍馬」を内野聖陽が、いち早く開国を志し働きかける日本近代のパイオニア「勝海舟」を小日向文世が、江戸時代末期の医学を牽引する医学所頭取「緒方洪庵」を武田鉄矢が演じる事が決定している。
江戸時代は今よりもずっと不便で病気も多く寿命も短い時代。けれど、街角には笑いがあふれていたという。江戸の人々は、きっと様々な不幸を笑い飛ばしながら力強く生きていたのではないだろうか。そこには、世で二番目の富を誇り、世界一の長寿大国でありながらも、街角にはうつむいて先を急ぐ人ばかりという現代の日本人がいつのまにか忘れてしまったモノがあるのではないか?
ドラマでは綺羅星の如く現れた志士・偉人たちが数多く登場し、また、爛熟した江戸文化も大いに描かれていく。江戸の町並み、遊郭吉原、歌舞伎など、綿密な時代考証をもとに再現され、ドラマを見ているとまるで自分が幕末にいるような錯覚を覚えるはずだ。
近年増大中の江戸時代ファン、そして本格派歴女たちにも大満足してもらえること間違いなしのこの日曜劇場『JIN-仁-』をどうぞお楽しみに!
■キャストコメント■
【大沢たかお】
8年ぶりのドラマへの参加ということで、自分としてはすごく興奮しています。たくさんの幅広い人に愛されるよう、一人でも多くの方に見てもらるよう頑張ります。内容も社会的・恋愛的・ファンタジーとたくさんの要素が入っていて、自分自身すごく共鳴しました。
【中谷美紀】
どのような作品でも毎回手探りで緊張しますが、久々の連続ドラマ出演ですので、初心に返って、一からお勉強させていただくつもりでがんばります。色気と気品溢れる花魁野風の情熱と孤独を表現すべく、目下女らしさの研究中です。
【綾瀬はるか】
江戸時代の人々にとっては、見たことも聞いたこともない、神業ともいえる医療に驚き、興味を持ち、そして仁を慕う江戸時代の女性を、咲を通して生き生きと演じていきたいです。
【内野聖陽】
幕末の自由で闊達な豪放キャラをダイナミックに力強く演じていきたいと、今からメラメラ燃えています。とにかく発想のスケール感や自分の感性に忠実だった男の良さを縦横無尽に演じられるよう、今、坂本龍馬研究をしているところです。破天荒なパワーが、どんな風に時代を動かしていったかというような、時代の中での"龍馬の戦い方"みたいなことも出せていけたらと思っています。
関連URL:http://www.tbs.co.jp/jin2009/
日曜劇場『JIN-仁-』大沢たかお、中谷美紀ら出演者コメント
現代の脳外科医が江戸にタイムスリップ!
坂本龍馬や江戸の女性たちとの出会いが歴史を変える事になるのか・・
大沢たかお・中谷美紀・綾瀬はるか・小出恵介・内野聖陽ら豪華俳優陣で望む超大作が今秋放送決定!
【出演者コメント】
◆大沢たかお
8年ぶりのドラマへの参加ということで、自分としてはすごく興奮しています。
たくさんの幅広い人に愛されるよう、一人でも多くの方に見てもらるよう頑張ります。内容も社会的・恋愛的・ファンタジーとたくさんの要素が入っていて、自分自身すごく共鳴しました。
◆中谷美紀
どのような作品でも毎回手探りで緊張しますが、久々の連続ドラマ出演ですので、初心に返って、一からお勉強させていただくつもりでがんばります。
色気と気品溢れる花魁野風の情熱と孤独を表現すべく、目下女らしさの研究中です。
◆綾瀬はるか
江戸時代の人々にとっては、見たことも聞いたこともない、神業ともいえる医療に驚き、興味を持ち、そして仁を慕う江戸時代の女性を、咲を通して生き生きと演じていきたいです。
◆内野聖陽
幕末の自由で闊達な豪放キャラをダイナミックに力強く演じていきたいと、今からメラメラ燃えています。とにかく発想のスケール感や自分の感性に忠実だった男の良さを縦横無尽に演じられるよう、今、坂本龍馬研究をしているところです。破天荒なパワーが、どんな風に時代を動かしていったかというような、時代の中での"龍馬の戦い方"みたいなことも出せていけたらと思っています。
超歴史スペクタクル&SFヒューマン
日曜劇場『JIN-仁-』
10月スタート!日曜21:00~(TBS系列)
予報だと昼過ぎに雨が止むかと思っていたのですが、夕方から降り始め、本降りに……帰宅してから本降りになったのは、雨女としてはラッキーな部類かと(苦笑)。
広島
八条原城跡地整備へ 東広島
島根
浜田の劇団、地芝居に活気
コラム
化石のような蕎麦屋 八丁堀「あさだ」
インパクトのある見出しです(笑)。
いや、明治25年には、もうとっくに岡っ引きはいないですよ(苦笑)……元岡っ引きが老獪な爺さんとなってて、開業したこの蕎麦屋で蕎麦をたぐっていたかも知れない、のはまったくあり得ない話じゃないかも知れませんけど。
広島
八条原城跡地整備へ 東広島
広島藩が幕末に築いた八条原城(東広島市志和町志和西)の跡地に、地元住民が散策道をつくる計画を進めている。歴史ロマンに思いをはせ、地域おこしにつなげる狙いだ。
市教委によると、広島藩の練兵場として安駄山(735メートル)のふもとに築城。明治維新後は草木に埋もれ、石垣や礎石の一部が残るだけとなっていた。
散策道の整備を呼び掛けたのは、近くで区長を務める吉本正就さん(70)。小学教諭だった父から、城の存在や歴史を聞かされ「地元の史跡を風化させず、開発から守るためには広く知ってもらうべきだと考えた」という。
吉本さんは現在の地権者と交渉し、約6ヘクタールの整備を計画。地元の40~70歳代の約20人が賛同し、今後草刈りや兵舎などの跡地を紹介する標識設置をし、来年春の完成を目指す。
島根
浜田の劇団、地芝居に活気
浜田市内で活動するアマ劇団など8団体が集まり26日午前10時から、市内の石央文化ホールで「石央地芝居大会」を開く。合併を機に昨年から始まり、今回は2団体増え旧5市町村すべてから出演がある。各劇団とも練習に汗を流している。
結成20年を迎えた劇団やうね座(弥栄町)はオリジナル劇「木曽の弥太っぺ」を披露する。子と母の再会を涙と笑いで構成した歌舞伎風の人情劇だ。親子もいる30~70歳代の団員13人は週2回の練習を重ねた。
石見地方には幕末、明治期の農村歌舞伎、戦後の青年団演劇を受け継いだ劇団が多い。今回は県立大に誕生した学生の演劇サークルも初出演する。午前10時から午後5時40分。前売りは大人千円、高校生以下500円。
ほかの出演は、いまふく笑舞会(金城)▽創作てんからっと(浜田)▽劇団酔族漢(同)▽劇団どんぐり(旭)▽河内神祇太鼓同好会(三隅)▽山陰久佐松竹座(金城)
コラム
化石のような蕎麦屋 八丁堀「あさだ」
インパクトのある見出しです(笑)。
茶そばであるようなないような
この店の蕎麦はどう見ても茶そばだが、店のおやじは「そうでない」という。おかしなことを言うおやじだと思ったが、とつとつと語るその言い分を聞けば少しは納得できる。終戦直後、食糧事情が悪くてそば粉も粗悪なものしか入手できなかった混乱期、少しでも旨く食べてもらおうと蕎麦を打つ際茶の粉を入れた。それをそのまま続けてきただけだから、風流や嗜好としての茶そばとは違う。言い分を要約するとそういう事らしい。
(中略)
店から数十メートル東京駅方角へ鍛冶橋通りをすすむと与力・同心組屋敷跡という碑がある。明治25年といえば維新はそう古いことではない。十手、取り縄を返上した同心、岡引がうまくゆかぬ生業の愚痴でも言いながら、あるいはここで1杯やっていたかもしれない。などと想像しながら蕎麦を手繰るのも一興だ。
いや、明治25年には、もうとっくに岡っ引きはいないですよ(苦笑)……元岡っ引きが老獪な爺さんとなってて、開業したこの蕎麦屋で蕎麦をたぐっていたかも知れない、のはまったくあり得ない話じゃないかも知れませんけど。
今日は夏負けでちょっとへばってます……早めに休んで、明日からまた元気に過ごしたいです。
北海道
開港150周年祝う車内で一服…市電でお茶会
新島譲の志たたえる 海外脱国祈年祭
正しくは「新島襄」ですが原文ママということで^_^;。
福島
「戊辰戦争後の会津」展が開幕/会津若松
栃木
皆既日食:1887年、男体山頂で皇族ら観測スケッチ 日光の民家で保存 /栃木
皆既日食:1887年、男体山頂で皇族ら観測スケッチ 日光の民家で保存 /栃木
輪王寺宮様(戊辰戦争当時)、戊辰戦争から20年後に日光を訪れたんですね。
「客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほど」という盛況ぶり……(汗)。
長野
松本城の太鼓楼、期間限定で復元
登城を知らせる「太鼓楼」 松本城に期間限定で登場
奈良
出版:会社員の上田さん、曽祖父の人生を本に 幕末から大正、波乱万丈の記録 /奈良
出版:会社員の上田さん、曽祖父の人生を本に 幕末から大正、波乱万丈の記録 /奈良
北海道
開港150周年祝う車内で一服…市電でお茶会
函館市電の中で一服を楽しむ「電車でお茶会」が19日、函館どつく前電停に車両を止め置いて開かれた。函館開港150周年をイメージし、万国旗を掲げるなどした車内で、約300人の参加者が夏の風物詩となったイベントを楽しんでいた。
このお茶会は、2003年に函館で開かれた路面電車サミットで初開催されて以来、今回で8回目。同電停付近にある厳島神社の例大祭の一環として開かれている。1回につき約20人が座席に着き、市内の小林茶道教室(小林宗亀主宰)の生徒からお点前を受けていた。
開港の節目を祝い、華やかな万国旗の下、書き物には地球上の人が理解し合い、異なる文化認めあう意味の「四海同風」がしたためられた。菓子は青い海を表現した「夜明け」が用意された。
当日券も約30枚売れるほどの人気ぶり。小林さんは「今回は雨でお客様が減るかと思ったが、いつも通りに足を運んでくれた。このイベントが定着したおかげで、これからも趣向を凝らし続けていきたい」と話していた。
新島譲の志たたえる 海外脱国祈年祭
正しくは「新島襄」ですが原文ママということで^_^;。
函館から脱国してアメリカで勉学に励み、帰国後に同志社大(京都)を創設するなど、明治維新の大業に命を賭けた新島襄(1843―90)の偉業をたたえる「海外渡航祈年祭」(新島襄・パトスの会主催)が17日、函館市大町の海外渡航記念碑前で開かれた。同会(宮腰善行代表)の会員など約10人が参列。碑に献花し、新島の志をたたえた。
函館の開港から5年が経ち、海外渡航が禁じられていた1864(元治元)年、新島は国を憂い、海外に新しい知識を求めること決意し、江戸から函館へ到着。7月17日、大町の海岸からアメリカ船ベルリン号に乗り込み密航に成功した。
同会は、新島と、新島の行動を支援した函館の福士成豊の見識をたたえ2000年に設立。記念祭では参列者が碑前に献花し、手を合わせた。次に、日本キリスト教団函館千歳教会の井石彰牧師が教会と新島のかかわりを紹介。新島がアメリカで受けたキリスト教(会衆派)の精神が、同志社、日本のキリスト教の精神につながっていると話すと参列者はメモを取るなどして聞き入っていた。
福島
「戊辰戦争後の会津」展が開幕/会津若松
秩父宮妃勢津子さま生誕100年を記念した企画展「戊辰戦争後の会津」は18日、会津若松市鶴ケ城の若松城天守閣郷土博物館で開幕した。
市内の御薬園で「想ひ出の写真展」も始まり、にぎわった。
ともに9月9日まで。
企画展では、会津藩が戊辰戦争に敗れて斗南に移ってからの苦難の歴史、勢津子さまが秩父宮さまに嫁がれ会津に着せられた「朝敵」の汚名をそそぐまでを約80点の資料で紹介している。
栃木
皆既日食:1887年、男体山頂で皇族ら観測スケッチ 日光の民家で保存 /栃木
皆既日食:1887年、男体山頂で皇族ら観測スケッチ 日光の民家で保存 /栃木
1887(明治20)年8月19日、日光市の男体山(標高2484メートル)の山頂で、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人の北白川宮能久親王(1847~1895年)らが皆既日食を観測した際のスケッチが日光市の民家に残っていることが分かった。皆既食を中心に5段階で満ち欠けが描かれており、当時の関心の高さがうかがえる。
保存していたのは日光市下鉢石町の高野(こうの)隆史さん(53)。当時の文献には、見物のため外国人300人以上、日本人は5000人以上が訪れたと記され、客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほどだと、混雑ぶりが記録されている。
世界遺産の「日光の社寺」の一つ、輪王寺の門跡を務めた北白川宮もその一人。明治以後は還俗し、当時は陸軍少将だった。北白川宮に仕えていた当時の高野家当主、盛三郎氏が記した「高野家文書」に日食を観測した記録が残っている。
スケッチは和紙に墨で描かれた「日光二荒山上日蝕観測之図」。この時「紫色青色黛赭数種ノ硝子盤と望遠鏡ヲ以テ観測ス」とあり、「第壱図」は午後3時35分、太陽の右下部分が欠けている様子が描かれ、同48分の「第三図」で皆既食、「第四図」の3時52分では「復光最初の観測」と太陽が再び輝き始めた様子などが5段階で描かれている。皆既食時には「暗黒虫禽鳴ヲ止メ距離六七尺ニ在リテモ甲乙誰某タルヲ辨知スルヲ得ス」などと、周囲の様子なども記されている。
日本が近代に入って初めて経験した皆既日食。内務省が官報で地方官庁や学校に観測の心得を示したほどだった。高野さんは「宮様もよく登って見たと思う。よほど興味があったのだろう」と話している。【浅見茂晴】
輪王寺宮様(戊辰戦争当時)、戊辰戦争から20年後に日光を訪れたんですね。
「客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほど」という盛況ぶり……(汗)。
長野
松本城の太鼓楼、期間限定で復元
松本市の松本城太鼓門北側で、武士に登城を知らせるなどの目的で太鼓や半鐘を鳴らした建物「太鼓楼」が8月23日までの期間限定で登場、往時をしのばせている。高さは5メートル余り。市と市教育委員会が、幕末の絵図を基に復元・仮設した。
登城を知らせる「太鼓楼」 松本城に期間限定で登場
松本市の松本城太鼓門北側で、武士に登城を知らせるなどの目的で太鼓や半鐘を鳴らした建物「太鼓楼(ろう)」が8月23日までの期間限定で登場、往時をしのばせている。高さは5メートル余り。太鼓門の復元10周年を記念し、市と市教育委員会が、幕末の絵図を基に復元・仮設した。
18日に開かれた太鼓門復元の記念式典では、太鼓楼で「国宝松本城古城太鼓」のメンバーが太鼓を3回、半鐘を2回鳴らし、登城の合図を再現。地元の子どもたちが参加した勉強会では、城から離れた場所から実際に太鼓の音が聞こえるか確かめた。城南側の入り口近くで聞いた松本市開智小学校6年の川船美優さん(11)は「すごくよく聞こえて驚いた」。
8月1~23日の土・日曜は午前9~11時に4回、子ども向けに登城合図の太鼓の体験会を開く。体験会に合わせ2、9日は、城下町について勉強し、太鼓の音がどこまで聞こえるか確かめる。
また、市立博物館は8月23日まで「時を知らせた太鼓」と題し、実際に松本城で使われたとされる太鼓2張りを展示。午前8時半~午後6時。入館料は大人600円、子ども300円。
体験会や展示の問い合わせは松本城管理事務所(電話0263・32・2902)へ。
奈良
出版:会社員の上田さん、曽祖父の人生を本に 幕末から大正、波乱万丈の記録 /奈良
出版:会社員の上田さん、曽祖父の人生を本に 幕末から大正、波乱万丈の記録 /奈良
幕末から大正時代まで、五條市で118もの事業に携わった曽祖父高橋直吉さんが残した日記やメモを、会社員の上田尚男さん(61)=神戸市北区桂木=が口語訳し、「五條国 高橋直吉 天壽録(てんじゅろく)」として出版した。上田さんは、同市役所を訪れ、吉野晴夫市長に贈呈。「直吉は事業を興しては失敗と成功を重ね、波乱万丈の人生。訳していて面白かった」と話している。
直吉さんは1857(安政4)年、黒船来航の4年後に同市の旧須恵村に生まれ、1919(大正8)年に死去した。青年時代から村の世話役を務め、生涯に手がけた事業は印刷業、新聞販売、鉱山開発、牧場と牛乳販売、吉野川の遊覧船、熊本の塩田への出資など、多種多様だ。
筆まめだったらしく、自ら「公事」「私事」と分けて書き残した記録に加え、五條を襲撃して「五條御政府」を樹立した天誅組に関する母親のメモも晩年に整理し、「天壽録」としてまとめたとみられる。登場人物は約2000人。上田さんは2年前、「先祖のことを調べ、子孫に伝えたい」と口語訳にとりかかった。
本はA4判で、本文285ページに人物索引や系図が添付されている。4200円で100部を発行。問い合わせは五條市新町1の6の2、NPO法人「大和社中」の山口誉恭さん(0747・22・2720)。【栗栖健】
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